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さて、相場を張る人間というのは幸せだろうか? これは当たり前だけどいろいろである。でもざっと眺めてみたら相場を張る人間の幸福感はそれほど高くなく、むしろ低いんじゃないかしらってわたしなど感じる。やはり負ける人間がほとんどで、勝っても知れてるってのが多い。これくらい勝てば文句はないてくらい勝てる人なんてそれこそほんのわずかのわけだ。なんだかんだと身をすり減らせて頭も時間も使って、それで実はけっこうストレスを抱え込んで、サラリーマンよりストレスフルかもしれない。給料の代わりに追証じゃたまらない。でも各人の相場の動機は幸せなんだよね。稼げば幸せになれそうだって思うから稼ぎたいわけでしょ。皮肉なもんだなって思う。やらなきゃいいのにっていつもの独白になっちゃう。
あの時こうすれば良かったとか、あの時こんな目にあっちゃたからとか、そういうことを言う人っていますね。もっと良いはずだったのにそれを逃したとかってことみたいだけど、逆かもしれないって思わないのかしら? そっちに行ったらよけい酷い目にあってたかもしれないって、、少なくともやってないんだから、どう思ってもそれは自分の心からしか出てこない。たぶん現在の自分に不平不満があるのかもしれないけど、過去は変えられない。だったら良かったって思えばいいんじゃないかしら。 私なんかなんでもおかげさまで今のわたしがあるって思う。もしわたしがもっと良い家庭に育って親の金で良い大学に言って一流企業にでも就職してたら、今よりもっと良い暮らしができたとは到底思えない。たぶんろくな目にあってないって気がするくらい。もちろんそれはやってないからわからないけど、あの時どうだったらって言うのは、やはりそんなこと自分が作者だったら主人公に言わせられるセリフじゃないてのがある。そんなこと考えるのは格好悪いって、わたしはそう思う。
運が悪かったのさってセリフもわたしは嫌いだ。つまり自分ではよくやったけど運が悪いのでうまくいかなかったと言いたいわけだろうけど、運が悪くてもうまく行くようにしないと。と言うか運の悪さということは最悪のケースだと思うけどそのあたりの見通しが甘いってことじゃないかしら。誰もそんなこと予測できないよな、でもそんな予測できないことを、ひょっとしてと待ち構えている輩もこの世にはいるんだよね。
つまりね。予測は誰もできないから予測できないような事態になったら儲かるように態勢を作るわけ。
アフリカかだかどこかの巨大ワニてのは一年一度しか食事をしないそうである。川にハマる間抜けなバッファローをずっと一年がかりで待っている。その間体力を温存してじっと大人しくしている。そんでいざという時にドバーッて。凄いよね。勝負師もかくありたいって気がする。
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コメント(2)
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貧乏と不幸せというのはとても相性がよくて、言うならセット販売の対象です。負のスパイラルととか言ってお互いを加速しあう。仲が良いわけです。一方裕福と幸せとは、これは個別商品でセット販売になりにくい。まあ別にセットになっていなくても一向に構わないわけで、それぞれ買えば(=手に入れれば)いいだけのことです。それがセットだと思うといろいろ勘違いになってきます。
お金がないといろいろ不便ですよ。それは経験すればわかる。一方お金があるとなにかと便利です。これも経験すればわかる。じゃあ不便だと不幸せで、便利だと幸せかということはこれは誰でも違うと思うでしょ。便利さをあまりに追い求めすぎだ、なんて理屈もよく聞く。
世の中にはお金に限らずにいろんな不便があって、その不便を乗り越えてというか気にせず幸せに生きるのが人生で、なんの不便さもない人なんていません。でも不便だと不幸せだと感じる人は実際たくさんいることはわたしも承知しています。その理由はまったく自分の心の中にありますね。わかりやすい言葉で言うと、欲とか。欲深いとどんなに便利でも有り難みを感じずもっともっとになる。
ここで勘違いしやすいのは、もっともっとといろいろ目指すのは良いことなんです。でも不満のはけ口で欲をエンジンにして目指すんじゃなくて、今も楽しいけどもっと楽しいこともあるかも、という言うならそれこそ人生を楽しく生きている。これが幸せだとわたしはここでなんども申し上げてきているのです。
