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少し落ち着きました。
旦那の記事は削除しました。
まあ、悩んだって仕方がない事ですから(*^-^*)
いやな気分にさせてすいません。
 
腰を悪くするとあれですね、
心の座りも悪くなります。
なんか落ち着かなくなるというか不安が増すというか、
多分普段いらいらしないことでも、
イライラしてくると言うか。
 
腰を据えるとか腰が据わるってことは、
とても大事なことなんだなあと思います。
 
長男は昨日学校を休んだんですが、
お昼ぐらいから元気になって、
あれこれ私の代わりに動いてもくれ、
「やっぱり空手をしてると、治りが早いや!」と言いながら、
昨日は軽く突きや蹴りをして、
今日はいつもより素早く用意もして、
元気はつらつ学校に行きました。
 
あれのせいじゃないかな。
ゲーム。
 
いいたかないけれど、あんまり宿題とかしないので、
最近取り上げたんです。
やってる間は自己否定もある、ネガティブ思考もある。
アッタリマエですよ。
前傾姿勢で背中曲げて胸筋絞ってやってるんですから。
本音を言うと一番与えたくないおもちゃです。
 
それとゲームの内容がね、
人を殺しただの殺さなかっただの。
旦那が自分がやるので、
平気で与えるんですがやっぱりよくありませんね。
(旦那の性格が殺伐としてるのもゲームの影響ありと思う)
 
たとえゲームの中でさえ戦争ごっこさせちゃうと、
精神的にくるもんがあるんじゃないかと思います。
 
確かにね、かっこいい側面とかもあるんですよ。
でも、そういう殺戮をテーマにしたゲームは、
やっぱり精神をおかしくしちゃうんじゃないかな。
 
どうせゲーム作るんなら、
レスキューとか人を助ける方で作ってほしいですよね?
 
久しぶりに明るい表情の彼を見ました。
 
せっかく胸を張る空手をしてるのに、
それより長い時間でゲームで前傾取っちゃう。
 
常に背中を丸めて構えて保守的に回った状態の
精神状態なので、
形をやるにしても、前に出て行けないわけです。
 
「腰が据わってない」んです。
 
「腰が据わる」って状態はね、
丹田と腰部に力を入れて背中が自然と伸びた状態なんですよ。
 
すると胸筋は自然と開いてます。
 
試しに見てみるといいのですけれど、
うつ病の人の背中は必ず曲がってます。
ぴんとはった状態のうつ病の人なんて見たことがない。
 
逆にいえば、うつ病は背筋を伸ばすことで治ります。
運動で腹筋背筋つける、筋肉をつける。
やり過ぎるとアウトなんだけれども、
毎日ぼちぼちやってたら治ります。
極端な話なんですけれどもね。
 
最近、うつ病の人が激増してるのは、
背筋を支えるだけの筋力を持たないからなんです。
 
私もPCに向かう時は、主治医に指摘されて以降、
極端にわざと背中を反ってやってます。
疲れているうえに前かがみでやってたから、
仙腸関節に負担がいちゃったんですよね。
 
でも坐骨神経の麻痺が若干残ってますが、
やっと腰痛の鋭いつんざくような患部の痛みからは
解放されてきました。
 
治るのもあと少しですね。
 
元気になったらね、
旦那のことなんて構ってられないんですよ(苦笑)。
やることたくさんあり過ぎて。
 
家の中もそうだし、そろそろ広報誌も手掛けて、
踊り連の仕事もまとめていかないといけない。
 
堕ち込んでる暇なんてありゃしない。
 
でも、ちょっとだけ後ろを振り向けてよかったかもしれません。
今回で、ずいぶん過去のブログに関する遺恨は
整理出来ました・・・・。
記事を試しに読んでも、関係ないって割り切れるところまでこれた。
 
彼女らがどんなに言っても、
「間違いは間違い」なのが分かったし、
「間違うのはあちらの勝手」だから私がわざわざ出向いて行って、
あれこれご丁寧に神経すり減らして添削してあげる必要もない。
 
ちょうど、彼女が自分の聖書論を発表し出したころから、
がくんと訪問者数が減った。
読む人で分かる人には分かるんです。
 
納得できない、腑に落ちないから。
はっきり言って間違いだから。
 
どんな論理にも「筋を通す」ってことが必要ですから^^。
 
そう、背筋を伸ばすみたいにね。
 
何事も「姿勢を正す」って大事なんですね。
ようく心に言い聞かせる事にします。
今日は旦那が香川県、じいちゃんが病院。
昼ご飯にバタバタせずに済むので、
ゆっくり過ごそう・・・・。
 
