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なんともはや

 
日本の首相が嘘つきとは。

この国会中継最後のところ見たんですけどね。
何でこんなことで嘘を言わなければならないのでしょうかね。
歌っていないなら歌わなかったがこれからは積極的に歌うといえばいい話だと思うのですけどね。

いやいや、そもそも反対だったんだから自分の好きな国旗や国歌に変えればいいじゃないですか、衆院で過半数持ってるんだからね。
旧ソ連の旗とか国歌とかね。
左翼なんだからある意味当然でしょ。
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菅首相、国会でウソ!?「君が代歌ってない」証言続々
2010年08月05日17時00分 / 提供:ZAKZAK(夕刊フジ)
 菅直人首相(63)が国会でウソをついた可能性が高くなった。衆院予算委員会で、ラジオ番組で国歌「君が代」を歌わなかったと指摘され、菅首相は「そういう態度を取ったことはない」とブチ切れ答弁をしたが、それを否定する証言が続出しているのだ。国会での虚偽答弁は、辞任もあり得る重大事態。参院選大敗後の「居座り続投」以上に、国民の信頼を失墜しかねない展開となりそうだ。

 「さっき、石原慎太郎都知事にも会ったが、『俺も(タレントでパーソナリティーの)ミッキー安川氏から、菅氏は君が代を歌わなかったと聞いている』と話していた。国会でのウソは、国民に対してウソをついたことになる」

 注目の質問に立った、自民党の平沢勝栄衆院議員(64)は4日、本紙にこう語った。平沢氏が取り上げたのは、2002年5月31日、ラジオ日本で放送された「ミッキー安川のずばり勝負」での出来事だ。

 菅首相は当時、民主党幹事長としてゲスト出演。番組では途中、出演者全員が起立して君が代を斉唱することになっていたが、平沢氏は関係者の証言をもとに、「首相は『歌いたくない』と言った」「皆さんに勧められて立つことは立った。ミッキーさんのご子息や、その時にそばにいた人に聞いている」と切り込んだ。

 これに対し、菅首相は質問途中から「ウソだ」とヤジを飛ばし、顔を真っ赤にして、「こういう場でそこまで言うなら、その時のテープでもいいから、きちんと証拠をあげていただきたい」「小中学校時代から、国歌を斉唱しないとか、そういう態度をとったことはない」と断言したのだ。

 そこで、放送したラジオ日本に聞くと、「平沢氏が質問したようなことは、番組関係者も証言している。ただ、録音テープの保管期限は法的に3カ月しかない。ラジオ日本としては、どちらとも言えない」と語る。

 一方、今年1月に亡くなったミッキー安川氏の事務所からは、放送当時のスタッフの証言として次のような書面が届いた。

 《この番組では、番組中に『君が代』が流れる場面があり、ミッキーさんをはじめゲストもみんなで立ちあがって君が代を斉唱するのが慣例となっていた。菅氏は立ちあがって君が代を聞いてはいたが、一緒に斉唱するのは拒否した。後日、ミッキーさんは『右も左もなく、自分の信念を通すことは立派である』と語った》

 また、放送に立ち会った別の関係者は「菅氏は最初起立もしなかった。ミッキーさんに手ぶりでうながされて、やっと立った。君が代斉唱後、ミッキーさんに『何で歌わないの?』と聞かれ、菅氏は『違和感がある。曲がちょっと…』などと語っていた」と説明する。

 つまり、菅首相は国会でウソをついた可能性が高いのだ。

 そもそも菅首相は「国旗を日の丸、国歌を君が代」とする1999年成立の国旗国歌法に反対。衆院可決翌日(7月23日)の朝日新聞には、菅首相の「天皇主権時代の国歌が、何らかのけじめがないまま、象徴天皇時代の国歌になるのは、国民主権の立場から明確に反対した方がいい」とのコメントが掲載されている。

 ところが、今年6月14日の衆院代表質問では、「私は、国旗は大好きでありますし、国歌も決して嫌いではありませんけれども、もっと元気のいい国歌であってもいいかなという意見もありまして…」などと答弁している。