さて自分が仮に欲深いかもとする。欲は良くない。抑えよう。これでは話は収まりません。なぜ欲深いかを真面目に考えないといけない。欲というのは己の実際と己の自己評価とのアンマッチだとわたしは思ってます。自分が思うほどには世の中の人が自分を見ていないということにもなります。他人の方がそれも母数を増やせば概ね自分で自分を見るより客観的なものです。
自分の不平不満を熱心に語っても、他人の不平不満を聞いて同じくらい熱心にはなれないものです。その差がそのまま欲の深さになるのです。ということで自分の分をわきまえるとか、己を知るという話になっていくわけですけど、何度も言っていると思いますけど、諦めからくる己を知るではなく、自分で自分を客観的に見るということです。まあ別に客観的でなくても構いません。欲しいのは良質な別の視点です。
小説の主人公のように生きたいとわたしはそう考えて実際生きています。作者はわたし自身です。主人公はどう思うかもあるけど作者の視点から見たらここはこうだよな、とそれが作者の力量があるといろんな要素が絡み合っても物語は最後見事に収束していきます。なんでこんなことをするんだろうと読者が思っても、読み進むと、なるほど、そう繋がってくるのか、って得心する。それが良い小説です。
みなさんも自分で自分の小説を書いたらよろしいと思います。そして自ら読むに耐えうる人生を歩むことです。そうすると少し自分の見方が変わってくると思います。平たく言うなら、自分なんか大したことはないのですよ。でも時々凄いぞ。この自分の凄さもちゃんと大切にしたいものです。作者なんですからそれは。
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さいたまから那須まで国道新4号線を使って昼間でも3時間半、夜もそんな遅くならなくて8時過ぎれば3時間を切る。当たり前だが高速代はかからない。夜でも昼でも新4号線の流れはとても速い。遅い車でも時速80キロ、時速100キロ以上でも普通である。これをけしからんとわたしに言うのは意味がない。事実を言っているだけである。
わたしはレーダークルーズで走るので先頭を走ることは基本ない。先頭になったら左に寄って先導車を待つ。一番後ろもなるだけ避ける。一番後ろでも捕まる可能性はあるらしい。もちろん先頭は危ない。流れに乗って走るしかない。レーダークルーズなので車間距離は多めである。それだけ対処もしやすくて安全である。
昨夜は割と流れていたが、前の車についていった。国産のハッチバック。けっこうなスピードである。だがそいつはわたしが設定した速度を超えて加速を始めた。前が空いて気分でもよくなったか?だんだん離れていく。カーナビがオービスの位置を告げる。大丈夫かいな?
大丈夫じゃなかった。軽く一発免停どころか12点の可能性もある速度だ。
ここが撮影ポイントでちゃんと路面に目印がある。もちろんわたしは静かに通過。
以上はわたしのドラレコの動画をスクリーンショットにしたもの。だいぶ離れているので解像度は低いけど、それでも遠目にもはっきりとわかる光り方であれだとドライバーはかなり驚くだろうね。それで撮られた後に急にスピードを落として大人しくなった。遅いわね。それにしてもみんなそこにオービスがあると知っているから速度を落とすだけで、実際は上に書いたような流れである。
やはりレーダクルーズはとても良い。先頭を走りたくないという気になる。 いつも誰かについていく。わたしの人生観はだいぶ違う運転だが、これでいいのである。
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2005年からこのブログを書いている。最近昔の記事を整理するというか眺めているが、過去にわたしが言っていることはまったくわたしらしいと自分で思う。そして言ったことを実現してきているのは、我ながらよくこんなうまくいくものだと感心する。これだけ言いたいことを書いている以上出来事だけ書いておけばいいような気もする。能書きはもう書き尽くした気がする。以下はわたしの2005年のテキスト。これにお金を組み合わせても書けるなと思っけど、たぶんお金と幸福もどこかできっと書いてんだろう。
2005・07・17(日)
幸福論ー幸せかどうかどう決める?