冷蔵庫に昨日の夕飯が出来なかったので、
じいちゃんが買い出しに行ってくれた
巻きずしの残りが入っている。
 
昨日と続けて、
2日リハビリに行けないのは堪えているけれど、
整形外科で風邪をうつすのもいけないと思って遠慮している。
 
まだ微熱が続いている。
先ほどまで横になっていたけれど、
薬を飲んでいないことを思い出して口にした。
 
あんまり寝過ぎても背中が痛むので、
こうしてpcに座らせてもらっている。
 
少し余裕が出てきたら、
掃除機でもかけようかと考えている。
 
昨日の晩、子供たちを寝かせようかと思っていると、
旦那が大きな音で二段ベッドの横にある、
すだれで仕切られただけのテレビをつけて、
大きな声で笑っている。
 
音量がでかい!と言うと、
これじゃ聞こえないと小さめて言うが、
十分に聞こえる音量だ。
 
悪いのはそういう音量に慣れている旦那の耳だ。
 
「いつもこれぐらいかけてるから大丈夫だ」
「子供たちが迷惑がってんでしょう?」
「でもこの音量じゃ聞こえない・・・」
「あんたは、本当に自分だけが可愛いんやね」
と言うと、しばらく音量のことをぶつくさ言っているのを
あえて無視してやると、
黙りこんでテレビを消した。
 
最後には部屋がわやくちゃだとかぶつぶつ言うので、
黙って起きて旦那が叩きつけていた洗濯物を片づけ始めた。
 
「熱があるンやろ?明日やればいいよ」
と急にびくついて優しい声で言われても、
片づいてないだの先にぶつぶつ文句言われて、
大人しく寝ていられるわけがない。
無視して洗濯物の片づけを始めた。
そして黙って降りて行って、
ご近所の自販機までふらつく足でアクエリアスを
買いに出かけた。
 
彼が風邪を引けば、食べたいもの、飲みたいものの
世話を焼くし、
具合が悪ければ昼間に休む時は、
子供たちが帰ってきても二階に上がらないようにと
気を使う。
高熱の時は私が運転して連れて行く。
 
結婚してこの方、彼に面倒を見てもらったことは
一度もない。
過労してまともに歩けない状態であっても、
彼に病院にすら連れて行ってもらったこともない。
小さな子供たちを引き連れて点滴をしてもらった時に、
看護師さんが呆れていたぐらいだ。
 
子供たちの体操服を
洗ってないことを思い出して、
深夜に申し訳ないが洗濯機を回した。
 
体調が良ければ動いてるよ、と言いたかった。
 
洗濯機が回るのをベッドの上で待っていたので、
はっと気付いて起きてほしたのが深夜の一時。
・・・扇風機を回して風を当ててほしたので、
なんとか間に合った。
 
今日も朝起きて、じいちゃんがパンを買ってくれてはいたが、
朝食の用意をしたのは結局私です。
 
しかもじいちゃんは、娘が宿題を忘れていたり、
時間割などもやっていると嘘をつく。
普通に叱ってもスル―されて反省もないので、
今日はがっつり叱って泣かせることにしたんだけど、
それを庇う・・・。叱るの台なし。
 
長男だけが「Oが悪い」と私の味方をした。
 
次に朝になって宿題をしていた末っ子を叱っていると、
「また・・・」と私を叱る声を牽制する。
 
・・・はっきり言って最近のだらしなさは、
あんたが先回りしてなんでもやってやるから、
自分で何も出来なくなってるんだ!!
と言ってやりたかった
 
そうやって甘やかして育てた末っ子から、
私ら夫婦は幼い子供三人も抱えて、
借金の肩代わりもさせられた。
 
はっきり言って今日はじいさんの顔も
うんざりして見たくないのだ。
連中に用事が出来て、ああ、助かった。
 
子供のやるべきことを大人がやってしまうのは、
優しさでもなければ教育でもない。
 
そんなの単なる自分がいい人ぶって、
子供たちに好かれたい建前だ。
 
あのじいさんは、「子供にやらせてください」と
言ってもやらせようとしないのだ。
 
最終的にはじいさんに責任を取ってもらおうかと思う。
 
制服を洗濯に出してなかったので、
なんで出さなかったと娘に怒ると、
「わしがハンガーにかけてやってたのだ」と庇う。
 
そんなの関係ないのだ。
娘に日ごろ教えていることが実行出来てるかの確認だか、
娘をそうやって庇うので、
私は分かりやすく怒った顔で黙りこんだ。
 
もう話にならん。
 
最近ではなるべく顔を合わせないようにしている。
精神衛生的に彼に付き合うとストレスが溜まる。
 
もう十分気を使ってきたと思う。
 
早く良くなりたいので、接触の機会を減らすのが一番だ。

毒気に当たり ケータイ投稿記事

春蘭ダウン

熱が出始めました。知恵熱???
まあ風邪薬飲んでゴロゴロしてます。

熱があるほうが痛みは治まるのよね。
不思議。




ベッドの中で読む本が東洋武術やら古武術やら

色気がありません

でもハ−レクインも読み飽きてきた。

グリーで恋愛ゲームをしてみたが
仕方なく年下の男だったので
気が乗らなかったせいか

・・・振られた(爆)