 政治評論家の森田実氏は「国会でのウソが事実ならば、極めて重大な問題だ。ウソが証明されれば菅首相は辞めざるを得ないだろう。そもそも、菅首相は消費税増税の顛末や、普天間問題でもウソと詭弁を弄し、言い訳ばかりしている。ウソを言うのは恥であり、良心の痛みを感じるもの。それを感じない人物が首相になっていることが大問題だ」と語っている。

とにかく歴史を捏造するんですよね。
 
【国内】韓国側に見られる荒唐無稽な歴史研究の特徴・・・〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜より[08/04]
 韓国の聯合ニュース(電子版)は6月11日、
竹島を不法占拠する韓国側の竹島(韓国名、独島)研究の現状を象徴するような研究結果を報じた。
それは「新羅時代、独島を表示した欝陵島地図があった」とするもので、そこには復元された「于山国図」が掲載され、新羅時代の欝陵島地図が朝鮮時代の粛宗の時まで存在したとする鮮于栄俊博士の主張が紹介されていた。
 鮮于氏は、新羅時代の欝陵島地図が粛宗時代まで伝えられていた根拠として、『粛宗実録』の「粛宗二十年甲戌三月辛卯條」を挙げた。
聯合ニュースによると、そこには「新羅図、此島亦有国名」の一文があるため、鮮于氏はその「新羅図」を新羅時代の地図と解釈して、次のように語ったと言う。
 鮮于氏は、
「日本と欝陵島の領有権に関連した紛争が発生した朝鮮時代の粛宗の時、領議政の南九萬が『新羅時代、この島(欝陵島)を描いた地図にも国名がある(新羅図此島亦有国名)』とした点を挙げて、 欝陵島が朝鮮の領土であると主張する内容が出てくる」として、「これは新羅時代の欝陵島地図が粛宗時代まで伝えられていたとみられる」とした。
 だが、この『粛宗実録』(「粛宗二十年甲戌三月辛卯條」)と同じ記述は、『承政院日記』(粛宗二十年閏五月庚寅條)にも見られる。
そこでは欝陵島を日本領とする對馬藩の主張を伝える東莱府使からの報告を受け、朝鮮の重臣等による御前会議の模様が記録されている。
その中で、領議政の南九萬による「新羅図、此島亦有国名」の発言は、次のような脈略の中で語られていた。
「南九萬曰、臣見新羅図、則此島、亦有国名。降新羅納土貢。
 高麗太祖時、島人献方物。我太宗朝、不勝倭患。遣按撫使、刷出流民而空其地」(臣(南九萬)、新羅の図を見ると、この島(欝陵島)にはまた国名がある。(その于山国は)新羅に降って土貢を納めていた。
高麗の太祖の時は、島人(欝陵島の人)が方物を献じ、我(朝鮮の)太宗の時代、倭患(註1)にたえず、按撫使を派遣して、欝陵島に逃げ込んだ流民を刷出(連れ出)し、其の地(欝陵島)を空島にした)
 この『承政院日記』(粛宗二十年閏五月庚寅條)を読むと、南九萬が言う「新羅図」は、新羅の版図(領土)を描いた「新羅図」と解釈することができる。
それを「新羅時代の地図」とするのは、文献が読めていないからである。
冒頭から南九萬が「臣見新羅図、則此島、亦有国名」としたのは、「此島(欝陵島)」が新羅時代のみならず、高麗の太祖や朝鮮の太宗時代も朝鮮領であったと強調するためで、新羅時代の「欝陵島地図」と読める記述はない。
それを鮮于氏は、『粛宗実録』の「新羅図」を新羅時代の地図と誤読し、「于山国図」までも復元して、次のような憶説を披瀝したのである。
 
