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			<title>happy new life</title>
			<description>よろしくおねがいします。[[embed(http://tunes2.blog-tunes.com/EasyListenning/odaibawind/odaibawind.swf?v=30&amp;s=on&amp;t=1,0,100,100)]]</description>
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			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>happy new life</title>
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		<item>
			<title>ロス疑惑の三浦元社長の逮捕について</title>
			<description>ロス疑惑の三浦元社長がサイパン島で逮捕されました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕されたこと自体は、米国領ですから、国際的にみても違法ではないと思います。しかし、本人は日本国で無罪が確定していると主張しています。まぁ、当然の主張でしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
米国本土で裁判が開始される予想ですが、これについては思案がいります。日本国の最高裁で無罪が確定しています。日米の司法の法律と慣習に違いはあるわけで、一概に米国は無茶だときめつけることはできません。しかし、日本国で裁判といいますか、司法が裁くというのはその当時の日米の当局者の合意（政治判断）があったわけです。この合意は尊重すべきです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マスコミ報道は、三浦元社長の米国本土への移送、裁判開始は当然のような報道をしています。しかし、日本国民の外国での権利保護はパスポートを所持しているかぎり、日本国政府はこれを保護する義務があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
米国で、死刑の確定判決がでることはありえます。そのときに、どのような状況が出現するのでしょうか。マスコミの報道姿勢にはおおいに疑問を感じています。もっとも、三浦元社長というお方は、どこか、頭の回路が普通人とは違うのでしょう。日本国民に迷惑をかけているということに、まったく、気づいていない、と、思います。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/happynewlife_sinse_2005/54031469.html</link>
			<pubDate>Tue, 26 Feb 2008 05:45:01 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>映画「シンドラーのリスト」を観て</title>
			<description>映画シンドラーのリストを衛星放送で観ました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
３時間を越える映画です。シンドラーというドイツ人（ナチス党員）が戦争を好機として、ポーランドのユダヤ人が多数居住する都市で工場をユダヤ人の資産を利用して買取り、軍需特需で成り上がっていくことと、ナチス・ドイツのおこなったユダヤ人への非道とユダヤ人を虐殺していく様子が並行して描かれています。彼は、儲けた莫大なお金を全て投げ出して彼の工場で働いていたユダヤ人の命をナチス・ドイツから買取り、救いました。列車でアウシュビッツ収容所送りとなってしまった女性たちを、本当にきわどいタイミングで、ダイヤを収容所長に与えて救出しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ひとがこれほどひどい事をできるという事実をみせつけられますと、日本人には、ちょっと重たい映画です。民族浄化は、ナチス・ドイツとほぼ同じ思想の延長線にあります。現在のコソボの独立は、ＥＵにとって重大な歴史の転換ができるかどうかの試金石になっています。部族対立とか民族対立とかは大陸、ヨーロッパ、アフリカでいまひどい状況が出現しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本人には、理解できない感情がたぶん人びとのＤＮＡに刻み込まれているのだと思います。平和は、努力なくして得られないということだと思います。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/happynewlife_sinse_2005/54000435.html</link>
			<pubDate>Sun, 24 Feb 2008 17:02:43 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>『子供と親は同年齢』って、どういうこと?</title>
			<description>『子供と親は同年齢』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
親が子を選べないように、子も親を選べません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子と親は、同じ年齢を重ねています。そう考えますとき、親が上ということはないのだともおもいます。子に過大な目標を与えるお方がいますが、子にとっては迷惑なはなしです。仮に、親として子の将来を考えたいと思ったときには、子と一緒に考えるというのがよいかなと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子は、親の持ち物ではありません。子は授かりものであり、親も子と同じように親を経験しているわけです。ですから、上からものをいうのは、子が成長するにつれて親の意向をおしつけてはならないと考えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
老いては、子に従えなんてことばもあります。一緒に生を受けたものどおし、仲良く生きていけたらよいと思っています。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/happynewlife_sinse_2005/53956103.html</link>
			<pubDate>Fri, 22 Feb 2008 00:12:25 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>道州制、地方自治？</title>
