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ちょっち一息(笑)

私がおたおたしている間に、
牧師さんがちゃんと対応してくれたみたいで、
 
安堵(^o^)/
 
桶はやっぱり桶屋に任せた方がいいみたいです。
 
彼女はキリスト教ではなんとか信条という
守るべきルールを違反しているんだとか。
 
ま、説得が上手くいくことを願っています。
これ以上の被害者が出る前に・・・・。
 
多分、これまで被害に遭った人は、
彼女のめちゃくちゃな聖書論を見て、
「それは違うんじゃないですか?」と
真面目に批判した人だと思います。
 
真面目なのがあだに出る(TT)。
愛があったら対話を大事にすると思いますが、
批判飛び越えて脅迫なんだもんなあ・・・。
 
今朝のやり取りの方は
実際彼女のブログの記事の、
怒涛のあの旦那の書き込みがあったあの状況であっても
被害者の立場が全くお分かりにならないようなので、
あの人を心配しても言ったのですが、
おせっかいをしてしまったようなので
身を引くことにしました。
 
というか、くわばらくわばら。
おっかねえ・・・第三のマリアだ。
 
対応の仕方がそっくり・・・・。
 
本人気付いてないかもですが。
どうぞマリアさんの浅くないお友達でいてください。
 
カルト宗教のおかしな教義を、
嫁姑と同じレベルにされては、
話になりません。
 
私は骨までしゃぶられ
精根尽き果てましたので、
奇跡が起きてもうマリアが土下座しても、
彼女のお友達はこりごり・・・・。
 
今回はいつまでも監視されてるので仕方なく。
 
でもまさか代わりに動いてくださる方が
出てくれるとは・・・・感謝感謝です。
 
これで、私も監視されずに解放されて、
心穏やかに過ごせる日々が
取り戻せることを心より願っています。
 
 
 
 

疲れました ケータイ投稿記事

あんまり病み上がりが無理するもんじゃねえべさ。

夜更かしはなんね〜。

ちったあ大人しく寝てろ!


と言われてる気分です。

ちょっと無理した

ゆっくりせねば。



自慢にもならねえがよ〜。

庭の土さほじくり返して

仕事さあしたいのに。

・・・・そうか。

薬を飲み忘れてただ。

人様のことに真剣になってる場合じゃ

あんめえ。





寝るべ。はよ治すべ。

不毛だな・・・。

何だかどっぷり疲れてしまった。
 
分かっていた事なのにーー;。
宗教問題に関わると結局不毛なんだよなあ・・・。
特に、スピリチュアル的に聖書を読んでる人は・・・。
 
私がキリスト教の牧師さんやある人を評価したのは、
現実をちゃんと直視してるからなんだーー;。
 
現実と神学をちゃんと照らし合わせて判断出来る人たちだったから。
そうでない人と言うのは・・・・疲れます。
 
私は霊的なものをたまに観たり聞いたりはするけれど、
これほどあやふやな世界はないと思っています。
 
死んだらそっちの世界には否応なくいくけど、
いつも今付き合ってる連中は白か黒か
って審査をしなくちゃ危なっかしくて付き合えない。
 
それは自分の合わせ鏡を見る状態でもあります。
生きてる人も同じなんですけれどもね。
 
たまにあの世の人をあの世に行けと説得することもあるけれど、
たまにです。よっぽどの時だけです。
後からその人がとり付いていた人が
「なんだか違います」と言われてそうなんだと思う程度で。
私は面倒くさがりなのでお祓い師には向きません。
第一そういうあの世の人と付き合うには、
ネガティブなオーラが漂う場所に一歩下りないといけない。
必ず不調は伴います。だから疲れるんだけど。
不調を落とすことを徐々に出来るようにはなってきてるかな。
でも人様のためとは言っても、どっぷり疲れたくない。
私は別に方法があるんじゃないかと探してます。
現実に生きるも一緒のことなので。
その人が明るくなれる方法を現実に一緒に探してあげる方が
堅実かなと言う気がします。
 