「この「于山国図」は、新羅の異斯夫が于山国を征伐した512年よりも前に描かれたもので、欝陵島と独島の距離は欝陵島人の漁業などを考慮すると、この地図には独島が描かれたはずだ」
 鮮于氏は欝陵島人の漁業などを考慮したと言うが、欝陵島で漁業が興るのは1903年、日本人が欝陵島の近海でイカの好漁場を発見して以後である。
現在の欝陵島ではイカ漁が盛んなため、鮮于氏は新羅時代もそうであったと、憶測したのであろう。
鮮于氏は、「于山国図」が512年以前に描かれていたと言うが、それを実証する文献的根拠も示していない。
 さらに鮮于氏は、「よく晴れた日、独島は欝陵島から肉眼で見える距離にある。
 欝陵島の居住民は、独島だけに棲息する海驢を捕まえ、油を確保しなければならなかったため、欝陵島地図に独島を表記しなければならなかった」とし、「于山国図」の東南側に「船舶可泊」と注記された島が独島であるとした。
 だがここまで来ると、この荒唐無稽な鮮于氏の主張を報じた聯合ニュースのセンスを疑いたくなる。
17世紀末、日本と朝鮮の間で欝陵島の領有権が争われたのは、鳥取藩米子の大谷・村川両家が欝陵島で漁労活動をしていたことが発端である。
鮮于氏は「独島だけに棲息する海驢を捕まえ、油を確保しなければならなかった」とするが、欝陵島の倭●(舟へんに工)倉(現在の道洞)では、海驢の油が採取されていた。
その場所を1694年、欝陵島捜討官の張漢相が確認し、張漢相も欝陵島で「或は十、或は百。群れを成して穴居」する海驢を目撃している。
(因みに竹島(独島)の海驢が絶滅するのは、韓国側が不法占拠して以後である)
 このように見ると、鮮于氏の研究は、文献的根拠を示すことなく、自分の意見と歴史を混同して語るところに特徴がある。
それは鮮于氏が復元したとする「于山国図」の解釈でも共通している。
鮮于氏はソウル大学奎章閣所蔵の『地乗』から「于山国図」を復元したといい、1800年代に製作された『大東総図』や『八道輿地図』は、「実際に欝陵島に居住する人でなければ描けない地図」とした。
その根拠は、この地図が6つの河川を中心に制作されているのは、飲料水の確保が難しい島での生活と関連し、
陸地の河川に比べ途方もなく小さな河川に「大川流出」と注記するのは、地図製作のため少しの間、現地調査した外部の人は書かないからだという。
それに欝陵島の中峰から島の周辺までの距離が体系的に記されているのは、島に高度な政治体系があった時に調査されたと見なければならない。
そのため「于山国図」に先立つ原型があったと見るべきで、それが『粛宗実録』に出てくる「于山国図」だと言うのである。
聯合ニュースは、その論拠として、「512年に異斯夫が于山国を征伐した後には、欝陵島に精密な行政体系が存在しなかったためだ」と断言した鮮于氏の発言を挙げている。
 歴史研究では、文献批判や先行研究に対する検討が不可欠である。
鮮于氏は「于山国図」を復元する際、ソウル大学奎章閣所蔵の『地乗』を基本とし、『大東総図』や『八道輿地図』等に収録された欝陵島を「実際に欝陵島に居住する人でなければ描けない地図」とした。

 しかしそれらは、いずれも欝陵島捜討官の朴錫昌が1711年に作画させた「欝陵島図形」(写真)が基になっている。
鮮于氏が、「于山国図」の東南側に「船舶可泊」とした島も、朴錫昌の「欝陵島図形」から登場した実在しない五つの島の一つで、「船舶可泊」の注記は本来、欝陵島に記されていたものである。現地を知らない者が、転写した結果である。
 また「大川流出」の表現は1694年、欝陵島捜討官の張漢相が現在の南陽洞を流れる河川に使ったもので、
「大川流出」の注記は朴錫昌の「欝陵島図形」でも踏襲されている。鮮于氏が根拠とした「大川流出」や「船舶可泊」の説明は、全くの創作である。
それに鮮于氏は、「地図の中峰から島の周辺に向かって、その距離が体系的に記されているのは、島に高度な政治体系があった時」の調査とするが、中峰(聖人峯)から海岸線までの測量は、歴代の欝陵島捜討官が行なったもので、欝陵島の高度な政治体系とは無関係である。
 この鮮于氏のように、文献に依拠することなく、空想と憶断で歴史を語る傾向は韓国側の竹島研究には多いようである。
竹島の領有権を主張する歴史的権原がない韓国の人々が、「独島は我領土」として疑わない理由も、これと無関係ではない。
韓国側では、誤報の認識は無いようなので、敢えて誤謬を指摘することにした。
(欝陵島捜討官の朴錫昌が1711年に作画させた「欝陵島図形」。後の欝陵島図の原型となる)
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/takeshima05-i.data/27-2.jpg
(註1)
南九萬は、欝陵島の空島政策をとった背景を説いて、「我太宗朝、不勝倭患。遣按撫使、刷出流民而空其地」とし、倭患(日本側)に求めた。
だがもともとの『太宗実録』の記述では、欝陵島の空島化は、欝陵島に逃げ込んだ朝鮮の民が(日本人に成りすまし)
仮倭となって対岸を襲ったことが端緒とされている。
朝鮮政府は、流民(朝鮮人)が欝陵島に住み着くと、島が倭寇の巣窟となることを恐れたからだ。
この曲解から事実無根の歴史認識が成立していく過程は、朝鮮半島の文献ではしばしば見られ、今日、歴史問題が絶えない理由の一つとなっている。
ソース 島根県・実事求是 2010年8月4日掲載
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/takeshima05-i.html

