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書庫皆既日食 in 中国 2009年

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MU(中国東方航空)

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7月30日(水)

中国東方航空の2レターコードはMU。これらの識別コードはIATAで決められている。日本航空ならJL、全日空ならNH。全日空の前の社名は日本ヘリコプター、それでNH。なんとなく2文字から社名を推定できる。
最近は新しい航空会社がどんどんできて、アルファベット2文字の組合せでは足らなくなっている。数字も使われだした。
2レターコードではどこの航空会社かさっぱり見当がつかない。次のコードはお分かりかなあ?(日本の航空会社)

1)BC
2)EL
3)7G


答え
1)スカイマーク
2)エアーニッポン
3)スターフライヤー

中国のプラグ

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7月29日(水)

今月の中国の旅で現地からタイムリーにブログへ投稿できたのはホテルの部屋でケータイの充電できたため。
コンセントの形が日本と同じB(British)タイプ。変換プラグがなくても、そのまま使える。予備の電池も持参したが、ほとんど使う機会がなかった。
ただし、電圧は240ボルト。ケータイの充電ぐらいなら問題なし。しかし、メーカーによっては故障の原因になるかもしれない。


画像は江蘇省、同里の街並み(7月22日撮影)

皆既日食in中国

 中国の旅  2009年7月21日〜7月24日
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待ちに待った2009年7月22日。日本では46年ぶりに観測できる皆既日食。そのために上記の日程で日本でなく、なぜか中国へ飛んだ。この皆既日食の旅の思い出を記録。画像は4日間同行してもらったガイドの張さん[グリーンのシャツの方]、7/22寒山寺で)

最初は屋久島
今から2年ほど前、京都市内在住のHさんから「皆既日食が見たい」という内容の趣旨の電話をいただく。
Hさんは京都市在住ですでに退職されている。家でじっとしていても仕方がないとばかり、絵を習い始められたり、仲間で国内のみならず、積極的に海外に何度も行かれている。元気なうちに人生を楽しまなければと前向きに活発に動かれている。
参加人員は多すぎても少なすぎても、特殊なツアーは手配が難しい。一応、規模は15名、旅行期間は3日間もしくは4日間、前後は休日なのでさらに日程の幅をもたすのも可と言われた。
早速、手配を開始。日食帯の中心はトカラ列島だが、交通手段や宿泊施設はない。比較的それら条件の揃った屋久島か種子島、または奄美大島に的を絞る。
どこの島も手配上、予約を取る困難さはほぼ同じ。屋久島は全島、日食帯にはいるので屋久島に決定する。
イメージ 2手配を始めるものの、団体としての事前枠は全くない。知り合いのホテル支配人にお願いしても事前に団体枠は提供できないと言われてしまう。結局1年以上前に予約できたのは島内移動で使用する貸切バスだけだった。
そして1年前。一斉に手配が始まった屋久島の宿はたった1部屋しか確保できない。一瞬で売り切れてしまった。とりあえず、キャンセル待ちの登録をする。次に飛行機、これは確定団体なら「何とかします」と航空会社の営業マンからも口約束をもらった。飛行機があってホテルの部屋(ひとつだけだが)が取れて、移動用のバスも予約できた。これで何とかカタチは整ってきた。

中国へ変更
2泊目(7月22日宿泊分)は部屋は取消待ちでOKになってきた。残るは出発する当日の部屋が取れれば、手配は完了する。しかし、それが厳しい状況で一向に色良い返事がもらえない。大阪案内所の所長にも請願した。テント村をつくる予定なので、それを利用して欲しいと言われてた。当日は天気の保証はないので躊躇する。
5月にはいって、中国方面なら席があることが判明。その内容を確認した上でHさんに連絡と相談。中国の旅は良いイメージを持っておられない。屋久島は部屋が人員分確保できるがどうかまだ不明。間際まで計画を立てられない…。この段階では手配人数分が集まるかどうかも分からない。手配する立場からは請願する必要のない中国の方がありがたい。などなどお願いして、中国で皆既日食を観測する事に決定。
日程は次の通り
 7/21 関空-南京 バスで同里湖で夕食&日食セミナー、同里湖(泊)
 7/22 午前中 日食観測、午後から蘇州見学、蘇州(泊)
 7/23 南京へ移動、南京市内見学、南京(泊)
 7/24 南京-関空
出発の1カ月前になって初日の南京便はフライトキャンセルになった。上海便に振り替えて出発する事になった。参加人員も9名で確定。7名がHさんのグループ(私も含めて)、あと2名は富田林市のIさんご夫婦。食事などは円卓なのでこの人員が最も適している。
最も気になる天気はおよそ2週間前からチェックを開始した。長期予報は晴れだったが、10日ほど前になって7月22日は曇りになってきた。そのうちに変わるかもと思っていたが、曇りから雨の予報になっていた。

