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1945年樺太 真岡

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火事場泥棒

9日 :ソ連参戦
10日 :ソ軍10:00P.M.、樺太侵攻作戦発令
   :日本軍、対ソ作戦行動発令
11日 :ソ軍5:00A.M.、樺太国境陣地帯に突入
   :日本軍、15日迄専守防衛に徹し陣地を死守
   (ソ満国境と違い総崩れにならず、時間を稼げたことが民間人の避難に役立ったと言われている)
15日 :日本無条件降伏
   :米軍、正午戦闘活動停止発令
   :日本軍、即時戦闘停止命令発令
太平洋戦争はこの時終わった


ソビエト軍による侵略戦争の開始
15日 :ソ軍3:00P.M.、千島南樺太侵攻作戦発令
   (新たな侵略戦争を画策していた。国際法上武力進駐しないとその土地を含め、財産の所有権が認められないため?)
   (国境で足止めされた結果、真岡への上陸戦が必要になったのだろうか)
17日 :日本軍、終戦処理命令通達

18日 :ソ軍0:00A.M.、占守島奇襲上陸
    日ソ戦唯一の大勝利(ソ軍侵攻部隊壊滅)
    日本軍損害 死傷者600名、戦闘車両20、砲6
    ソ軍損害 死傷者4500名 艦船14 戦闘車両50
   (樺太国境と同じくここで足止めされた事により、
    ソ軍の日程がずれ、米軍の牽制が入る余地を生み出した)
   (満州の関東軍と違い北千島と樺太には大戦中大きな戦闘が無いまま、
    訓練に明け暮れてきた精鋭部隊がいた)
(関東軍は大戦末期にかけて南方へ部隊の移動が相次ぎ対ソ戦に備えた必要兵力は既に無かった)

19日 :日ソ占守島前線P.M.3:00、停戦協議開始(21日まで継続)

20日 :ソ軍7:00A.M.、樺太真岡奇襲上陸
   (非戦闘員を巻き込んだ領土内での地上戦、沖縄は大戦中だが、ここは終戦後で有ることに注目)
   ・9人の女性電話交換手集団自決(父の友人もこの中にいた)
   (氷雪の門で有名、軍事通信確保のため職場に残り、
    撤退命令が届かぬまま電話局をソ軍に取り囲まれ、自決)
   ・すでに武装放棄し、広場に武器を山積みにしていた為、組織的戦闘に展開できなかった。
   ・民間人が非難のため大混乱に陥った。

23日 :占守島、停戦協定調印
26日 :ソ軍、松輪島武装解除*
   (とっくに武装放棄しているのにわざとらしい)
31日 :得撫島占領*(北方4島占領、29日〜9月3日*)

9月2日:降伏文書調印(米戦艦ミズーリー艦上)
9月5日:ソ軍戦闘終了
*戦後発表された資料では、占領日時が数種類出てきており、事実改ざんの懸念が有ります。
最終的に北方4島は9月1日までに占領された記録がソ連側の公式記録となっている。
つまり日本の正式な降伏は9月2日であり、9月1日迄に占領したことにしたかった?
歴史にIFは無いが、樺太の日ソ国境地帯の足止め及び、
占守島でのソビエト軍投入部隊の壊滅が無かったら、北海道も盗られていたかも知れない。

何を感じられるかは、お任せいたします。
終戦後のこの戦闘は避けられなかったのか、なぜ政府は国際法廷の場で違法性を主張しないのか、
なぜマスコミはこれらの問題に一切触れないのか。
氷雪の門を題材にした映画も当初上映禁止になった。
きっと政治的な理由なんだろうな。

父は北方領土問題が取り上げられるたびに言っていた、
”ロスケの盗人なんかとなんぼ協議したって返すもんか”
の意味がこの事実を知ったのを境に、なんとなく分かってきたような気がします。

地政学的に千島列島は日本の領土であっては困るのでしょう。
だって太平洋に出れないから。
つまり手続き上9月2日が正式な降伏だから、それまでなら侵略にならないし、
もうぼろぼろで戦力も無いから、ドサクサに紛れ全部盗っちゃえ。
って、そうでしょ、ロスケさん。

