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金沢地方、昨日の最低気温が14℃だったのに、今日の最低気温は7℃です。
今日の九州の最高気温が20℃前後、北海道が0℃と、気温の較差が激しくなっています。
今日は仙台経由山形に向かいます。
どのようにして山形に行こうか迷ったのですが、6時半の仙台空港行の飛行機に乗って、7時半に仙台空港に着き、順調であれば8時過ぎに仙台、そこからバスで1時間で山形です。うまくいけば3時間なのですが。
ホーチミン市の20日間の記事が終わりました。
長い間、お付き合いありがとうございました。
どうも、純粋に旅行に旅行を楽しむというのができない性格なようで、今回の旅行も「報告書」とまとめを作成しました。
その「まとめ」です。 2016年のノーベル文学賞はボブ・ディランに与えられた。僕は、村上春樹の小説も大好きだし、いつの日にか彼にも与えられると思うけど、村上春樹と同じくらいに、あるいはそれ以上に、ボブ・ディランの受賞を喜んだ。
僕は学生時代、「How many roads must a man walk down」というメロディーをいつも口ずさんでいた。僕は、てっきりこの歌がピーターポール&マリーの歌だと思っていたけど。
1960年代の後半、ベトナム戦争の悲惨な出来事が世界に向けて伝えられた。僕たちはアメリカの侵略戦争を糾弾し、ベトナムに平和をと訴えた。日本の僕たちだけではない。フランスでも韓国でも、世界中で。そして、おひざ元のアメリカでも。アメリカでは、無言の兵士が帰還して新しい十字架が立てられるたびに、その声は大きくなった。僕たちの世界共通の「ことば」は、反戦歌といわれるフォークソングだった。僕らは、平和を、正義を、いのちを、愛を歌った。そして、僕らは、この「ことば」によって、一人一人は微力で弱いけど、みんなで頑張れば、勝利できることを知った。「We Shall Overcome」。
2015年の5月僕はハノイを訪問した。ハノイは、アメリカの北爆によって破壊されたけど、戦場になった訳ではない。僕の「青春探し」は、南ベトナムに行かなきゃ。
2016年10月に僕はホーチミン市を訪れた。空港の搭乗口で普段目にしない光景に出会った。優先搭乗口が、高齢者の障害者によって混雑していたことだ。長い戦争の歴史の中の犠牲者に違いない。
ホーチミン市の中心地に「戦争証跡博物館」がある。ベトナム戦争の悲惨な写真が展示されている。目をそむけたくなるような写真の数々。でも、それが戦争というものだ。「動くものはすべて敵と思え」、そういう指示の下に罪もない住民が殺されていく。「もし、そこに敵が潜んでいたら自分がやられてしまう」という恐怖に駆られて。
「How many times must the cannonballs fly Before they’re forever banned? (どれだけの砲弾が飛び交えば、殺戮をやめさせることができるのだろうか?)」 アメリカ軍は、ホーチミンルートと呼ばれる北ベトナムからの補給ルートを断ち切るために、ジャングルにダイオキシンを含んだ枯葉剤を空から散布した。その被害も甚大だった。ベトちゃん、ドクちゃんに代表される結合双生児が産まれた。そして、その被害が、次の世代に影響を与えている。出口にあった枯葉作戦に参加した米軍の兵士の右手のない子どもの写真が痛ましい。被害者だけではなく加害者の次の世代にも。
「How many deaths will it take till he knows That too many people havedied? (どれだけ数多くの命を失えば、死が無益だとわかるのだろうか?)」 高校時代の僕に、ジャーナリストの岡村昭彦氏が「英語を習っているならば、Timesを読んでみろ」と僕に教えてくれたLIFEの表紙も展示されていた。
ベトナム戦争による悲惨な写真を、ベトナムの多くの若者が見入っていた。ハンカチで涙をこらえながら。僕たちの「ことば」が、世代を超えて次の世代の若者に伝えられる。僕たちの「ことば」は、人類の未来を切り開く「ことば」だ。僕は、再び「風に吹かれて」を口ずさんでいる。
