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一週空いてしまいましたが今週も黄帝内経のおはなしを続けます。
これまでのおはなしはこちら↓ http://m.blogs.yahoo.co.jp/happytanukisan/folder/1555014.html 前回は病の虚実について、虚している者には補法を、実している者には瀉法(しゃほう)をほどこす ということをおはなししました 今日からは生気通天論という章に書かれているお話しに入ります 生気通天論には身体の外部環境と内部環境について、身体との関係について書かれています 外部環境というのは四季に応じた気候の変化のことなどをいいます。例えば春は風邪に、夏は暑さに、秋は空気の乾燥に、冬は寒さが身体への侵入しないようきを配る必要があります 内部環境というのは主に身体の中の陰陽の偏りのことを指します 陰陽がバランスよく調和できていることが身体を健やかに保つために大切なのです そのほか、人体の精気というものは食べ物の栄養摂取と密接な関わりがあり、五つの味が五つの臓に大きな影響を与えることが書かれています 黄帝が言う むかしから今まで、人の生命と自然環境は密接な繋がりがあり、自然の陰と陽の二つの気に通じているとされてきた。 春と肝、夏と心、秋と肺、冬と腎が密接な関わりがあるように人体の構造には全て天地間の現象に共通したものがある。 環境の変化に対応した生活をしないと簡単に身体が邪気にやられてしまう だから、自然の陰陽の二つの気は人の寿命に大きく影響を与えるというものだ 人の生命の環境には内部環境と外部環境がある 内部環境というのは五つの臓、六つの腑、目鼻口耳前後の陰部の九つの穴、十二の経脈などを指し、外部環境というのは天地、自然、社会など人をとり囲むものを指す 身体の外の気を「外在の気」、身体の中の気を「内在の気」といい、ふたつの気を一緒に合わせ構成されるのが生命である 「生命の気」はつまり「生気」という 気は「陰の気」と「陽の気」に分けることができる 陰気は平和で下向きに沈むもの 陽気は剛烈で上向きに上昇するものである 人の陽気というものは、天にある太陽と密接な関係がある。日夜正常に運行していれば平穏なのだが、太陽の動きになんらかの異変があるとき大変なことが起きるのと同様に、人の心も悶え焦りそわそわ騒がしい心持ちとなる 積極的に動き強く上昇する生命の陽気について理解していれば、外から侵入する邪気から身体を防衛し身体が傷つくのを避けられるというものである 天高く太陽が輝き満物を照らし生命力を与え守っているように、陽気は人の身体にとって重要なものである 太陽がなければ、自然界の生命は生存することができないのと同様、人の身体に陽気が少なければ若くして命を喪うこととなる。 自然界の生きとし生けるものすべてが太陽の照らす光にたよっているのと同じに、人間の壮大な生命にとっては陽気による保護促進の作用が不可欠である |
黄帝内経から
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今週も黄帝内経のおはなしを続けます。
これまでのおはなしはこちら↓
前回は黄帝の問いに対して、岐伯が
「病状の虚実、治療の上で重要な五つのこと、天地の陰陽に適った治療」について語るところまでおはなししました。
さらに黄帝が尋ねます
それではその治療の要領を教えてはくれないか?
岐伯は答えます
鍼治療の真髄は、まず、集中して精神を落ち着かせなくてはいけません
そして、五臓六腑の虚実を読み取ります。患者の脈の状態を見据えて、鍼を施します
鍼を施すときにはしばらくは周囲の世界のことは忘れ去り、両耳から聞こえる外の事はさえぎり、患者の脈、患者の顔色に集中します 患者の身体の異変のみを整えようとするのは間違いです
気を整えることを熟知してはじめて人を治すことができるというものです
患者の症状のをみる上で最も肝心なことは虚実の見極めです
虚してるものには軽々しくしてはいけません
実しているものにはびくびくしてはいけません
治療をおこなうときには精神を集中して雑念をとりのぞき心眼を見開きます
患者の気の呼吸の変化に集中し、鍼が患者の気にあたえる変化をよくよく感じ取ります
この変化というのは極めて微妙で感じ取ることが難しいのです
気が集まったり散るさまは鳥の群れが飛ぶさまにのごとくで
群れの中の鳥の一羽一羽の雄雌を見分けるのが難しいのに似ており
またその動きも素早いものであります
ですから、たとえば弓を引き、射る時のように、絶妙のタイミングを計らい慎重でなくてはいけません
黄帝が聞く
では、虚している者には如何に、実しているものには如何に、治療するべきか?
