心を照らすちょっといい話

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心が照らされるちょっとい出来事や、心に浮かんだ物語を紹介します。
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「ブスの25箇条」

宝塚歌劇団の舞台裏に貼られているという「ブスの25箇条」
【ブス25箇条】
 1.笑顔がない
 2.お礼を言わない
 3.おいしいと言わない
 4.目が輝いていない
 5.精気がない
 6.いつも口がへの字の形をしている
 7.自信がない
 8.希望や信念がない
 9.自分がブスであることを知らない
10.声が小さくてイジケている
11.自分が正しいと信じ込んでいる
12.グチをこぼす
13.他人をうらむ
14.責任転嫁がうまい
15.いつも周囲が悪いと思っている
16.他人にシットする
17.他人につくさない
18.他人を信じない
19.謙虚さがなくゴウマンである
20.人のアドバイスや忠告を受け入れない
21.なんでもないことにキズつく
22.悲観的に物事を考える
23.問題意識を持っていない
24.存在自体が周囲を暗くする
25.人生においても仕事においても意欲がない

パラダイム転換

 ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験した小さなパラダイム転換を私は忘れることができない。乗客は皆、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んでいた。すべては落ち着いて平和な雰囲気であった。  そこに、一人の男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。すぐに子供たちがうるさく騒ぎだし、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。  しかし、その男性は私の隣に座って、目を閉じたまま、周りの状況に全く気がつかない様子だった。子供たちといえば、大声を出したり、物を投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも騒々しく気に障るものだった。ところが、隣に座っている男性はそれに対して何もしようとはしなかった。  私は、いらだちを覚えずにはいられなかった。子供たちにそういう行動をさせておきながら注意もせず、何の責任もとろうとはしない彼の態度が信じられなかった。周りの人たちもいらいらしているように見えた。私は耐えられなくなり、彼に向かって非常に控えめに、「あなたのお子さんたちが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることがはできないでしょうか」と言ってみた。  彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気がついたかのような表情になり、柔らかい、もの静かな声でこう返事した。  「ああ、ああ、本当にそうですね。どうにかしないと……。病院から出て来たところなんです。一時間ほど前に妻が……、あの子たちの母親が亡くなったものですあら、いったいどうすればいいのか……。子供たちも混乱しているみたいで……」  その瞬間私の気持ちが、想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。突然、その状況を全く違う目で見ることができた。違って見えたから違って考え、違って感じ、そして違って行動した。今までのいりいらした気持ちは一瞬にして消え去った。自分のとっていた行動や態度を無理に抑える必要はなくなった。私の心のその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。  「奥さんが亡くなったのですか。それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか」  一瞬にして、すべてが変わった。

『七つの習慣』スティーブン・R・コヴィー著

因果関係の循環

因果関係の循環
 現実とは循環によって構成されているものだが、われわれは線をみてしまう。ここにシステム思考を行ううえでの限界がある。
 たとえば、コップに水を入れるという非常に単純なシステムをかんがえてみてほしい・「そんなものはシステムではない、あまりにも単純すぎる」と思われるかもしれないが、よく考えてみてほしい。線的視点からいうと、「私はコップに水を入れている」ということになる。
 しかし実際には、コップに水を入れる際、われわれは水位の上昇を注視している。そのときの水位と目標とする「希望の水位」との「差」を監視しているのだ。水か希望の水位に近づくと、栓を調節して水流を弱め、コップが一杯になると栓を閉める。
 つまり、コップ一杯の水を入れるときは、希望の水位、現在のコップの水位、この二つの差、栓の閉め具合、水流という五つの変数を伴う「水位規制」システムにおいて操作を行っているのだ。これらの変数は「フィードバック・プロセス」と呼ばれる因果関係の循環または輪を構成している。このプロセスは、水位を希望の水位に近づけるため、継続的に運営される。
【中略】
 概念的には単純だが、、フィードバックの輪は、われわれの心に深く刻みこまれたさまざまな考えをくつがえす。その一つに因果関係がある。日ごろ、われわれは「私はコップに水を入れている」といい、その言葉の真の意味を深く考えることはない。じつはこれは、「私が水位を上昇させている」、さらに厳密にいえば「蛇口の栓に置かれた私の手がコップに流れ込む水量をコントロールしている」という一方的な因果関係を意味している。いうまでもなく、このようないい方はフィードバック・プロセスの半分、つまり「栓の閉め具合」から「水流」へ、「水流」から「水位」への部分しか表現していない。
 しかし、同じプロセスの残りの「半分」だけを表現した場合、それもまた真実といえよう。つまり「コップのなかの水位が私の手をコントロールしている」ということだ。

『The Fifth Discipline –The Art & Practice of The Learning Organization』
By Peter M. Senge

