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「【霊的なハート】は身体的ハート(心臓)とは異なる。
鼓動は身体的ハート(心臓)の機能だが、 【霊的ハートは霊的体験の座である】。 これがそれについて言える全てである。 {{発電機が照明や扇風機などのシステム全体に動力を供給するように、 【原初の力は、心臓の鼓動や呼吸器系の働きなどにエネルギーを与えるのだ】))」 「【ハートとは意識の座、あるいは意識そのものである】」 ―ラマナ マハルシ 🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨ 「かの【不変の実在】、 【限りないもの!】 その【崇敬されるべきもの】は【ハートに宿る】」 『カタ ウパニシャッド』 質問者「どこに精神を集中して神様を瞑想したらいいですか?」 聖ラーマクリシュナ「【胸はとても素晴らしい場所だ。 そこに集中して瞑想するといい】」 「【信者(バクタ=神を愛する者)の胸は、神様の住まいだ】。 あのお方はあらゆる場所にいらっしゃることは確かなんだが、 【信者の胸の中は特別だ】。 【地主は自分の領地の何処にでも住むことができる。だが、いつもは決まった応接間にいるという話だ】。 【信者の胸は、神様の応接間だ】」 「【神は存在する】。 神はどこにいるのだろうか? 【神はハートに住まう者(フルダヤヴァーシー)である】。 【外しか見ていないから、あなたはあなたの内にいる神を見ることができないのだ】」 「【あなたの心は神殿】であって、それよりも大きな神殿はないことを信じなさい。 実際それは、【神のための永遠に清らかな場所】なのだ」 「この身体のみならず、【全ての身体は歩く屍だ】。 確かに身体は歩いている。 しかし、【身体は単なるシャヴァ(死体)に過ぎない】。 【あらゆる身体を歩かせる者、唯一生きている者は、シヴァ(神)である】。 【身体は生気の無いものだ】。 【内なる意識こそが神なのである】」 ―サティヤ サイババ 「彼らに特別の慈悲を施すため、 【私】はそれぞれの胸(アートマン=真我)に宿り、 輝く智慧の灯火をもって、 無知から生じる闇を滅ぼす。 アルジュナよ、 【私】は万物のハートに宿る自己(アートマン=真我)である。 【私】は万物の始まりであり、中間であり、終わりである」 『バガヴァッド ギーター』(10‐11、20) 「【身体自体に生命意識は無い】。 しかし【意識が身体に入ると、身体は意識の質と付属性を得たかのように見え】、 【意識は身体に限定されたかのように見える】」 ―ラマナ マハルシ |
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