岐伯が答える
虚している者には補法(体内の気血を補う)をほどこし、
実している者には瀉法(しゃほう、余分なものを取り除く)をほどこします
経気のバランスが整ったならばその調和を維持するために施術が過ぎてはいけません
鍼を刺す深さ、鍼を刺す位置は深い谷に臨んだ時のように慎重であるべきです
手で虎の頭を撫でるがごとく気を張りつめ気が至るときを見極めます
このように、術者というものは集中して何者にも煩わせることなく施術を行うべきなのです
今日のおはなしは、治療の方法、心構えなどのおはなしになりましたので、少し難しいおはなしになってしまいました
前回、今回のおはなしの中で「虚実」という言葉が出てきました
この考え方は東洋医学(あるいは中医学)の特徴的な概念です
虚証とは身体の中に必要なものが足りない状態、実証とは身体に不必要なものが余ってる状態をいいます
足りないときには足す。余っているものは取り除く。そして、平らな中庸の状態にもっていく。というのが東洋医学の考え方の基本なのです。 次回からは外部環境と内部環境について、おはなしします。
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黄帝がいわれる
ひとが生まれて形と体をもっているられるためには、陰陽の変化と無関係ではいられない。天と地のふたつの気が合わさって天の九野と地の九野ができた。また季節は春夏秋冬に分かれ、月が満ち欠け、太陽の長短は昼と夜、夏と冬を生んだ。
この万物のすべての変化こそが陰陽の消長というものである。地の上にあるすべての生長変化というものは虚実のバランスの上にあるというものである。患者のあくびの声ひとつにとっても病状の虚実の状態が虚しているのか実しているか判断できるものであろうか?
岐伯が答える
たとえば、金属でできた斧は木を倒します。水は火を消します。樹木は土壌を固定します。火はその高熱をもって金属を溶かします。河川や海の水は土によってその流れが遮られます。すべてのものにはこのような性質があり、例をあげると本当にきりがありません。
さきほど鍼の刺し方をお尋ねいただきましたように、実際に治療にあたるために民たちに公布すべき重要なことが五つあります。民たちは陛下のご治世を謳歌し三度の食事に満足し、このような知識の重要性を露ほどもわきまえていないのでございます。
その五つと申しますのは
一、精神を集中させ多くを望まず、思慮深く心を健やかに保つこと。
二、食べ物に気を遣い、養生にかなった生活をおくること。
三、薬の性質をわきまえ、体内の気血の流れをととのえることに利用できること。
四、鍼や石のメス(当時の治療器具)を使いわけられこと。
五、五臓六腑、十二の経脈、気血の働きとその虚実を診断する方法を熟知すること。
にございます
この五つの基本さえ会得しておけば自ずと身体の状況に応じた治療ができるというものであります。
たとえば、虚している者には補う治療を
実している者にはこれを泄らす治療をいたします。
もしこの天地の陰陽の規則にかなった治療をおこないますと、あたかもうてば響くように速やかに効果があらわれます。医道というものは鬼神など妖怪変化の類の奇術とは関係ございません。認識を実践模索することで手を触れるだけで春になるかの如き神の領域に達することも可能だというものでございます。
このおはなし、つづきます |
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今日も黄帝内経に書かれているおはなしを続けます
これまでのおはなしはこちら↓ http://m.blogs.yahoo.co.jp/happytanukisan/folder/1555014.html 前回は天と地の間に暮らす我々の身体が自然の変化に大きく影響を受けているということ、天と人は一体を成すという天人合一についておはなししました。 今日はそのつづきのおはなしです 黄帝は問われる 国を治める者として民らが病いに苦しんでいるところをみるに見かね、治せるものなら治してやりたいのだが、心の中では矛盾に満ちている。 救ってやりたいと思う一方で、賢さをひけらかすつもりが愚かさをひけらかす事となり、治療するつもりが却って病気を悪くさせてしまう。民どもはそれを聞きわたしの事をあしざまに非難するであろう。どうしたものであろうか? 岐伯は答える そもそも、人々の生命は大地の上に生まれ、天の気に応じて活きているものであります。人間の生命というものは天地の気の交わる処の産物といえましょう。 人が自然の四季の気候の変化に逆らうことなく養生法に従えば、天地は必要なものを与えてくれ、天寿を全うできるというものでございます。 天には陰陽の二つの気があるように、人には手足それぞれ三陽三陰、計十二の経脈の流れがあるのでございます。 天に寒暑の交代があるように、人には虚実の交代があります。 ゆえに天の気の陰陽の気の変化を把握しているものは春夏秋冬の気候の変化に沿った養生法を心得ています。 人体の十二の経脈の構造原理につい精通している者の賢人の知恵は、一般的な人を超えることができないというものであります。 四方八方から吹く風の変化や有無や五行相克のきまりを掌握していると、病状の虚実を熟知することができ、病を養生し、病人のつらさを感知できます。虚実の現れは、実に微妙であり、その微妙さを感知することは些細なことを見逃さず心の眼を開くことのみにあるというものです。 また、聞きなれない言葉がでてきましたね。少し解説していきたいと思います。
