モンゴルちょこっと旅

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今日は、朝8時の便で小松から仙台に飛び、レンタカーで角館に来ています。角館は城下町でとっても素敵な町です。なんだか、時間が止まってしまったような町です。午後は街中をぶらっとしました。2時間もあれば、町中を見ることができます。明日は朝出て、田沢湖にと思っていましたが、明日と明後日、角館で秋田の祭りが集まるイヴェントがあるそうです。明日、どうしようか検討中です。

モンゴルの記事は終わったのですが、今回のまとめです。

20189月にモンゴルのウランバートルでIPPNW北アジア会議があり参加してきた。前回の2007年に続いて2回目だ。
 モンゴルは南の方がゴビ砂漠で、北の方が1000から1500mほどのモンゴル高原という草原が広がり、ウランバートルはその高原の中にある。草原には、牛、羊、山羊たちが放牧され、ところどころに遊牧民が住むゲルという「テント」がある。遊牧民は、少なくとも年に4回は場所を移動するそうだ。モンゴルの人口が約300万人に対して、6000から7000万頭の家畜が飼われているという。
 モンゴルの人たちの主食は肉で、モンゴルでは一人当たり年間100Kgほどの肉を食べ、世界で10番目くらいの肉の消費国だそうだ。年間100Kgは赤ちゃんも含まれているので、1300gほどの消費になるという。
 肉の買い方も半端ではないらしい。モンゴルでは秋から冬にかけては氷点下なので、天然の冷凍庫になる。従って、秋には一冬に食べる肉を一度に買って保存しておくそうだ。肉の値段もKgあたりで売られ日本より一桁違って、時には一頭買いをするそうだ。
 今回の会議のレセプションでモンゴル料理が出された。もちろん、肉が主体だ。モンゴル人は野菜をほとんど食べない。ホテルでのバイキングでも、小さな容器に申し訳程度にサニーレタスや生食用のほうれん草が用意されていただけだ。遊牧民は、馬乳酒やチーズ製品を良く食べるのでビタミンなどの補給は十分だという。それでも最近は葉物のサラダを食べることが多くなり、中国から輸入されていたらしいが、中国野菜の安全性の問題から国内での生産も始まっていて、ハウスでの野菜の栽培が増えてきた。モンゴルは雨が少なく、水と温度の管理さえすれば、野菜も十分生産できるそうだ。
 僕は肉が大好きで、レセプションでお皿にいっぱいの肉をいただいた。僕は、その時、虫歯の治療中で、左の奥歯は治療済みだったけど、右の奥歯は仮のかぶせをしてあったのを忘れていた。お肉が固い。噛んでいるうちに右の奥歯が痛くなってきた。それでもなんとか5回ほど噛んだけど、この程度で噛み切れる肉ではない。痛みに我慢できなくて飲み込んでしまった。僕の辞書に「残す」という文字がないので、頑張って噛み、飲み込み続けた。僕の胃袋も驚いたことだろう。ほとんど噛まれていない肉がどんどん送り込まれてくる。胃の蠕動と胃液だけでは十分消化しきれない。そのために、モンゴル滞在中に胃のもたれ感がずーっと続いたのは言うまでもない。

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 モンゴルの肉料理は、煮るか焼くか蒸して料理して、味付けは塩味だけだそうだ。とても柔らかな肉は期待できそうもない。確かに、日本のような柔らかなステーキが好まれる国は少なく、オーストラリアの牧場で食べたオージービーフは石のように固かったし、ニューヨークで食べた本場のステーキはもも肉の300gカットだった。その頃は歯が丈夫だったけど、全部壁終る頃には顎が痛くなったくらいだ。
 そんなことを考えると、僕たちが日常食べている料理って、如何に柔らかいか、改めて気が付かされた。昔の人たちは、きっと歯とアゴの力が丈夫で、歯がないと生きていけなかったのかもしれない。もう20年ほど前に日本の歯科医がモンゴルの歯科医療の支援をしたことがあることを思い出した。当時のモンゴルは手動のモーターで削っていて、日本の電動モーターがとっても感謝されたそうだ。確かに、モンゴルの人たちにとって、歯の治療は、生きていく上でとっても大事なことだ。
 モンゴル滞在中、ずーっと肉料理が続いた。最後の日は、しゃぶしゃぶだったのでとっても助かったけど。僕たちを案内してくれた日本留学の経験がある学生さんに聞いたのだが、日本で一番食べたかったのは「干し肉」だったそうだ。モンゴルの人たちは、氷点下の冬の間は、保存食の肉を食べ、夏は、「干し肉」を食べる。湿気がほとんどない国なので、生肉をさらしておくと干し肉になる。彼女はモンゴルに帰るたびに干し肉をいっぱい日本にもってきたそうだ。
 どうもモンゴルで長生きするためには歯が丈夫でアゴが丈夫でないとだめらしい。