でも自分を愚かだとは思わないようにしています。
愚かだというのは完全否定な言葉ですし、
人間的に未熟なことは愚かなこととは違いますからね。
失敗があっても間違いがあっても、
そこから立ち直るチャンスはいくらでもあるから。
 
言葉を大切にというのなら、
謙遜する意味で言ったのかもしれないけれど、
逆に自分を卑下し過ぎることは受け取り手からすれば
とても嫌味に感じちゃいます。
まるでセレブなおばさんが「ざーます」言葉を使うように。
 
霊的な判断を他者に委ねるってことがどれだけ
危険なことなのか、
私はこうして聖書に触れた人たちと向かい合う事で
学んでいます。
というより、学ばされてるんだろうなあ。がっくり。
 
それが聖書や仏教の教えであったとしても、
個人の解釈違いで黒にも白にもなる。
羅王さんと言う人が言った不思議な聖書。
その通りです。解釈次第で悪魔のものにも天使の物にもなる。
逆にそんなにあやふやな、
根拠がないものも世の中にありはしないんです。
そしてそんなあやふやなものに寄りかかる危険・・・。
 
そんなあやふやなもので、
聖書はこう書いてあるからこうなんだと胸を張られても、
いや、その前におたくはどう思うんだ?
「今」「実際に起きている」この現実問題に関して・・・とか。
それは見て見ぬふり?
実際に苦しんでいる人たちのことはどうでもいいの?とか。
 
聖書の言葉を実行して行動している人は、
それをちゃんと実験して試して経験して理解して
検証しているから、
正しさの証明を自ら行って信じている。
 
だから、キリスト教と言う基盤はあっても、
自分の言葉でちゃんと語ることが出来るのです。
たとえば牧師さんが「実をみないと分からない」と言われる。
実際にその人に会い、その人の状態を知ることで、
どのくらい信仰してそれを守っていてであったり、
その人の悩みの状態も見て分かる。
それは現実に置いて人と向き合う事にほかならない。
 
逆に行動して実験したことがないものは、
預言だとか愛だとか奇跡だとかの迷える人が飛びつきそうな
トリックワードを用いて無理やり信じさせて、
自分の仲間に取り込もうとする。
 
そういう人は絶対に自分の実態を見せることはないです。
後、ほんとに家族だけとかしか社会関係がない。
家族は厳しくもあるけれど一番甘くなる。
血縁があればあるほど、
自分の肉親の間違った行いには
見て見ないふりもする。
特に子供たちであれば尚更そう。
だから絶対、私は家族から出て、
社会でこうです、なんて
話題があんまり出てこないのです。
 
まだね、旦那の悪口、子供の不満が言える人の方が、
そこからすれば全うだとは言える。
行きすぎやり過ぎも問題あるけれど、
吐き出して乗り越えたり、
他の人の現実的な知恵を借りようと
頑張ってるんだから。
 
まあおかげさまでだいぶん鍛えられました。
ほんとにね、この前の状態だとね、
これまでだったら心底落ち込んで立ち直れなかったでしょうね。
ほぼ寝たきりでしょう?
胸の上、背中、肩首に腰、左足は完全神経痛に麻痺。
ほぼ全身辛い症状があって起き上がれない。
昔の私ならぽっきり心が折れちゃうところですよ、わはは。
 
でも、あいつらが呪ってるかもしれないから、
負けられるかあ!!!!!!!と。
 
空手で極寒極暑の中、汗をかいて、
ぜえぜえ息切らしながら耐え抜いてきた
甲斐がありました。
 
まあ、そのせいで夏場に極端に
無理したのもあるんですがーー;。自業自得。
それも貴重な経験です。
この経験がなければ、
まっすぐに姿勢を保持するためのコアな知恵には
辿り着いてなかったですから。
 
