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昨夜、家に帰る時、すごい雪で、この調子で降ると、数十センチかなと覚悟して、今朝、恐る恐るカーテンから覗いてみると、数センチ。
でも、昨夜の雪が少し凍って、道路がバリバリしていました。
さて、アンコール遺跡の記事が終わりました。
その記事を、いつものように旅行記に仕上げました。
ブログにはアップしなかったプライベートな写真も含めて76ページになりました。
これからどんどんと記憶が消されていく年代に向かいます。
ひょっとしたら2人で、このフォト旅行記を広げて、「そうだったね。アンコール遺跡、楽しかったね」と話をしている時間を想像して。
その旅行記のあとがきです。
2014年1月タイのバンコクの王宮を観光した時、王宮の中に、アンコール・ワットのミニチュアが置かれていたのが、記憶に残っている。昔、シャム王国がクメールを支配していた時代に、ラマ4世がアンコール・ワットを訪れ、その素晴らしさに感動して模型の建設を命じたということらしい。その後、アユタヤの遺跡を訪れた時、首なしの仏像が並んでいるに不気味さを感じた。その昔、シャム王国とクメール王国のいくさがあり、クメール国が破壊したものと説明された。憎しみだけで、仏教国であるクメールが仏像を破壊するものだろうか。
2016年1月4日から4日間、アンコール遺跡をめぐるツアーに参加した。アンコール遺跡とは、アンコール・ワットやアンコール・トムだけではなく、アンコール王朝の遺跡全体をいい、カンボジアの各地にアンコール遺跡が残されている。アンコール遺跡にも、首から上がない仏像がたくさんあり、どうもいくさによるものではなさそうだ。お互いの国民がより憎みあう方法として、このようなデマゴギーがよく使われる。
宿泊したシェムリアップ(Siem Reap)のシェムはシャムのことであり、「シャム人敗戦の地」という意味だそうだ。やはり、カンボジアからも、隣国タイとのいくさの歴史が残っている。
私たちのガイドさんは、30代の有能な女性だった。彼女に聞いてみた。「今のカンボジアはどこの隣国が好きなのかな?」と。彼女は、「タイやベトナムは余り好きじゃない。ラオスかな。」と答えた。「ラオス?」、そういえば、カンボジアの北の東の方はラオスとの国境だ。そして彼女は、「日本は、どこの隣国が好きなの?」と私に聞いてきた。「僕は、韓国人も中国人も好きだけど、国としては難しい問題を抱えている」と答えた。日本は島国で、海という大きな「濠」があったけど、陸続きのカンボジアは、長い間、タイとベトナムとの「たたかい」の歴史を持っている。
東西にかかわらず、いにしえの巨大な遺跡は、当時の権力の富の象徴だ。アンコール王朝は、9世紀から15世紀にかけて華麗なる繁栄を極めた。アンコール・トムの象徴である観音菩薩に象徴されるような「ほほえみの国」だ。最盛期の12〜13世紀には、現在のラオスやタイ中部、ベトナム南部に至る広大な領土を支配していたと言われている。
1000年前に、このような巨大な遺跡を築いたアンコール王朝の富の源泉は農業だった。王朝は、バライとよばれる貯水池を整備して、乾季の雨季がはっきりした、年間降雨量が1500mm前後の乾燥した土地を灌漑して、豊かな農地に作り上げた。当時は、1年に4回もコメ作が可能だったという。そして、遺跡のレリーフに描かれているようにトンレサップ湖からは、豊かな恵みがもたらされた。
しかし、カンボジアの水路には泥土を含んだ水が流れるため、常に水路の保全が必要だった。隣国との戦が続くと、水路に泥水が堆積して、水路の用をなさなくなってしまう。いくさによって、クメールの土地は、再び、不毛の土地になってしまった。現在では、稲作は雨季の間にしか行われていない。
加えて、カンボジアは内戦の悲劇があった。1975年から約4年間続いたポル・ポト政権は、極端な原始共産制の実現をめざし、官僚、教員や医師などの知識人、軍人たちを殺害した。今日も、国際司法裁判所で裁判が継続されており、その数は、未だに明らかにされていないが、100〜170万人とも言われている。まさに「かなしみの国」である。
