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彼の死に対して正当な理解を示している人は殆どいない。
残念なことです。
三島氏の死に対する私の気持ちを表現します。少し長くなりますので、上、中、下に分けて掲示します。
よろしかったら、お読みください。
写真 総監室のバルコニーで自衛隊員に
檄を飛ばす三島由紀夫氏
三島由紀夫はなぜ割腹自決したか?
40周年忌によせて 今年も、あの11月25日がやってきました。
作家、三島由紀夫が壮烈な最期を遂げて早や40周年忌になりました。
今年は、1970年11月25日のその時刻に何処で何をしていたのか、著名人100名の記録を辿った単行本「昭和45年11月25日」という奇妙な題名の本も発刊されました。
日本国中に衝撃を与えたあの事件も遠い記憶になりつつあります。
三島氏がなぜあのような壮烈な最後を遂げなければならなかったのか?。
三島由紀夫の死に対して,各界の人達は文学の行き詰まり、思想上の問題等いろいろ云っておりますが、納得できるものが見られません。
私は、三島氏が20歳の頃の徴兵入隊検査で不合格という不名誉な烙印を捺された時に受けた、自尊心に対する屈辱感が彼の人生を暗黒の底に叩き落とすほどのダメージとして刻印され、その名誉回復の為の二十歳以後自決した四十五歳までの戦いの日々であったものと感じます。
4年前の36周年忌に書いた小文を添削して再録し、三島由紀夫氏の冥福をお祈りします。
その年は、大阪で万国博覧会が開催された年でありました。 1970年(昭和45年)秋も終わりに近い11月25日水曜日の午後3時頃、大阪市内を会社に向かって車を走らせながらラジオを聞いていました。
急に、アナウンサーの悲鳴にも似た緊張した声が聞こえてきた!。
作家の三島由紀夫氏が!、今日の正午過ぎ、自衛隊市ヶ谷駐屯地の東部方面総監部に「盾の会」の隊員5人と共に押し入り、益田兼利総監を監禁して立てこもり、「盾の会」の森田必勝と共に割腹自決した!。
と言う放送が飛び込んできた!。
????えっ、これは何だ!。
ラジオは次々に詳細を報じている。 三島由紀夫は総監室のバルコニーに軍服姿で鉢巻をして一人で立ち、
「自衛隊は憲法の私生児から立ち上がり、日本を、日本の真姿に戻すために至純の魂をも持っ一個の男子として、真の武士として立ち上がれ!。」と、
長文の檄文をバラ撒き、自衛隊隊員に必死に呼びかけた!。
三島氏の肉声の激烈なアジ演説は「どうして?」、「なんのため!」自衛隊員の野次馬的怒声にかき消され、命をかけた決起は不発に終わったのである!。
今年も、あの11月25日がやってきました。
作家、三島由紀夫が壮烈な最期を遂げて早や40周年忌になりました。
三島氏がなぜあのような壮烈な最後を遂げなければならなかったのか?。
三島由紀夫の死に対して,各界の人達は文学の行き詰まり、思想上の問題等いろいろ云っておりますが、納得できるものが見られません。
私は、三島氏が20歳の頃の徴兵入隊検査で不合格という不名誉な烙印を捺された時に受けた、自尊心に対する屈辱感が彼の人生を暗黒の底に叩き落とすほどのダメージとして刻印され、その名誉回復の為の二十歳以後自決した四十五歳までの戦いの日々であったものと感じます。
4年前の36周年忌に書いた小文を添削して再録し、三島由紀夫氏の冥福をお祈りします。
その年は、大阪で万国博覧会が開催された年でありました。
1970年(昭和45年)秋も終わりに近い11月25日水曜日の午後3時頃、大阪市内を会社に向かって車を走らせながらラジオを聞いていました。
急に、アナウンサーの悲鳴にも似た緊張した声が聞こえてきた!。
作家の三島由紀夫氏が!、今日の正午過ぎ、自衛隊市ヶ谷駐屯地の東部方面総監部に「盾の会」の隊員5人と共に押し入り、益田兼利総監を監禁して立てこもり、「盾の会」の森田必勝と共に割腹自決した!。
と言う放送が飛び込んできた!。
????えっ、これは何だ!。
ラジオは次々に詳細を報じている。 三島由紀夫は総監室のバルコニーに軍服姿で鉢巻をして一人で立ち、
「自衛隊は憲法の私生児から立ち上がり、日本を、日本の真姿に戻すために至純の魂をも持っ一個の男子として、真の武士として立ち上がれ!。」と、
長文の檄文をバラ撒き、自衛隊隊員に必死に呼びかけた!。
三島氏の肉声の激烈なアジ演説は「どうして?」、「なんのため!」自衛隊員の野次馬的怒声にかき消され、命をかけた決起は不発に終わったのである!。
しばらく車を走らせて、大阪市西区の阪神高速道路高架下の駐車場に着き、そのまま呆然としていた・・。
余りに突拍子も無い出来事に只、呆然自失である!。
時間がどれほど過ぎたであろうか5分なのか30分なのか分からないが、ややあって我に返り、そうだ!。やっぱりそうだったんだ!。三島由紀夫という人は戦後ずっと、木に竹を接いだ様な生き方をしていたのだからからナアー。 36年を過ぎた今日でも、はっきり覚えている自分の言葉です。
翌26日の新聞には、三島由紀夫氏が自衛隊総監部バルコニーから自衛隊員にゲキを飛ばしている片手を上げた軍服姿や割腹自決した総監室現場の写真が掲載されていた。
そして三島氏の唐突な自決に対する識者のコメントが載っていた。
コメントの見出し「観念的な文学死」司馬遼太郎。 「三島由紀夫の「美学」と「行動」」松原新一。 「才能の行きづまり」書けなくなった、有馬頼義。 「肉体の詩に過ぎぬ」江藤 淳。 「つかみ得ぬ不思議さ」ドナルド・キーン。 ”無言の死”川端康成。”驚いたー考える”野坂昭如。 作品と行動は別だが・・武田泰淳。
毎日新聞社説「三島事件は狂気の暴走」
外国からの反応も、「ネオナショナリズムを警戒」米国。 「いつかきた道の不安をこめて」英国。 「日本が誤解される恐れが」ライシャワー。 「英雄視されないことを望む」ローベル・ギャラン。(毎日新聞朝刊から抜粋)。
各社紙を合わせば相当な数のコメントが寄せられていたと想う。
その後も異才の文学者の異常な死に対しては、各界から多くの意見、感想が発表れている。
当時の国民にはセンセーショナルな一大関心事であった!。
昨年の35周年忌には活字の記事もいくらか見られたが、36周年忌の今年は少なくなり国民の記憶から消えかかった遠いものとなっている。
しかし、私にとっては、人生を生きてゆく道程の一人の人間の真摯な姿として、いつまでも忘れる事のできない存在であります。
三島由紀夫氏とは一面識もありません。
氏は自決した時が45歳、小生は5才下の40才でありました。
三島氏は著名な文学者であり、多方面でも有名な人でしたから、氏の出生の頃から、少年時代の文人として活躍した時代から最後の死まで、活字や映像の世界で多くの情報を知りえる存在でありました。
私が三島氏を知ったのは、小説「金閣寺」が発表されてからだったような気がします。その後小説の映画化や次々に発表される小説のほか、身辺の行動も雑誌や新聞から知れるようになります。
私の関心を引きましたのは、有名な作家でありながら、異常とも思えるボディビルやボクシングをやって身体を鍛えだした行動であります。
(中へつづく)
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