HARAGONの診療日記

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「原家の館」というブログを開設して10年になりました。
根は「まじめ」なものだから、最近は、毎朝、職場に着くとパソコンに向かって、まず、メールをチェックして、皆さんのブログの新着を確認して、私の記事をアップするのが日常になりました。
毎朝、この時間に費やす時間は約1時間です。
従って、私は朝7時には職場に来ています。
 
その他、以前から、時々エッセイのような記事を頼まれて書いてきました。
 
ブログにアップした記事、時々書いたエッセイ、そういう記事をまとめて自費出版でもしたいと思っていました。
 
でも、こういうものって、だらだらだととても駄目ですね。
50話ほど集めてみたのですが、そのままになってしまいました。
 
今回、「ハラゴンの診療日記」というブログを立ち上げて、皆さんのご意見をお聞きすることにしました。期間限定のブログです。
 
表現が間違っている、記事の内容がおかしい、難しくて理解ができないなどの意見があれば、是非、コメントをお寄せください。
 
最終的に皆さんからのご支持があれば、活字にするかもしれません。
 
よろしくお願いいたします。
 
ブログのアドレスは
です。

「なんでも科」の医者

今年3月、4人の青年医師が僕の病院での2年間の卒後臨床研修を終える。彼らの2年間の成長ぶりには目を見張るものがある。現在の医師の卒後研修制度は2004年に義務化され、決められたカリキュラムの下で、さまざまな研修を行う。新臨床研修制度の中で、確実に総合的な臨床能力をもつ医師が育ってきていると思う。
 
イメージ 1
 
僕が卒業したのは1974年。当時は、大学卒業後、医師国家試験を合格すれば、一人前の医師として認められ、医師としての医療行為はすべて認められた。実地訓練なしに、ペーパーテストだけで車を運転するようなものだった。
同窓生のほとんどは卒後すぐに大学医局に入局し「専門医」になった。僕は、数少ない民間病院に入った。当時、120床の地域の小さな病院だった。僕の先輩たちも、この病院に卒業後すぐに就職した人たちがいた。でも、その内の何人かは、「まともな医者になれない」といって去っていった。
僕らの時代の卒後研修は、「先輩の背中を見て育て」、「一度教わった後は、次は一人でやる」というように、医師は現場で育つという考え方が中心で、すべてがわからないことだらけだった。だから、心配でベッドサイドから離れることはできず、1年間は病院に寝泊まりして毎日を過ごした。僕たちは、自分たちで研修をしながら研修システムを作り上げた。
僕は外科医をめざしていたが、一年間は内科を中心とした総合研修を行った。半年終えた後に、富山の診療所に1日支援にでかけることになった。高血圧外来を担当したが、半年の研修では通常の外来は無理だから、高血圧の専門外来なら狭い範囲の知識でよいという配慮だったらしい。僕は、富山では、「金沢から来た高血圧の専門の医師」と呼ばれた。また、1年目の秋に、全国で沖縄の診療所に支援を出すことになった。沖縄に行ったことがない僕が手を挙げた。沖縄では、一人で内視鏡を行った。沖縄では、「金沢から来た消化器の専門の医師」になった。
僕は、その後20年間外科医として過ごし、そして、この15年は、総合診療科医として、自称「なんでも科」を標榜している。僕の「なんでも科」は、1年目の経験が基礎になっている。

10日分もあればいい

僕の外来に83歳の老女が息子さんに連れられて受診した。
能登半島の先端に住んでいるが、体調を崩して金沢の息子さんの家に身を寄せており、薬がなくなったので処方してほしいという。
 
1月の中ごろ、歩きにくくなり近くの診療所を受診したところ、精密検査のために市立病院を紹介され、そこでも、よく解らないため、金沢市の県立中央病院に紹介されたという。能登の先端から金沢まで車で2時間余り。10年前に鉄道は廃線となり、今ではバスが運行されているが、83歳の老人が、紹介状をもって受診できる状況ではない。
 
国は医療圏を設定し、一次、二次、三次と医療機関を指定し、医療連携によって地域医療をカバーしようとしている。しかし、過疎化がすすむ地方においては、事態は深刻である。高齢者世帯となり、公共交通は分断されている。紹介状を書いてもらっても、おいそれとは遠くまで行けない。能登の過疎地域では、何万人と住んでいる市においても、ちょっとした病気であっても、その地域では完結できなくなっている。
 
結局、金沢に住む息子さんが迎えに行き、県立病院を受診させたが、結果は「歳のせい」だということになったらしい。息子さんに詳しく聞くと、どうも独り暮らしで、食事が十分にとれず、栄養失調のような状態だったそうだ。金沢の息子さんの家に来て、体調を取り戻した。
 
老女が住んでいたのは、冬は厳しい北風が吹き荒れ、海は山に迫る海岸べりの漁村だ。高齢になると、独り暮らしの生活は大変だ。
 
僕は、処方されていたたくさんの薬を処方して、「何日分にしますか?」と聞いた。そうすると、10日分もあればいい、もうすぐ、能登に帰ると。こんな金沢にいたら、身体が弱ってしまう、早く帰らなきゃという。どうも、金沢での息子さん一家との生活は、自由気ままに過ごしてきた能登の生活と比べると、窮屈なようだ。おまけに、話をする知り合いもいない。息子さんも、母親の言葉に苦笑い。僕は、2ヶ月分処方した。
 
高齢者の田舎での独り暮らしは厳しくなっている。せめて、食事の宅配や生活援助があればと思うが。僕の母親も田舎の独り暮らしをしている時に、介護サービスの利用を考えた。90歳を超えていたのに、判定結果は「自立」。「自立」では、介護サービスは何も受けられない。仕方がないので2年ほど前に金沢に連れてきた。
 
高齢者の住み慣れた地域で、最後まで住みたいという希望をかなえるのは難しい。

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