人と共に生きる

自分一人で何でも出来ると勘違いして、人の温かさに鈍感な人間になりたくない。

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おはようございます。
先日は、やっと自分が、『結婚』を、
するべきであると、確信できた事をお伝えしました。

そして、その後の経過ですが・・・・・・。
まだ、自分の中で、その相手が分かりませんし、
特に出会いが、あった訳でもありません。

将来、奥さんになる相手は、既に気づいているのかも知れませんが。
僕は、20歳になった頃から、自分が毎週、行っていた教会について、
疑問に思っていた事がありました。

それは、何故、教会に来ているクリスチャンの女性たちは、クリスチャンと
結婚しないのだろう?
何故、教会内で相手を探さないで、見合い等で、クリスチャンでない男性と
結婚していくんだろう?
教会は、何故、恋愛や結婚等で悩み、苦しんでいるクリスチャンの男女に対し、
もっと、積極的に相談に乗ったり、話し合える場所や雰囲気を作らずに、タブー
の様に消極的なんだろう?

結婚する相手によって、今後のクリスチャンとしての生活が良くも悪くも影響する事なのに、何故、もっと、真剣に関わっていかないんだろう?
少なくとも、当時の僕には、そう思えました。

そして、その頃の自分は、かなり、はっきりと教会の牧師先生たちに
、そういった事や、信仰について、自分の考えや気持ちを伝えていました。
20歳そこそこの僕は、生意気でもあったと思いますし、今になれば、
もう少し、角が立たない方法もあったかも知れません。
教会の牧師に嫌われたら、今後、自分の結婚については、厳しい対応を
取られてしまう事も想像できました。
でも、どうしても、『違うものは違う』と伝えたかったんです。

その頃、自分が持っていた熱意は決して、間違っていたとは
考えていませんし、今も後悔は、していません。
自分が持っていた、信仰については。

教会の先生方に、自分の意見や考え方を伝えた結果、
僕は『クリスチャンとしては、おかしい、間違っている』等と
受け取られてしまったようです。

そんな中で、京都の地で看護学校の入学と同時に
病院に就職するという事を決めて、新たな生活が始まりました。

その地で、教会にも通っていました。
同じ年代のクリスチャンの青年達とも交流し、色々な事を学びました。
今でも、大変、良き思い出です。

その頃、僕は、もしかしたら、この相手(クリスチャンの女性)と・・・・。
そう感じていたクリスチャンの女性が一人いました。
自分なりに祈りつつ、他の教会の牧師先生にも相談していました。
自分の中では、自分の思いや考え、願いはあっても、
神のみこころに従おうと決めていたんです。

結果的に、その相手との結婚は、ありませんでした。
その当時、僕は非常に悲しみ、落ち込み、体調を崩してしまいました。
相手の女性も傷ついてしまい、その後、
すぐに他のクリスチャンの男性と結婚したようです。

僕は、その相手に、
『僕は、他の女性(クリスチャン)を教会の先生に探してもらうので、さようなら』と、
言った感じの手紙を最後に送りました。
そうです、嘘を付いてしまったんです・・・・。

僕は、その頃、住んでいた部屋は、教会員の方の好意により、借りていましたが、
その事があり、いられなくなり、部屋を探す必要がありました。
住む場所が無くなり、引越しをしなければならなかったのです。

一連の事もあり、その教会に再び、行くことは無くなりました。
僕が、京都に住んでいた12年の間。

そんな事があって後、僕は教会から離れてしまう事になりました。
クリスチャンとして、教会にも行かなくなりました。

非常に、辛く悲しい出来事でした。

あれから、今年で20年近く経ちます。
今でも、僕の中では、お世話になった、母教会や京都や大阪の牧師先生方、
又、共に聖書の学びをしながら、祈った教会の方々には、
色々と迷惑をかけてしまったと思っています。
そして、今、振り返れば大変、真実で一生懸命に対応して下さったと感じています。


平成28年7月の今、僕は色々な想いの中で、今後の結婚について考えています。
日々、聖書を読み、祈り、自分の現在、置かれている立場で最善を尽くすようにしています。

この年になり、やっと分かった事があります。
それは、クリスチャンが信じている神様という方は、『愛』であるという事です。

例え、今までの自分の生活で、結婚について真剣に祈りつつ、その導きを求め、
生きてきた結果、その相手を失い、教会までも追われ、住む所まで失う事があっても。
例え、病気になり、それが、『ガン』であって、現在も完治できないでいても。
例え、処分されて仕事を失い、とっても大切な相手まで失う事になっても。
例え、大きな悲しみで、打ちのめされそうになって、数か月、
寝込んでいたいと思っても。
例え、一人、孤独を感じて、耐えて行かなければならない時期があったとしても。

これらが、いくつ重なっていても、『神の愛』というものは、変わらないし、
今の自分が、現在、置かれている立場に対して、悲しみだけが先行し、
全く現実を受け入れられないと思える時でも、
神は、『愛』であるという事が、やっと分かりました。

これからも、日々、祈りつつ、あせらずに神の『みこころ』を求めて生きます。
すべてを献げていく中で。



















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