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「(1)【沈黙はサーダナ(霊性修行)の最初の一歩である】。
【沈黙は自制を促進し】、 【怒り、憎しみ、悪意、強欲、高慢の機会を減らす】。 更には、{{【沈黙があなたの心を支配する時にのみ】、 【あなたは神の足音を聞くことができる】))。 (2)【清浄は神聖さの入り口である】。 【あなたのハートの中に神を祀るためには】、 【内面と外面の清浄が不可欠だ】。 (3)奉仕(セヴァ)は、他者が苦しんでいる時に感じる苦悩からあなたを救う。 【奉仕はあなたの視野を広げ、意識を広げ、慈悲を深める】。 【全ての波は同じ海の上にあり、同じ海の中へと帰融する】。 【この知識を支えているのが奉仕なのだ】。 (4)【清らかな愛】。 【反応や結果、見返りを計算してはならない】。 【愛が呼び、愛が応える】。 【愛は神である】。 【愛の中に生きなさい】。 (5)【憎悪を抱いてはならない】。 【誰ひとり格下だとか、劣っているとか、重要ではない、使い捨てにしてもよい者と見下されるべきではない】。 【どの人にも全能の神が計画した劇の役が割り当てられている】。 【決して誰かを侮辱したり、傷つけたりしてはならない】。 【神は全ての人の中に存在しているため】、【失礼な行動は神への冒涜となる】」 1970年7月19日の御講話 ―サティヤ サイババ 「愛することのない者は神を知りません。 神は愛だからです」 「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。 神は愛です。 愛に留まる人は神の内に留まり、 神もその人の内に留まってくださいます」 ヨハネの手紙1(4‐8、4‐16) 「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」 マタイによる福音書(20‐26、27) 「主は、実際には言葉で表現できず、また何にも区分されないお方だ。 だけど、【主は主体という姿で全てに遍満されており、客観的宇宙の中に浸透することで、暗に自らの存在を示唆されているんだ】。 【絶対的な意識と祝福からなる、至上の主が持たれる神性】とは、 【それは物的創造をもたらすマーヤー(幻)で覆われたものと理解できるだろう】。 だから人は、自らの悪魔的性向を捨てて、【全ての生き物に憐れみと友情を示すことで、主ヴィシュヌを喜ばせることができるんだよ】。 【無限の存在であり、全ての原因なるお方を喜ばせたなら、手に入れることのできないものがあるだろうか?】」 「【主は、ただ純粋なバクティ(神への愛)によってのみ喜ばせることができる】。 その他の行為は全て空しい努力に終わるだろう。 だから君たちは、【全ての生き物に対して自分自身のように接し、全被造物のアートマンでいらっしゃる全能の主にバクティを捧げるんだよ】。 【今まで、実に多くの悪魔、女、シュードラ、牧童、鳥や獣、罪深い者、全てのジーヴァがバクティによって不死の境地を手にしてきたんだよ】。 {{【主ゴーヴィンダ(「牛たちの守護者」クリシュナ神)へと捧げる限りないバクティ(神への愛)】、 【それは生きとし生けるもの全てに主を見ることと同じであり】、 【これこそが、この世に生きる人間にとっての最高の関心事だと宣言されてきたんだよ】}}」 ―プラフラーダ (『バーガヴァタ プラーナ』(シュリマッドバガヴァタム)より) 「【人であろうがなかろうが、どのような生き物があなたのもとへ来ようとも、思いやりを持って扱え】。 【富の重みの虜となるな】。 【人の内に神を見よ】。 【人々に怒鳴るな】。【攻撃的になるな】。 【そうでなく、他者の不平を耐え忍べ】。 【自らと他者、あなたと私の間には分離の壁がある】。 【この壁を破壊せよ!】 【飢える者に食を、渇く者に水を、裸の者に衣を与えよ】。 【その時、神は喜ぶ】」 ―シルディ サイババ 「あなたの行く所どこにおいても主を認めよ。 そうすれば、主はあなたの道を真っすぐにされる」 箴言(3‐6) 「そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。 