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カミさんは一足先にさいたまに戻った。2日だけの一人暮らし。旅でも別荘でも暖かい家庭があってのことだと私は感謝している。独身ならあるいは家庭が暖かくないなら、それなりに楽しくやってくださいとしか言いようがないが。
那須には居心地がよいカフェがいくつもあるが、その中でもSHOZO CAFEは一番の人気である。ここのコーヒーは美味しいし食べるものもメニューは少ないけど丁寧に作られている。前の記事の写真の再掲だけどこのサンドイッチの卵が美味しくてカミさんが気に入った。こういう店に2ー3時間でもいて本でも読むかあるいはテキストでも打つかすると極上な時間かとは思うけど、時期によりそれを気分的に邪魔するものがあって、それは観光客のひっきりなしの往来である。でも観光地にあるのだからそれは無理もない。それで成り立っている店なんである。空いている時に行くととても良いと思う。特に冬は楽しみである。 マンションの敷地内はとても広いので周回的にランニングしてもいいのだけど、今日はお気に入りのパン屋までランニングをすることにした。片道3キロで往復6キロ。丁度良い。半袖で走り出すがすぐに身体が温まる。店に着くと、店員さんが、えって顔で見る。半袖シャツだから驚いたみたいだ。年齢を聞かれもしないのに告げたらもっと驚いていた。 たくさんパンが並んでいるけど 私のお気に入りはコレ! 店で食べると流石に身体が冷えるのでそのまま走って部屋に戻る。帰り道にスーパーに寄って野菜を買う。レタスの小玉が50円の半額で25円、その先にカットレタスが袋詰めで洗わないでそのまま食べれますと、それが99円の半額で49円。どっちにしようか迷ったがカット野菜を買う。部屋に戻ってまずは温泉。朝風呂も入っているので本日二回目の温泉。 それからパンをいただくわけだが、部屋の外には森の景色が広がる。ゆったりとブランチにする。ミュージックはオールディーズがいい。 https://www.youtube.com/watch?v=XNp-kKBmLo0 こんなのね。 わたしは子どもに勉強だなんだで褒美を一切出さない人間である。わたしはそれが当たり前のことだと思う。それで励みになればという理屈は私は取らない。励みにしてはいけないと思う。親の期待を子供に具現化することで子供は自らのアデンティティを失う。その代わり取引なしによく遊び時間を共有した。結局子育てというのは無条件に時間を子どもに捧げることだと私は思う。 カスタマーであることに慣れた子供は教育さえも自分の近視眼的な視点で損得を判断する。子どもと取引するのが教育の現場だと筆者は専門家から聞いてくる。消費者であることに慣れた子供はなにかするのにメリットを要求する。それが勉強であろうとなんであろうと。筆者はその弊害を説いている。まあ何を言おうが自分の子どものことであれば大人になればわかることである。 午後3時間だけアルバイトしてそれで部屋に戻ると4時半、ゆっくりとまた温泉。よく入る! それで部屋に戻り大相撲中継を見ようとテレビのスイッチを入れる。どうやら稀勢の里は休場。なんかそれを知ってほっとした。まあとことん負け続けるのも一興かとも思うけど本当にケガなら仕方ない。 夕食は例の200円の賄い弁当。それを持って帰ってスーパーで惣菜を買い足して晩酌しながら、アマゾンプライムでドキュメンタリーを見ながらこんなブログを書いている。野生動物の狩のドキュメンタリーだけど、こういうのは株式投資にも役立つような気がする。何故かってのは説明する気になれないけど、まあ興味深いのである。それにしても人間は、同じ人間を狩るという意味で最低最悪の捕食者だとつくづく思う。だって必要以上にあるいは楽しみで捕食するのは人間だけなんである。その業の深さを知る者が本物の捕食だと私はそう思う。 |
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2018年11月15日
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アルバイト先はアルバイト従業員が多いし正社員も若いので割と賄いが充実している。写真の弁当は200円でいただける。同じく日中ならレストランの賄いもあってそれも200円。もちろん足りない分は会社が負担してくれている。これを週に2日しか勤務しないわたしにも適用されている。有難いと言うよりちと申し訳ないなという気分になる。もちろん美味しく頂くので口だけ、いや口はパクパクか。脳裏だけの話だ。 アルバイト先だけでなく60歳になってかつ収入の低い年金生活者ということで、いろんな優遇が適用になることが多い。まず税金が安い。それから公共サービスも安い。入浴施設付きフィットネスクラブが100円とか。自分で言うのもなんだけど、こんな豊かな人間によく気前よくサービスしてくれるなと思う。私は自分自身が稼いでいる時から、今後は高負担の時代が来るから、稼がず豊かに暮らす算段をせねばいけないと、このブログで随分言ってきた。そして言ったことをちゃんと実現している。自分なりに先のことまでよく考えてそれでちゃんと実現すると言うことが多分他の人と違うところだと思う。一見いろいろ損しているようでいてもそれでちゃんとうまく収まっている。 みんな私みたいに生きればいいとは言わない。多分やることそのものが難しいんじゃなくて、受け入れることができないんだと思う。勇気がないってのも多少はあるだろう。真似して私のようになる保証はない。わたしのやり方ではどうにも上手く行きそうにないように感じるてのはあると思うが、加えて多くのサラリーマンには卑屈な倫理観が長年にわたり醸成されている。組織では上の言うことに従うものだ。組織人は組織を第一に考えてそれで始めて自分もある。これは倫理観と呼べるレベルまでに磨き上げられて、上の指示が間違っていてもそれを上回る勢いで上を肯定する。間違っているかいないかなんて考えてないてことも多い。上に対して批判の目を向ける。それさえいけないことだと刷り込まれているからだ。もちろん心の中には誰でも不平不満はある。そこから批判めいた考えも出る。だがそれを表立って言う人間はまず組織にいない。言ったらいられなくなるという恐怖感以上に、それは悪いことだと感じている。だから隠すのである。 ある大きな会社の人間と仕事上で親しくつきあう機会を得てわたしと同世代なんだけど、その彼が言っていた言葉を思い出す。ハルトモのようには生きたくない。ハルトモがやっていることは本当は正しいことかもしれないけど、社長じゃないんだから組織では許されないことだ。まあそういう話である。社長がなんだという人間とはもう違う生き物なのである。ちなみにその人間は定年まで働いて再雇用されてまた給料が下がっても働き続けるようだ。それで自分なりに小さな幸せをお感じのようだからそれは良かったなと思う。人それぞれである。自分がそれで良いと思うなら。 三日間連続でゴルフをしたけど、ずっと調整で終わってしまったようなゴルフだった。三日間とも80台後半でスコア的にも冴えない。ドライバー、アイアン、アプローチみんなおかしい。それだけたくさんゴルフをやっていると上手くなるでしょうってよく言われるけど、私くらいになるともうやるだけでは上手くならない。ちゃんと考えて練習ラウンドするとか、あとはセンスとかの問題だと思う。それとラウンドすればするほどずれてくってのもある。これが厄介である。 今特になんとかしたいのはアイアンだ。とにかくよくダフる。それでボールの位置を変えてみた。ダフるところにボールを置けば良いだろうと、そしたら最初は良かったけどまたダフる。それで中にまた入れたらよくなって、そんでまたダフる。冷静に考えてもこれはおかしい。それでどうもテークバックでインに引きすぎていると気づいた。インに引きすぎると手前に入りやすいことは知っている。それで少しアウトにあげるようにしたら、きれいにミートする。これは良いと思ったら、アイアンが右に出て距離が出なくなった。まだなんかおかしい。これが現在。まあキリはない話である。またやればいいだけのことである。 |
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