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仏教の伝来

仏教の日本国への伝来は、五世紀ごろというのが定説(教科書的)のようです、たしかに政府(大和朝廷)が中国から仏教僧侶を招聘したのは歴史的な事実でしょう。そして、それは外国の高い文化を取り入れようとの時の為政者の施策だったわけです。特に力をいれたのが聖徳太子だったというのも歴史の事実だと思います。

聖徳太子は、中国の律令制度と精神的な文化と為政のための学問としての仏教の導入が必要と判断したのだと思います。文字としての漢字もこの時代に本格的に導入されました。漢字は法律を作成し、為政者の意思の伝達・通知に不可欠でした。政治をするために必要不可欠だったわけです。国際的に日本国の独立を確保することが、聖徳太子の意図したところでしょう。明治維新のときに、西洋文化を取り入れた明治の元勲の想いもこれに通じています。

一方、日本国への文化とか人の流入は国家とは別な世界もありました。これも歴史の事実です。大和朝廷での豪族(特に蘇我氏が意欲的でした)がこぞって仏教をとりいれたのは、たしかに政治の世界での地位を確保するのに必要不可欠だったとおもいます。しかし、仏教は渡来人からすでにつたわっていたのだと思います。当時の豪族は、才能のある渡来人(武器製造とか陶器職人とか機織り職人とかとか)を重用しています。西洋ではギリシャ文化の時代、学者は奴隷の身分でいた人もいます。征服された国の文化人を奴隷ではありますが、厚く保護して重用しています。日本国でも同じことがあったに違いないと思います。

国家がさかんに文化の導入に力を入れて、仏教も同時に官製として導入もさかんにおこなわれたのだと思います。国家が指導的に導入したのが国家仏教であり、貴族仏教だったのだということだと思います。一方、庶民にもこれと並行して仏教は正規なものではないにしてもかなり広範囲の地域に伝来していたのだということも事実です。

空海(弘法大師)も中国に留学しましたが、これは正式な布教免許(キリスト教のカトリックで日本国の司教に任命されるということと等価とかんがえると理解し易いです。)を得るのが目的で、勉強しにいったわけではないのが歴史の事実です。二三年で帰国していますが、中国の高僧からは「おまえに教えることはなにもない」と言われたそうです。

民間での仏教への信仰は、国家仏教とは別次元で広まっていたに違いありません。そして、国家仏教にあきたらずに、庶民救済の仏教の道を開いたのが浄土宗の法然でした。法然の教えは、中国の浄土宗にその源泉があります、法然直弟子の親鸞がさらにそれを革新したのが浄土真宗なのです。

平安時代の末期から、鎌倉幕府、足利幕府を経て、戦国時代に浄土真宗(一向宗)が爆発的に広まりました。庶民に国家仏教と違う仏教の土台がなければこの広がりは理解できません。仏教本来(お釈迦さまの教え)の個人の救済への道は庶民仏教の興隆によって始めて本格化しました。国家仏教は政治と為政のための道具(文化)であって、庶民仏教こそが本来の宗教だといえます。これにより仏教が日本人の精神文化の形成に大きな役割を担うのみならず、一般の文化や日常生活の隅々にまで広く、深く行き渡り仏教が日本人の血肉となっていったのです。


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