金沢散歩

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3月23日石川県立音楽堂に行ってきました。
前進座の「毛抜」という歌舞伎、「水沢の一夜」という公演を見てきました。
 
「毛抜」は歌舞伎十八番の一つで、本格的な歌舞伎を見たのは初めてです。
とてもユーモラスな歌舞伎でした。
ただ、上の方が薄い人たちにとっては、余り、歓迎しないネーミングの歌舞伎だったかもしれませんが。
 
公演は、「邦楽ホール」という所で行われました。ここは約700人収容の施設ですが、それ以外に、1500人余りを収容できるコンサートホールがあります。
 
金沢駅に面している音楽堂の正面です。
 
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玄関を入ると、手前がコンサートホールで、邦楽ホールは、この長い通路の先にあります。
 
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この通路の両面の壁には、いろんなアートが掲げてあります。
これは、オーケストラのアート。
 
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邦楽の写真もありました。
 
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歌舞伎の勧進帳の一場面のジオラマもありました。
スイッチを押すと、舞台が動き、勧進帳の場面が録音で聞くことができます。
 
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こんな日本画もありました。
 
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通路の真中から下をみると、練習ホールです。
 
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この音楽堂は、オーケストラ・アンサンブル金沢の根拠地になっています。
この音楽堂ができたのは、2001年で10年余りが経過します。
この場所は、「新地」(と言ったと記憶していますが)といって、昔は飲み屋街だったのですが。
 
やはりこの音楽堂を作ったことによって、金沢の文化がより豊かになったような気がします。
「人間はパンのみにて生きるにあらす」
そうですよね。文化って、とっても大切だと思います。
あまり文化と縁がない日常を送っていますが、なんだか、「文化」に浸ると、気持ちがいい。
 
石川県立美術館の裏手から本多町に降りる小さな坂があり、「美術の小径」と呼ばれています。
このネーミングは、坂の上の県立美術館と坂の下の中村記念美術館をつなぐ坂によるものと思いますが、藩政時代、「本多家の下屋敷と上屋敷を結ぶ道であり、邸内の道みたいな感じ」だったそうです。http://www2s.biglobe.ne.jp/~west_v/saka-40.htm
小径の横に流れる水は、兼六園に行く辰巳用水を分水したということです。

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この坂を下りると、金沢市立中村美術館があります。

この美術館は、もともと、中村酒造株式会社社長 中村栄俊氏(1908〜1978)が収集したものを金沢市に寄贈したものが展示されています。
今は、新しい美術館になっていますが、以前あった旧中村邸で、特別展が行われていました。
特別展というのは、収蔵品をそれにふさわしい場所に展示するという催しでした。
床の間に景徳鎮の花瓶に、秋の花が活けられていました。
やはり圧巻でしたね。
芸術品というのは、ガラスケースの中で見るのではなく、やはり、使われてこそ、素晴らしいと思いました。

やはり写真撮影ができなかったので、庭からの旧中村邸です。

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帰りは、また、「芸術の小径」を通って、上の上がりました。

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石川県立歴史博物館

11月3日「文化の日」にふさわしく石川県立歴史博物館に行ってきました。
石川県立歴史博物館は兼六園の近く、本多の森にあるのですが、私の学生時代、金沢美術工芸大学だった所です。
この建物は赤レンガの3棟で、旧金澤陸軍兵器支廠兵器庫として建てられたもので、第1棟は1914年、第2棟は1913年、第3棟は1909年に竣工しています。その後、1946年に金沢美術工芸大学の校舎に転用され、1972年金沢市が譲り受け、1986年から石川県立歴史博物館になっています。1990年国の重要文化財に指定された建物です

歴史博物館ができて25年、実は、ここに入るの初めてでした。

今回、この歴史博物館で「徳川将軍家と加賀藩」という特別展示会が開催され、11月3日が最終日でした。

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案内には「 加賀藩主前田家は、百万石を領する外様の大藩ながら、徳川御三家に次ぐ家格を誇り、将軍家と濃密な関係を保ちつつ、260余年にわたる幕藩体制を支えました。両家の関係は、歴代の将軍と藩主、さらには姫君らの婚姻関係によって培われたものであり、幕末には13代藩主斉泰が11代将軍家斉の娘・溶姫を迎えたことから、加賀藩の政治的立場にも微妙な影響を与え、それぞれの明治維新を迎えるに至ります。 本展では、将軍家から前田家に嫁いだ、珠姫(3代利常室)・大姫(4代光高室)・溶姫(13代斉泰室)らの婚姻関係資料を中心に、両家の意外にも密接な関係を紹介します。また、幕末の激動期に将軍家を支えた篤姫や和宮の婚礼調度品をあわせて公開します。姫君たちの輝きを今に伝える、華麗な展示品の数々をご覧下さい。」とありました。

加賀藩は前田利家から始まりますが、徳川家に対抗する大藩として、幕府の厳重な監視下の下に置かれました。利家の後をついだ利常が、家康から嫌疑をかけられ、加賀征伐が企てられた時に、お松の方を江戸に人質に差し出し、また、家康の孫の玉姫を利家の正室に迎えて、この危機を回避したことは良く知られています。この時、珠姫3歳です。
このようにして、大姫、溶姫と三度にわたり徳川との婚姻関係を結び、幕末まで加賀藩を安泰に導いたのです。

残念ながら館内は撮影禁止で、画像はありませんが、豪華な、当時の最高級の調度品を堪能することができました。

これが赤レンガの正面です。

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側面です。
当時の面影が偲ばれます。

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この本多の森公園は、紅葉の真っ盛りです。
この公園の整備がされていました。昨年来た時には、ここに十月桜があったのですよね。
でも、今年、その十月桜が見当たりません。
場所的にみると、どうも、工事のために切られたか、撤去させられたようです。

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モミジも色づき、とっても素敵でした。

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