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ホーチミン
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今朝は、5時半に起きてしまいました。
まだ外は暗いですね。
6時過ぎに職場にきて、メールのチェックはブログのチェックをしています。
今朝の気温は10℃でした。
でも、暖かく感じました。
ここ数日、過ごしやすい毎日です。
これから100日ほど、金沢は、いつ雪がふっても不思議ではない季節を迎えます。
100日の中で、どれだけ過ごしやすい日があるか。
今年も平穏な100日であってほしいですね。
戦争証跡博物館は、やはり12時になると閉門します。
でも敷地内にあるハイランドコーヒーというお店は営業しています。
このハイランドコーヒー、ハノイでは結構お世話になりました。
午後は、市内をぶらぶらしました。
証跡博物館から歩いて10分ほどでサイゴン大教会です。
大教会の前は、ホーチミン市の「シャンゼリゼ通り」と言われるドンコイ通りです。 ぶらぶらと行くと、白い花がありました。
ジャスミンの花でしょうか。
こちらの方は。 面白い姿をしています。 おじさんがピーナツを売っています。 ちょうど、昼下がりの時間。
ゆっくりとした時間が過ぎていきます。
デコレーションした車に、また出会いしました。 パリのシャンゼリゼ通りと言われるドンコイ通りです。 パリには、歩道でお店をする人はいなかったような。
VIETNAM−JAPANの看板がありました。 日本が援助している地下鉄のようです。
多分、10年後には、今のバイクから車社会になっていることでしょう。 この状態で車社会になったら、大混乱でしょう。
やはり、鉄道網の充実が必要なんでしょう。
お土産屋さんがありました。 かわいい孫やお嫁さんたちにお土産を買いました。
こういう時、息子のことは考えません。
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昨朝は少し雲がありましたが、今朝は雲一つない青空です。
でも気温は8℃。
今日しかありません。
久しぶりに朝の兼六園に行ってきました。
紅葉、最高でした。
紅葉って、枯れる前の色の変化ですよね。
紅葉のピークというのは、葉っぱが息絶える寸前です。
紅葉が一番素敵なのは、7〜8分の紅葉の時期でしょうか。
今朝が、まさに、その時期でした。
6時45分ごろ、兼六園にも朝陽がさし、色づいた紅葉を次々とライトアップしていきました。
今日は、これから出番です。
昨年、ハノイに行った時にも、ハノイの「戦争博物館」に行ってきましたが、もう一つ、ベトナム戦争の実相が伝わってきませんでした。ハノイは、空爆がありましたが、実際の戦場は南ベトナムでした。今回のホーチミン市の訪問の目的の一つは、この戦争証跡博物館を訪問することでした。
ベトナムナビの戦争証跡博物館の紹介です。
「1975年4月30日、解放戦線旗を掲げた戦車が大統領官邸に無血入場を果たしたその映像をまだ記憶に新しく覚えているなんて方もいらっしゃるかもしれません。ベトナムの南北統一をめぐっておきたこの戦争ですが、実際には南ベトナムを支援したアメリカ、北ベトナムを支援したソ連、中国など政治的戦略が背景にありました。そんな中、ベトナム国内だけで200万人近い人々が犠牲になったこの悲惨な過ちを二度と繰り返してほしくないと願いを込め、ベトナム戦争に関する写真や保管物を展示しているのがこちら『戦争証跡博物館』です。」
エントランスです。
ハノイの博物館はお昼休みがあって、その間は閉館です。ホーチミン市の証跡博物館も、ひょっとしたらと思って確かめたら、やはり12時から13時半までは閉館でした。ということで、10時半ごろにタクシーで向かいました。
博物館の前庭には、所狭しと武器が陳列されています。 ミグ戦闘機のようです。 ただし、当時、制空権は完全に米軍に支配されていたのでしょうね。
入口の一番最初に、日本からの支援の展示があります。 これは8年間「アメリカはベトナムから手を引け」と書いたゼッケンをつけて通勤した金子さんという人の展示です。 博物館には、目をそむけたくなるような写真が展示されています。 ソンミ村事件の写真です。