帰国

昨日は1日、良い天気でした。
今朝も昨日の余韻が残っている朝です。
台風が今日から沖縄に襲来のようです。
今日の午後の便で那覇に行き、夕方、石垣に着く予定でした。
台風の影響でキャンセルとなり、すべての予約がキャンセル料なしで、キャンセルできました。
昨日、お知らせしたように、明日の朝の便で仙台に向かいます。

昨夜、我が家の月下美人が20年ぶりに花を咲かせました。
見事な花です。
またアップしますね。

今日は、モンゴル最終回ですが、明日、エッセイが一つあります。

916日朝9時の成田行のフライトです。
ホテルの集合時間5時半、この時間はウランバートル市内は空いていて、15分後くらいには空港に着きました。空港で搭乗手続きして、モンゴル航空の飛行機に乗ります。
 
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飛行時間は5時間ほどでしたが、半分は隣になった同行者とのおしゃべり、後、半分は、寝不足のために休養でした。
 
成田から羽田空港までのリムジンは順調で、18時の小松便まで待ちました。
 
羽田空港の夕陽です。
 
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週間前は上空に行くとちょっと夕陽が見えたのですが。
東京の海岸べりは雲で都心だけすぽっと雲の谷間です。
そしてその向こうには富士山が見えます。
ちょっと不思議な光景ですね。
 
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夕焼けを背景にした富士山です。
 
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すこしずつ、闇に飲まれていきます。
 
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西の空はすこし明るいのですが。
 
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この時間のフライトも楽しいです。
 
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そろそろ闇が支配します。

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最終日はしゃぶしゃぶ

モンゴルの旅もそろそろ終わりに近づいてきました。

最終日の15日の夜は、7時からレストランを予約してあったのですが、レストランに着いたのが845分でした。もうだめかとおもったのですが、レストランは、私たちの席を予約席のまま確保してくれていました。
 
セットです。
 
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テーブルの上には、しゃぶしゃぶ用の野菜とうどんがのっています。
このしゃぶしゃぶ、中国東北部の瀋陽でもいただいたことがあります。
モンゴルの人たちは、野菜も含めて生でな余り食べないようです。エノキや椎茸やニンジンは良しとして、きゅうりもしゃぶしゃぶ用にスライスしてあるのですよ。
 
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鍋は日本のように大きなお鍋で一緒に食べるのではなく、個人個人となっています。
 
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焼き飯です。
 
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これは鶏肉です。
 
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左手前は牛肉、奥は羊の肉です。
どちらもとっても美味しかったですよ。
 
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こちらはそのままいただくのですが、牛肉を味付けしてスライスしてあるような料理でした。
 
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揚げパンです。
モンゴルでは朝食によく食べるようです。
 
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モンゴルのしゃぶしゃぶとっても美味しかったですよ。
 
 

今回、「モンゴルちょこっと旅」という書庫を使っています。
これは、前回の「ちょこっと旅」の書庫に入れているものですが。
今回もフリーな時間は1日だけだったのですが、「ちょこっと」がブログでは2週間にもなっています。
できれば、ブログ並みにゆっくりしたかったのですが。

キャンプ場を出たのが5時を過ぎていました。
ウランバートルまで130Kmです。日本の高速道路であればぶっ飛ばして1時間少しという所で、一般道を走ると2時間はかかります。まして、信号がほとんどないといっても、草原の道と渋滞が予測されます。前日のチンギスカン像まで約1時間で着きました。昨日はここから3時間かかりました。なんと9時過ぎになってしまいます。
 
私たちが乗ったバスは30人ほど乗れる小型バスです。現地の人たちは、幼稚園バスのようなものだと言っていました。運転手は女性です。昔、市内バスの運転手をしていたようです。その頃、女性の運転手は彼女一人だったということでした。
 
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道路は家畜優先です。家畜が移動している場合には、家畜が移動し終えるまで待たなければなりません。
 
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週間ほど前まで雨が多く、私たちにも、傘、雨具、長靴を準備した方がよいといわれました。でも、今回もモンゴルの空のカミサマと交渉しました。モンゴル語が分かるか心配でしたが、なんとか、いい天気にしてくれました。その時の雨なのか、ところどころに池ができています。
 
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ここは小さな湖なんでしょうか。
波際に白いものが寄せています。

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ひょっとしたら塩かもしれません。
モンゴルでも岩塩を買いました。一袋、100円もしなかったように思います。同僚がお土産ように、塩をいっぱい買いました。そのためにカバンが重量オーバーになってしまい、塩を取り出していました。
 
鉄道です。

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シベリア鉄道です。
キャンプ場はウランバートルから東ですので、帰りは西に向かっています。右がモスクワ、左が北京方面でしょうか。
 