昨日ちらっと幸せという言葉に触れた。
あなたは幸せですか?あなたが幸せかどうか決めるのは誰だろう?わたしはこの質問をいろんな人に発してきた。興味があるからだ。ほとんどの人が答える。自分が自分で幸せと思うのであれば幸せだと。わたしはこの命題にちょっとした疑問を持っている。
自分で不幸せだと思っているような人間は論外だ。間違いなく幸せではない。では自分が幸せだと思っている、また言っている人間は、すべて本当に幸せか?
わたしは傍から見て、どうしても幸せそうに見えない人間が、 自分ではこれで幸せだと言っている人間に何度か会ったことが ある。私からみれはひねているか、無理しているようにしか見 えないのにだ。
ちょっとした例をあげてみよう。ある人がいて、彼は音楽を聞 くのが大嫌いだ。本さえ読んでいれば十分幸せだ、と思ってい る。そんな彼がひょんなことからある音楽家に出会い、音楽と いうものの素晴らしさを知る。彼は思う、以前は音楽なんてい らないと思っていた。音楽なしでも幸せだと思っていた。しか し音楽の素晴らしさを知った今、自分はもっと幸せだと思う。 かって思っていた幸せをひとつも失わなくたって、新しい幸せは自分に訪れるということを知る。 ある男がいる、彼は35才で独身でおまけに童貞である。女性 というものに縁はないと思い極めたか、趣味のヨットに没頭し ている。本人は女性と知り合い結婚したり子供をもうけるのだ けが幸せではないと思う。自分には自分なりの幸せがあると。 そんな彼が運命の女性と出会う、ああ、なんて女性とは素晴ら しいものか、その恋がうまく行くかどうかは別の話しである。 少なくとも彼は別の幸せを垣間見たわけである。
つまり自分が知らない幸せもあるし、今幸せだと思っていて も、もっと幸せになることもできるのである。この今自分が知 らない幸せというものを知るためには他人の視点というものが 必要だ。
だから本当に幸せな人は、自分でも幸せだと思い、なおかつ誰から見ても幸せに見える人たちだ、という命題に行き着く。わたしはもっともっと幸せになれると思う。人生は一度、この点では欲張りでいいのだ。 |
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私が住む界隈はイタリアンの激戦区
那須での外食も良いけどたまにはさいたまで。
今日はカミさんに加えて
ひさびさにかつてのゴルフ仲間のアマさんとのゴルフ
一年ほど介護の関係でゴルフをしていなくて最近また始めたそうで
それではゴルフにならないんじゃないかと思ったら
凄いショットを連発
やはり元ハンデ3は違う
ドライバーもわたしより50ヤードは飛んでいる
わたしで230くらいだからアマさんは280くらい飛んでいる
あまさんによるとヒロシくんなどは
それよりさらに50ヤード以上飛ぶそうである。
だいたい350ヤードくらいか
そのあたりのプロでは歯が立たないだろう
とてもじゃないけど一緒に回れないね
頑張って振り回してそれで曲げて楽しくラウンドした
スコアはどうでもいいと言いながらだいたい似たようなスコアになる
あまさんは自宅で介護していたが今度施設への入所が決まったそうで
かなり楽になるようである よかったと思う
するほうも60を超えてくると介護も疲れる
那須で一緒にスキーをしようと誘っておいた
あまさんは大学時代は新潟にいたのでスキーも上級者なのである
ゴルフ後蕎麦が食べたいと言ったら
カミさんが那須の美味しい蕎麦屋のきのこ蕎麦の味を再現しようと
そんで作ってくれたがなかなか美味しい
さいたまでもなかなかのリゾートぶりである
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