ソンミ村事件は、ベトナム戦争中の1968年3月16日、アメリカ軍兵士がクアンガイ省ソンミ村で非武装のベトナム人住民を500人余り虐殺した事件です。
この写真は、1973年にピューリッツァー賞を受賞した、「戦争の恐怖」という写真でAP通信のベトナム人カメラマン、フィン・コン・ウト氏が撮影しました。彼女は、何故裸で逃げているのか。それは、ナパーム弾で背中を焼かれたからです。彼女の名前は、キム・フックと言って、カナダに在住して、今も、反戦活動に参加しているそうです。 ちょっと心配なことがありました。 これらの写真の前で、この子たちが、ピースをしながらニコニコして写真を撮っているのです。
多分、ベトナムの少女たちでしょう。
彼女たちに、ベトナム戦争が伝わっているのかどうか。
しかし、みんな真剣に展示物をみています。 これは二重胎児のホルマリン標本です。 枯葉剤の被害のコーナーです。 これは、2009年に23歳の女性がオバマ大統領にあてた手紙です。枯葉剤が、その当時の人たちだけでなく、次の世代にも影響を及ぼしている。大統領が娘さんを愛していることは良く知っている。それと同じように、枯葉剤で障害を負った子どもたちにも目をむけて欲しいと要請している手紙です。涙が出て、読めませんでした。 これはLIFEの雑誌です。高校時代に、ジャーナリスト岡村昭彦さんに、「あなたが話したことは事実なのか」と聞いた時、「お前は英語を勉強しているのだからLIFEを読んでみろ」と言われたLIFEです。 この博物館には、日本人のカメラマンの写真も数多く展示されています。 石川文洋さんのコーナーです。
アメリカの同盟軍 韓国軍はアメリカの要請を受け集団的自衛権を行使するために1965年から1973年までのベ31万2848人の兵士を送った。戦死者5099人。作戦中の猛虎師団。(1967年)
石川さんの写真の展示が続きます。
これはベト・ドクちゃんの写真です。 中村梧郎カメラマンの枯葉剤被害の写真です。 枯葉作戦で全滅したマングローブの森。木の葉のざわめきもなければ鳥も鳴かない死の世界。7歳のフン少年が裸足で歩いていた。終戦から1年目、地表はまだダイオキシンで汚染されたままだった。(1976年)
37歳となったフンは脳性麻痺またはパーキンソン病の症状が進んでいた。12歳の長男ハオ君と。(2007年) フンの末娘。先天性の聾唖、話すことができない。(2007年) 出口にかわいい少女の写真がありました。 枯葉作戦に従事したアメリカ兵士の子どもの写真です。
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今日の金沢、良い天気です。
おまけに暖かい。
今日は、予定がないのですが、私のスケジュールをみて空かさず、「今日の予定は?」って、カミサンが聞いてきました。
従って、これから、旧宅の方で拉致されます。
でも、近くの紅葉と思って、早朝、久しぶりに奥卯辰山に行ってきました。
紅葉、とってもきれいでした。
そして、ほとんど独り占め。
奥卯辰山、十月桜も咲いているのですよ。
四人家族がぶらぶらやってきました。
奥さんが、「わー、この花、何。桜のようだけど」
ご主人に、十月桜だと教えてあげたら、すごく感謝されました。
それから金沢港に行ってきました。
カニがあればと思ったのですよ。
カニを送ろうかと思ったのですが、お店の人、送るんだったら今日の大きいカニは良くないから、来週にしたらと。
うーん。すごい。
お店にはカニがあるのですよ。
それを売らない。
2年前もこのお店でカニをいただきました。
ということで香箱ガニを3杯我が家用に買って帰りました。
実は、昨日の午後も近江町に行ったのですよ。
近江町、すっかり変わってしまいました。
3時頃だったのですが、昔は、「お兄さん、魚はどう。安くしておくよ」って、地物の魚を少し値引いてくれました。
でも、地物の魚がほとんどない。
そして、威勢のいいお兄さんもいない。
声を出さなくっても、観光客がカニをいい値で買っていく。
そして、いつできたのか、野菜屋さんがなくなっておでん屋さんや、観光客用の食べ物のお店になっている。
