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三舎とは軍隊の3日分の行程のことであり、その三舎を避けるとは、決戦の前に敵方に敬意を払って3日分(90里)退くことを言う。
中国・春秋時代の晋の君主「文公」は、公子であったとき、内乱によって国を追われ諸国を流浪したが、近隣諸国の君主がいずれも彼に冷淡であったのに対して、はるか南方の楚(そ)国のみはその境遇に同情し、手厚い歓待を以て遇されたのだった。
そのまま数年を楚王の庇護の下過したが、故郷の内乱に収束の兆しあって帰国の途につくことにし、これまでの恩を謝すため楚王に拝謁した。
「あなたが晋の君主となられたその暁には、わたくしに何かお礼を頂けるのでしょうか」
と楚王に問われた文公は、次のように答えた。
「もし王様の軍隊と、晋の軍勢が中原(畿内のこと)で争うような事態となりましたら、私は王様を怖れて、三舎退くでありましょう」
果たして文公は帰国して晋の君主となり、周辺諸国を切り従えて中国北半分の盟主となった。そして、南半分の盟主である楚と、全土の覇権を賭けて決戦を行うことになった。
両軍が対峙し、いよいよ激突の時が迫ったというとき、文公は突如全軍に3日間退却するように命じた。味方の将兵からは臆病者とそしられ、相手の楚軍もこの不可解な退却を嘲笑したが、文公は怯まずにきっちり90里退かせた。そして、楚軍が追撃をやめないことを確認してから、軍勢を取って返させ、これを打ち破った。
この故事は、とかく血なまぐさい古代史に一服の清涼剤を与える事跡として記憶され、語り継がれてきた。「三舎を避く」の慣用句は辞典を紐解けば大抵収録されていて、現在も死語ではないことが分かる。
「相手に敬意を払いつつ、全力で戦う」
なんと清々しく、それでいてまばゆいことではないだろうか。
内憂外患に苦しむ私達に、もっとも欠けている気概とは、これであろうと私は思う。
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