|
昔24というアメリカのテレビドラマが好きだった。今でも私の携帯の着信音はCTUの本部の電話の着信音である。知っている人は知っているだろう。24時間であれだけの内容はないけど、すんなり入り込める。ということで、わたしの24を書いて見よう。 まず朝風呂、そんでゆっくりとカフェでモーニングを楽しみ、その後久しぶりに一人予約で那須カントリークラブでゴルフをした。最初にポツンと入れたら直前だったけど三人集まった。あれはダメ元で入れると案外人が入ってくるもんである。 ゴルフの中身はあまり良くなかった。那須カントリーは右左どちらかOBというレイアウトでかつラフが非常にきつい。ボールが沈み込み9番アイアンくらいでないとまともに打てない。そんな沈んでないからと大きな番手を持っても強靭な芝に引っかかり大きく距離ばかりでなく方向も失う。 右がOBだからと左に逃げてラフだとボギーは確定。無理してパーを取りに行くとダボ以上という展開になりやすい。今年すすでに数十ラウンドしているけど、私が唯一90以上を打ったコースである。 一応リベンジという位置付けだが結局返り討ちに遭ってしまった。スコアは43、44で87。OB二つ打った。最近の私としてはショットの中身が良くなかった。小技でしのいで80台で90打ってもおかしくない内容であった。 最後の方になって気づいたんだけど、ハザードが弱いおつむにインプットされてそんでアドレスが狂っていた。さらに早く結果を見たいのでヘッドアップになる。次回はそこに注意したいけどなんか他のことでやはり狂ってしまうんだよね。際限がない話である。 ゴルフを終えて帰宅して風呂でゆっくりと寛ぐ。風呂を上がってはみたもののまだ日も高いのでジョギングでもするかという気になった。ホテルとマンションの敷地に一周800メートルのコースを自分で設定してある。500走って300歩く。それで五周。良い汗をかいたというくらいの運動量になる。それでその後また温泉に。 夕食は買い物を済ましてあるので、それで晩酌。ビールが美味い。明日からはカミさんが遅れてやってくる。レストランに行くので一人の時はスーパーとかコンビニが多い。スーパーよりコンビニの食事のラインアップには感心する。いくつか買って並べれば立派なディナーだ。味も悪くない。(美味いとまでは言わんけど、食べる方が寛いで良い景色を見ながらだから、大抵のものは美味しく感じる。) 夜は映画を一本見てそれからテニスを見た。あかんね、全然敵わない。多分疲れてんだろうね。映画は、のようなもの、たまたま先日のようなもの2を見たので1も見たが、出来は2の方が良いと思う。でも1を見たほうが2が楽しめる。私は逆から見てしまったので調子が狂った。まあ1も悪い映画ではない。のんびりなんかしながら見るには良い。 映画でバカなジョークを言っていた。以下の三つのうち食べられないすしはなんでしょうか? 1、いなりずし 2、ちゃんきんずし 3、まつばくずし 翌朝はまた森の中のジョギングコースを五周してそれから温泉に入る。それからお気に入りの森の中のパン屋へむかうが、途中で定休日だったのを思い出した。コーヒーは自分で入れて持っているので、スーパーの中のパン屋でパンを買う。ここのパンはだいたい那須の知られたパン屋の半値である。でも半分の価値しかない。流石の私でも積極的に買わないけど、出来立てのものがあったので一個買った。出来立てならまあまあ。150円。それで予定通り森の中のパン屋に。ひょっとして開いてないかと思ったが開いてなかった。それで誰もいないベンチでコーヒーを飲んで先ほど買ったパンを食べる。みせは休みで森は休まない。鳥たちの鳴き声も賑やかで同じく休みはない。 ということでだいたい24時間分書いた。こんな生活である。続きを読みたい人はまた明日くればよろしい。下手すると夜も書くから油断できない。馬鹿ブログは際限なく飽きることなく続くのである。 |
全体表示
-
詳細
コメント(4)
|
ネット経由中心にいろんなところでメンバー登録してある。アプリなんかも入れている。そうすると誕生月ということでいろんな特典や割引などがある。クーポンもたくさん送られてきて割と使えるものもある。マックのポテト無料券とかゴルフショップの金券とか、メガネ屋の金券もサングラス購入で使えそうでありがたい。日帰り温泉の半額券とかもある。使えるものはありがたく使わせてもらう。 今の私にとっては朝風呂は当たり前の習慣なんだけど、普通は当たり前じゃない。着替えて仕事に行くのが普通の人。それも温泉なんてかなりの贅沢だ。落ち着いて朝食を食べられる人はまだ上質な時間の持ち方をしている。それが家族とか愛する人と一緒であればもっと贅沢。面白いのは一人旅でカフェにいても、良好な人間関係に囲まれてれていると、時間を楽しむゆとりも違ってきてそれがすなわち上質な時間となる。社会から疎外感を持っていたりしたら何をしても上質にきっとならない。 児童心理学を少しかじったけど、生まれて最初はお母さんがそばにいてそれで抱いてもらうことで安心する幼児が、次第に母親の存在をそばに意識しながらも冒険を始めるようになる。