カニも、地物がなくなったのか、山陰の松葉ガニや、ロシアのカニも。
地元の人たちにとって、近江町は全く魅力のないお店になってしまいました。
私は、夕飯用にダイヤモンドストアで惣菜だけ買って帰りました。
今日も、ホーチミン市の朝の散歩の続きです。
ホーチミン市の朝は、食べる、食べるです。
このあたりは、パッカーたちが泊まる安いホテルが集まっているところです。
そのパッカーたち用の朝食会場のようです。
何度も紹介しているように地元の人たちは、こういうところで朝食をゲットします。 2万ドン、日本円で100円ほどです。 「食べる、食べる」 こちらはお肉屋さんです。 気温30度近くの環境でお肉をさばいています。 こんな狭い通路の向こうに住宅があります。 懐かしい光景です。 タイのバンコクで驚いて、ハノイもこんな蜘蛛の巣がはっていました。
こんな電線の束だととてもトラブルがあった時に対応できないでしょうね。 ここでも「食べる、食べる」です。 ここはパッカーたちの朝食会場ですね。 70Kというのは、700000ということで、350円くらいでしょうか。
こんな狭い通路があります。 トリップアドバイザーと書いてあります。 結構、トリップアドバイザーでお店を選ぶ人も多いようです。
私たちが行ったレストランでも、美味しかったというと、トリップアドバイザーに書き込んでと言われました。
美味しそうなパン屋さんがありました。 ABCというパン屋さんです。
露店のパンはちょっと買うのに躊躇しましたが、このお店のフランスパンをゲットしました。
3ついただきましたが、日本にもって帰っていただきました。 美味しかった。
歩道で商売です。 やはり、こんな雰囲気がアジアですね。 |
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今朝の金沢地方、昨夜、スマホの警報がでたくらいの雨が少し残っていました。
でも、これから天気が回復するようです。
この週末、紅葉日和のようです。
でも、明日は、カミサンの言いつけ。
明後日は出番と、のんびりと紅葉を求めてという訳にはいきません。
でも、早朝はなんとかなるかもしれません。
我が家の庭の紅葉も見ごろになってきました。
ドウダンツツジです。
ちょっとピントがあっていませんね。
ホーチミン市の旅もいよいよ最後の4日目です。 こんなにゆっくりとホーチミン市を楽しめればいいですね。
ホテルでの3回目の朝食です。
前日は、散歩の途中に雨にあって迷子になり、朝食を急いでいただきました。
翌日は朝の出発で6時ごろホテルを出るので、残念ながら、朝食はいただけません。
ということで、3回目の朝食はゆっくりいただきました。
まず、サラダからです。
ホテルのレストランから外をみると、デコレーションした車です。 新郎新婦の乗る車のようです。
続いてフォーです。 この日は2回お代わりしました。
そして気になっていた焼きそばのようなものと、小麦粉をそのまま焼いたようなパンです。 テーブルには毎日違った花が飾られています。 朝食前にまた、散歩に出かけました。 今度は、ホテルの近くにあるパッカーたちがよく泊まるホテルがある地域です。
横断歩道です。
横断歩道には、このようにチェーンがあります。
横断者は、ポールの合間の隙間を通ります。
車やバイクが入ってこないような処置だと思うのですが、ちょっと何かおかしいような。
ホテルの通りはきれいなんですが、一歩、下町っぽいところにくるとこんな感じです。やはりここはベトナムです。
この国の人たちは、とにかく外で食事をします。 街の果物屋さんです。 Subwayもありましたよ。 雑貨を売り歩くおばさんです。 そしてサングラスを売るおじさんです。 歩道には、お店の準備です。 この国は、どこでも商売ができるようです。
そして、やはり、こういうところも。 道路は、商売をするところであり、物を食べるところであり、かつ、物を捨てるところである。
これがアジアなのでしょうか。
アジアの人たちが日本に来ると、日本はきれいだとみんないいます。こんなところが違うのでしょうね。
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