キリストが全てであり、 全てのものの内におられるのです」 コロサイの信徒への手紙(3‐11) 「{{【神はあらゆる所にいる、彼は人の内に最も顕れている】。 【それゆえ、神として人に仕えよ】。 【それは神を崇拝することも同然である】}}」 ―聖ラーマクリシュナ 「静けさ。−その中で主が我らの内に語る声を聞け」 映画『大いなる沈黙へ』 「静かになりなさい。 そして私が神であると知りなさい」 詩篇(46‐10) 「沈黙せよ、私があなたに知恵を示そう」 ヨブ記(33‐33) 「義務感という苦悩が灼熱の太陽のように、 あなたのハートを焼き焦がした。 静寂の雨を浴びてごらん。 その優しく降り注ぐ静けさの中で、 あなたは幸福を見出だすだろう」 『アシュターヴァクラ ギーター』(18‐3) 「【真我の本性である愛を知る人にのみ】、 【強く絡まった生のもつれは解きほどかれる】。 【愛の高みに達した人にのみ、解脱は成就される】」 「【八つの姿よりなるこの宇宙を神自身の姿として我々がただ認め】、 【崇敬をもって全世界に仕えるならば】、 それが【神への最も優れた礼拝である】」 「【このマーヤー(幻影=この世)から目覚めるまで】、 【あなたが苦しみを見る時はいつでも】、 【苦しみを和らげることによって社会的な奉仕をしなければならない】。 しかし、その時でさえ、我々が教わっているように、 【アハンカーラ(自我意識、『私』意識、エゴ)なしに】、つまり、 【『私が行為者である』という感覚なしに】、 【『私は主(神)の道具である』 と感じながらそれを行うべきである】。 同じように、あなたは、 『私は自分より下にいる人を助けている。彼には助けが必要だ。 私は助ける立場にいる。 私は優れていて、彼は劣っている』 などと【思い上がってはいけない】。 そうではなく、あなたは【その人の内にいる神を崇拝するための手段】として助けなければいけない。 【そのような奉仕の全ては自らのためであり、他の誰のためでもない】。 【あなたは他の誰でもなく、ただあなた自身のみを助けているのだ】」 「{{沈黙とは何か? 【それは永遠に雄弁なものだ】}}」 「【思考の無い状態に留まるとき】、人は【沈黙という普遍の言語】によって他者を理解する。 【沈黙は絶えず語っている】。 【沈黙は、話すことによって妨げられてきた絶え間無い言葉の流れである】。 私が今、こうして話しているこれらの言葉が、その沈黙の言語を妨げている。 例えて言えば、ここに電流が電線を伝わって流れている。その経路に抵抗を与えることによって、それは電灯として輝き、扇風機として回る。電線の中では、それは電気エネルギーとして留まっている。 同じように、【沈黙は永遠に流れる言語であり】、【言葉によって妨げられているのだ】。 {{【何年にもおよぶ会話でも知ることができなかったことさえ】、【沈黙の中では一瞬にして知られ得る】}}。 【ダクシナムールティ】とその四人の弟子たちの物語は、この良い例である。 これが【最高の、そして最も効果的な言語】である」 「【グル(霊性の師=覚者および神)の臨在の内に在るときに】、【個人という実体を探しだそうとしても、どこにも見いだせない】。 グルとはそのような存在である。 【ダクシナムールティ】とはそのような存在だ。彼が何をしたのだろう? 弟子たちが現れたとき、彼は【沈黙】を守っていた。 【彼は沈黙の内に留まり、弟子の疑いは一掃された】。 それはつまり、【彼らが個人としてのアイデンティティを失った】からである。 これこそが【グニャーナ】(=ジニャーナ、叡智)であり、通常それにまつわる冗漫な儀式のことを言うのではない。 【沈黙は、最も強い影響力を持っている】。 いかに聖典が広大で力強いものであっても、その効力は無に等しい。 【グルは静寂の内に在り】、 【周囲の全てを平和で包みこむ】。 【彼の沈黙】は、【全ての聖典を一つにしたものより更に広大で、更に力強い】」 ―ラマナ マハルシ ※【ダクシナムールティ】 →シヴァ神の化身。沈黙を通して真理を伝えた。同じくシヴァ神の化身と見なされるマハルシと同一視される。 |
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