公園の砂場で他の子遊ぶなどという日常の行動が、幼児にとっては最初の冒険になる。でもなんかあると、お母さんと叫びながら母親の元に駈けもどる。そうするとお母さんは優しく受け止めて、どうしたのと聞いてくれる。そこで幼児は安心を取り戻す。冒険は次第に足を伸ばしてたまには母親の視界から消えることもある。それでも幼児の心の中には母親の存在がマークされているから、いつでも戻れる。 こういう作業を繰り返して行くと、いつしか子どもは母親がそばにいなくても自分は守られている存在であるとの無意識の確信が育つ。自分は愛される存在。これがすなわち自己肯定感のベースになる。これがない子は何らかの形で自分なりの自己肯定感を育まねばならないがかなり厄介でなかなか上手くいかない。 では自己肯定感がありさえすれば良いかと言うと、優しい母親から溺愛されてなんでも許されてしまうと、今度は逆に過度の自己愛を自分の中に持ってしまう。自分は特別の存在であり他の人間には許されないことも自分だけは許されるとかである。甘やかされすぎと父性の欠如のコンビネーションでよく現れる。これを許さない相手が現れると徹底的に戦い、そして認めてくれる人間には極端にフレンドリーという二面性を持つ人間になる。会社にはこういう手合いがいて私も難儀した経験があるが、間違いないのは 、大人になると他人がどうこうして治るとか変わると言うことはない。それなりの対応をするしかない。 ただ自己肯定感と自己愛は案外近いし、自己愛極端な人間でない限り日常生活には支障はない。ただ自己肯定感が低いか高いか、どちらかの性向は誰もが持っているということは言えると思う。話がだいぶ脱線したが、要は一人でいても、良好な人間関係に囲まれている人は、そうでない人と比べて、仮に一人でカフェにいても、多分なんとなく違う佇まいになるんではないかって話である。それで時間の上質さも変わってくるしもっと言うなら幸福度もきっと変わってくる。 そこで美味い料理とかがでてくることで、どれだけ幸福度に影響があるかと言うと、それはそれなりに影響はある。静かな森のカフェで美味しいコーヒ、はたまた温泉は、それは確かにいいものけど、ただ言えるのはそれが幸福度の支配的な要因ではないと言うことである。何かと言えば上に書いた通り。 贅沢をするのは悪いことではないけど、贅沢で幸せになるってことはわたしはないな。もう金に困らないって身分になってから20年近いけど、自分なりにいろいろ贅沢は試して、それで次第に質素になってきている。まあだいたいやったのでもういいかなって感じである。それと人から多分に営業目的で金持ちの扱いを受けるのは私は最近快適に思わなくなっている。やめてほしいと思うくらい。ブログってのはいいよね。いくらこうやって書いても誰も特別扱いしないというかできない。別世界を覗き見ているだけである。だいたい私の暮らし向きは十分に贅沢であると思う人が読者の大多数だろう。 それにしても思うけどゴルフで自己肯定感を高めるのはかなり厄介である。やればやるほど自己嫌悪とまでは言わなけど、なんて自分はバカなんだろうと思う。もともと自己肯定感が低い人はゴルフやらない方がいいんじゃないかしら? プロゴルファーの話なんか聞いているとみんな自己肯定感が高いという印象だもんね。なんだかおかしな収まりの文章になったが、まあいろいろ書いたな。なんの話だっけ? |
|
あんなに仲が良かったのに遺産を巡って兄弟や親戚で揉めるという話は枚挙にいとまがない。結局仲が良い悪いではなくて、どれだけ気持ち的にゆとりある生活をそれも親戚の皆がしているかどうか? それには強欲にならずに身の程をわきまえて生きるとと言うのを含んでいる。必要以上にお金を持つ意味はないことがちゃんとわかっているかどうかではないかなと思う。
カミさんが遠い親戚の相続をした。大した金額ではないとは我が家だから言えることでそれなりの金額。遠い親戚なんでどこかでインターセプトされて遺産が来るにしても僅かな金額になるか? はたまた遺産放棄を求められるか、それが通常のパターンだと思うけど、カミさんの一族は皆しっかりとしてかつ善良でそしてゆとりある生活をしているので、自分が多く貰ってしまおうという人間がいない。 それでカミさんまで遺産が回ってきた。貰ったからどうということはなくそのまま預金になるだけなんだけど、私の場合は若い頃二回遺産相続を放棄している。放棄したと言うか、放棄のサインをしてくれと言うのでハイハイとサインした。私は親父が勘当されてそんで早く亡くなって、その息子の私に親父の権利が回ってきたわけだ。 実家は資産家だったんでいくらかお金は残ったがハルトモには放棄を求めたたわけだ。他の兄弟はいろいろ分けていることは知っているけど親父とその子のわたしにはゼロ。おかしいだろうとそこで揉めるのは私の主義じゃない。ハイハイそんな金を要りませんとサインした。多分ホッとされただろう。揉めたら幾らかは渡さない訳にはいかないのだから。 