平和

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チョコ募金

今日は、これから、東京に日帰りです。
今日は会議が終わってから懇親会があるので、新幹線にしました。
飛行機だと、小松から車なので、飲むことができません。

昨日の東京の天気予報は午後から良くなるとか。
それならば東京の紅葉をと思って、一電車早いのにして、どこか紅葉をと思ったのですが、今朝の予報によると天気予報は雨から曇りで悪くなっています。
残念。
低気圧が近づいているようで、この低気圧がどこを通るかで、予報が難しいのでしょうね。
もう一つ、1月3日のチケットを予約をしたかったのですが。
1月3日は日曜日です。
金沢から出かけると、帰省ラッシュのピークにひっかかります。
窓口で予約したら、「発売は10時からです」と言われました。
ウム、こちらも残念。

今日、帰りに予約したいと思うけど、予約できるかどうか。

さて、今日は、先日、出張した広島でのお話です。
 
先日の広島の出張は、「世界核被害者フォーラム」という会議で、ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾の投下による被害だけではなく、核実験や、原子力の平和利用と言われる、ウランの採掘、精錬、そして、原子力発電、その廃棄物にかかわるあらゆる放射能の被害にかかわる会議でした。
 
そこで、懐かしい人に出会いました。
10年ほど前に、イラクの医療支援のためにヨルダンに行った時にお会いしたイラクのジャワッド・アルーアリ医師です。
10年ほど前のイラクは、イラク戦争によって国内が混乱していた時期で、特に、その10年前に湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾による被害が報じられていました。癌やその他の病気が増えてきているけど、医薬品や医療機器が足らない。そういうことで、民間を通して医療支援を行いました。
 
アルーアリ医師はお元気でした。
1944年生まれですから、私よりも5歳上です。
アルーアリ医師は、一旦は、リタイアしたようですが、その後、イラクの保健省に呼び出され、顧問のようなお仕事をされているようです。
 
イラクの最近の医療事情についてお聞きしました。
イラク戦争の後、少し、良くなったが、最近のISとの戦いで、イラクの国家予算のほとんどがISとの戦いに使われて、以前よりももっとひどい状況になっているということでした。
アメリカやフランスが落す爆弾の一つでもあれば、イラクの人たちの多くのいのちを救えるのにとおもいました。
 
日本でイラクの医療支援を継続しているNGOがあります。
JIM-NETといって、日本イラク医療支援ネットです。
実は、私たちがヨルダンを訪問した時に、そこのメンバーの佐藤真紀さんという方が同行してくれました。
真紀さんというから、てっきり女性がと思って、とっても期待したのですが、出てきたのは、髭づらの精悍な男性でした。
 
そのJIM-NETが、チョコ募金を行っています。
 
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このような4つ入っていて、1セットです。
是非、協力したいと思っています。

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今日の「ハラゴンの診療日記」は「僕の平和活動」です。
今日が、このシリーズの最終です。
お付き合いありがとうございました。
http://blogs.yahoo.co.jp/haragon1768/17141357.html
広島でIPPNWの開催中、8月25日の夜、広島市医師会原爆殉職碑にキャンドル献灯イベントが行われました。
 
原爆で殉職した医師や看護師などの医療従事者や、自ら被災しながら医療救援活動に参加し、その後、放射能障害によって亡くなった人々のために、広島市の医師会が建立した慰霊碑です。

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慰霊碑はライトアップされ、IPPNW広島大会の参加者によって、献灯されたキャンドルが、碑の前に置かれました。

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参加者が、ぞれぞれの思いをメッセージに書きます。

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献灯です。

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碑文です。
「身を挺し、市民救護の指名に殉した医師看護婦の霊を祀る」と記されていました。

イメージ 5

 
広島では、原爆投下時、約300人の医師がいましたが、原爆によって、30人弱の医師しか、救援にあたれなかったといわれています。
核戦争においては、医師は無力です。いのちを守る使命をもった医師は、核戦争を防止するために努力しなければならない、それが国際反核医師会議(IPPNW)の願いです。
土日と広島で開催されたIPPNW北アジア・東アジア合同地域会議に参加してきました。

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核戦争防止国際医師会議(IPPNW)は、『核戦争の脅威に対して医療専門家としての影響力を動員し、研究・教育・唱導を通して正しい知識の普及に努め、核兵器の廃絶と軍縮を求める中立的・超党派的な地球規模の医師組織の連盟』で、1985年にノーベル平和賞を受賞しました。

このIPPNWは、2年に1回に世界大会、その隔年に各地域で地域会議が行われます。

アジアは、北アジア、東南アジア、東アジアと地域が分かれています。

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基調報告やシンポジウムや教育講演が行われました。

印象深かったことをいくつか紹介します。

「核兵器廃絶に向けて:広島から世界へ」のシンポジウムでは、中国新聞の田城さんが話されました。
中国新聞は、この間一貫して、「被爆者の援護」と「核兵器の廃絶」に向けた論陣をはっています。

