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旧約聖書の一書に『ヨブ記』がある。
敬虔な篤信者のヨブ(Job)に、「彼の信仰心はうわべだけではないか」と疑った神が、様々な苦難を与えるというストーリーである。
神はヨブを執拗にいじめ抜く。しかし、財産を失い、奇病を患って二目と見られぬ姿に成り果ててもなお、神を呪うことはなく、その信仰心は揺らがなかった。
終章、神はヨブの篤信を称え、大サービスを行う。
ハッピーエンドである。ただし、この終章だけ文体が違う。
「こんなに正しい人が、こんなむごい目にあってよい筈が無い」と考えた何者かによって、終章が書き直されたか、付け加えられた可能性があり、今日まで学説は決着を見ていない。
もしヨブが試されるだけ試されて捨て置かれたのだとしたら…
私もそのような不条理は無い、文体はわざと変えたのだろう、そう思っていた。
だが、正しい人がむごい目に逢うことは、古今東西世間で往々にしてあることで、「どんなに不条理な目に逢っても、神や運命を呪うのはお門違いである」という信仰の本質を説く説話だったのかもしれないと最近は考えるようになった。
『神のみこころは人間に推し量れるものではない』ことを例証する話として、このヨブ記は度々取り上げられるが、耳にするたび、善人が酷い目に逢う世の常に、胸の潰れる思いである。
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