恋愛の才能は皆無みたい。

というかいらつきます。男の優柔不断には

昔からあまり恋愛話に興味なかったもんな。

相方は洗濯物取り入れろというと
いらついてたたき付けながら入れて
ゴルフの打ちっぱなしに行きました。

こんな奴だからさ〜。

労るということを知らんのです。

三人子供達がいると
今更恋愛もね〜。

子供達がかわいいので十分です。

期待するほど虚しくなるし。

離婚する気力もなし。

今度は辞めないよ^^

ほんとはあんな前記事あげるべきじゃないんですが。
 
またやってると思われる方もいるかもしれないです。
 
でもね、腹の底からぞくっときたと言うか、
…正直怖かったんです。
 
ほんとにいつまでもつけ狙われてるみたいでね・・・。
 
もう数年、そのヨシュアというハングルを持つ男と、
マグダラのマリアという男が名付けたハングルを持つ女に、
監視されてるような状態なんです。
 
ヨシュアは自分が一番じゃないといけないみたいです・・・・。
別に私は一番とか二番とか気にしたことないです。
 
マリアに接した時も、かなり挑戦的で威圧的だった彼女と、
何とか会話を成立させようと私は努力しました。
まさか彼女がヨシュアの手先だと知らずに。
 
「今度のブログは上手くいくといいですね」
 
別ハングルを使って前のブログ炎上の原因の一人だった
人から言われると、…怖くないですか?
 
自分のやってることの異常性が分からないのって、
どうなんだろうって思います。
 
彼らのやっていることは、とある精神病理に突き合わせると
見事に一致します。
ちょっと悲しくなります。
 
ちょっとどころか、やっと回復してきた体が重たくなって・・・。
なんだか彼にエネルギー持ってかれるか、
変なもん植えつけられた気分です。
 
でも、それでも負けちゃいけないんだって思います。
 
彼らはきっと何かに怯えてるんです。
でないと、彼自ら出張ってくるとは思えません。
 
もし私が気付かなかったら、
あのまま会話をしてブログを崩壊させるつもりだったのかな・・・。
また炎上させるつもりだったのかな。
私はこういう裏での戦いが何年もずっと続いてます。
 
自ら出向いて訴えると、必ず悪者にされて嘲笑の的にされます。
 
正攻法で行っても、根が普通じゃないので、
対話にならないのです。
 
表でいい人ぶってるあの連中を心底、タヌキだ狐だと思ってます。
怖いのはそのいい人の仮面を信じていて、
すっかり信者になってる人たちがいることです。
通っている人たちがいることです。
その人たちの多くが、今徐々に「洗脳」されている怖さ。
 
私と会話をした牧師さんも、
私と同じように訳も分からない言いがかりをいきなりつけられ、
自分を信じろ、崇めろ、私は再臨主である、自分に仕えろと、
内緒コメントで彼らにずっと脅されているのです。
 
マグダラのマリアに至っては、
公衆の面前であるブログの公記事で、
その牧師さんを非難して回っています。
 
クリスチャン特有の固さはあるけれど、
真摯に信仰に向き合う
朴訥だけど真面目で優しい牧師さんです。
それで、夜も眠れないのだと言っています。
 
牧師さんに言わせると、
彼らの考え方は「統一教会」の教えなんだそうです。
やっぱり新興宗教にはまる人はそれなりに異常なんだと思います・・・・。
 
まともな神経をしていたら、
こんな言動をすれば相手を傷つけるんじゃないかとか、
普通は考えます。
 
もちろん今、傷ついている人たちもいるので、
その気持ちも分かります。
でも、同情しても彼らがみじめになるだけです。
 
彼らが幸せになるためには、
その傷を乗り越えていく強さを身につけていくしかない。
 
世の中が欧米文化になって、なんでもサービス手取り足とりが
当たり前になって、
思いやりで接してもサービスであり当然だと割り切って、
ありがとうという感謝の気持ちが出てこなくなった日本人。
 