			<description>地方自治がさけばれています。もともとは、国家の財政難から考えられたものというのがわたくしの理解です。小さな中央政府にして、国家の財政難を解決しようと目指したわけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、現実は、地方政府（正確には団体（自治体という表現は法律にはないそうです））への交付金をカットしただけになっているのが現実です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小さい政府をめざすということは、結果として、福祉を切り捨てるということになります。米国では憲法規定で、生存権は成文化されていません。ですから、国民健康保険制度も公的年金制度も完備していません。ヒラリー・クリントン氏が公的な健康保険制度の導入を目指していますが、自力の社会では増税して弱者対策するという理解ですから、反対の人びとは多いです。命もお金次第の国です。貧乏人は高度先端医療はうけられません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
道路特定財源を一般財源化する議論にたいして、地方自治体は、総じて反対しています。これは、一方的な交付金削減につながりかねないと危惧しているからだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済評論家のなかには、小さい政府にし、規制もかぎりなく撤廃して、経済活動を活性化することが日本国の生き残りの唯一の施策だというお方は多いです。しかし、ここには、厳しい現実が伴います。文化として、再チャレンジすることができる風土がなければ、この施策は限りなく厳しい現実を生みつづけます。バラ色の世界ばかりではないし、一部のひとが勝者になりえても、大多数のひとは現在よりも生活は困窮することになります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地方自治の考え方そのものは、すばらしいです。しかし、国家の財政破綻を解消するのが主目的で行われている現在の政策がうまくいくわけがありません。よく、思案が必要です。国家財政は安定しても、地方で財政破綻すれば、国民生活は所詮破綻します。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/happynewlife_sinse_2005/53924119.html</link>
			<pubDate>Wed, 20 Feb 2008 05:22:32 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>米国の大統領選挙について、</title>
			<description>今回は民主党の大統領が選出される順番だという政治状況があります。英国も米国一辺倒のブレア首相が退陣しましたし、オーストラリアでも政権が変わりました。米国の対イスラム諸国との関係改善は成功していませんし、変化をもとめる政治状況は米国民にもあると思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
個人的には、民主党ではヒラリー・クリントン氏が候補者となってオバマ氏が副大統領候補となるのがベターだとおもっていますが、さて、どうなりますか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
オバマ氏の政策はいまひとつ良くわからないところがあります。マイノリティーにやさしい政治がおこなわれる保障はないかもしれないというのがわたくしの感想です。黒人大統領ということで、黒人を含むマイノリティーに身びいきは逆にできないというジレンマを抱えることになることも考えられます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒラリー氏は、国民健康保険制度の創設などで弱者対策を打ち出していくとおもいますが、これとて、自力の文化の国としては先行きは前途多難です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、共和党の大統領が選出されますと、対イスラム諸国への政策が維持されるというのが一般の見方です。しかし、政策転換は案外共和党の大統領のほうがし易いかも知れません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
米国大統領選挙は、米国民だけに関係するだけでなく、世界レベルでの政治状況にあたえる影響は大きいですから、今後の行方に注視していく必要があります。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/happynewlife_sinse_2005/53816025.html</link>
			<pubDate>Thu, 14 Feb 2008 00:57:32 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>『閑話休題 福田政権の限界』</title>
			<description>福田首相の政治家としての感性は、優れたものがあります。しかし、残念な事にみずからが、漸進的な政治改革の思想の持ち主だと思います。これは、これで良い感性だと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の日本国では、急速な高齢化と少子化が同時におこっていて、国は福祉を保持する財力をもたないようになりました。貿易黒字、経済収支の黒字は米国債へ還流させられ日本国内での政策実現への費用にあてることができないからくりの中で、日本国は生きています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
米国内をみますと、中央政府は弱者対策へは手を廻しません。もともと、アメリカンドリームはありますが、それは弱者へのインセンティブとしてかすかに道筋として存在します。日本国での社会的な格差は世界標準からすればまだまだ、たいしたことはありません。working poorの存在ですとか、ネットカフェ難民ですとかの存在を危惧するおかたは多いです。しかし、自分はどうするのかとなりますとなんとなく人道的な事を考えたり、しゃべったりするだけで、実際の行動を起こすことはしていません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
連合などの労働団体は、working poorの存在の上に既得権を確保するだけの圧力団体でしか機能していません。実際は、いろいろ活動しているようですが、社会を変革するエネルギーを持っていません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そうしますと、現在の自民党の福田政権がはでな政策とか世界へむけたメッセージを発するということをするわけがありません。国民意識の反映が時の政府を支えています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