まず、「天には陰陽の二つの気があり」というくだりがでてきました。 陰陽といえば、思いつくのはこの人、陰陽師の安倍晴明。 けれど彼の暮らした平安時代より遡ること1000年以上むかしの中国が舞台です。「おんみょう」ではなく「いんよう」と読みます。太極図は有名ですね。韓国の国旗の真ん中にあるアレです。 古代中国思想では森羅万象、宇宙のありとあらゆるものは陰と陽の二つのカテゴリーに分けることができるとされました。 そもそもの陰陽の定義はシンプルで日の当たる部分が陽、日陰になる部分が陰とされました。 のちに気候の寒暖、物の上下、左右、内外、動静、なども陰陽に分ける考え方が派生しました。 そして、世の中の全ての現象に相反する面があることをすべて陰陽に分けて考えたのです。そして陰陽は対立すると同時に消長するとされました。 一般的に、激しい運動をしているもの、外向的なもの、上昇するもの、熱いもの、明るいものは、すべて陽に属すとされます。 逆に、静止しているもの、内向的なもの、下降するもの、冷たいもの、暗いものは、みな陰に属す。 人の身体にとって促進、保温、興奮の作用がある物質や機能は陽であり、凝集、保湿、抑制の作用を持つ物質や機能は陰に属すとされます。 身体の中で陽に偏ったものを実(じつ)、陰に偏ったものを虚(きょ)といいます この虚実の見極めが実に微妙であることがここでは述べられています。 次に、「人体の十二の経脈」というくだりについておはなししましょう 人の身体には気血榮衛(気や血などといった生きるために必要なもの、現代で言う代謝物質)の通り道が十二本あるとされました。 その通り道のうち、手足の先端から体の中心に流れる縦の流れを経脈といいます。 手に陽の経脈が三本、陰の経脈が三本、足に陽の経脈が三本、陰の経脈が三本、合計十二本というわけです。 詳しいことについてはまたおはなしする機会があると思います。 今日はこれくらいにしておきます。 次回は五行思想と治療上で熟知すべき補うこと瀉することについておはなしします |
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みなさん、おはようございます
また一週あいてしましましたが、また中国の古い医学書「黄帝内経」に書かれているおはなしをつづけます 前回は病気が体内にあるのに、症状が体表面に出ていない、遅かれ早かれ病気になるであろう未病についておはなししました できるだけ早い段階で治しておかないと、いったん病が体表に出てしまってからではきつい薬でも治すことが出来ません 手遅れになってしまう前に予防しておくことが重要ですね 今回のおはなしの前に、余裕のある方は一番最初の記事を振り返ってみてください http://m.blogs.yahoo.co.jp/happytanukisan/64198170.html ここで解説している「黄帝内経」は現存する中国最古の医学書と呼ばれています 神話伝説上の最初の帝であるとされる黄帝(こうてい)の問いに 岐伯(ぎはく)という黄帝の太医(侍医)が答える、という形式をとっています 今回からのおはなし、「宝命全形論」もこの二人の問答のかたちをとっています その問答に入るまえにもうひとつ用語の解説を 東洋医学の理論の一つに、「天人合一(てんじんごういつ)思想」いうものがあります 「天」というのは自然・宇宙、「人」というのは文字通り人間のことです つまり人と自然・宇宙を一つの統一体と考えて、人間の形や機能も天地自然に対応するものという捉え方をします 中国は日本と同様に長い間、農耕中心の生活を営んできたため、太陽や風雨などの自然や四季の移り変わりに関して深い関心が寄せられてきました そして人と自然界の間には密接な関係があり、人間は自然環境の変化に大きく影響を受けているということが理解され、そこから人体の内部の仕組みを一つの小宇宙としてとらえた「天人合一」が生まれました 「天・人を対立するものとせず、本来は一体をなすものであるとする思想であり、その一体性の回復を目ざす修養・一体となった境地を「天人合一」としているのです 前置きがとても長くなりました それでは、黄帝と岐伯の問答をはじめます 黄帝は問われる 「天はすべてのものを覆い、大地は生きとし生けるものを載せている そうやってこの世の中は成り立っている その万物の中で最も貴重でかけがえのないのは生命である 人は天と地の気の交わるところに生まれ、春夏秋冬の季節のうつろいの中で(そだつ)生長収蔵を繰り返している 王侯、平民の身分の上下にかかわらず、身体を病ませることなく天寿を全うさせるという権利の元では平等であるべきだ ところが、人を病ませる邪気というのはいつどのように侵入したのかはっきりしないことが多い 身体に侵入した邪気は日に日に深く骨の髄までまで入り込み、取り除くには手遅れになってしまう 一国の君主として深い憂慮を感じずにいられない 余は鍼を用いてその病を取り除いてやりたいと思うのだが、何か善い手はないだろうか?」 岐伯が答える それは、自らの光を外へ向けるのではなく、 内なる自分へ向けて、心の中を照らし出し、自分自身を省みることのようであります。太陽が沈む直前に、ほんの少しだけ、空が明るく見えるように人が死ぬ直前に、ほんの少しの間だけ、元気が出たりすることがあります。 例えますれば、塩水を素焼きの壺に入れておきますと液が自然にしみ出てきます。これは鹹(しおからい)味の排泄作用によるものです 弦の切れかかっている琴の音は濁っております 樹木の幹の中が崩れていると枝先の葉は散り落ちます 人が重い病をえた時もこれらの例え話と同様、大切な消化器官の胃の気が傷ついてしゃっくりが出ることがあります もし、このような症状がでるまで邪気が体の奥まで入ってしまうと、薬物をもっても、鍼をもっても治療することはできません その結果皮膚の機能も筋肉も損傷しそこなわれ、血と気も枯れ果ててしまうと、如何ともしがたいのであります |






