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渋谷区の児童養護施設の施設長が刺殺された。施設に対して恨みがあったと犯人は言っているそうだ。とんでもない話で到底許されないが、一方でこの件で肝を冷やした児童養護施設の施設長は多いと思う。いろんな子供から恨みを買っているという意識は施設長を始め多くに職員にあるのが実態である。
わたしは今でも児童養護施設の卒業生と付き合いがあるけど、施設長を訪ねてくる卒業生は皆無に近い。ほとんどの卒業生は施設長にに良い感情を持っていないのである。そう思われるだけの扱いをしているのだから仕方ない。でもそこが施設長にはよくわからない。わたしがいた児童養護施設の施設長は苦労知らずの三代目のボンボンで他で働いた経験もない。虐待された子どもの気持ちなんてわかりようもないのである。 児童養護施設の施設長にとって一番怖いのは児童相談所である。児相の機嫌を損ねたら自分の身が危ない。綺麗事はいくらでも言うが児相に良い報告をしたい。そうなると子どもは二の次である。自分の生活を守ろうと思えばそうならざるを得ない。でも施設長が恨まれる大きな理由に職員の態度もある。職員は自分が恨まれたくないからなんでも施設長の指示だと子供に説明するんである。職員だってうらまれたくない。まあそれも含めて施設長の責任ではあるんだけど。 |
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2019年02月25日
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鱈、海老、ムール貝のブイヤーベース
イベリコ豚のソテー
その他サラダにシーフードパエリア
美味い!
最後に低糖質アイスクリームにコーヒーをいただく
これらはレストランの料理じゃないのね
カミさんの手料理
今は半分くらい那須にいるけど
さいたまに帰るとこんな感じの夕食になる
那須のレストランも良いけど我が家のほうがさらに良い
こんないいものを家で食っている人間てどれほどいるかな?
こんなのが出てくるんだから
自分で作る気はしない
わたしは本当に幸せだね
わたしは良いカミさんに恵まれて
そして自由に楽しく生きる方法を心得ていて
それで金に困らないくらい稼ぐ力があった
みんな自分で勝ち得たと言うより神様の贈り物である
面白いなと思う
なんの修行も努力もせんで天性のビジネスマンだった
大きなビジネスを一から作り上げた
なんの修行もせんで努力も勉強もせんで
それで株だろうが不動産だろうが為替だろうが
全部成功した
一方人から教わる
ゴルフだスキーだは呆れるほどやっているのにそんな上手くならない
わたしは人から教わるとか勉強するのが苦手な人間みたいだ
友人知人を見渡して
わたしよりゴルフだスキーだが上手い人間はいくらでもいる
でもわたしくらいカミさんと家庭に恵まれて
そんで金儲けも上手くいっている人間は
見かけないなあ
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親が躾と称して子どもを虐待し時には死にまで追いやる事件の報道が後を絶たない。親は言う、躾のつもりだった。わたしも児童養護施設でいくつも事例を見てきたが、ほぼ100%の虐待親が抗弁に使う言葉だ。逆に言うと子どもへ暴力の錦の御旗に利用されているのがこの言葉。それで、基本的な方向は間違っていなかったがやり過ぎてしまった、と一段か数段自分を許す。実は自分自身の鬱憤を吐き出しているだけだなんて自分でも思わない。ただなんにせよ、自分の躾のやり方が間違っていたことは認めざるを得ない。
虐待するような児童養護施設にいる子どもたちの親に共通する点がいくつかあって、そのひとつに自分に甘くて他人に厳しいという性向がある。自分は悪くない他人が悪かったと考える。本当は子どもの躾じゃなくて自分の躾をした方が良いという人間ばかりなんだけど、自分は立派だと思っているから始末が悪い。 よくそんな偉そうな事を言えるなという事を反論できない子どもに向かって平気で言う。相手は弱い子どもだから通用してしまう。多少なりとも自分を冷静に見る目があれば、子どもが仮に間違ったことをしても、その原因は自分にもあることに気づくはずだが、そこが抜けて一方的に子どもが悪いとなる。自分は反省しない。 ここまで読んで、ああ、自分にも当てはまる傾向があるな、気をつけようと思う人間はまともである。虐待するような親がこの文章を読んでも自分のことだと思わない。そういう親が多いことは知っているけど自分は違うと考える。十分冷静で客観的なつもりなんである。 そういう親は結局自分の気分のままに子どもを叱る。自分に甘いから過去の発言との整合性とか、自分の行動との整合性もよく考えない。罰を与える前に慎重なステップがあるべきだがいきなりステーキどころじゃなくていきなり罰というケースも多い。そんなこと当たり前だろうって親は思っても子どもはわからない、わからないと罰の記憶だけが鮮明に残りそれがまた悪さをする。隠そうとしたりさらに手口を巧妙にしたり。罰を避けたいという気持ちだけが残るからである。 子どもの将来に親として一番影響が大きいのは、その親がどういう人間かである。親がまともなら子どもは大抵まともになる。もちろん世間的には一見まともでも家では本性を現すということが多いから油断はできない。だが仮に世間で、この人他人に厳しくて自分に甘いな、とか他人のせいにするな、とかいう人間は家庭での子育ても相当怪しいと思ってもそんな外れはない。世間ではおかしくて家でだけまともという人間はそんないない。 とまあいろいろ書いてきたけど、当たり前だけどここまで読んでもおかしな人間は自分のことだと思わない。むかし働いていた会社に暴君のような本部長がいた。その本部長の口癖が、『暴君』であった。自分の部下の部長とか課長の振る舞いを指して、あいつは暴君だというのである。よく言うよであるけど、自分は違うと思っているからどうにもならない。反論する人間は葬り去る。当然である。正しい自分に反論する人間は間違っているに決まっている。あの本部長にも子どもがいたはずだが、どんな大人になっているんだろう? でもきっと一見まともだな。その本部長も外面はやたら良かったから。 |
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