ガイドさんの話では、ポル・ポト政権時代には、改めて自分の経歴をかかされて、教師や医師や軍人などは、その一家が連れ去られ、帰ってこなかったという。アンコール遺跡の修復の技術者も殺されて、遺跡の修復が中断した。「アプサラ」という宮廷舞踊のダンサーも殺された。内戦が終わって平和になったカンボジアの発展をささえる知識人が不足している。このことが、ベトナムやタイなどの近隣国と違って、カンボジアの最大の不幸である。
でも、訪問した先々で、素敵な笑顔の子どもたちに出会った。海外からの支援で学校が整備され、子どもたちが学んでいる。この子どもたちが大きくなった頃、「ほほえみの国」カンボジアがきっと復活するだろう。
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アンコール遺跡
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昨日、広島から帰ってきました。
広島を3時半に出て、金沢には夜の8時でした。
夕飯は、広島駅で買ってきた「広島焼き」こと「お好み焼き」でした。
さて、いよいよアンコール遺跡の最後の記事です。
オールド・マーケットでゆっくりした後に、カンボジア最後の夕食です。
最後は、「ニュー バイヨン レストラン」という所です。
こんな所ですが、ウム、誰もいません。
今回、いろんな所で食事をしたのですが、そんなに混んでいるという所はありませんでした。
この時も、中国人のグループが私たちの後に来られたのですが、食事時間がなかったためか、大急ぎで食事をして帰られました。とっても静かでしたよ。
テーブルです。
カレースープのようなものです。
これはチンゲン菜などの中華風炒め物ですね。
御飯をお皿によそってくれます。
これに、カレースープなどをかけて食べます。
日本でもおなじみの酢豚です。
これは、何度も紹介した「さつま揚げ」です。
ノリのスープです。
最後にデザート。
カンボジアの食事、美味しかったですよ。
日本人の文化である「残さない」、この精神でいっぱいいただきました。
その結果、帰ってきたら体重が4Kg増でした。
帰りの飛行機と電車のために足がむくんだ影響もあったのですが。
浮腫みの2Kg分は、すぐに改善しました。
その後は、なかなかです。
これで、アンコール遺跡の記事は終わりです。
ちょっと長すぎましたね。
一緒に行ったカミサンですら、どこも一緒に見えてしまう。
長い間、お付き合いありがとうございました。
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昨日は、東京に出張で、夜に広島に向かいました。
朝、9時40分の飛行機で小松を出るはずだったのですが、少し遅れて滑走路に向かいました。その頃、雪が激しくなってきて、しばらく滑走路手前で駐機していましたが、雪を落とす必要があるということで、一度、ターミナルに引き返しました。10分ほどして、また出かけたのですが、雪が降り続き、結局、もう一度戻りました。
札幌での事故の影響でしょうか。
ずいぶん、慎重でした。
ということで、待合室も戻されて、ミールクーポンもいただいて、出発が午後の1時。
東京に着いたのは、4時間近く遅れた2時過ぎでした。
東京出張だけだったら、出張も取りやめたのですが、広島に移動する必要があったので、そのまま空港で待っていました。でも、しっかりと、「宿題」をもっていったので、仕事がはかどりました。
ということで、今朝は広島のホテルからです。
今日の用事は午後からなので、午前中はホテルでゆっくりします。
4日目の午後は、1時間半ほどホテルで休憩して、3時から足つぼマッサージを受け、その後、オールドマーケットをぶらぶらしました。
オールド・マーケットの子どもたちです。
保育所などの制度がまだまだなんでしょうね。
でも、子どもたちは、どこでも元気です。
果物です。
持って帰りたい衝動にかりたてられますが。
新鮮でおいしそうですね。
きっとカンボジアは、保存などの技術がまだまだなので、収穫した果物はすぐにお店に並べられるのでしょう。
オールドマーケットの中の食堂です。
スタッフや現地の人たちがここでいただくのでしょうか。
ソーセージです。
そして、こちらは干物?