よくも悪くも政治停滞と、経済の停滞は国民の課題であって、一過性の政権へ過度の期待をするほうが虫が良いともいえます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まぁ、それにしても、日本国民は我慢強いです。まだまだ、過去の蓄積で生きていけるということでしょうか。若い世代は年寄りが蓄積を食い潰してしまいますから、大変です。国の借金も膨大にのこして、それが社会的インフラの代償だとすれば、それはそれで良いのですが。若い世代はしっかり、考えてほしいと思います。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/happynewlife_sinse_2005/53780183.html</link>
			<pubDate>Tue, 12 Feb 2008 06:32:20 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>『国家仏教と庶民仏教』　仏教の伝来</title>
			<description>仏教の伝来&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仏教の日本国への伝来は、五世紀ごろというのが定説(教科書的)のようです、たしかに政府(大和朝廷)が中国から仏教僧侶を招聘したのは歴史的な事実でしょう。そして、それは外国の高い文化を取り入れようとの時の為政者の施策だったわけです。特に力をいれたのが聖徳太子だったというのも歴史の事実だと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
聖徳太子は、中国の律令制度と精神的な文化と為政のための学問としての仏教の導入が必要と判断したのだと思います。文字としての漢字もこの時代に本格的に導入されました。漢字は法律を作成し、為政者の意思の伝達・通知に不可欠でした。政治をするために必要不可欠だったわけです。国際的に日本国の独立を確保することが、聖徳太子の意図したところでしょう。明治維新のときに、西洋文化を取り入れた明治の元勲の想いもこれに通じています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、日本国への文化とか人の流入は国家とは別な世界もありました。これも歴史の事実です。大和朝廷での豪族(特に蘇我氏が意欲的でした)がこぞって仏教をとりいれたのは、たしかに政治の世界での地位を確保するのに必要不可欠だったとおもいます。しかし、仏教は渡来人からすでにつたわっていたのだと思います。当時の豪族は、才能のある渡来人(武器製造とか陶器職人とか機織り職人とかとか)を重用しています。西洋ではギリシャ文化の時代、学者は奴隷の身分でいた人もいます。征服された国の文化人を奴隷ではありますが、厚く保護して重用しています。日本国でも同じことがあったに違いないと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国家がさかんに文化の導入に力を入れて、仏教も同時に官製として導入もさかんにおこなわれたのだと思います。国家が指導的に導入したのが国家仏教であり、貴族仏教だったのだということだと思います。一方、庶民にもこれと並行して仏教は正規なものではないにしてもかなり広範囲の地域に伝来していたのだということも事実です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
空海(弘法大師)も中国に留学しましたが、これは正式な布教免許(キリスト教のカトリックで日本国の司教に任命されるということと等価とかんがえると理解し易いです。)を得るのが目的で、勉強しにいったわけではないのが歴史の事実です。二三年で帰国していますが、中国の高僧からは「おまえに教えることはなにもない」と言われたそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民間での仏教への信仰は、国家仏教とは別次元で広まっていたに違いありません。そして、国家仏教にあきたらずに、庶民救済の仏教の道を開いたのが浄土宗の法然でした。法然の教えは、中国の浄土宗にその源泉があります、法然直弟子の親鸞がさらにそれを革新したのが浄土真宗なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平安時代の末期から、鎌倉幕府、足利幕府を経て、戦国時代に浄土真宗(一向宗)が爆発的に広まりました。庶民に国家仏教と違う仏教の土台がなければこの広がりは理解できません。仏教本来(お釈迦さまの教え)の個人の救済への道は庶民仏教の興隆によって始めて本格化しました。国家仏教は政治と為政のための道具(文化)であって、庶民仏教こそが本来の宗教だといえます。これにより仏教が日本人の精神文化の形成に大きな役割を担うのみならず、一般の文化や日常生活の隅々にまで広く、深く行き渡り仏教が日本人の血肉となっていったのです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/happynewlife_sinse_2005/53762514.html</link>
			<pubDate>Mon, 11 Feb 2008 08:07:56 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>『夢を　持っていますか』</title>
			<description>夢を持っていますか、年齢は関係ないのです。若い年代にはその夢があり、年齢を重ねればそれなりの夢をもてます。夢は、希望としても良いかなと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人として、存在した限り、夢追いひとでありたいと思います。夢の大小は関係ありません。各人の器量で夢を持てばよいのだと思います。絶望することは、簡単です。これは、だれでも出来ます。人が文化を持ったということは、夢を持ち続けてこそ、文化を持続することも、発展させることも可能だと、わたくしは考えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本国は、その存在が否定的に論じられることが多くなっています。ですが、そんなことはどうでもよいのです。勤勉でものづくりに真摯な国民性は世界にとって、貴重です。この文化さえあれば、日本国とそこに暮らす人びとに未来はあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他国より割を食っても良いではないですか。環境問題で日本国だけが割を食っているというマスコミ報道がありますが、それは日本国にとってかえってよいことなのです。環境技術では日本国は唯一世界のトップを走っています。先頭ランナーは過酷な試練を持って走ることが運命づけられています。損得はこの際かんがえないことにしましょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本国の存在価値はどこにあるのかを良くかんがえて見ませんか。戦争しない国という評価はほぼ定まってきました。イスラム諸国から唯一、脅威を感じない国という評価はたいしたものです。米国のお先棒を担ぐのはもう、止めにしませんか。戦争は必要悪だというお方は多いです。必要悪と認識するのであれば、戦争行為もそれを支援する行為もしてはなりません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
