ここから本文です

書庫過去の投稿月別表示

2019年03月

← 2019年2月 | 2019年4月 →

全9ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

[ 次のページ ]

謙虚であるということ

もっとお金があれば、、と考える人はたぶんほとんどかな。わたしでも少し考える。株とか不動産投資でもそしてサラリーマンでも自ら稼ぐをの終わらせてしまったけど、もっとやっていればどうなったんだろうな? でも今より幸せだったとは到底思えない。

遊んで暮らせるから幸せという意味ではない。要るだけ稼いだらそこで終わるを潔しをして稼ぐに邁進して、実際スパッとやめるからこそ美しい、自分なりに納得できる生き方になる。その納得を差し出してまでお金をもっと得たいか? そうは思わないということである。

もちろんお金を稼ぐのはそんな簡単なことではない。何もせずにいくらでも儲かるならわたしも続けたかもしれない。だがわたしの稼いだ歴史は株でもサラリーマンでも勝負勝負の連続である。よく負けなかった。そしてこれくらいになりたいと思っていたくらいになったなら、そこから先は欲であり。その欲で走れば負けるかもしれない。負ければ今までも積み上げたものまで失う。ここが潮時ということである。

このブログで自慢し放題、自分は金持ちだ、頭が良いと、これは謙虚の真逆、すなわち傲慢に見える。書きたいように書いているだけだけど、これは実は世のいわゆる謙虚を重んじる人間への当てつけになっている、という意識はある。

本物の謙虚というのは自分自身に対して謙虚になることである。出来ないことをしない。自分に不相応なものを追い求めない。自分なりに足るを知る。ところが世の多くの人は他人にへりくだり、やけに謙虚を装うが、内面は私よりも強欲である。なぜなら不相応なできもしない結果を得てして追い求めるからだ。株で儲けようなんて人間のほとんどが負ける。これが謙虚と言えるだろうか?逆にできることをできると言うのは別に傲慢ではない。

かつてわたしはホラ吹きと言われた時代があった。だが今わたしのことをホラ吹きだったと言う人はいない。言うことやることホラじゃなかった。でも成功したんだからあまり自慢するのはみっともない、もう少し謙虚に振る舞う方が良いという人もいる。

そういう人は自分こそさっさと成功して自分で謙虚に振る舞えばよろしい。他人はどうでも良いではないか? 他人のことをとやかく思うのは他人の視線を気にする気持ちの裏返しである。つまり自分に謙虚より他人への謙虚をわたしに求めている。まあ好きにすれば良い。わたしには他人をたしなめる趣味はない。

ちなみにみっともないと思うなら付き合わなけば良い。わたしの態度に不愉快に感じる人がけっこういることは自分でも承知しているからわたしは意識してそういう人と距離を取ることもある。不機嫌にさせてまで付き合うのは失礼だし良いことはない。

生き様というのは全部ワンセットになっているのである。ホラを言うと言われた自分も、傲慢だと言われた自分も、そして自慢すると言われる自分も、株で乾坤一擲の勝負を張る自分も、そして会社での栄達そしてそれを捨てるのも、損得抜きで年寄りの面倒を見たり施設の子どもと向き合ったり、家族を大切にしたり、自然に振舞ってこの程度の人間ということである。一貫しているからこそ、部分だけ取り出して変えようとすると全部壊れるかもしれない。そういう危うさの自覚がわたしにはある。ゴルフクラブのセッティングのようにそんな簡単には変えられないのである。



イメージ 1
イメージ 7
イメージ 5
イメージ 6
イメージ 4
イメージ 2
イメージ 3
家からほど近い中華料理店はレベルが高い。いろいろカミさんと食べた。けっこう飲んでもお代は一万円くらい。高ければいいというもんじゃない。

娘がこの4月から社会人になる。就職する会社には保証人としてわたしが記名捺印をした。当たり前のことである。娘にとってもそしてかみさんにしても。だが遡ること三十数年前、わたしは新社会人として就職する時に実の親父と養母の茂子さんから保証人になることを断られた。親父が言った。他人に甘えず自分の力で生きていけと。わたしは働きながら大学を出たし、親父に甘えた記憶はなかったのだが、そのわたしに向かって甘えるなと親父は言う。呆れるより感心したのを覚えている。就職の保証人は借金の保証人になるようなリスクはない。そんで先日亡くなったおじさんに保証人を頼み、引越しのアパートの保証人も親父と茂子さんに断られたのでそんで先に社会人になっていた友達にお願いした。

