人と共に生きる

自分一人で何でも出来ると勘違いして、人の温かさに鈍感な人間になりたくない。

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最近、よく思う事は、『祈られている事の幸い』があると、言う事です。

僕は、普段、仕事前に短く聖書の、み言葉を読み、その後に祈っています。

家族の為、自分の為、知人や友人達の為、仕事場の人達の為、患者さん達の為、近所の人達の為です。

毎日、毎日、短く祈っています。
その中で、祈りが聞かれている事を見てきました。

今日も、祈っています。
そして、他の人からも、祈られていると感じています。

自分の知らない人かも、知れませんが
、祈られている事を感じています。

これからも、自分の願いや思いなどを祈っていきますが、常に、『神のみこころが成ること』を第一にして、それに従って生きていくことを、忘れないようにしています。
今日も、困難や戦いと思えるような事がありますが、その中で、神の慰めや助けもあります。

今日も、祈っています。
昨日、最後の臨床試験を終えた。
治験開始時は、1年で終わるか2年、
最長でも、5年ですと言われて始まった。

自分の場合は、11年間、参加する事になった。
毎日のバイタルサインチェックや、体重測定、体調に変化があれば病院に連絡して指示を受ける。

日々の治験薬の正確な服用、プレッシャー(圧力)との闘い。

決して、完全ではなかったけど、何とか終える事ができた。

正直、ほっとしている。
そして、関係者様に心から感謝を致します。

さあ、今日も最善を尽くそう。
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若い頃、僕は、クリスチャンとして生活をしていく中で、信仰について悩み、

恋愛について悩んでいた。

恋愛、それと結婚について。

その為に、教会の集会や祈祷会、聖会等にも積極的に出席していた。

時に、自分の疑問に思っている事について、教会の牧師先生方に質問したり、

相談したり、時には衝突したりしながら。

あの頃は、ただ真っ直ぐに信仰について探求していた。

そんな中で、ある事がきっかけで、教会に行かなくなり、

クリスチャンとして真剣に生きるのを、やめてしまった。

ただ、教会に絶望し、牧師に失望し、クリスチャンとして生きていく事に

何の意味もないと痛感した。

『神がいるなら、何故、こんな事が起こるんだ』

『神は愛というのに、何で、こんなひどい事になるんだ』

『この問題に対して、祈りながら牧師に相談し、自分の願いを優先せずに

取り組んできたのに』

…………。


そして、これからは自分の好きなように生きよう。
自分の思うように生きていこう。
だって、神は、いないんだから。


それからは、聖書を読むことを止め、教会の集会などに行くのを止めてしまった。


今、振り返っても自分にとって、人生の中でとても苦しく、辛い時期であった。

それから、20年近くが経った今。
自分の考えは、大きく変わった。

その間、生きていく中で、起こる様々な事を通して、神について考え続けていた。

事あるごとに。

今、自分が分かることは、神は愛であるという事。

人生の様々な出来事の中で、自分の理解が出来ないような悲しく、

痛ましい現実の中にあったとしても。

また、自分が信じていた教会(教団という組織)や牧師、あるいは信徒(クリスチャン)達に、つまずいて絶望したとしても、それだからといって、神は、いない訳でもなく、神が愛であるという事は変わらない。

この世に起こる全てを、たとえ自分が理解できなくても、神の存在や、

神の愛が、なくなる訳ではないという事。

それが、分かった。
経験として。

今も、自分は体の事や、結婚について、恋愛について、信仰について悩み、

闘っているけれど、
時間がかかっても、一人の信仰者として、生きていきたい。


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2007年から、このブログを書き始めましたが、今、読み返すと色々と反省すべき事が、多くありました。



先日は、何年振りでしょう?
IGMの某教会の聖日礼拝に出席しました。

聖書も、変わり、新改訳2017を購入したことです。

現在も、キリスト教会系の職場で働いています。
日々、祈りながら仕事をしている事です。

一人の信仰者として。

人から忘れ去られる時

今までの自分の人生の中で、自分だけが周りの人達から、
『忘れ去られる』という中を通ってきました。
それは、今でも、そうだと自分では思っています。

もう少し、平たく言うならば、それは、第一線から外れる事であり、
公の場から姿を消す事でもあり、人から忘れ去られてしまう事でもあると考えます。

とても寂しい事ですし、孤独を強く感じる時でもあります。
しかし、自分が望まなくても、人生の中で、そういった環境に
置かれる事があるんです。

その様な時、僕はあえて、その環境から無理に脱しようとは思わない。
人に忘れ去られていると感じる時は、聖書的に言うならば、実は神様が
最も自分に近づいてきて下さっている時だと思うからです。
だから、あえて、その孤独を感じる環境に甘んじていこうと思っています。

明日も、何事においても、自らの最善を尽くして生きていくのみ。



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