そうです。
魚の干物のようです。
太陽が沈み始めました。
ドライフルーツも売っています。
私たちはお土産を買った後なので、近くにあるイエローマンゴーというお店で、飲み物をいただきました。
私は、スイカジュースをいただきました。
最初に注文した時は、、欧米人のスタッフでしたが、飲み物をもってきたのは、日本人スタッフでした。このお店で、サブのマネージャーをしているとのことでした。
このお店が2階にあったので、下の通りが見えます。
その一角で、バトミントンのシャトルのようなものを足で返すスポーツをやっていました。
このスポーツ、ハノイでもみました。
カンボジアも近々、選挙はあるようです。
右側は、フンセン首相です。
ポルポト政権を倒してから、ずーっと首相です。
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今朝も、うっすらと雪化粧。
我が家を出ると、ちょうど、朝陽が顔をだした所で、モルゲン・ローテでした。
雪がほんのり赤く染まって、とってもきれいでした。
4日目の午前中の最後の訪問は、アプサラ保存局でした。
ここへの訪問の目的は、アンコール遺跡の保存の現状を知ることと、この施設内にある寺院で、カンボジアのお坊さんに、これからの健康や幸せをお祈りしていただくことでした。
この施設の説明です。
インドとカンボジアの共同事業のようです。
ここが施設内のお寺と私たちがお祈りを受けた所です。
仏様です。
この場所、たくさんの遺跡が持ちこまれています。
でも、首から上がないものが多いのですよ。
これはナーガ像です。
ナーガ像って、首の部分と胴体があるはずです。
これらは首の部分で切断されています。
狛犬たちです。
こちらもナーガ像です。
ナーガの頭は奇数で3つ、5つ、7つ、9つなどがあります。
これは敷地内に祀られていた仏様です。
いろんな遺跡が置いてあります。
もう一つ、建物の中を案内されましたが、この中は撮影禁止でした。
でも、首から上だけのものとか、ともかく、切断されているものが多い。
切断されたものを回収したのか、盗掘を防ぐために、切断して、保管しているのか。過去の戦の中で切断されたのか。
よくは理解できませんが、盗むにしても、首から切断して盗むというのは、いくら泥棒さんでも、罰があたります。日本では、まず、そういうことはしないでしょうね。文化の違いでしょうか。
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今朝は金沢地方、うっすらと雪化粧です。
予想をしていないと、ちょっと驚かされます。
綿のようなふわふわの雪でした。
象のテラスからさらに進むと、王宮跡に出ます。
王宮跡とは「高さ5mの壁に囲まれた、東西600m、南北250mの敷地に、かつての歴代の王たちが暮らしていた王宮があったという。建物が木造だったため王宮そのものは残っておらず、現在見学できるのは跡地のみ。敷地内には、宮廷の人々が使っていた沐浴場の男池や女活け、王族専用だったとされる寺院のピミアナカスが残っている。ラテライトの赤味と3層のピラミッドが美しいピミアナカスと『「空中楼閣」という意味で、王族の儀式の場として用いられた。』
(昭文社:アンコール・ワット カンボジア)
王宮に入る門です。
昔は、王様しか入れなかったそうです。
妻たちが入る門は、別にあります。
門をくぐると、向こうにピミアナカスが見えてきます。
この両側に王宮があったのでしょう。
ピミアナカスです。
このピミアナカスには伝説があって、「ピミアナカスの塔の中には9つの頭を持った蛇の精がいて、蛇は夜になると女に化身して、王は、毎晩、この場所で王と交わったそうです。そして、一夜でも行為を怠れば、災いが起る」と、信じられていたそうです。
怖いですね。
端っこにはライオンの像です。
正面です。
ライオンの狛犬です。
これが沐浴場です。
これは王以外の人たちが通る門です。
臭い「地雷」が転がっていました。
これが、象のテラスを横から見た所です。
この場所にライ王のテラスがあります。
「12世紀末にジャヤヴァルマン7世によって建立、それ以前にテラスの原型があり再建築したもので、新しいテラスの奥に以前のテラスが残っていて二重の壁面になっている。象のテラスの隣にあり、ライ病にかかった王のテラスと言われている。写真の像はレプリカで本物はプノンペンの国立博物館にある。」
これでアンコール・トムの観光は終わりです。
トイレ休憩の間の光景です。
カンボジアの子どもたちの姿が、微笑ましいのはどうしてでしょうか。
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