さらに感心するのは親父も茂子さんも結局わたしが最後まで面倒を見て一生を全うした。わたしは親父の看病に6年間毎週東京から静岡に帰った。そのために転勤を断り昇進も遅れた。親父はわたしに一度たりとも感謝の気持ちは示さなかった。なぜなら感謝などしていないから。子供は親の面倒を見るのは当たり前、それが人の道だと言っていた。

なにせ自分が住む家を相場の数倍でわたしに売りつけようとした親父である。わたしが断ると親父は怒っていた。ハルトモのために言っているのにそれを断るとはけしからんと。親父の提案は奇妙だった。親父と茂子さんが住む家の相場は当時土地の値段しかなくいいとこ数百万円だ。解体費用をすると残るのは100万円とか200万円とか。それをわたしに1500万円で買えという。根拠はバブルの時、2000万円で売りませんかと不動産屋が持ちかけたこと。それだけである。だから1500万円は安いからハルトモは得だと。ローンを組んで払えと言う。もちろん親父と茂子さんは死ぬまでその家に住むという条件だ。もしわたしがイエスと言えばまったく見事なリバースモーゲージである。さすがにその提案は断ったわけだが、結局親父もそして茂子さんもなんの心配もなく寿命を全うした。わたしが全面的に面倒を見たからである。

このような環境に育った私であるから、全く独自の思考回路を養うことになった。世の中はまったく油断できない。人の言うこと、親の言うことなど信用できない。学校の先生の言うことも信用しない子どもであった。すべて一から自分で考える。自分なりの方法で自分なりに効率的に。

会社で上司の社長は東大卒であった。だが会議で話しているとわたしが、わたしが「その提案だと利益はかすかすプラスでしょう。ただ宣伝のためにやるかやらないか、そこが決断です。」などと言うと、まともに計算もせずいい加減なことを言うなと言う。そんで詳細な検討をさせること数日、わたしの言う通りの結果が出たが、顧客への提案時期は過ぎていたので、いわゆる時期を逸して商談は失った。社長は言った。結果はそうだが、ハルトモの勘で会社の決定はできない。商機を失うのは仕方ないと。

わたしは勘で言ったわけではない。いろんな事例を元に細かな数字は別にしてだいたいそんなもんだとわたしには瞬時に見えるのである。だが説明しだすと長くなるしツッコミも入ればじゃあ計算しろよとなる。それには時間がかかるというわけだ。東大卒の社長はわたしが彼よりもはるかに速く結論に到達することが理解できないし快しとしない。それは勘とかギャンブルだと考える。

学校の試験で問題を解くとする。なんでもいいけど答えが4.88だとする。正解は4,88であるから、だいたい5だと言ったら正解にならない。そして面白いのはだいたいで良いのならそのだいたいを導き出す手法は正解の4.88を導き出す方法とはまったく異なることがしばしばあるということである。当然のことながらその手法は採点では支持されない。わたしは問題を解いていて、だいたい5とわかるならそれもかなり早く、それで実用上十分ならそれでいいじゃないかと考える。細かな数字は暇な奴がのんびり弾き出せば良い。ということでわたしは可愛げのない生徒ということになる。

数学で記述式の問題があって、採点には考え方が問われる。きちんとした道で解にたどり着いたが最後計算間違えで一桁違って、4.88を0.488にした。その場合では考え方は合っているのでかなりの得点がなされる。10問中9問正解して、90点で間違えた一問もだいたいあっているから96点だとかもらっても、だが実社会ではどうだろうか? 桁違いの大きな間違いを一つすることで一生を狂わすのが人生である。だいたいの計算を間違えなければいいのに細部にこだわったあげくに、たまたまする大きなミスが致命傷になる。それも散々時間をかけて。それが人生である。

実社会では回答というのは常にタイミングと精度との兼ね合いになる。試験では制限時間いっぱい使えるが、実社会ではタイミングが変われば状況も変わる。先の東大卒の社長はいつも部下に聞いていた。いつまでに結論をだせばいいですか?まるで受験生が試験時間を確認するのりである。早く決断して行動することにより状況を打開することもあるということなど理解できない。

わたしはかなり頭の良い人間であるが、その頭の良さはさほど人から評価されない。誰もが認める正解をはじきだす丁寧な方法ではないからである。つまり先人を素直に踏襲する気持ちがない。一方で混沌とした正解のない世界ではやたら強い。例えば相場とか。あるいはビジネスでの新規事業の立ち上げとか。

