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ずっとずっと心が晴れずにいました。
天気が変わったけれど、
その天気はずっと曇天でした。
今やっと雲の間から日が差し込みだしました。
許せない気持ちと言うより、
人を傷つけても構わないと思う気持ちを
持つ人たちのことが
悲しくて仕方がありませんでした。
その人たちと同じような
自分に都合がいいだけの神様は
祈れないと思っていました。
でもその人たちは神様でないものを
祈っているのだと教えられて、
安堵しました・・・・。
その中傷者が、
主よ、父よ、神様よというたびに、
私は神様が分からなくなりました。
心がぼろぼろになりました。
体はその悲鳴に耐えられなくなっていたんだと
思います。
信じたい気持と、
彼女たちがもたらした疑わざるをえない気持ちとの間で、
私はいつも自分の中でその気持ちが
ぶつかっていました。
でもやっと心が軽くなりつつあります。
最初に、死にたいほど
追い詰められていた私を導いてくれた存在が、
彼女たちと同じでないと分かってから、
とても心が楽になりました。
人を脅したり、崇めろと言ったり、
犯すぞ、殺すぞ、
お前のところに夜中忍びこみに行くぞと。
執拗に執拗に迫られた恐怖は、
私は忘れることはありません。
宗教のためにそれが正しいと言われるのなら、
神様は私に本当に、
乗り越えようもない試練ばかりを
おあたえになったのだろうとかも思いました。
実質どんなに手を尽くし、
心をつくし言葉を尽くしても、
彼らの心には何一つ通じない・・・・。
聖書を持ってしか対話をしないと言われたら、
それは最初からお前と話なんかしないと
いわれているも同然でした。
聖書を開けばよかったのかもしれまんせんが、
でもね、そんな風に使う事は、
私の気持ちが許しませんでした。
聖書は武器に使うものではないはずですから・・・。
誰かの建前のために盾にすべきものでは
ないはずですから・・・。
それの行きつき先が、
血で血を洗う戦争じゃないですか。
それが平気で出来る彼女のどこが、
キリストを信じる人なのか、
行動と言葉が伴わない人を
私は信仰者と認めることは出来ません。
牧師さんは人を導く人ですから、
そんな彼女でもいとおしく思ったらしいです。
何とか助けてあげたいと・・・。
だから委ねることにしましたが、
エゴの塊のような人たちに、
はたして誠実な牧師さんの言葉が
どれだけ通用するのだろうかと・・・。
人の誠実を最初から踏み荒らすことに、
何のためらいもない相手ですから。
尋常じゃありません。
ちゃんとね、見る人はちゃんと見てほしいと思うのです。
表向きな言葉だけに踊らされないでほしいんです。
彼女のもとに通うある人が言ったのです。
クリスチャンなんて愚かな人たちの集まり。
…危うくそう思い込むところでした。
キリスト教自体が信じられなくなっていましたから。
でもね、キリスト教を求める人たちもまた、
心傷ついた人たちが多いのです。
それでもって人を傷つけることで、
自分の優位を示そうと言う人たちが多い。
彼らも抜本的なところで、
本当の救いが必要なのかもしれません。
でも本当の救いは自ら動く勇気を持たぬ限り、
もたらされないのだとも思えます。
思い切ってキリスト教の人たちと話してよかった。
後は自分を信じるだけです。
それが神様と言われる存在を信じることになるから。
聖書の言葉はそれが出来るようになる杖です。
例え呪われても馬鹿にされてももう迷わない。
私は私の中の泉を守りつつ、
泉の水をもらいに来た人たちにも
分けていきます。
もう踏み荒らされることを恐れないで、
胸を張ります。
…胸を張れなかったことが、
仙骨を歪めてしまったことだからね(苦笑)。
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あの調子では、私も野の花さんも中川牧師も一方的に悪者です。通りすがりさんやその友人と言うコメントを残されている人も同じくです。彼女の記事をしっかり読めば、悪魔を許容する記事になっているのに、まだ気付かれませんか?