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真実を知りたい

以前認識していた歴史 
・1945年2月ヤルタ会談(米、英、ソによる対日戦争協力協議)
 ・7月26日ポツダム宣言(米、英、中による日本の降伏条件協議)
 ・8月6、9日広島、長崎原子爆弾被爆
 ・8月9日ソ連参戦(日ソ友好条約破棄)
 ・8月15日正午、無条件降伏(ポツダム宣言受諾)
 ・9月2日降伏文書調印
 ・1951年9月8日サンフランシスコ平和条約調印
 ・終戦後満州で大量の引揚者による混乱で、残留孤児問題が発生した。
 ・占領政策により米国統治下にあった小笠原、沖縄が返還された。
 ・同じくソ連統治下に有る北方領土は今だ返還されず、北方領土問題として
  継続協議されている。

話を聞いた後芽生えた疑問
・8月15日正午をもって米軍は全ての軍事行動を停止したが、ソ連軍は新たに軍事行動を起こしている。
  (なぜ米軍は即時停戦したのに、ソ連軍は戦闘を継続したのか?)
・8月15日以降に大規模な戦闘がソ連軍によって樺太、北千島で引き起こされた。
  (満州及び樺太の国境地帯での地上戦は、継続していた戦闘の中での混乱があるかもしれないが、占守島、真岡の上陸戦は避けられた戦闘ではないだろうか?)
・樺太、千島は条約に基づいた日本固有の領土。
  (太平洋戦争以前の領土拡張政策に絡んだ満州やその他の地域とは違う、
   なぜ北方4島だけが領土問題なのだろう?)
・日本固有の領土内での地上戦は樺太でも発生していた。
  (なぜマスコミは樺太、北千島の戦闘を取り上げないのだろうか?)
・米軍の占領政策は治安維持、ソ連軍は不明確。
  (満州で大量の戦争孤児がなぜ発生したのか?、樺太も40万人の非戦闘員がいた)
・米軍、中国軍は組織的には、抑留者(軍人、一般市民)に対して人道的で、速やかに日本に送還しているが、
  ソ連軍は何十万人の抑留者を非人道的に扱い、シベリアの強制労働に従事させ、多量の死傷者を出した。
  (なぜシベリア抑留が必要だったのか?)

1945年8月20日

イメージ 1

太平洋戦争が終わった後、1945年8月18日 北千島 占守島で何が起きていたか。

1945年8月20日 樺太、真岡で何が有ったか知ってますか。

父は17歳の夏、樺太 真岡で終戦をむかえた。
しかし終戦の喜びもつかの間、武装放棄も終了した8月20日早朝、
突然の艦砲射撃に始まったソビエト軍の奇襲上陸により、
平和な真岡の民間人を巻き込んだ地上戦が始まったのです。

父は癌を患い、一昨年故人となりました。
また一人生き証人がこの世を去りました。
毎年、夏が来ると太平洋戦争にまつわる話題がマスコミ各所で取り上げられるが、
数年前に父から話されるまでまったく知らないで来てしまいました。

何故か政治家もマスコミも触れない。
学校ではソビエトが8月9日、一方的に不可侵条約を破棄しソ満国境に侵入したと教えているが、
樺太に進入したことや北千島で戦闘が有った事は教えていない。

2度の原子爆弾を受け、太平洋では組織的な戦闘力を失い、満州では軍の上層部から先に逃げてしまうような状態の日本に対して、ロシア(旧ソビエト連邦)の火事場泥棒的な戦闘行為。

ソビエトによる太平洋戦争終了後の、日本に対する侵略戦争。
是非知っていただきたい。

耐えがたきを耐え、偲びがたきを偲び、やっと訪れた平和。
生きていることを喜び合ったその時、新たな戦争に巻き込み、
生きて帰れるはずの人々を死に追いやり、
満州、樺太からの引き上げ船をソ軍潜水艦が次々に撃沈。
内地を目前にした夢を無残にも打ち砕いたソ軍の非道。
全て8月15日より後のこと。
ソビエト連邦(現在はロシア)私は決して許さない。

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