いろいろ言うが結論は簡単である。わたしのようなけっこうな暮らしができるのは、それはわたしが頭の良いということの証左に他ならない。それもゼロから。いくら運が良くてもバカではこうはならない。

クラブを買う方は買ってすぐに20ヤードとか距離を伸ばすことを期待する。高いクラブだから期待する。手っ取り早いのはクラブ軽くして長くすることである。そういう製品がたくさん出てくる。でないと売れない。メーカーの純正はそういう流れになっている。純正を買うということはシャフトのことはよくわからない人が多いから、そうならざるを得ないと思うがさて軽くして本当に伸びるのか?

今回わたしはドライバーを313グラムから309グラムにした。重量級だったFWとUTは10グラム軽量化した。アイアンは5グラムの軽量化でそれも5番と6番だけ。7番から下はDGと同じ重量である。ウェッジは換えていない。それで振ってみると多少慣れが必要なのは10グラム軽量化したFWとUTであとはほとんど違和感がない。ということとで測定器でヘッドスピードとかボール初速を測るとほとんど変わら無い。まず10発打った平均をみるとドライバーで1弱上がっているくらい。これは飛距離にして4、5ヤードである。自分でわからないくらい軽くなっているからその効果かと思われる。クラブをおっというくらい軽くすると、ビュンビュン振れて距離が伸びるが、しばらくするとまた距離は落ちてくる。軽いだけ手打ちになってくるからである。これを知っているから極端な軽量化はする気がない。

さて新しいプロギアドライバーにはBF50というシャフトが入っている。名器青マナの流れを汲むシャフトである。わたしは青マナを長く愛用していたが、ツアーADのMJ6に換えている。このMJ6は中調子とは言え実はセンターが固くて手元と先端が柔らかい二段キックのシャフトで、これは叩きに行くのではなくタイミングよく振るとよく飛ぶ。叩きに行くとミスが出やすい。だがBF50は割と叩ける。そこで練習をしていき以前のように強く叩くがしっかりとしたシャフトが受け止めてくれる。これは良いと練習していくとそこでヘッドスピードが上がってきた。しっかり振って上がるヘッドスピードが本物である。ということでヘッドスピードは2くらいは上がった。もちろん以前の青マナのように目一杯は叩かないが十分である。

あとはヘッドでバックスピンの最適化が課題となる。今までのわたしはM2でバックスピンが3000ほど出ている。これを2500くらいに落とせれば、棒球でさらにランがでる球になる。キャリーが同じでもランが出ると大きく距離は変わってくる。特に平なコースでは効いてくる。プロギアのドライバーは強弾道が売りである。以前違うシャフトだけど試打してその時は65グラムのシャフトだったが2200とか2300で収まっていた。むしろ65グラムのシャフトでは当たり負けの状態。だからこそ50グラムのシャフトなら最適になると見込んでいたが、練習場では明らかにM2より強い弾道である。これはコースで確認をしていってよければこのシャフトに最新のヘッドを装着することを考えている。最新のヘッドは今回買ったヘッドと最大飛距離は変わらない。ただスイートスポットが広がって打点がばらけても飛距離はばらけにくい。だからより実践的ということになる。

新しいアイアンであるが思っていたよりも簡単なアイアンであった。だがテーラーメイドとの差があって操作性が良い。インテンショナルフック、スライスがわりと安定して打てる。ちょっと捕まりが良いので左へのミスに注意しないといけないが、右に出る球は出ない。テーラーメイドは両方出ていたから左だけに注意すれば良いが、これは実は以前持っていたプロギアのアイアンと同じ傾向である。やはり長年親しんだクラブ特性が良いかなと思っている。ということでまだ微調整は続くが、いい感じである。極端に変えるのはなく進化させるというコンセプトはうまくいく予感がする。
まああくまでも予感なんだけど。

今シーズンは平均スコアを2つくらいよくしたいと思っている。平均スコアが2つよくなるということはハンデで言うと3から4違ってくる。今までの最高ハンデはオフィシャルで4.8だけどあくまでも河川敷のホームコースでのもの。栃木に行けば軽く90を叩くゴルファーだったから胸をはってシングルとは言いにくかった。それが昨年は150回ラウンドして90以上は二回だけ、それも体調悪いのに無理してやった時。実力的にはたぶん今はハンデ10切るか切らないかくらいだと思う。それが平均で二打よくなればそれはどこから見てもシングルと言える。そのためにはアプローチもパットも磨かねば、、忙しい。働いている暇はないな。

