人と共に生きる

自分一人で何でも出来ると勘違いして、人の温かさに鈍感な人間になりたくない。

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1



若い頃、僕は、クリスチャンとして生活をしていく中で、信仰について悩み、

恋愛について悩んでいた。

恋愛、それと結婚について。

その為に、教会の集会や祈祷会、聖会等にも積極的に出席していた。

時に、自分の疑問に思っている事について、教会の牧師先生方に質問したり、

相談したり、時には衝突したりしながら。

あの頃は、ただ真っ直ぐに信仰について探求していた。

そんな中で、ある事がきっかけで、教会に行かなくなり、

クリスチャンとして真剣に生きるのを、やめてしまった。

ただ、教会に絶望し、牧師に失望し、クリスチャンとして生きていく事に

何の意味もないと痛感した。

『神がいるなら、何故、こんな事が起こるんだ』

『神は愛というのに、何で、こんなひどい事になるんだ』

『この問題に対して、祈りながら牧師に相談し、自分の願いを優先せずに

取り組んできたのに』

…………。


そして、これからは自分の好きなように生きよう。
自分の思うように生きていこう。
だって、神は、いないんだから。


それからは、聖書を読むことを止め、教会の集会などに行くのを止めてしまった。


今、振り返っても自分にとって、人生の中でとても苦しく、辛い時期であった。

それから、20年近くが経った今。
自分の考えは、大きく変わった。

その間、生きていく中で、起こる様々な事を通して、神について考え続けていた。

事あるごとに。

今、自分が分かることは、神は愛であるという事。

人生の様々な出来事の中で、自分の理解が出来ないような悲しく、

痛ましい現実の中にあったとしても。

また、自分が信じていた教会(教団という組織)や牧師、あるいは信徒(クリスチャン)達に、つまずいて絶望したとしても、それだからといって、神は、いない訳でもなく、神が愛であるという事は変わらない。

この世に起こる全てを、たとえ自分が理解できなくても、神の存在や、

神の愛が、なくなる訳ではないという事。

それが、分かった。
経験として。

今も、自分は体の事や、結婚について、恋愛について、信仰について悩み、

闘っているけれど、
時間がかかっても、一人の信仰者として、生きていきたい。


イメージ 2





この記事に


.


みんなの更新記事