悪いことは悪いのだ。人を傷つけたら当人に謝るべきだ。これは人としてのルールだと思います。立派な聖書論を書くのなら尚更、そのルールは守られるべきだと思っています。内緒さんがなぜ彼女の記事に惹かれるのか、私は先日のコメントをいただいて何とはなく理解出来ました。別に貴方を手下だとは思ってはいませんよ。貴方が被害者にならないことだけを祈っています。
2011/9/11(日) 午後 11:34 [ 春蘭 ]
彼女があの記事を書くのなら、批判的意見の人にこそ、親身になって接するべきなのではないでしょうか?彼女が糾弾している人は、実際の教会で、精神の病や病気を抱える人たちを、時に傷つけられながらも、元気づける仕事をしておられるのです。野の花さんは統一教会を脱退して、正式なクリスチャンとなって、いまだに悪夢に苦しむ脱退者の支援をしたりしています。彼女が批判をしている人たちは、そうした弱者への実活動をしている人たちです。マリアは教会に通って、普通に教会の仕事をこなしているだけです。それほど社会で何かをなしているわけでもありません。自分の経験のないことをもっともらしく批判する事はとても容易い。そして世間一般の多くの人たちは、その行動を賞讃します。キリスト教の人たちにももっと開かれてもいいのではと思われる行動もあります。
2011/9/11(日) 午後 11:41 [ 春蘭 ]
「私は愚か者です。すぐに愛されている事、愛する事を忘れます。だから愛し、愛され、生きようと努めています」この言葉は果たして、今を生きている人の言葉でしょうか?人間、神様じゃないから完璧な人なんていません。貴方は中川牧師のブログの記事が怖いと言った。それは、彼が自分の内面とちゃんと向き合って生きている人だからです。貴方が必死に頑張ってるのは分かっています。でも、自分を最初から否定し、肯定しないところに、本当の「生」はありません。内緒さんなりに、生き難さや辛さなどを抱えて生きている事だと思います。その気持ちは分かります。でも、愚か者を神様はこの世に生み出したのでしょうか?謙遜や卑下は裏を返せば傲慢に値します。傲慢の源は自己否定です。自己否定は神様を信じていないと言う事です・・・。だから、言葉に頼る。縋る。言葉で飾る。…自分がそこにないから。マリアがやっていることはそれです。
2011/9/11(日) 午後 11:50 [ 春蘭 ]
内緒さん、彼女の愛は本当に彼女の愛から来ていると思いますか?本当の愛がある人が、あちこち「誠実な活動をしている」キリスト教の人のところに言って、訳の分らぬ喧嘩を振りまいて、たとえば相手を睡眠障害や精神障害になるまで月1000件もの内緒コメントを書いて脅して、追い詰めたりするのですか?貴方は彼女が聖人の名前を語るから、それが許されていると思うのですか?それこそ、…偽善ではないのですか?彼女の実際の行動と、記事に書くことには「繋がり」がないのです。
2011/9/11(日) 午後 11:56 [ 春蘭 ]
たとえば彼女が父上愛しています、父上、私は父上についていきますなどと言った記事を書くときは、誰かに批判をされているときだけです。逆に、自分が勝ったと思えるときは、相手を嘲笑するような記事を書いています。私が付き合っていた頃も、彼女は自分が助けてほしければ昼夜問わず利用しようとしたえkれど、私が弱音を吐いていたら、コメント欄にあざ笑うコメントでしたよ。お願いを断った途端、男を使って脅迫行為でした。その時はまだ空手もやっていない時です。いきなり見知らぬ男性のメールを彼女が転送してきた。そこには、犯す、殺す、お前のところに忍びこむぞという威しの文句がたっぷりでした。それが彼女が心友と言って本来なら親友として付き合った人間に送ってきたメールです。その送ってきた理由を問いただすと、父上のため、信仰のためだと言った。・・・自分のためです。
2011/9/12(月) 午前 0:02 [ 春蘭 ]