霊的なことに囚われると、
精神は体から離れてしまいます。
 
ちょっと囚われかけて私も危なかったけど。
わははははは。
 
今生きている時間と現実と、
肉体と心がある。
 
そこから離れる時間が長すぎると、
人は廃人になっていきます・・・・。
 
聞いたことないでしょうか?
瞑想やトランスをやり過ぎた人たちが
おかしくなっちゃう。
スピリチュアルに凝り過ぎた人たちが、
現実離れした世界でしか暮らせなくなる。
 
私も勘がさえたりするほうなので、
その危険性は十分持っているのです。
持っているからこそ、
現実を健康に正しく生きるにはどうしたらいいのかを
真剣に考えてたりします。
 
王陽明等の本も読んだりしますが、
私は現実的な人間の対処の仕方のところしか
受け入れないようにしています。
 
身体感覚と精神的なものは、
出来るだけ一致させていかなければなりません。
 
私は一度覚醒という状態を経験したことがありますが、
「人として生きていけない」と思って、
元に戻すようにしたことがあります。
 
その覚醒の際に、
それまでの自律神経失調の症状が消え、
心身はとても軽くなりました。
軽くなった分、情と言う者は一切なくなってしまった。
子供にすら愛情が湧かなくなった。
 
それは人間として生まれてきた私が求めるものでは
ありませんでしたから。
子供のころ厳しいばかりの両親で、
愛情に恵まれているとは決して言えなかった。
4時半のサイレンが鳴れば酒を飲んできて暴れる父に怯え、
母が帰ってきたら二人の喧嘩の声に怯えて、
箪笥の隅に妹と二人隠れる生活をしていました。
 
子供が子供らしくおれず、
心から笑えなかった自分だからこそ、
子供たちが子供たちらしく笑えるように育てたい。
気に食わないじいさんでも旦那でも、
一緒にわらえるときは嫌な事忘れてます。
 
家族とともにが私の一番の望みです。
 
たとえ時にいがみあったり喧嘩したりしても、
愛したいから。
 
昨日も墓場で花屋に借りたバケツを車から降ろしてると、
旦那に車でぶ〜んと置いてかれましたが。
 
「乗ってるの確認してから発信しろよ〜!ひで〜!!」
「ぎゃはははは。すまん。ボンネットの音を、
 ドアを閉める音と勘違いした」
 
聖書の理想的夫婦関係で言えば絶対彼は私を愛してないーー;、
断言して言える、と思うけれど、
こういうお笑いみたいな関係で
夫婦が微妙に成り立ってたりもする。
それを見た娘が一緒に笑い転げてたりする。
 
