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			<title>雑学草</title>
			<description>雑学とは『雑多な物事・方面にわたる、系統立っていない学問・知識』（広辞苑）のこと。
役には立たないが、楽しい学問だ。
途中まで案内しよう。
11/12/23リニューアル</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/harakirishow</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>雑学草</title>
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			<description>雑学とは『雑多な物事・方面にわたる、系統立っていない学問・知識』（広辞苑）のこと。
役には立たないが、楽しい学問だ。
途中まで案内しよう。
11/12/23リニューアル</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/harakirishow</link>
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		<item>
			<title>ベートーベンの英雄交響曲</title>
			<description>ベートーベンの作風は、彼が師と仰いだハイドン・モーツァルトの影響下にある第一期、自己の様式を確立した第二期、晩年の聴力を完全に喪いながらも深い境地に達した第三期に分けることが出来るが、&lt;br /&gt;
英雄交響曲(交響曲第3番)は第2期の幕開けにあたる。&lt;br /&gt;
「英雄」とはナポレオンであり、ベートーベンは敬愛するナポレオンに宛ててこの交響曲を書いたが、献呈は果たせなかった。&lt;br /&gt;
第２楽章はナポレオンの国葬をイメージした葬送行進曲である。&lt;br /&gt;
敬愛する権力者が権勢の絶頂にあるときに、その葬儀の音楽を考える…ギョッとするほどの傾倒である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二楽章&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://www.youtube.com/watch?v=ffBq4VybAnI&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.youtube.com/watch?v=ffBq4VybAnI&lt;/a&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/harakirishow/66194807.html</link>
			<pubDate>Mon, 13 Feb 2012 17:19:43 +0900</pubDate>
			<category>クラシック</category>
		</item>
		<item>
			<title>年末の〆に第9</title>
			<description>ベートーベンの第9交響曲は、わが国では第一次大戦時、中国で捕らえられ神戸に留置されたドイツの捕虜衆によって初めて紹介されて以来、年末を〆る曲として広く認知されている。&lt;br /&gt;
しかし、聴衆・演奏双方に負担の大きな難曲としても有名である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ベートーベンは第9交響曲を王侯への献呈とせず、一般大衆への公開と初演に固執した(もっとも当初はオーストリア皇帝に献呈を予定していた)が、当時の市井の楽団(宮廷や教会に属さない楽団)は戦乱の影響もあって演奏技術が極めて劣悪であり、&lt;br /&gt;
まともに公開できるレベルに持ってゆくのにベートーベンは非常に苦労したといわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
下はカラヤンの演奏。第4楽章後半のみ。&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://www.youtube.com/watch?v=c0pNOLcXt5Q&amp;feature=related&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.youtube.com/watch?v=c0pNOLcXt5Q&amp;feature=related&lt;/a&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/harakirishow/65966328.html</link>
			<pubDate>Sat, 31 Dec 2011 12:41:10 +0900</pubDate>
			<category>クラシック</category>
		</item>
		<item>
			<title>バッハとヘンデル</title>
			<description>音楽の父バッハと音楽の母ヘンデル。&lt;br /&gt;
両巨頭は、その活躍した国、時代が同一である(神聖ローマ帝国＝ドイツ)にも係らず&lt;br /&gt;
生涯一度も顔を合わせることが無かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バッハは二度面会を求めるも、ヘンデルが拒絶したとされる。&lt;br /&gt;
ヘンデルが音楽家として在世中から栄光を掴んだのに対し、&lt;br /&gt;
バッハは宮廷楽長や聖堂の音楽監督を歴任して「演奏家」としては著名であったものの&lt;br /&gt;
「作曲家」としての名声は生前皆無であった。バッハの申し入れは、有名人の自宅にファンが訪ねて突然面談を申し込むようなものであったろう。痛恨のエピソードだが、ヘンデルを責めるのも酷である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一度も相対したことのない両雄だが、死因を作ったのは同じ男であった。&lt;br /&gt;
