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釈尊がある町を早朝通りかかった時、長者の息子シンガーラが道で一心に礼拝をしていた。東西南北と上下の六方を丁寧に礼拝していた。釈尊はその一心な姿に心を打たれて、声をかけられた。「どうしてそんなに一心に礼拝をしているのですか?」シンガーラは「父が六方を礼拝することを大切にしなさいと遺言を残したからです。」と答えた。釈尊はさらに「どんな意味で礼拝しているのですか?」と問われると、シンガーラは「わかりません。ただ遺言のままに……」と答えた。釈尊はそれならばその意味を示そうと言って、次の様に教えを示された。
東方を礼拝しては父母を拝すると思うがよい。父母は、その子を愛し、その子を悪より遠ざけ、技能をさずけ、その家をつがしめる。これが父母を拝する理由である。
南方を礼拝しては師を拝すると思うがよい。師は、その弟子を教えて倦むことがない。弟子は師を尊重してその教えを忘れてはならぬ。これが師を拝する理由である。
西方を礼拝しては妻を拝すると思うがよい。夫は妻に家事を委託し、妻は夫にたいして敬順であらねばならぬ。これが妻を拝する理由である。
北方を礼拝しては親族を拝すると思うがよい。親族はたがいに助けあい、励ましあわねばならない。これが親族をたがいに拝する理由である。
下方を礼拝しては僕婢を拝すると思うがよい。主は彼らになさけをかけ、彼らは主に忠実でなければならぬ。これが僕婢を拝する理由である。
上方を礼拝しては聖者を拝すると思うがよい。聖者は人々にただしい道を教え、善に入らしめる。これが聖者を拝する所以である。
釈尊の教えを聞いた後も、シンガーラは今までと同じように一心に礼拝した。しかしこれまでと全く違ったのは、彼の心が常に満たされていたのである。
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