田城さんは、「東京と広島の距離」というのを指摘されました。東京は「核兵器」を威力としてしか考えない、広島は、「核兵器」を罪のない人たちを一瞬にして殺してしまう悪魔の兵器としてとらえる。

東京=日本政府は、「アメリカの核の傘」のもとで、日本の平和が守れると主張します。しかし、「核兵器の廃絶」を訴えることと、「アメリカの核の傘」で守られること、これこそ、ダブルスタンダード以外の何者でもありません。

核保有国は、自国の核兵器を棚上げしして、他国の核開発を阻止しようとする(核兵器の拡散の防止)ダブルスタンダードと全く違わないのではないでしょうか。

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今回、南アジアとの共同開催でした。
南アジアも複雑な課題をもっています。

インド、パキスタンの紛争。
各国は、国の予算の20〜30%を防衛費に使う一方、保健医療に使う費用はわずかに1%前後です。国防費にお金をつぎ込むことが、貧困を招いている、その悪循環です。

各国の代表は、軍事費を削減することが大切と主張します。

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会場の広島国際会議場には、被ばくした小石や砂を混ぜて、平和記念公園の平和の灯をより採火した日で焼きあげた「友愛の船出」という陶画があります。

核戦争に医療は無力です。
広島では、10万人の死者を含む数10万人の負傷者に対して、生き残った医師は数十人でした。

長崎では、医療の中心であるべき長崎医科大学が壊滅状態でした。

核戦争に対して医療が無力であるが故に、核戦争を防止し、核兵器の廃絶を願う運動に参加することは医師の責務であると考えています。

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私は、今、介護療養病棟という病棟の責任者をしています。介護療養病棟では毎日午後、レクレーション療法を行っていますが、今日は、私が行いました。
テーマは、「戦争の回想と平和の大切さ」です。
介護療養病棟の入院患者様のほとんどは戦争体験者です。最近の出来事に関しては記憶があいまいでも、戦争中のことは鮮明に蘇ってきます。今回はフィリピンを取り上げました。フィリピンは太平洋戦争中、フィリピン人が100万人、日本軍が50万人亡くなっています。
入院患者のGさんは、京都の第16師団の一員として、戦争開始直後にマニラ戦線に派遣されました。この部隊は、自転車を使った銀輪部隊として有名です。マニラを放棄した米比軍はパターン半島の要塞で抵抗しますが、ついに降伏します。この戦闘によって、多くの兵士が死亡します。捕虜になった米比軍は7万人余り。日本軍はこの捕虜の多さに驚き、100キロ離れたオドンネル収容所に移送します。運搬手段のない日本軍は、捕虜を炎天下の中徒歩で移送しますが、次々と捕虜が倒れて、死の行進(Death March)と呼ばれ、1万人余りが死亡しました。
入院患者のNさんは、16歳でフィリピンのダバオに派遣されます。仕事は海軍のゼロ戦などの航空機の修理です。レイテ沖海戦で日本軍が敗れてから、日本軍の敗走が始まります。Nさんは400人の仲間と一緒にミンダナオ島を1か月かけて歩いて北上します。しかし、北のカガヤンにたどり着いたのはたったの150名。マラリアや天狗熱にかかった兵士は、次々と薬を飲まされるか、自ら手りゅう弾で命を断ちました。
これからも入院患者様から戦争体験をお聞きしながら、平和の大切さを確認しあっていきたいと思っています。
写真はhttp://www.b-29s-over-korea.com/Bataan-Death-March/からいただきました。

昨日、私の病院の女性たちが主催している平和サークル「ハートの会」の例会があり、京都城陽市にお住まいの阿部鈴子さんをお呼びしてお話しを聞きました。
阿部さんのご主人は、28歳でニューギニアで戦死されました。2年前に、夫がなくなったニューギニアに。その直前、押入れからダンボールが落ちてきて、夫から届いた手紙が出てきて、涙、涙で手紙を読み返したそうです。
夫からの手紙は、370通あったということですが、その後も手紙がみつかり、合計500通にも。そこには、妻と子どもを思いやる愛情がいっぱいだったそうです。
夫は戦死する直前に、小さな子どもに、かめといるかのスケッチを書いて、こんな生き物がいると伝えています。ニューギニアの夫の戦地にたった時、夫が書いてきた状況とそっくりの風景がそこにあり、感慨深かったと語られました。
淡々と語られる阿部さんは、二度と、このような悲劇を繰り返してはいけない、平和な日本を守らなければならない、そのためにも憲法9条を改憲してはいけない、という言葉でくくられました。
お話の前、30分ほど、スタッフが忙しそうだったので、私がお相手しました。阿部さんは大正8年12月生まれ、元小学校の教員だそうです。私の母親は、大正9年1月生まれですので、ほとんど同時期のお生まれで、お仕事も一緒。母親と、同じ時代を生きてこられて、とても親しみ深く感じられました。
もっと、もっと戦争の悲惨さを伝えていただきたいと思いました。

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