二人とも白内障を患い、失明の恐怖におののいて、目の手術を行える者を八方手を尽くして探し回り、結果不幸にも同じ男に辿り着き、その手術の失敗によって命を落としたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヘンデルの「水上の音楽」&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://www.youtube.com/watch?v=Jwa_AeIPWrI&amp;feature=related&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.youtube.com/watch?v=Jwa_AeIPWrI&amp;feature=related&lt;/a&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/harakirishow/65930275.html</link>
			<pubDate>Fri, 23 Dec 2011 14:03:17 +0900</pubDate>
			<category>クラシック</category>
		</item>
		<item>
			<title>三舎を避く</title>
			<description>三舎とは軍隊の３日分の行程のことであり、その三舎を避けるとは、決戦の前に敵方に敬意を払って３日分（９０里）退くことを言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国・春秋時代の晋の君主「文公」は、公子であったとき、内乱によって国を追われ諸国を流浪したが、近隣諸国の君主がいずれも彼に冷淡であったのに対して、はるか南方の楚（そ）国のみはその境遇に同情し、手厚い歓待を以て遇されたのだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのまま数年を楚王の庇護の下過したが、故郷の内乱に収束の兆しあって帰国の途につくことにし、これまでの恩を謝すため楚王に拝謁した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あなたが晋の君主となられたその暁には、わたくしに何かお礼を頂けるのでしょうか」&lt;br /&gt;
と楚王に問われた文公は、次のように答えた。&lt;br /&gt;
「もし王様の軍隊と、晋の軍勢が中原（畿内のこと）で争うような事態となりましたら、私は王様を怖れて、三舎退くでありましょう」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
果たして文公は帰国して晋の君主となり、周辺諸国を切り従えて中国北半分の盟主となった。そして、南半分の盟主である楚と、全土の覇権を賭けて決戦を行うことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両軍が対峙し、いよいよ激突の時が迫ったというとき、文公は突如全軍に３日間退却するように命じた。味方の将兵からは臆病者とそしられ、相手の楚軍もこの不可解な退却を嘲笑したが、文公は怯まずにきっちり９０里退かせた。そして、楚軍が追撃をやめないことを確認してから、軍勢を取って返させ、これを打ち破った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この故事は、とかく血なまぐさい古代史に一服の清涼剤を与える事跡として記憶され、語り継がれてきた。「三舎を避く」の慣用句は辞典を紐解けば大抵収録されていて、現在も死語ではないことが分かる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「相手に敬意を払いつつ、全力で戦う」&lt;br /&gt;
なんと清々しく、それでいてまばゆいことではないだろうか。&lt;br /&gt;
内憂外患に苦しむ私達に、もっとも欠けている気概とは、これであろうと私は思う。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/harakirishow/61701763.html</link>
			<pubDate>Tue, 25 May 2010 15:47:33 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>神慮の測りがたさ</title>
			<description>旧約聖書の一書に『ヨブ記』がある。&lt;br /&gt;
敬虔な篤信者のヨブ（Job）に、「彼の信仰心はうわべだけではないか」と疑った神が、様々な苦難を与えるというストーリーである。&lt;br /&gt;
神はヨブを執拗にいじめ抜く。しかし、財産を失い、奇病を患って二目と見られぬ姿に成り果ててもなお、神を呪うことはなく、その信仰心は揺らがなかった。&lt;br /&gt;
終章、神はヨブの篤信を称え、大サービスを行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ハッピーエンドである。ただし、この終章だけ文体が違う。&lt;br /&gt;
「こんなに正しい人が、こんなむごい目にあってよい筈が無い」と考えた何者かによって、終章が書き直されたか、付け加えられた可能性があり、今日まで学説は決着を見ていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もしヨブが試されるだけ試されて捨て置かれたのだとしたら…&lt;br /&gt;
私もそのような不条理は無い、文体はわざと変えたのだろう、そう思っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、正しい人がむごい目に逢うことは、古今東西世間で往々にしてあることで、「どんなに不条理な目に逢っても、神や運命を呪うのはお門違いである」という信仰の本質を説く説話だったのかもしれないと最近は考えるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『神のみこころは人間に推し量れるものではない』ことを例証する話として、このヨブ記は度々取り上げられるが、耳にするたび、善人が酷い目に逢う世の常に、胸の潰れる思いである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/harakirishow/61661109.html</link>
			<pubDate>Fri, 21 May 2010 19:40:09 +0900</pubDate>
			<category>哲学</category>
		</item>
		<item>
			<title>「夢」</title>