なぜ体が止まるのか

新しいクラブセットは黒基調ですこぶる格好いい。プロギアはテーラーメイドほど使用者が多くないからかぶらない。新しいセットで久々に練習場で打ち込んだ。400発以上打ち込んである気づきを得た。長年やってきてこんな気づきを得るなんて今までなにをやってきたのかと思うが気づいたものは仕方ない。チーピンとか煽り打ちは典型的なミスだけど、この原因は体が止まり手打ちになることだと言われている。だから体を止めずに回そうと練習する。手を意識しないように体の回転で振る。軽く振る分にはこれで治らなくはない。ゆったりと軽く振るのはあらゆるミスを軽減する。

だが少し強く振るとまた煽り打ちになる。体が止まるのは根本原因があったのである。トップから手を真下に下ろし、かつ体が回転するのがゴルフスイング。手と体が同調しないといけない。移動する距離が長い分手が速く動くわけだが、手が遅れて体が回ってしまうと、、、、そこで体が、「まずい、これでは当たらない」と反応して、体を止めて遅ればせながら手を動かす。これが煽り打ちの原因である。あくまでもわたしの場合だがこれに気づいた。よくクラブが寝て入るという表現をするが、まさにこれである。体がある程度回っているところで遅れて手を動かすから斜めに振らざるを得ない。

わたしの場合はトップから手を真下に下ろすイメージで練習をした。トップから真下というのはアドレス状態からみると体の右になる。体が回っているからだ。それで手を真下に下ろしながら体を回すのでクラブはボールに当たる。ここで心理的な抵抗がある。トップからボールに当てるためには体が回転して戻らないといけないという気持ちでどうしても体を先に動かしたくなるのである。ほんの一瞬の動きだけどこれで手が遅れる。それで煽り打ち。自信を持って振り切ればちゃんとボールに当たる。これに気づいたことでスイングは俄然精彩を取り戻した。まず飛距離が伸びた。しっかりと振るからである。力むとしっかる振るは違う。

こんな練習をしている。新調したクラブの話は次の記事にしよう。

頭が良い人

自分は頭が良いと思っている人で、相手がバカで話が通じないと言う人がいる。でもこれでは試験では良い点を取れても世の中でうまく行かないだろう。本当に頭の良い人は相手のおつむの加減に合わせて、コミュニケーションを取れる人である。この程度のおつむの人ならこういった反応をするだろうとか、こう考えるだろうとか、そのあたりを間違えない。もちろんそこにはおつむの加減だけでなく、性格とか、その人間の求めるものとか、総合的な判断が必要になる。大切なのは観察力と判断力である。

彼には裏切られたとか言う言葉を使う人もいるけど、これも同じだ。自分が裏切られたと思うだけで、相手は自分の論理の中では当然の行動を取っているのである。それがわからないで自分の思い込みで人の行動を予測なり期待するから、裏切られたなどと言う間抜けなセリフが出てくる。ハルトモ君は裏切られたなんて記憶ないですよ。嘘をつかれたくらいで腹をたてる方がおかしい。自分だって適当な嘘を言うでしょ。

裏切られたというなら自分に裏切られたと思う方がよい。わたしはしょっちゅうだ。
ヘッドアップは禁物といつも思っているのに肝心なところで大ダフリ、理由はヘッドアップだ、と打ってからきづく。打つ前は覚えているけど、どういうわけかアドレスを取った瞬間に忘れる。ダフって弱々しく飛んでいくボールを見送りながら、自分で自分に裏切られた気持ちでいっぱいになる。クラブを叩きつけたいくらいだけど、みっともないだけ。クラブに罪はない。

そう考えると自分と言うのは頻繁に自分を裏切る。きっとゴルフに関しては自分に期待しすぎだな。一方株式投資とかあるいはビジネスでも自分はそんな好きじゃないから自分を冷静に見て自分から裏切られることはわたしはない。好きこそものの上手なれと言う言葉もあるけど、その逆もまた真なりではあるまいか? 投資で失敗する人は見通しの甘さに加えて自分を買い被っているんだと思う。あなたなんか負けるのが当たり前ですよ。

全9ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

[ 次のページ ]

移転先変更です!クリックで確認
移転先変更です!クリックで確認
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

過去の記事一覧

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事