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嫌なら帰ったら

嘘です。
奪ってなんかしてませんよ。
日本みたいにね、自由な国でも意図してなのか無知なのか事実とまったく違う結論に。
左翼や朝鮮人は多分意図してなのかな。
奪ったなんて書いてますから知らないものなら立派な農地か何かと思うでしょうけどね。
事実は違うんですよ。
実際朝鮮で資料を詳しく調べてソウル大学の教授は日帝は誠実に土地所有者を確定したと書いてますけどね。
東洋拓殖とか不二興業なんかは湿地とか干潟を乾田干拓したんですよ。
画像は不二興業が郡山の干潟を干拓して作った農地です。
朝鮮人や左翼はこれをして土地の収奪だと言い張るんですけどね。
画像



      民団神奈川県央支部 楽しく読める韓国史

〒242-0021 神奈川県大和市中央5-2-24 (地図) TEL 046-261-4553 FAX 046-262-4447

55.こうして土地は奪われた

武力を盾に土地を奪う(1910〜1918年)
韓日合邦条約の成立で大韓帝国が日本の植民地となると、日本は大韓帝国を朝鮮と純宗(スンジョング)皇帝を李王と呼ばせると、朝鮮総督府を設置し初代総督には寺内正毅を任命した。寺内は総督に就任すると直ちに土地調査に着手する。乙巳条約締結の頃から朝鮮の土地略奪に高い関心を示していた日本は、1908年には東洋拓殖株式会社を創設すると現物出資の名目のもと1万1千町歩(1町歩は3千坪)の朝鮮政府の土地を略奪した。時間の経過と共に日本人が朝鮮に所有する土地は急激に増加した。日本は韓日合邦が締結するとその年の内に土地調査局を設置し、1912年には土地調査例を下して本格的な土地調査を始めるが、その当時の朝鮮の大半の人々は土地調査の本質的な意味合いをこの時には全く理解していなかった。日本はこうした点も利用して多くの土地を奪ったのだった。日本は表面的な土地調査の実施に際して調査の目的を、「①地税の負担を公平にする、②所有権を保護して売買と譲渡を円滑にする、③土地の改良と利用を自由に行い、生産力を上げる」とした。

土地調査実施
日本の行った土地の調査方法は土地調査例の第4条に依拠したものだが、土地所有者が住所・姓名または名称・所有地・地目・字番号・等級・地積などを申告すると地券を発行するというものだった。

民有地は所有者が、国有地は官庁が申告することとされたが誰にでも適応された者ではなかった。土地申告制は多くの土地を所有していた両班たちには有利に働いたが、実際に耕作をしていた農民にとっては不利なものでしかなかった。代々守って来た筈の土地を国有地だと言われて奪い取られたり、一族や村の共有の土地を有力者が自身の土地だと申告したり、申告はしたものの手続きと様式が厄介で“証拠不明”や“手続未備”で土地の所有権を失う場合など多く見られた。その結果、朝鮮総督府は約90万町歩の土地を所有することとなった。総督府がこの様に多くの土地を奪うことが出来たのは、申告をしなかった民有地・駅屯田・宮院田・牧場田・門中田畓・宗中山林などの全てを国有地として処理した為だった。

総督府はこうして得たすべての土地を東洋拓殖株式会社や日本人が経営する不二興業などに廉価で払い下げた。この結果、東洋拓殖株式会社は1920年に約10万町歩の所有することとなり、他の日本人の土地所有会社は合せて約20万町歩の土地を所有した。それだけでなく、個人的に土地を所有した日本人も多く約7千人が土地を所有してその面積は17万町歩余りにのぼった。もともと耕作権だけを持っていた農民たちは、その耕作権さえも奪われて新しい契約のもとで小作人に転落し、地主となった者は際限のない多くの小作料を望んだ為に小作農民たちの生活は更に苦しいものとなった。その結果、多くの人々が開拓田を求めて山に入ったり、都市の日雇いに出たりした。また更に多くの人々が故郷と家族から離れて、満州・シベリア・沿海州・中国・日本・アメリカなどの遠く離れた地へと旅立っていった。この当時、人々が最も手易く行けた所は満州を始めとする中国であったが、その最大の理由は歩いても行けることであった。

山までも奪う
1918年土地調査を終えた日本は次に目を山に向け林野調査令を下す。当時の山は人の生活に無くてはならない重要な存在であり、木材としては勿論のこと、燃料や肥料として、更には様々な食料を山から採取していた。ところが、山の大部分は村の共同所有地などであった為に土地調査の際と同様で、林野調査を終えた時には全国で全1万6千余町歩の林野の1万3千余町歩が国有林とされ総督府の掌中へと移った。こうして日本が野や山を思い通りに出来たのは日本の行政力と警察力によるものだったと言えた。武装した憲兵達に警察の任務までを付与して朝鮮各地に送り日常生活を監視させた。更に監視だけでなく統制も憚らず、絶望した多くの者たちが国外へ夜逃げ同然で移って行った。この後、1945年に解放されるまでの36年間、これ等の土地の凌辱も続けられるのだった。朝鮮総督府は全国各地に憲兵を配置して政治結社や集会を厳しく取り締まり、大韓毎日新報などの言論機関も閉鎖して京城日報に統合させるなど統制も強化した。また、憲兵は義兵たちを“不逞の徒”、独立運動家たちを“頑迷之徒”と呼んで裁判を経ることなく投獄・鞭打ち刑・科料など勝手に処分したりした。また、学校では日本人教員たちにも制服を着せ、刀を持たせ軍隊的威圧し民衆を抑圧するなど思いのままを尽くした。


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