これはぼた山です。
ここに露天掘りの石炭鉱山があるということでした。
 
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夕陽をあびた羊たちです。
 
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羊がトラックで運ばれていきます。
 
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馬たちです。
すごい数です。
馬は、120頭ほどの放牧だそうですが。
 
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モンゴルの遊牧民は、馬、牛、羊、ヤギ、ラクダなどを放牧しています。牛は牛乳、肉用で理解できます。羊は羊毛、ヤギもカシミヤなどの加工されます。馬がどうして必要なのか聞いてみました。馬が一番大事にされるようです。馬がどのように遊牧民の生活を助けているのか。第1に馬乳酒です、第2に移動手段として、第3に馬肉として、そして競馬用としても楽しむそうです。
 
馬が道路を横断します。
 
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夕焼けがきれいでした。
 
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ウランバートルの街中に近づくにつれて渋滞が激しくなってきました。
 
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ウランバートル市内に向かう右側の車線が混んでいます。
この外側を走っている車もあるでしょう。
しかし、このバスの運転手は、そういうことはしません。
左側の反対車線が空いています。

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こちら側をスピードを出して走り始めました。
当然、対抗車線から車が来ますよね。
どうするのか見てると、右側に寄せて、対抗車線の車をよけます。
そして、また、対抗車線を走るのですよ。
すごいおばさん運転手です。
 
渋滞は、これが原因でした。
先ほどの道路が工事中だったので、途中で街中道路に入らなければならなかったのです。
未舗装のガタガタ道です。

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でも、私たちの運転手には「不可能」という言葉はありません。
このお蔭で30分は短縮することができました。
 
同行者に、奥さんから「カシミヤ」の製品を買ってくるように言いつけられた人もいて、10分だけゴビというカシミヤ専門店に寄ることもできました。私もカミサンにストールを1枚買いました。

オオワシに遭遇

台風は真夜中に通り過ぎていったようです。
私は「早寝早起き」の「いい爺」ですので、もう夢の中でしたが、夜中の12時過ぎの外の風雨の音で目が覚めました。それも2時頃には静かになったように思います。夢かうつつか、そんな状況でしたが。
次は25号が控えているようですね。

アルガリを見てからキャンプ場に帰る途中、大きな野鳥が空を舞っていました。
そして草原で休んでいる野鳥も。
 
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ガイドさんはオオワシだと説明してくれました。
オオワシなのか、オオタカなのか、はたまた別のタカなのか分かりませんが。
とにかく、羽根を伸ばすと2mほどはありあそうな大きなタカです。

タカが空を舞っています。
 
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運転手がバスを停めてくれました。
その外の景色も見事です。
 
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キャンプに寄って帰ることになりました。
すでに時間は5時を過ぎています。
キャンプを出て帰路に着きました。
放牧されていた羊たちも、馬に乗ったカウボーイが追い込んでいます。
 
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草原の中の道路です。
こういう道路、ナビにあるのでしょうか。
 
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道路上のワシです。
首から胸が白いですね。
これはオオワシのようです。
 
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ここも動物たち優先道路です。
オオワシが飛びたちました。
 
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こんな小川があります。

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週間ほど前に雨が多かったので、草原には水が残っています。
今年は雨が多かったので、草原もまだ緑が多いということでした。
雨が多いのはいいことかというと、そうでもないらしいようですよ。モンゴルには6000万頭の家畜がいます。ほとんど遊牧民が管理していますが、遊牧民は、ゲルで生活し、1年に最低4回は場所を変わるようです。土地は国のものなのでどこにでも移動して良いそうです。家畜も一緒に移動しますが、家畜小屋がありません。冬、氷点下30℃以下になる寒い時にどうするのか、聞いてみました。基本、外にいるそうです。そして、そんなに干し草などの冬用の餌を準備している様子でもありません。冬は雪が降るけど、そのはさらさら雪なので、雪をどけてその下の草を食べるそうです。雨が多いと、雪の下に氷ができて、家畜たちが雪をよけることができない、そういう理由で数年に1度に大量の家畜たちが死んでしまうことがあるということでした。今年は雨が多いので、心配だといっていました。
こういう異常気象は、モンゴルの遊牧民の生活を苦しくしているようです。「ゾド」という気象条件があって、「夏の乾燥した状態の後に、寒い、厳しい冬」のことをいうそうです。例年50万頭は家畜が死亡し、厳しい冬は500万頭、1000万頭が死んでしまうことがあるそうです。遊牧民にとって、家畜が財産の総てなので、家畜が死んでしまうと収入源がなくなります。
昔の社会主義体制の時には集団農業で、政府などの補助もあったようですが、民主化後は個人経営となって、すべての財産をなくした遊牧民はウランバートルのような都会に集まって、都会の過密状態を加速しているということでした。
自然とともに生きる人々にとっては、異常気象は死活問題なんでしょう。
 
こんな草原の道を走ります。

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