夫ペテロを利用して、夫婦閻魔よろしく、あちこちに行っては荒らし行為をしています。それも「愛ある行動・・・?」ペテロに至っては、自分の妄想でふくらました言葉なので、正論すら通じません。内縁の奥さんには優しい人ですが、この人もあちこちの人を傷つけて支配する事に喜びを覚える鬼畜のような人です。私はそれを裏で知っているので、夫ペテロ、妻マリアと呼び合う二人の姿にむしろぞっとします。マリアに何かを言うと必ず彼が乗り込んできては脅迫、でした。おそらく中川牧師に対しても同じことをしていると思います。二人が誰も傷つけず、穏やかに円満に暮らしてくれるのならそれでよいと思っていました。でも、現実は違います。今この時も、マリアが探しているのは、自分を賞讃してくれる都合のいい人だけです。もし、彼女のもとに傷ついた人が来ても、その気持ちは分からないであざ笑って切り捨てる人です。
2011/9/12(月) 午前 0:11 [ 春蘭 ]
内緒コメントにされなかったので、削除いたします。
監視ですか。そう切り捨てられますか。信じるのは自由ですが、私もよいと思っていたのですが、中川牧師のところで新たな話を聞いて、気持ちが変わったのです。このままではいけないと。・・・・貴方が被害者にならぬことを心の底から祈ります。
2011/9/12(月) 午前 0:13 [ 春蘭 ]
監視という言葉を使ったのが悪かったですね、切り捨てたつもりはありません。
マリアさんとは、これからも、以前のマリアさんと春蘭さんとのような深い仲になることはありませんので大丈夫です。
内緒ではなくてもよいと思ったのでそうしました。
私は死を向いて生きてはいないと、堂々としたかったので
2011/9/12(月) 午前 0:27 [ 36 ]
喧嘩売られるぐらいの根性があられてほっとしました。
マリアさんには気をつけてください。マリアの書いてある記事はね、統一教会が会員を集めやすいように作った教義なのだそうですよ。
それは統一教会にかつていた人が証明しています。
愛を分かりやすく説き、会員を集めやすく・・・。そうやって日本から韓国に渡った人がたくさんいる。その生活は過酷だと言います。だから心が弱っていた貴方は、その優しい部分に惹かれたのです。天人さんと暗躍しているのは、新たな教会を作って会員を集めるためじゃないかと思ってますが。
2011/9/12(月) 午前 0:54 [ 春蘭 ]
監視を受けているのはむしろ私の方です(苦笑)。ずっとね。
なぜなら私が本気で伝道をし始めれば、教会も何も必要なくなりますから。でもね、そこで生きてる人たちもいるし、そこでちゃんと力になっている人たちもいる。今は伝道する気はありません。ただ、これ以上睡眠障害などで怯える人を作りたくなくて。
ある人は、マリアは悪霊つきだと言って心配していますが。やってることは今のところは「宗教ごっこ」のレベルでしかありません。本気で信仰になど生きてない。覚悟も出来てない。だから私の問いに答えることが絶対に出来ない。だから私のコメントは全て削除です。他人に責任転嫁するしか脳みそないんですから。これまでの彼女のしりぬぐいの多くは私がやりましたよ。
2011/9/12(月) 午前 0:58 [ 春蘭 ]
さっきのコメントを承認して下さるのなら、意味の繋がりも考えて、削除したコメントも載せて下さいね(^^)以下書きますね。
「怖いと言ったのは霊的な意味で、春蘭さんも同意して下さっていたので、理解しあえていると思っていました。
生きて内面に向き合っているからこそ、自分の愚かな所に気が付いたら、改善して成長したいと望んでいるんです(^^)完ぺきになりたいわけではありません。
マリアさんの行動を監視しているわけではないので、春蘭さんのようにマリアさん関連のことは詳しくわかりません。
(^o^)お時間かけて頂いて、ありがとうございました。
と、こんな感じに書いてましたよね。あっ、喧嘩を売られた買ったという思考はありません、争いたいわけではないので。
平穏に生きましょう (^^)ありがとうございました。」
2011/9/12(月) 午前 5:33 [ 36 ]
以前書かれたことは、後でゲスブに書きます。貴女が書いたことです。
霊的に怖いのは、私は中川牧師よりもマリアの方だと伝えましたし、マリアのおかしな教えを賛美されるのであれば、怖くてもアタリマエだろうなあと思いましたけど、あの時はドラみさんの自由と思ったのです。ちょうど悪魔が教会を恐れるように。私はびりびり緊張してあったけど霊的に怖いとは思いませんが?
