あなたは至福の大海、限りない歓喜

真我(アートマン)を実現した聖者の心は、完全に破壊されている。それは死んでいる。 ―ラマナ マハルシ

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「【いつも幸せで、至福に満ちていなさい】。

{{あなたがた自身、【神聖なアートマ スワルーパ(真我の化身、本性)】として振る舞い、

【神の至福を味わいなさい】}}。

これが、私があなたがたに望むことだ。

全ての人が幸せであるべきである。

全ての子供が幸せであるべきである。

【誰にも、悲しみの涙を流させないようにしなさい】。

【困難がやって来ることもあるが、
それは最終的に幸福をもたらす】」

 ―サティヤ サイババ


「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。

種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、

喜びの歌をうたいながら帰ってくる」

 詩篇(126‐5、6)


「【人生に厳しい打撃を受け、この世の一切物に失望した時に初めて、
我々はもっと高い何ものかを欲する】。

【その時に神を探し求めるのだ】」

 ―ヴィヴェーカーナンダ


「{{【彼】は【苦しみによって苦しみを破壊し】、

【悲しみによって悲しみを絶滅させるでしょう】}}。

【至高者は、それぞれの人のカルマ(過去の行為による影響)や傾向(ヴァーサナー)に応じて、様々な名前や形で崇拝されています】。

【あなたが信じる【彼】の名前と形に対して】、

【誠実に、熱意をもって】、

【心から助けを求 めてください】。

【至高者】は、【我が子が悲しみに沈んでやるせない涙を流し、自分に助けを求めているのを見て、無関心でいることはできません】。

【彼】は【我が子を救うために】、【我が子に厳しい一撃を加えるでしょう】。

【――しかしその後、【彼】は愛する我が子を再び抱擁し、慰めるでしょう】」

 ―アーナンダマイー マー


「苦しみ、苦痛、屈辱、病気、失敗、それは主のくちづけにほかなりません」

「苦しみは神からの贈り物なのです。

それによって私たちは、キリストに最も似た者となるのです。

苦しみを罰と受け取ってはなりません」

 ―マザー テレサ


「神に近づけば近づくほど、人は幸せになる。

神は生きる目的だ。

今の時代は、神への意識が無くなってきているね。残念だよ。

神への想いも無しに、どうやってこの地上で生きていける?

過去や現在というものは人間にしかない。

神には現在しか存在しない。

神は限りない善だ。

神には、我々の人生全てが見える。

だから、何が起ころうと心配いらない。

全ては、我々の魂を良くするためだ。

私は視力を失ったことを、よく神に感謝するんだよ。

全ては我々の幸せのため、

我々の魂を良くするため。

だから、キリスト者は何も心配いらない。

基本は、神は限りない善、ということだ。

いつも助けてくれる。

幸せだよ、それだけで」

 ―盲目の修道士(映画『大いなる沈黙へ』より)


「純粋なハートから、

絶望の中でさえ彼は何も望まない。

彼は真我の叡智で
満ち足りている。

彼に並ぶ者がどこにいるだろう?」

 『アシュターヴァクラ ギーター』(3‐12)


「【個々の人間の潜在意識は、良いカルマと悪いカルマの貯蔵庫なのだ】。

【神はこの貯蔵庫から、それが快楽であれ苦しみであれ、その時の人の霊的進化に最も適したものを選択するのである】」

「【永遠の生命への願望】はどうして起こるのか。

現在の状態が耐えられないからだ。

なぜか。

【それがあなたの真の本性ではないからだ】。

それ(現在の状態)が、あなたの真の本性であれば、あなたを掻き乱す願望は起こらないだろう。

現在の状態はどのように、あなたの真の本性と異なっているのか。

【本当は、あなたは霊魂なのだ】。

【人間は自分自身を限定されたものと考えており、それが困難の根源だ】。

【眠りの中】では、
【世界は無かったし】、

【エゴ(自我)も困難も無かった】。

【その幸福な状態から何ものかが目覚めて『私』と言う】。

【そのエゴのために世界が現われる】。

【困難の原因はエゴの発生にある】」

「幸福とは何か?

【幸福とは真我(アートマン)の本性そのものである】。

【幸福と真我は別のものではない】。

【世界のいかなる物事の中にも幸福はない】。

【我々は無智ゆえに、物事から幸福を得るものだと思っている】。

【心が外へ出て行くと、不幸を体験する】。

【心の願いが満たされたとき、実は、心は自己本来の場所に戻っており、真我である幸福を楽しむのである】。

同じように、【眠りの状態、サマーディ(三昧)、失神状態、あるいは得たいと願っていたものが得られたり、嫌っていたものが消え去ったりしたときには】、

【心は内面に向かい、純粋な真我を楽しむのである】。

このように【心は休むことなく動き回り、真我から彷徨い出ては、また戻ってくるということを繰り返している】。

木陰は気持ちいいが、外では太陽が焼けつくようだ。

灼熱の太陽の中を歩いてきた人が、木陰に辿り着けば涼しいと感じる。

【木陰からわざわざ猛暑の中を行き、それからまた木陰に戻ってくるのは愚かなことである】。

【賢い人はずっと木陰に留まっているだろう】。

同じように、【真理を知る人の心は、ブラムハン(絶対実在=神)を離れることはない】。

その反対に、【無智な人の心は悲惨を味わいながら世界を彷徨い歩き、束の間の幸福を味わうためにブラムハンに戻ってくる】。

実際には、【世界と呼ばれているものは、ただの想念に過ぎない】。

【世界が消え去ったとき、つまり想念が存在しないとき、心は幸福を体験するのである】。

【世界が現われると、不幸を味わうのである】」

 ―ラマナ マハルシ

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