			<description>睡眠中に持つ幻覚である「夢」。&lt;br /&gt;
わが国では夢に人物が登場した場合『その人物が自分に会いたいと願ってるからだ』と信じられていた。つまりその人物が自分に会いたいと思うあまり、思念が生霊（いきりょう）となって体を飛び出し、枕元へ来て夢に現れたと考えられていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例として、平安時代中期成立の歌物語である「伊勢物語」の一場面。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
都落ちした貴族の男が、旅先から都に残した妻に宛てて手紙を書く。&lt;br /&gt;
「この頃あなたが夢に現れない。冷たいじゃないですか」…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
夢の直路(ゆめのただじ)&lt;br /&gt;
→ 夢が通うまっすぐな道。夢の中で会うのを妨げる者(物)はないことからいう。「恋ひ(い)わびて うちぬる中に 行き通う 夢の直路は うつつならなむ(ん)」(古今和歌集)&lt;br /&gt;
.</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/harakirishow/59555184.html</link>
			<pubDate>Sat, 06 Feb 2010 19:11:39 +0900</pubDate>
			<category>哲学</category>
		</item>
		<item>
			<title>孟子と趙岐</title>
			<description>三国志の悪役「趙岐」と書物「孟子」の関係について&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国の歴代王朝は戦国時代（紀元前5世紀）以降、後宮（こうきゅう・王様のお妃たちを住まわせるところ）の諸事雑務を取り仕切る役職として、『宦官（かんがん）』を置いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宦官は、「去勢された男性官僚」によって構成された。なぜ去勢するかというと、お妃と内通する危険を予防するためである。宦官は最初、仕事上大きなミスを犯して死罪を宣告されたところを、罪一等（つみ いっとう）を減ぜられ、宮刑（きゅうけい・性器を取り除く刑）に処せられた官僚が就任するものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし漢代になると、自ら進んで去勢手術を受け、宦官になろうとする下級官僚が出現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宦官は皇帝やお妃たちの身の回りの世話を行うのが役目であり、24時間、常に皇帝・お妃のそばにあって、その話し相手を務めた。結果、信任を得て「お気に入り」となり、宰相をしのぐ権力を手にする者が度々現れるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平民でも試験に合格すれば、官僚になれるのである。しかし科挙（官吏登用試験・漢代は郷挙里選、魏代は九品中正の制があった）に合格しても、平民の出だと中堅以上に出世することは難しかった。それで平民出身の官僚の中に、進んで宦官になろうとする者が出始めたというわけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて、自ら進んで宦官となる若手官僚は、「皇帝を意のままに操って、国政を壟断（ロウダン）したい」という不純な動機を持って手術を受ける者がほとんどであったが、中には政治改革の情熱を胸に秘めて宦官となる者も、わずかだが存在した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり「へつらいを以て気に入られるのではなく、学問や技術を以て皇帝に仕え、信頼されよう」と考える者もいた。しかし皇帝のお気に入りとなるのは、たいてい、へつらいの言葉で以て取り入ろうとする者のほうであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
漢王朝（後漢）の末になると、宦官は専横を極めて国政をほしいままにし、農民・地方軍閥が次々と反乱を起こして天下は麻の如く乱れた。皇帝（霊帝）は宦官の虚偽の報告しか受けず、それしか信じようとしなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして数々の事件の後、三国志の英雄の一人「曹操※」が皇帝（献帝）の身柄を押さえて許昌に都を遷し、宦官の徹底排除を行った。宦官は国家の衰退を招いた元凶であり、大罪人であるから、「一人残らず、その家族も含めて」皆殺しとすることにしたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宦官のほとんどは死滅した。しかし、一人だけ都を脱出できた者がいた。それが「趙岐（ちょうき）」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
趙岐は一流の知識人であったが、ちっとも出世できず、やむなく宦官となり、政治改革を目指そうとした「珍しいタイプの宦官」であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無論、曹操にとって、趙岐は「国を乱した、悪い宦官の一人」にすぎない。一族郎党、彼自身を除いてことごとく捕らえられ、処刑された。ところが趙岐本人だけは、なぜか宮中からの脱走に成功し、郊外まで逃げおおせた。しかし、素足・ぼろぼろの衣服・手荷物なしという有様で、ついに道端に行き倒れてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦乱の時代である。民心に余裕は一切ない。妙な行き倒れを助けて介抱しようとするような奇特な人間はいないはずであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※趙岐が弾圧を受けたのは三国志の群雄の一人「袁紹」であるとの説もある&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後漢末、宦官として後宮に仕えた趙岐は、曹操によって同僚・家族を皆殺しにされたが、自身は捕吏の手を逃れ、郊外への脱出に成功する。しかし、逃げる際金品を何も持ち出せず、ついに路傍に行き倒れてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
