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山梨県武田家の歴史(簡略)
永享10年(1438)〜寛政2年(1461)
永享10年(1438)
8月17日
幕府、甲斐を逃れて上方に潜居する甲斐守武田信重に帰国を命じ、信濃守護小笠原政康に信重を助けさせる。
永享12年(1440)
3月15日
結城氏朝の乱が起こり、甲斐守護武田信重、その弟信長らが従軍する。
嘉吉元年(1441)
結城城陥り、武田信重等結城七郎を討ち取る。
幕府、信重の功を賞して、相州の曽比・千津島を恩賞される。
文安3年(1446)
管領細川持堅、信濃守護職と所領を小笠原光康に安堵したことを、甲斐守護武田信重に報じる。
宝徳3三年(1451)
11月24日【一蓮】
武田信重、没する。
享徳四年(1455)
1月21日
武田信長足利成氏に属し、武蔵分倍河原に長尾景仲、上杉持朝を破る。
5月11日
甲斐守護武田信守が没する。(墓所、甲府市能成寺)
康正2年(1456)
武田信長がその子信高と共に足利成氏の命を奉じて上総国に侵入、上杉を破って上総守護となり、同国庁南。真理谷に築いてこれに拠り、上総武田氏の祖となる。
長禄元年(1457)
12月28日
武田一族、守護代、跡部氏と戦い敗れる。(小河原合戦)
長禄2年(1458)
1月10日
武田、跡部氏再度戦って、又も武田氏敗れる。(馬場合戦)
寛政2年(1461)
3月28日
○甲斐、守護代跡部上野介景家。
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