7月21日(火)のスケジュール
 関空発13:40 MU(中国東方航空)516便
 上海着15:25
 上海発16:00
 同里着19:00
MU516便の機種はA330型機。満席かと思っていたがところどころ空席があった。離陸後機内食がサービスされる。期待はしていないが、意外と食べやすかった。メニューはチキンか魚、チキンを選択。飛行時間は約2時間30分。飛行経路は雲が多かったせいかよく揺れた。気になる点はこの機のパイロットの操縦技術。着陸が下手くそだった。着地で左右の大きな揺れ、滑走路から誘導路へ侵入する際の速度など少し恐怖感が湧いた。日本の航空会社のパイロットはみんな着陸が上手と再認識。
上海空港で中国の入国審査の体制は余り記憶に残っていない。新型インフルエンザの影響もあって健康チェックは厳しいと思っていた。実際はサーモグラフィーの設置もなく、機内で配布された健康質問カードに内容を記入して係官に渡すだけだった。私の場合、そのカードの受取もなく、今でも手元に残っている。
ターンテーブルで集合して上海空港の出口で現地ガイドとミートする予定だったが、手間取った。が、予ほぼ予定通りの時間にマイクロバスで出発。バスに乗る前の気温は40℃を超えている。みなさん、汗びっしょり。
夕食が遅いので、軽食の積込をお願いしていた。コーラとKFCのハンバーガー、それに真空パックのザーサイ、お菓子、ピーナツなど。
上海高速道路は片道4車線もある立派な高速道路。道中は案の定、ところどころで駐車場状態。途中、遠くに見える上海のビル街、リニアモーターの路線と並行して高速道は伸びる。途中、空を何度も見上げる。天気予報通りと思ってしまう。
同里湖飯店には午後7時に到着。施設はなかなかいい感じ。部屋も広い。
紫金台天文台主催の日食セミナーがあるので、再びマイクロバスで移動、東恒盛国際大飯店へ。
1時間ほどかけて明日の皆既日食の説明を通訳つきで聞く。再びホテルへ戻り、そのまま遅い夕食を取る。メニューは日本食。海老フライ、うなぎ、サンマの塩焼きなど。遅い夕食なので和食が結果として良かったのかもしれない。それにしても日本人の馴染みが薄い同里湖のホテルに日本食レストランがあるのには驚く。
再びホテルの部屋へ戻ったら、24時近い時間だった。窓から空を見る。星ひとつ見えないだけでなく、無常の雨が降っていた。
イメージ 37月22日(水)のスケジュール
観測場所はホテルの前に広場がある。芝生の広場には椅子や日よけのパラソルもセッティングされて観測には申し分ない。朝一番の空は薄い雲だったが、だんだんと雨になってきた。
中国と日本の時差は1時間ある。1時間中国時間は遅れている。中国時間で皆既日食に突入する時間(第2次接触)は9時35分。それまでに観測する場所を探す。仲間もバラバラ、大半、この広場の周辺にいるはず。
急速に薄暗くなってくる。そして9時35分すぎ、闇夜になった。湖畔沿いの地平線がかすかに薄明るいぐらいで、真っ暗。途中から気温が下がって涼しくなってくるのが分かる。皆既日食になって3分後、雨が一段と強くなる。これも気温が急激に変わる影響かもしれない。鳥の声とか虫の声なども耳をすませていたが傘に打つ雨の音で何も聞こえない。分かっているけど、実際に皆既日食帯の中にいると神々しい気持ちになってくる。古代の人が昼間に夜になって、もう2度と明るくならないと思った気持ちも分かる気もする。これほどの暗さだと、星が見えるのもうなづける。そして5分後、ふたたび明るくなった。日本の観光客もホテルの従業員の方々も、それなりに満足された顔に見える。晴れれば最高の天文ショーが見れるが雨でも皆既日食ならそれなりの体験ができると感じた。
ここのホテル出発は11時。今回のツアーの主旨からは外れるが、日食鑑賞後は観光コースになる。同里の町へ向けてバスは出る。まずは昼食。退思園の入口に近いレストランで昼食。朝は自由にバイキングスタイルの朝食だが、昼食や夕食は9人全員で食卓を囲む。人数が少ないと侘しくなるが、多すぎると窮屈、ちょうどいい人員だ。昼食の内容はこの地方の郷土料理、海老の炒め物、茄子の油炒め、麺類、ご飯などで何が郷土料理なのか、説明に苦しむ。
食後は世界遺産にも登録されている退思園の見学。中華風の建設物、庭の説明が十分にあったが、上海の豫園に似た建物と思ってしまう程度。庭の良さを理解するには力量不足かなあ。次に同里三橋。退思園から徒歩で見学だが、途中とんでもない雨が降ってくる。道路は冠水、傘はあっても意味をなさない。しばらく雨宿り。やみそうにないし、服や靴が乾くまでしばらくの間茶屋で一服。緑茶をサービス。ついでにガイドさんに中国茶の話をしてもらう。
雨もあがったので、同里三橋へ徒歩で移動。途中、運河沿いを観光客を乗せた船が通過する。町並みは古い中国の民家をアレンジして、売店やみやげ店が軒を連ねている。雨が降ったりやんだりの天気だったが同里見学後は一路蘇州へ。蘇州では漢詩で有名な寒山寺。シルク工場見学に立ち寄ったあと、ホテルへ。今夜の宿泊は蘇州雅都大飯店。昨日のホテルに比べるとややランクダウンするが思うほど悪くない。部屋の窓から見える蘇州の町は都会だった。
雨にたたられる日になったのでスケジュールを変えた。見学終了後、夕食を食べてホテルチェックインだったが靴が乾かないので一旦ホテルへ。夕食後、天気ならば東洋のベニスと言われる七里山塘街を散策する。夕食は蘇州料理でメインは松鼠桂魚。大きな淡水魚を調理、海老の身を加えて甘酢餡をかける。松ぼっくりのように見せている。夕食後はネオン輝く七里山塘街を散策。ベネチアに似ていない事もないが、ベネチアの人に聞いたら「どこがベネチアやねん!」と一喝されそう。しかし、町並みは整備されつつある。