マルクス教も頑張れよ


今まで何度か書いてきたけど共産主義自体が宗教ですからね。
中国なんか昔から色々な宗教があるわけですね。
例えば厩戸の王子とは聖徳太子のことですけど、これは中国からキリスト教が入ってきたのではないか、或いは影響を受けたのではないかと言われてるわけですね。
つまりそれほど古いわけです。
共産党はウイグルなんかで凄まじい弾圧をしているわけですが9.11以来欧米は何も言わなくなっていますね。
ロシアのチェチェンも凄まじいですな、見せしめですけどね。
中国も将来は自由も民主主義も認めなければならなくなりますよ、マルクスじゃないがそれが歴史の必然です。
でもね、果たして中国がそれで纏まれるかですな。
 
【中国】 キリスト教人口が1億人超、非公認組織の「家の教会」が信者数80万人。政府も無視できない規模に [08/03]
★非公認キリスト教組織「家の教会」、教会数80万を超す=政府、弾圧は不可能?―中国
2010年8月1日、シンガポール華字紙・聯合早報は、中国のキリスト教人口がすでに1億人に達しており、
非政府系のキリスト教組織「家の教会」の信徒数が80万を超えていると報じた。
2020年までに中国のキリスト教徒は2億人規模になることが予想されているという。
中国の民間シンクタンク「世界と中国研究所」の李凡(リー・ファン)所長の話として伝えた。
近年の中国全土での家の教会の発展と信徒数の増加は、
国内外の宗教関係者だけでなく、広く社会学者などの関心も集めている。
李所長によると、中国の宗教復興の根本的な原因は、
中国社会が精神的土台を必要としていることにあるという。
家の教会は信徒の家を集会所とし、その大部分は当局に登記していない。
これまで、家の教会など中国キリスト教についての議論や報道は当局により大きく制限されていたが、
家の教会がすでに一定の規模にまで成長したため、学者を含めて無視できなくなってきた。
最近は、政府系メディアでも家の教会についての報道を多く目にするようになってきている。
同所長は言う。「家の教会は改革開放の産物だと思っていたが実は違った。
文革当時、仏教、道教などは寺院のすべてが破壊され壊滅状態となったが、
公の教会堂を必要としない家の教会は農村で急速に発展した」。
同所長によると、最も古い家の教会は河南省で成立したという。
多くの信徒が、文革の政治的迫害と生活の困窮のなかで、キリスト教信仰にすがった。
中国政府は今、過去のように家の教会を警察によって厳格に管理するか、
それともこれを容認するかという大きな岐路に立たされている。
しかし国家権力による弾圧は逆に教会を成長させることを政府は経験的に知っている。
宗教復興が中国の目指す現代化と矛盾しないか、或いはこれが中国の「ソフトパワー」増大
に寄与するかどうか、など判断していくものと見られる。(翻訳・編集/津野尾)

ソース レコードチャイナ 2010-08-03 11:06:26
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=44227

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