2011/9/12(月) 午前 6:35 [ 春蘭 ]
昨日、寝ぼけて書いたので日本語が若干おかしなところがありましたが、私が本気で伝道していたころは、教会も何も必要ないと言う論理でしたから。
私も生活の中でマリアが大変で、その杖としてキリストが好きなら仕方がないと承諾しました。依存し過ぎて、自分で立てないし、教会で嫌な思い出ばかりだったから、辞めるべきだと忠告していました。でもね、「反社会的」「反キリスト的」キリストの教えならば、話が違います。それは本当の意味でキリストを愛しているとは言わない。彼のいいところだけを利用してるだけ。そう、いろんな人に取った態度そのままに。貴方が愛があると言っているのは、そういう記事です。ましてよく加筆修正が入りますが、指導して書かせているのは天人と言う人です。彼は神学校でも異端児扱いされたそうですが、そのこととキリストが異端だったことを「キーワード」で重ねているだけです。
2011/9/12(月) 午前 7:51 [ 春蘭 ]
おはようございます(^o^)
理解して欲しいのは、私は決してマリアさんを賛美しているのでは無いということです。
マリアさんと結びつけて、私が影響されているかのように思わなで下さい(^^)共感することもあれば、相容れないこともあります。
春蘭さんに対しても、福音の響きさんに対してもです。
それぞれに、それぞれの思考がありますから、何を選択するかは自己責任ですから、一致できる所で一致して、相容れない所での争いは避けたいと望んでいます。
2011/9/12(月) 午前 7:55 [ 36 ]
たとえば、キリストが本当に傍にいたとして、自分は何も努力しないのにいつもお願いしている。自分に何か問題があれば、いつも父上様お願いと許しをこう。その理由が、「キリストは全人類の十字架を背負ったから」→責任の丸投げ。それは愛している信じているとは、言えないんじゃないかと思います。最近、他人に突っ込まれて都合が悪くなったら、私がかつて言っていたことを書いてます。自分で十字架背負わなくて、キリストに申し訳ないと思わないのか!?と。十字架を背負うってことは、過去の心の整理、思いの書き換え、ちゃんと人間的行動を取るなどに集約されますが、彼女はそれはやらないのです。私の言葉を単に利用してるだけ。それじゃ人間的成長はないと思う。それはドラみさんは分かっておいでのようなので、あえて貴方には言いませんが。
2011/9/12(月) 午前 7:58 [ 春蘭 ]
そうですね。・・・もう不毛のようです。なんか説得するだけむなしくなってきました。
ドラみさんはドラみさんの判断と自己責任で。私はマリアの悪口を言っているのではなく、これは「警告」なのです。彼女を信じて利用して、利用価値がないと潰されて泣き目にあったのは決して私だけはないという事だけ、お伝えしておきますし、深い付き合いのあるなしに関わらず、それは「キリストを信じている」人の間で起きていることですので。ご無事をお祈りします。霊的にばかりこだわってると、本当に大事なことを見とおされないことを祈ります。キリストは言ったはずです。オカルトや占いに惑わされてはいけません。詐欺師は相手の一番弱い甘い言葉を持って近づくことをお忘れなく^^。キリスト教から一時期はなれ、まっとうに真剣に聖書抜きで、お母さんや子供さんと一生懸命向き合っていたころの彼女の方が、よほどきらきらしていました。それだけは伝えます。
2011/9/12(月) 午前 8:03 [ 春蘭 ]
ドラみさんが当たり障らずの人だと理解出来ました。
2011/9/12(月) 午前 8:15 [ 春蘭 ]
当たり障らずの人、その通りです(^^)笑
ネットも霊も、実態のつかめない世界ですから、深入りしてそれに心を奪われ、現実を生きられなくなってはいけないと 思います。
現実の友だちでもそうです。例えば、嫁姑問題の話題を聞かされても、その当人同士の行動言動をすべて見たわけでは無いので、一緒になって片方だけを責めることはできないですよね。
気が済むまでうんうんと黙って聴くか、こうしてみたらいいんじゃない?と前向きな提案はできます。
深入りし、同調し、片方に肩入れすれば、友だちも自分も貶めてしまいます。
現実に目をそらすという意味ではなく、前向きに捉えて、お互い高め合える繋がりを望んでいます。
当人同士の場合や、家族に関しては、当たり障らずではなく、一生懸命に向き合って生きようとつとめています(^^)
春蘭さんの貴重なお時間を割いて下さってありがとうございました。
それでは(^o^)/~
2011/9/12(月) 午前 10:03 [ 36 ]
まあ、ご賢明です。まあ、常識的です。
貴方の足を引っ張るつもりではありませんでしたけれども。
私の貴方に対する質問の御答えは何一つなかったですね。結局(TT)いいのですけれどもね。前向きにお過ごしください。これまで来られた他の方よりはまだましでいらっしゃるから。
…キリスト教に独自に関わる人はこれなのですよね、いつも。なじみのブロガーさんは笑ってるだろうな。いいのよ・・・。
2011/9/12(月) 午前 10:10 [ 春蘭 ]
ドラみさんではなく他の方へ。
ちなみにマグダラのマリアさんのところはね、統一教会問題を真剣に考えようとしている牧師さんたちには、今注目されているブログです。統一教会はいわばカルト集団で、中にいる信者さんたちの人権はかなり蹂躙されています。それでも辞められないのです。麻薬中毒と同じです。脱会しても、その罪の重さに耐えきれず自己崩壊をする人たちがいる・・・。そんなの、啓蒙されるのは違うと思います。いくら宗教の自由があったとしても。私はこの記事で終わりにします。後、まともな教会の方で、統一教会信者の救済組織が立ち上がろうとしています。おかしな動きは是正されていく世の中になります。あしからず。
2011/9/12(月) 午前 10:17 [ 春蘭 ]