7月23日(木)のスケジュール
この日は朝から南京に移動する。ホテルを出たバスは3時間少々の時間をかけて南京に到着。まずは中山陵へ。入口にはいってすぐ土産とレストランを兼ねた建物がある。この2階で先に食事。慣れてきたせいか、食事はだんだんと薄味に感じていく。
中山綾は南京市の北側に位置する紫金山の山麓にある。近代中国建国の父と言われる孫文が埋葬されている。孫文は、臨時大総統として執務した南京がとても気に入り、臨時政府発祥のこの地に埋葬するよう遺言を残した。死後一周年目に陵墓が南京に定礎され、1929年に完成。
次に南京大虐殺記念館を訪ねる。
1937年12月13日、日本軍は南京を攻略の際、数多くの市民を虐殺。兵士は殺害、略奪、放火と蛮行の限りを尽くし、市内には死体の山があふれたと言われる。その数は30万人。しかし、日本軍発表の数は8万、現地の慈善団体でも15万人と犠牲者の数は定かでない。虐殺はなかったとは言えないが、随分と誇張されている。パネル写真は全て中国語、英語、日本語の表示があって分かりやすい。
イメージ 47月24日(金)のスケジュール
 南京発08:10MU533
 関空着11:20
この時間帯の飛行機なのでホテル出発は5時40分。朝食は間に合わないので、バスにサンドイッチ類を積み込んでもらう。こうして皆既日食を兼ねた中国の旅は無事に終わった。
次の皆既日食は2010年7月11日、イースター島。その次が2012年11月13日でオーストラリアのケアンズで見る事ができる。その年、2012年の5月21日には南九州、大阪、京都や東京で金環食が見れる。にわか天文ファンが増えるかもしれない。

中国東方航空の機内食

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2009年7月24日(金)

帰国便はMU533便。機内食は軽食と聞いていた。そばか点心の2種類があって点心を選ぶ。炒り玉子と蒸しパン、焼売だった。この便は朝が早いこともあって空いていた。搭乗率は50%未満。3人掛けの席だが真ん中の席は空席で2人ずつ座る状態。往路の緊張感も解けて、たまにウトウトとしてしまう。

関空到着

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2009年7月24日(金)

予定通り、MU533便は関空に到着。南京より少しだけ涼しい。
南京空港で、この便の搭乗はバスで移動、タラップを使う。
この搭乗方は旅の風情を感じる。

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