きっとカミさんの一族だったら私も相続分が、何も言わずにハイよと回ってきたんだろうなと思う。そんな貧乏な暮らしをしているわけではなくてもお金を人に渡すゆとりがない人たちということだと思うし、そういう人が多いのでそれは別に侮蔑するほどのものではない。ただカミさんの一族の方が私の一族より豊かというわけではない。ただ心が豊かなのである。素晴らしい品性に感服である。良い伴侶を持ったなと思う。 わたしは強欲な人間ではない。それで会社をパッと辞めたりそれで児童養護施設も辞めて今はお気楽生活だけど、確かに経済的にゆとりはあるけど、もっともっとと少しでもそういう気持ちがあればカミさんは退職に反対したかもしれない。私のカミさんは反対どころか、顔色ひとつ変えずに、ああそう、である。これ以上に贅沢は要らないのである。(十分である) 聞くと相続と言うのも結構面倒なようである。自分で稼いでもいないのにそれなりに守らねばならない。それなりの家系なら後代に引き継ぐ義務もあって、自由には使えないことも多いだろう。何もない人間からすれば結構なことだと思うかもしれないけど相続する人間からすると、逆に何もない人間の気持ちはわからない。このあたりどっちも分かると言うのが世情に通じているってことなんだろうね。 |

>
- ビジネスと経済
>
- 金融と投資
>
- ファイナンシャル・プランニング
|
五日連続のゴルフ、さいたまのホームコースに夫婦で出場した。昨日のショットのキレが一転姿を消した。結局15ホールくらいで気がついたのだが、さすがに疲れがきたか体の捻転が浅くなりそれで手ばかりが動くようになってスイングが崩れてしまった。3番パー3で70センチの短いパットを引っ掛けて外すのが悔しい。それでも前半のアウトは8番まで4オーバーで来て9番ロングはドライバーはまともに飛んでそこから3番ウッドでできたらグリーンに近づけてバーディが欲しいと思ったらなんとOB。体が動いてないのに手だけで強く振ったからだ。そんでダボとなり前半は42。納得はいかない。
後半はもっとおかしくなって、それでボギーが並ぶ。15番パー4のティーグラウンドでふと気がついた。疲れのために捻転が浅いのではないか?そこを意識したら芯を食って、追い風もあり残り120ヤード。9番で軽く打ったら酷いシャンクが出て、そんでサブグリーンのさらに右のバンカーの淵に刺さった。出して乗せて、そこからダボパットは強めに打ったら2メートルオーバー、返しも外れてなんとトリ。6ホールで8オーバーである。最近のわたしではかなりよろしくない。だが体の捻転を意識してショットが蘇り16番17番はパー。
18番は470ヤードの短いロングだが、強いフォローに乗って残り170ヤード、よく飛んだ。そこからセカンドを6番アイアンでピン横2メートルにつけた。過去にイーグルの経験はあるが、グリーン外から放り込んだイーグルで2メートルのイーグルパットなんて記憶にない。スライスラインで距離感と曲がり幅が難しかったがしっかり打って真ん中からイーグルパットを沈める。ということで結局後半も6ホールで8オーバーから2つ戻して6オーバーの42。トータル84であった。まあスコアよりイーグルが出たので気分が良い。イーグルパットをしっかりとラインに乗せた感触を自信として記憶に留めたい。
一応家でイーグルの祝杯。テレビでドラマ白い巨塔の録画を見る。最後の2話だけ見た。山崎豊子の代表作で筋書きはみんなわかっているが演者の熱演で楽しめる。財前教授は結局病気で死ぬわけだが、本を読んだ人間もテレビをみた人間も、これはバチが当たったとそう思わざるを得ない展開である。人間というのは不思議なものである。良い人でも悪い人でも病気にもなれば事故にも遭う。だが病気や事故に遭うとバチが当たったと思われる人たちというのはいる。それだけ他人の恨みを買って来た人たちということか。恨みには逆恨みもあるので恨まれた人間が悪とは決め付けられないが、恨みは妬みと違って避けることができるので恨みを買わない工夫というのはあって良いと思っている。その一方で多くの人が惜しむ死に方が必ずしも良いとも思わない。自分に無理して良い人を演じるのも体に悪いと思うしだいたい無理して生きては本当の幸せとは言い難い。まずは自分自身が自然体で自由に生きてこその人生だと思う。
ちょっとシリアスな話になったが、イーグルを取れば自分で嬉しい。誰もが良かったねと言ってくれて、そのイーグルよこせとは誰も言えないし言わない。会社勤めは長くしたけど、誰かを追い落としたり、あるいは弾き出したり、はたまた見捨てたり、そういうのは私は嫌いなんでやらなかった。そこは我ながら良かったなと思う。なにせ権力というのが嫌いなんである。権力をかさに着る人間は大嫌い。権力の言いなりになど決してならない。白い巨塔では権力に逆らうとろくなことにならないという人間社会の縮図が提示される。誰もが権力に怯える。そう思うと今のわたしは奇跡的な人生だ。まるでイーグルみたい。今日のイーグルよかった。
|