趙岐は死を覚悟した。&lt;br /&gt;
自分のような「曰くありげな行き倒れ」を介抱しようと考える奇特な者はいないであろう…&lt;br /&gt;
それにしても、改革の大望を胸に宦官となったのに、「国を乱した罪人」という汚名をこうむって死んでゆかねばならぬとは、実に口惜しいことだ…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
薄れゆく意識の中、遠くから馬車が近づいてくる音を趙岐は聞いた。その音は彼がこの世で聞く、最後の音になるはずであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※小説形式を続けたかったが、私の能力が続かなかった為、以下は箇条書きのかたちで綴る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
′箚瑤六姐饂屬琉役「宦官」の一人で、曹操の追及を辛くも逃れたが、路傍に行き倒れてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
△箸海蹐、奇特な名士が通りかかり、彼の屋敷で介抱される。趙岐は事情を包み隠さず話し、名士は深く同情する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｌ昌痢屋敷の土蔵に趙岐をかくまう。趙岐、土蔵の蔵書を暇つぶしに読み漁る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
れ箚堯蔵書のなかに「孟子」があるのを見つける。三国志の当時、「孟子」は世間で広く読まれていた。しかし、書かれてから当時で既に500年が経過しており、初学者には文意の通じない箇所が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソ蘓桓圓砲六温予颪ないと、とても読むことのできない「孟子」。だが、良い参考書は普及してなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
趙岐「よし、私が参考書を書いてやろう」。本文を少しずつ抜き出しては、それに詳しい解説を書くという形の参考書を執筆、完成。孟子は１１篇あったが、そのうち４篇は「内容が浅くて解説するまでもない」として、参考書に載せなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ъ箚瑤賄畋△濃爐魴泙┐襦Ｌ昌里亮蠅伯箚瑤琉箙討箸覆辰拭嵬匯劼硫鮴睨棔廖∪い暴个襦&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
┿姐饂屬了紊ら、現代までの、長い年月の経過の間に、広く読まれていたはずの孟子も「散逸」してしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、趙岐の参考書のみ、時の摩滅を耐え抜き、現在に伝わった。趙岐が解説を書かなかった４篇は永遠に失われることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
趙岐の解説本は素晴らしい出来であり、はるか後世の大学者「朱子」の書いた解説本を新註と呼ぶのに対して、趙岐の解説を「古註」と呼び、儒教の聖典の１つとされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
★★三国志の悪役として、醜く描かれることがほとんどな宦官の中に、超一流の学者もいたのだということ、そしてそのような大学者でも、「現在只今に当たり前であるものが、未来にも当たり前に伝わるわけではないこと」を予想できなかった面白さ(怖さ)を、我々に教えてくれていると思う。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/harakirishow/58817266.html</link>
			<pubDate>Mon, 04 Jan 2010 19:06:07 +0900</pubDate>
			<category>人類学と考古学</category>
		</item>
		<item>
			<title>乙姫の正体</title>
			<description>浦島太郎は、竜宮城から地上へ戻る時、乙姫から玉手箱を受け取った&lt;br /&gt;
玉手箱とは、玉の手箱、つまり宝玉をあしらった小さな箱という意味である&lt;br /&gt;
浦島は竜宮城で３年間、乙姫との結婚生活を送った&lt;br /&gt;
しかし、陸上に残した両親のことが気になり、乙姫に「故郷に戻りたい」と申し入れたのだった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地上に戻った浦島は愕然となる&lt;br /&gt;
陸上では、３００年の時が流れていた&lt;br /&gt;
当然、故郷に見知った人の姿はなく、村の様子も変わり果てていた&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
浦島は悟った&lt;br /&gt;
――私は、あちらがわ（彼岸）の世界で、時を過ごしてしまったのだ…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
押し寄せる寂しさと焦燥に打ちのめされる浦島――&lt;br /&gt;
『絶対に開けてはならない』&lt;br /&gt;
乙姫がそう繰り返した小箱を、開けてしまう&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中を覗き込む浦島&lt;br /&gt;
アッと小さく叫ぶ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――ややっ、お前さんは…そうか、そうだったのか…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
箱から煙が立ち昇り、浦島を包み込む&lt;br /&gt;
煙が消え去ったその場所に、青年の姿はなかった&lt;br /&gt;
あるのは、老人のミイラであった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ミイラは、瞬く間に砂へと融けた&lt;br /&gt;