『最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か―』ピーター・M・センゲ
P98

ゆでられた蛙の寓話

ゆでられた蛙の寓話
 企業の倒産をめぐるシステム研究で、徐々に忍び寄る脅威に対しての不適応があまりに多すぎるので、「ゆでられた蛙」の寓話が生まれた。お湯が沸騰中のなべに蛙を入れれば、蛙はあわてて外へ飛び出そうとする。しかしその蛙を常温の水に入れ、怖がらせなければ、蛙はそのままでいるはずだ。さて、そのなべが熱源にのっているとする。水温を徐々にあげていくと、実に興味深いことが起こる。水温が摂氏二十一度近くに上昇しても、蛙はまったく動かない。実際、見るからに満足げな様子だ。水温がさらに上昇するにつれて、蛙はだんだん消耗し、とうとうなべからでることができなくなる。束縛するものは何もないのに、蛙はそのままゆでられてしまうのだ。なぜか?生存への脅威を感じるとる蛙の体内センサーが、環境のゆっくりした漸進的変化でなく、突然の変化を感じるようにできているからだ。
 似たようなことがアメリカの自動車産業に起こった。一九六〇年代、彼らは北米の生産を支配していた。それにごくゆっくりと変化が兆す。デトロイトのビック・スリーは、たしかに一九六二年には日本を自分達の脅威とは見ていなかった。その年の米国市場での日本車のシェアは四%に足りなかったからだ。六七年も、そのシェアは十%未満で、脅威ではなかった。七四年も事情はおなじで、日本車のシェアは十五%足らず。ビック・スリーがみずからのやり方と前提の核心に批判的な目を向けるようになったのはようやく八十年代初めのことで、日本車のシェアは二十一・三%に上昇していいた。八九年には三十%に届こうとしており、アメリカ自動車産業は国内販売台数の約六〇%を占めるだけになっていた。
 徐々に変化してゆくプロセスを見きわめる力を養うには、いまのあわただしいペースをゆるめ、派手なものでかでなく目立たないものにも注意を払う必要がある。潮だまりのふちに腰を下ろしてのぞきこむと、はじめはこれといった動きは何もないように見える。これども長く目をこらしていると、潮だまりは不意に生気をおびる。美しいさまざまな生物たちがそこにいる。しかし、ややゆっくりすぎる動きのせいで、最初は見えないのだ。問題は、われわれの頭がひとつの周波数に同調しすぎていることである。七八回転でしかみえないかのように、その半分の回転では何も目に入らない。ペースを落とし、重大な脅威をしばしば隠しているゆるやかなプロセスに目を向けることを学ばなければ、あの蛙と同じ運命をたどるだろう。
『The Fifth Discipline –The Art & Practice of The Learning Organization』
By Peter M. Senge

『最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か―』ピーター・M・センゲ
P33

礼拝の意味

釈尊がある町を早朝通りかかった時、長者の息子シンガーラが道で一心に礼拝をしていた。東西南北と上下の六方を丁寧に礼拝していた。釈尊はその一心な姿に心を打たれて、声をかけられた。「どうしてそんなに一心に礼拝をしているのですか?」シンガーラは「父が六方を礼拝することを大切にしなさいと遺言を残したからです。」と答えた。釈尊はさらに「どんな意味で礼拝しているのですか?」と問われると、シンガーラは「わかりません。ただ遺言のままに……」と答えた。釈尊はそれならばその意味を示そうと言って、次の様に教えを示された。

東方を礼拝しては父母を拝すると思うがよい。父母は、その子を愛し、その子を悪より遠ざけ、技能をさずけ、その家をつがしめる。これが父母を拝する理由である。

南方を礼拝しては師を拝すると思うがよい。師は、その弟子を教えて倦むことがない。弟子は師を尊重してその教えを忘れてはならぬ。これが師を拝する理由である。

西方を礼拝しては妻を拝すると思うがよい。夫は妻に家事を委託し、妻は夫にたいして敬順であらねばならぬ。これが妻を拝する理由である。

北方を礼拝しては親族を拝すると思うがよい。親族はたがいに助けあい、励ましあわねばならない。これが親族をたがいに拝する理由である。

下方を礼拝しては僕婢を拝すると思うがよい。主は彼らになさけをかけ、彼らは主に忠実でなければならぬ。これが僕婢を拝する理由である。

上方を礼拝しては聖者を拝すると思うがよい。聖者は人々にただしい道を教え、善に入らしめる。これが聖者を拝する所以である。

釈尊の教えを聞いた後も、シンガーラは今までと同じように一心に礼拝した。しかしこれまでと全く違ったのは、彼の心が常に満たされていたのである。

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