|
天正三年四月十一日未の刻(午後一時ごろ)から、信玄公のご容態が悪化し、脈がいつになく早くなってきた。十二日夜、亥の刻(午後九時ごろ)には、お口の中にできものができ、歯が五、六本抜けて、それから次第に衰弱されていった。
もはや死脈をうつ状態となられた信玄公は、死をご覚悟になり、病床に譜代の家老たちや、配下を持つ家臣たちすべてお召しになり、次のように仰せられた。
「六年前、駿河へ出陣の前に、板坂法印がいうには自分には、膈(かく)という病気があるとのことであった。この病気は、思慮を重ね、心労が積もったがためになるものだという。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用


