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○武田年譜『高白斎日記』 天文二十年(1551)
正月大朔日。深志敵地へ動き始むる。
二月小朔日、左馬介(晴信の弟)吉田御名字御祝儀御申し候。
二月十日戌刻、下諏訪と穴山同心致され再来の出仕。
三月十日、大井左ヱ門内山へ近日移り申す可き之由上意。安田、高白御使い致し候。
三月二十七日乙卯、大井左ヱ門当府を出て内山へ行く。
三月二十八日、申刻着城。
三月二十九日、上原伊賀守帰府。翌日出仕。
四月二十九日、屋形様の御台所御柱立つ。
五月二十六日、節。砥石の城を真田が乗取る。
六月小朔日、若神子まで御出馬。栗原左衛門は桜井山へ越えて上意趣を申し渡す。
六月十日細雨。
七月二日、御出馬。
七月二十日、岩尾弾正(大井弾正行真)初めて若神子まで出仕。
七月二十五日、若神子より御馬納められる。
七月二十六日、孫六(晴信の弟)御前迎えに出て駿府に着く。未刻、小田原の使者遠山方に御対面。烏帽子落し之由聞き候。
七月二十八日、晦日丙辰巳刻、重ねて御出馬。
八月小朔日、桜井山へ御着城。
八月九日、天晴地霧。辰巳の刻より酉の刻まで。
八月二十二日、御曹司様の西の御坐立ち始まる。
八月二十八日午刻、未の方に向い岩尾の城の鍬立七五三。同岩村の鍬立、申の刻未の方に向い七五九。栗原左ヱ門仰せ付けられ候て相勤める。
九月十四日、岩村田の地下人普請始まる。
九月二十日、大井左ヱ門内山を出て甲府へ来る。上原伊賀守重ねて内山へ移り名字替、小山田備中守と号す。
九月二十二日、屋形様内山を御立。
九月二十三日、御帰府。
十月十四日、義清丹生子に動き、押落られ之由注進。
十月十五日、未刻出馬。
十月二十日、深志へ御着城。
十月二十二日、ほりか子(堀金)が出仕する。
十月二十四日、平瀬(深志の北)を攻め敗る。敵二百四人討ち取りなされ候。終日網雨。栗原左ヱ門手において首十八討ち取る。酉の刻より大雨。
十月二十七日、小岩竹宿城に火を放つ。
十月二十八日午刻、巳の方に向いて平瀬城割其の上鍬立。此後辰の刻仰せ付けられ候間、則ち栗原左ヱ門まかりこし城をわり其の上鍬立てを仕り候。
十一月四日辰刻、駒走るを引き寄せつなぐ。
十一月十日、原美濃守(虎胤)平瀬に在城仰せ付けられる。
十一月十七日、冬至。高島御馬納められる。
十一月二十一日、御帰府。
十一月二十二日、飯富稲蔵坂木より一番手の衆東条討ち捕る。
十二月十一日、駿府の御曹子様(今川氏真)御屋移り。
十二月二十四日子刻、中島(未詳)の代官呂泉(未詳)に申し付く。
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