何かあると、やってくれないことであるとか、
こうあるべきだと糾弾するばかりになってしまった日本人。
耐え忍んだり、切磋琢磨したりする姿を忘れてしまった日本人。
その際だった人たちが行きつく先が、新興宗教だったりします。
 
だからマリアにいたってはいろいろ彼女の悩みを昼夜問わず助けた事よりも、
私が弱ったりいらだったりしているのを中傷批判して、
面白がる方が彼女にとっての正しさだったりするのです。
 
多分こんなことをしていると、
必死に呪いをかけられているのかもしれませんが、
でも私には私の信仰があります。
 
日本人の本来持つうつくしさを
自然の素晴らしさを、
優しさを
たった戦後の50年足らずで皆忘れてしまっていたけれど。
 
でも私たちのDNAには刻み込まれています。
それこそが私が信仰すべき種子でもあります。
 
今人心の流れはその信仰の大元へ、
また流れようとしています。
 
それは明らかに、
マリアやヨシュアたちの教えようとしている事とは
違う流れなんです。
 
誰かカリスマが現れ、
救われることを待ってるだけでは、
人がほんとに救われることはありません。
 
自分たちを信じ愛し、土地を信じ愛し、
新たな故郷を作ろうとしている人たちがいる今、
それは詭弁でしかありません。
 
生活物資が届かない間、
震災被害者たちは自ら山に入り、
薪となる木々を拾い、食物を採集し、
飢えをしのいだだけではなく、
避難所に移ってからはトイレが足りなくなれば、
自分たちでトイレを作り、
自分たちで運営する組織を作って
自分たちで盛りたてて励まし合ってきた。
 
決してうずくまってなどいなかったのです。
 
悲しみの傷は消えない。
でもそれでも、震災後、地域の連携はぐっと深まり、
避難所が閉鎖された今も、
お互いの交流が持たれているそうです。
 
でもそれが、本来の日本人が大切にしてきた
日本の姿なのです。
 
そこにキリスト教はなかったんです。
聖書などの固定的な教科書もなかったのです。
 
人は親や地域の長老を大切にしながら
それらを教わり、
それを次世代にきちんと伝えてきた。
 
途中、戦があった時代があったけれど、
それでも最後には人を信じ、土地を愛して、
絆を深める方向でやっていた。
 
皆の心の中には本来その光の種が、
ちゃんと備わっているのです。
 
たとえ今仕事で疲れてどんなに上司に怒鳴られても、
腐ることはない。貴方の中の優しさや思いやりは、
消えることはありません。
 
どんなに辛い環境の中でいじめられていても、
貴方の優しさの種は消えることはありません。
 
その優しさの種が貴方を幸せにする力の源であるから。
 
だからその優しさの種の宿った自分を
どうか大切にしてください。
 
キリスト教や様々な宗教がありますが、
最終的に書いてあるのは、
自他をどれだけ愛せるか大切に出来るか。
 
それが出来るのは他人ではありません。
まず自分自身なんです。
 
自分を救うのは最終的には自分自身なのです。
 
外に求める限りは、本当の幸せはやってこない。
 
カリスマが助けてくれた時には、
貴方が家族や仲間と幸せになるための
一財産を持っていかれていることもありえます(苦笑)。
 
人は助け合う生き物だし、
弱くなったら誰かにすがらないといけない時もある。
 
でも、すがり過ぎないことが貴方の幸せです。
 
いつか杖がなくても一人で立ち上がって歩けるように、
そうなることが幸せです。
 
寝込んでいた時期を過ぎると、
私は今働けるのが嬉しいです。
 
洗濯物、掃除出来るのが嬉しいです。
 
ちゃんと動けるって幸せを噛みしてられるのは、
本当に贅沢だなと思います。
 
まだ思う100パーセントではないけれど、
そこまでたどりつくのがまた希望でもある。
 
だから呪われて一時期不幸せになっても、
私はその分、乗り越えたことや到達できた時の喜びで、
その倍幸せになっています。
 
だからもう負けません^^。
 
好きなだけ呪えばいい。不幸せを願えばいい。
 
でも神様はちゃんと守ってより幸せにしてくれていますから。
私はそんな自分を信じています。
もう相手にしません^^。
ずいぶん、気にならなくなりましたよ。
 
どうやら、昨日コメントのあった成駒さんは、
ヨシュアという人ご本人だったようだ。
成駒というハンドルを使って、
私が会話していた牧師さんやご家族の実名を出して、
批判行為を繰り返してたみたいです。
 