損得をかんがえないことに現代的な価値があると思います。理想主義ではありません。日本国の価値をもう一度再確認するだけなのです。胸はって、日本人だと誇りをもちましよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人として、夢をもつことが肝要です。政治家に期待するのではなく、私たち庶民が求めていくことに価値があります。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/happynewlife_sinse_2005/53760779.html</link>
			<pubDate>Mon, 11 Feb 2008 02:41:45 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>『必要悪について』</title>
			<description>必要悪という言葉があります。目的達成のためには、悪であるが必要だというのがその考え方のベースにながれていると思います。基本的には是認（了承）している響きがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事について、考えてみる必要があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人の社会が文化の発展をベースにするというのであれば、世界の現実は改善の方向にむかっていなければなりません。しかし、現実世界は、そうはうまくいっていません。「カントの絶対平和」について、かんがえてみますと、絶対平和は人類がいなくならないと実現できないということも歴史の事実です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人類の歴史はその事実の積み重ねです。今後の世界についてみますとき、絶望的になってしまいます。&lt;br /&gt;
ですが、希望は、現世にいきるものには必要です。それがないとすれば、宗教しか救済の道はないことになります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いかなる種類の暴力であっても、これを排除することは、希望することはできます。それが実現できないものであったとしても。人類の文化に期待したいとおもうのはわたくしだけでしょうか。&lt;br /&gt;
道筋の大切さを知る必要があります。日本国には他文化を許容してきた歴史があります。先人の功績です。これを踏襲していくことが日本国とそこに住む私たち日本人の希望としたいものです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/happynewlife_sinse_2005/53760733.html</link>
			<pubDate>Mon, 11 Feb 2008 02:32:57 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>『個人と社会の調和を』</title>
			<description>憲法学者である棟居快行(むねすえ・としゆき)氏(大阪大学高等司法研究所教授)の読売新聞「この国をどうする」(1/5/2008)欄への寄稿記事を読みました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近のわたくしのかんがえるところと、かなりぴったりしましたのでご紹介させていただきます。&lt;br /&gt;
棟居教授の論陣を抄訳しますと、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ー箸亮匆&lt;br /&gt;
　　　日本国の社会状況について、この様に述べられてい&lt;br /&gt;
　　　ます。&lt;br /&gt;
　　　日本国内についても、国外との関係を見ても受身で&lt;br /&gt;
　　　あると言っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◆＼治の貧困&lt;br /&gt;
　　　この受身の状況を作り出したのは政党政治がきちん&lt;br /&gt;
　　　と政策を作り出していないので国民は政党の選択で&lt;br /&gt;
　　　揺れ動いているとの判断がされています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　追記(prayer)&lt;br /&gt;
      政治の貧困は、国民意識の貧困ですから、私たち国&lt;br /&gt;
　　　民が思想とか信条とかいったバックボーンを持って&lt;br /&gt;
　　　いないということの、裏返しだとわたくしは思いま&lt;br /&gt;
　　　す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「個人の尊重」と「社会の公正」&lt;br /&gt;
　　　ここでは、フランス革命的な自由と平等という&lt;br /&gt;
　　　カードではなく別の視点から政治状況を切り分けた&lt;br /&gt;
　　　ほうが二大政党制への移行はうまくいくと提案して&lt;br /&gt;
　　　います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「個人の尊重」と「社会の公正」のどちらに重きを置いて政策を立てているかを判断していくことが、上策だと提案しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例として、インド洋での自衛隊による給油活動を継続するのが是か否かについて、この「個人の尊重」と「社会の公正」とのどちらに重きを置いて考えた上で結論づけしたかを、各政党は国民に提示すべきだと提案しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
棟居教授は、結論をだしているわけではありませんが、今わたくしたちが選択をせまられている事象についてその論理的方法論(考え方の思想的手法)を提案されているのだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて、わたくしたちはどう選択したらよいのでしょうか。棟居教授の記事に沿ってご紹介したつもりですが、一度記事を読まれることをお薦めいたします。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/happynewlife_sinse_2005/53745374.html</link>
			<pubDate>Sun, 10 Feb 2008 07:02:54 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		</channel>
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