砂から、美しい鶴が姿を現す&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鶴は空へと飛び立ち、戻らなかった――&lt;br /&gt;
.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
浦島太郎は、古事記（雄略紀）・万葉集に既にその名が現れる大変古い説話である。&lt;br /&gt;
その内容は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
，△舛蕕わの世界（彼岸・仙境）に渡る。&lt;br /&gt;
⊃誓腓函覆狼ど佞ず）結婚する。&lt;br /&gt;
１媛擇涼罅■廓を過ごす。&lt;br /&gt;
じ龍燭恋しくなって帰郷（あちらがわからこちらがわ＝此岸 に戻る）する。&lt;br /&gt;
ジ龍燭任錬械娃闇の時が流れていることを知り、自分が彼岸で時を過ごしたことを悟る。&lt;br /&gt;
自分が結婚した相手の正体（浦島太郎の結婚相手＝乙姫＝亀姫＝助けた亀）を知る。&lt;br /&gt;
罰を受ける。神と結婚したことによる特典（神のともがら・眷属となる＝不老不死）を解除される。&lt;br /&gt;
┸祐屬瞭里錬械娃闇という時に耐えることはできない。即死して灰となる。&lt;br /&gt;
灰からツルが誕生し、飛び去る。（浦島の転生）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というもので、典型的な神婚説話である。&lt;br /&gt;
典型的とは、つまり原則に則った、という意味である。&lt;br /&gt;
浦島太郎は日本説話のルール『彼岸に立ち入るな』に忠実な物語であり、&lt;br /&gt;
後に登場する、雪女や山姥を相手とする神婚説話も、同じ哲学を持っている。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/harakirishow/38759764.html</link>
			<pubDate>Mon, 19 May 2008 17:32:08 +0900</pubDate>
			<category>人類学と考古学</category>
		</item>
		<item>
			<title>セミナリヨとコレジヨの違い</title>
			<description>セミナリヨ　⇒ポルトガル語Seminario　⇒英語seminar　⇒セミナー（講演会・研究会）&lt;br /&gt;
大衆への説法、及び聖職志望者の「予備」教育を行う。ローマ教皇庁・ヨーロッパ各国に認められた正規の教育機関ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コレジヨ　⇒ポルトガル語Collegio ⇒英語college ⇒カレッジ（大学）&lt;br /&gt;
日本人聖職者を養成するための神学校。ここを卒業することは、ヨーロッパやインド・マカオにある神学校を卒業するのと同格。日本人の教養レベルが高いことを知ったバリニャーノが、他の宣教師の反対（つまり人種差別)を抑え設立した。　　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/harakirishow/24437044.html</link>
			<pubDate>Mon, 22 Oct 2007 00:55:13 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>怪談「大臣の人事権」</title>
			<description>　&lt;br /&gt;
　★怪談★&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　大臣には、事務次官以下・高級官僚の任免権がある。これは本当だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ではなぜ、小池前防衛相は、事務次官の更迭に手間取り、あげくの果て、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　内閣を去るはめとなったのか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　★解答★&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　∥膺辰砲録融△ある。ただし、官職任免の辞令が効力を持つには、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　「事務次官の連署」が必要である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◆〇骸ヾ韻了親韻鯑世蕕譴此▲魯鵐海魏，靴討發蕕┐覆せ大臣は人事院に&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　合議の開催を求めることができる。人事院が議決すれば、大臣の人事は効力を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　ただし、人事院が合議を行うには、官房長官の承認が必要である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　……小池氏と塩崎前官房長官は犬猿の仲（安倍氏の寵を争う仲）であった……&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　塩崎氏が合議開催に応じなかったため、省内の混乱がマスコミにもれ、表面化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　『女の嫉妬は家を傾けるが、男の嫉妬は国を滅ぼす』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　池宮彰一郎の小説「平家」から&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/harakirishow/19890643.html</link>
			<pubDate>Wed, 05 Sep 2007 21:34:54 +0900</pubDate>
			<category>事件</category>
		</item>
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