・・・・自称・聖職者、自称・救世主のやることかっつーの。
品がありません。
 
さて、私が書いた事、
どう感じてくれただろうか^^。
私のもとからは早速撤退されたようですが。
 
でも、もっとも私は今のヨシュアさんが、
私がかつて知っていたヨシュアさんと
同じ人物とは思えないのです。
 
考え方と言うか、行動と言うか。
あまりに乖離しているので、
本人のブログを誰かが受け継いで、
それでトラの皮を被った狐よろしく、
身勝手なことをしているんじゃないかと思います。
 
私が知っている本来のヨシュアさんは、
思いやり深く、とても控えめで、
穏やかな姿を絵にかいたような人でしたから、
そんな別ハングルを使って誰かを攻撃するような、
テロリストみたいな無謀なこと誇りのないことは、
なさらないんじゃないかと思います。
 
どうやら、彼の手下のマグダラのマリアが
私が体調が悪いのを知って狂喜乱舞してるみたいです。
祈りが届いたとか何とか。
 
いろいろ薬など試して効かない時は、
呪いなんだそうですよ(苦笑)。
でも放置してます。ムキになるのもばかばかしい。
 
はっきり言います。
 
これは多忙を極めた夏の疲れ。
そしてS字側湾症の合併症です。
マリアの祈りとは関係ありません。
別に罰が当たったわけでもありません。
 
だって私を捨てて、公に奉仕したことで罰が当たるのなら、
その神様はどんな神様なんだってーの?
マリアの勧めるキリストの教えでは
人に奉仕しなさいと教えてるのではないの(苦笑)?
 
自分でよく分かっています。
踊り連の重圧はとても大きいものです。
保護者に動いてもらうには、
意見を述べる事さえ出来ません。
ご機嫌を損ねたら、そこで徒党を組んで作業のボイコット。
何を言われても耐え忍び、
何を言われても笑顔で対応しなければ、
踊り連は動いていかないのです。
どんなに頑張っても褒められもせず、感謝もされず、
最後にはつるしあげにされる仕事です。
それを完全ボランティアでやるのです。
腰が悪かろうが、当日その日一番動いて走り回るのも
私の仕事でした。
 
その疲れは中々抜けきれませんでした。
側湾症の性質から、過労は体に溜まり、
そこから肋間神経痛などの症状を引き起こし、
睡眠を阻害したので、
仙腸関節の機能障害にまで至ってしまったのです。
 
今度からは疲れは早めに取る。
しっかり休むということ、また毒素を出すと言う事、
また背筋を伸ばすということを普通の人以上に心掛ければ、
治ってからは怖いことはありません。
それが私の側湾症という病気との付き合い方。
今回はそれがよくわかったので、
病気になってむしろよかったのです。
これからまだ長い付き合いなのですから。
 
そうやって、私は病気ときちんと向き合って、
ぜんそくも乗り越えてきたんです。
空手で頑張るのもぜんそくがあったから。
もっともこれも、側湾症によって誘発されたものでもある。
最初のうちは、空手で運動誘発されて、
ぜんそくをおこしながらだって休み休み練習したのです。
ちゃんとその一番辛い時を耐えてきたんです。
 
今度も一緒です。
次に動けるようになった時は、
より空手も動けるようになっていますし、
心も体も以前よりも健康に導かれています。
 
彼女がどんなに私の粗を探して責め立てる材料を見つけて、
喜びまわっていたとしても、
逆を言えば人の不幸と一見思えるような事を
罰が当たったと喜ぶ神経の方が、
普通の人とは違い、異常なんじゃないかと思えます。
 
彼女はトラぶったところしか見ません。
大事なのはそこから立ち直っていく過程とその成果です。
そこに人としての尊厳もあります。
人間としての可能性も希望もあります。
 
私は生きることにも頑張ることにも、
全く絶望していません。
でなければ、まだ痛む足腰をひきずって、
道場で辛いリハビリみたいな練習はやらないのです。
 
空手をやり始めて1年になります。
 
大変だったけれど、私にとって大きな意味のある一年だった。
心情的肉体的に辛いことも、
もともと病気を持っている分たくさんありましたけれど、
それでもいろんなことを乗り越えてきたので、
挫折もそれほど怖くありません。
 
不幸のカードを裏返したら必ず、
そこには幸せのカードが微笑みます。
 
不幸のカードは重たいのでひっくり返すのが大変ですが、
諦めなければそこには本来の幸せの姿があります。
 
だから私は大切な人たちにも伝えたいんです。
 
幸せになることを決して諦めないで。
 
神様は罰を与えるのではありません。
幸せのカードをめくるチャンスを与えてくれているんです。

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