いろんなことがあるからこの世は面白いのです。
 
意外と平凡で平和に穏やかに過ごしてたら、
退屈しちゃうものですよ。
 
だから危険なものに触れたいのかもしれないけれど、
やけどの方法は選ぶべきですね。うん。
 
どうせやけどするのなら、
現実の世界で一生懸命生きて、
働いたり、人と触れ合ったりして、
やけどする方がよっぽどましなんじゃないかなって
私は思います。

珍しく。

午前中から義弟が実子を連れて、
我が家に遊びに来ています。
 
「じいちゃんとこ行く!」と言ったとか。
 
そりゃあ子供でも分かるわね〜。
ちゃんと可愛がってくれるところは。
 
後、下二人が遊び相手にもなるしね。
 
一緒に墓参りをして、
お昼も済ませて、
まだおります。
 
ひょっとしてばあちゃんが呼んだんだろうか。
 
「もう一人の孫、私の墓参りに来い!」と。
 
嫁はすっかり寄りつかなくなったから、
ばあちゃんが気に入らなくて、
敷居をまたがせないのかもしれない。
 
・・・・・まあ、確かにだんなに子守りを押し付け遊びに行き、
おむつも洗わせる鬼嫁だからねーー;。
 
鬼嫁、鬼ババア。
生きてたら絶対、気が合わなかったね。
私みたいに、我慢しちゃうタイプでもないし。
というか、絶対結婚許してなかっただろうな。
 
恐るべし、あの世からのばあちゃんの執念。
 
そんな気がするね(笑)。
ずっとずっと心が晴れずにいました。
 
天気が変わったけれど、
その天気はずっと曇天でした。
 
今やっと雲の間から日が差し込みだしました。
 
許せない気持ちと言うより、
人を傷つけても構わないと思う気持ちを
持つ人たちのことが
悲しくて仕方がありませんでした。
 
その人たちと同じような
自分に都合がいいだけの神様は
祈れないと思っていました。
 
でもその人たちは神様でないものを
祈っているのだと教えられて、
安堵しました・・・・。
 
その中傷者が、
主よ、父よ、神様よというたびに、
私は神様が分からなくなりました。
 
心がぼろぼろになりました。
 
体はその悲鳴に耐えられなくなっていたんだと
思います。
 
信じたい気持と、
彼女たちがもたらした疑わざるをえない気持ちとの間で、
私はいつも自分の中でその気持ちが
ぶつかっていました。
 
でもやっと心が軽くなりつつあります。
 
最初に、死にたいほど
追い詰められていた私を導いてくれた存在が、
彼女たちと同じでないと分かってから、
とても心が楽になりました。
 
人を脅したり、崇めろと言ったり、
犯すぞ、殺すぞ、
お前のところに夜中忍びこみに行くぞと。
執拗に執拗に迫られた恐怖は、
私は忘れることはありません。
 
宗教のためにそれが正しいと言われるのなら、
神様は私に本当に、
乗り越えようもない試練ばかりを
おあたえになったのだろうとかも思いました。
 
実質どんなに手を尽くし、
心をつくし言葉を尽くしても、
彼らの心には何一つ通じない・・・・。
 
聖書を持ってしか対話をしないと言われたら、
それは最初からお前と話なんかしないと
いわれているも同然でした。
 
聖書を開けばよかったのかもしれまんせんが、
でもね、そんな風に使う事は、
私の気持ちが許しませんでした。
 
聖書は武器に使うものではないはずですから・・・。
誰かの建前のために盾にすべきものでは
ないはずですから・・・。
 
それの行きつき先が、
血で血を洗う戦争じゃないですか。
 
それが平気で出来る彼女のどこが、
キリストを信じる人なのか、
行動と言葉が伴わない人を
私は信仰者と認めることは出来ません。
 
牧師さんは人を導く人ですから、
そんな彼女でもいとおしく思ったらしいです。
何とか助けてあげたいと・・・。
 
だから委ねることにしましたが、
エゴの塊のような人たちに、
はたして誠実な牧師さんの言葉が
どれだけ通用するのだろうかと・・・。
 
人の誠実を最初から踏み荒らすことに、
何のためらいもない相手ですから。
 
尋常じゃありません。
 
ちゃんとね、見る人はちゃんと見てほしいと思うのです。
表向きな言葉だけに踊らされないでほしいんです。
 
彼女のもとに通うある人が言ったのです。
 
クリスチャンなんて愚かな人たちの集まり。
 
…危うくそう思い込むところでした。
キリスト教自体が信じられなくなっていましたから。
 
でもね、キリスト教を求める人たちもまた、
心傷ついた人たちが多いのです。
それでもって人を傷つけることで、
自分の優位を示そうと言う人たちが多い。
 
彼らも抜本的なところで、
本当の救いが必要なのかもしれません。
 
でも本当の救いは自ら動く勇気を持たぬ限り、
もたらされないのだとも思えます。
 
思い切ってキリスト教の人たちと話してよかった。
 
後は自分を信じるだけです。
 
それが神様と言われる存在を信じることになるから。
 
聖書の言葉はそれが出来るようになる杖です。
 
例え呪われても馬鹿にされてももう迷わない。
 
私は私の中の泉を守りつつ、
泉の水をもらいに来た人たちにも
分けていきます。
 
もう踏み荒らされることを恐れないで、
胸を張ります。
 
…胸を張れなかったことが、
仙骨を歪めてしまったことだからね(苦笑)。

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