ここから本文です

書庫株式投資

記事検索
検索
このブログの読者には一定の割合で、相場で儲けたいって思っている人がいると思うんだけど、そういう人にお聞きしたいのは、この今幸せですか?毎日イキイキしてますか? 楽しいですか? ということ。なぜこんなことを聞くかというと、間違っても相場で幸せになろうとしないほうが良いとわたしは思うからです。

今の自分になんらかの閉塞感があったりあるいは不満があったり、そのはけ口が相場に向かって、相場で一山当てれば幸せになれるのではないか?となんとなく考えたりはしていないかと邪推しておるわけです。もしそうなら、それは違うとわたしは思います。むしろ相場で勝つためには自分の幸福感を明確に持っていてそして実践している必要があるのではないかと思うくらい。それは大袈裟に言うと己の人生の軸が一本すでに通っているか? てこと。

この軸がないと、仮に儲けたとしても儲けたお金に振り回されて、それで最後破綻したりしたら、一体なんのための相場だったんだって話になりかねない。相場を張る人はおしなべて気持ちが荒(すさ)んでいるとはわたしは言いませんが、ただ相場を張る行為そのものが気持ちを荒ませる方向へのベクトルは持っているとはわたしは感じます。やはり金のやりとりして、負けた人間の悲惨な結末の上に自分の勝ちがあり、そしていつ自分も敗残者となるか知れない。有名な相場師だってだいたいどこかで酷い傷を負って、たぶん精神的にも相当やられたと思います。

昔から相場関係の掲示板って荒れることが多いですよね。犬や猫の飼い方で人を罵ったり喧嘩したりって、まあ見かけません。(たまにはあるんかもしれんけど)。やはり相場の話ってのはどこか人のダークサイドを引き出して他人を攻撃したくなる見えない力が働いているとわたしは感じます。そういう人たちはきっと幸せになる前に相場を始めてしまったのかな? なんてあくまでもわたしの勘ですけど、そんな気がしています。

軸の話に戻すと、自分の軸がきちんとあれば相場との距離感もきちんと取れる。これはわたし同じことを以前組織でも書いたんですけど、自分の軸がある人は組織との距離感もきちんと取れて組織に振り回されることはないんですね。相場も似ていて、ぜひ相場に振り回されないようされたらよろしいのかなと、わたしは思います。




企業を知るということ

投機家でなくて投資家にとっては企業をよく知るというのは基本だと思うけど、ではどれくらい知ったら十分と言えるだろうか? その会社のバランスシートを見るのは基礎の基礎だと思うけど、バランスシートはあくまでも過去のもの。見ていない個人投資家がたくさんいるかもしれないけどそんな負け組と比べても意味がない。大きな資金を動かす機関投資家とかディラーはバランスシートなど完璧に理解している。そのプロ連中を出し抜くほど会社を知るくらいでないと、ごくわずかな少数の勝ち組にそれも個人投資家としてはなれないとわたしは思う。

じゃあ何を調べるのかというとそれは自分で考えればいいのだけど、わたしのことは過去に書いている。それは膨大だ。特許や学会資料を英語で読む。読んで理解するには技術的知見も必要だ。法規制が業界の動向に大きく影響を与えるから、米国とか欧州の議会の公聴会の議事録とかも読んだ。また工場の建設計画とか拡張計画とか。調べることはたくさんある。

それだけ調べて、それで勝てるなら楽なんだけど、そんな甘くない。あくまでもわたしにとってはそこが出発点というかベース。でもベースからどうにもならないレベルじゃそれは勝負する話にならない。ほとんどの個人投資家は準備不足のうえに実力不足じゃないかしら。


人と相場の話をしていたり、あるいはネットでも、よく聞くのがタイトルの話。痛い思いをしないと上達はないと言う人もいるくらい。わたしの知人で、株でけっこうやられて、それで「株はそんな儲かるもんじゃない」という結論に至り、その後は細々と小遣いの範囲で続けている、という人が何人かいるけど、これは痛い思いをして賢くはなったけど、上達したとは言い難い。過去に損した分は取り返せない。

ネットでは過去に痛い思いをして大きく資産を失ったりもしたけど、それでその後いろいろ工夫してまた資産を増やしてきました、、て人がいる。痛い思いをしながら積極的な姿勢を維持して幸い取り返したというところだろうけど、わたしはそれを聞くと、またなにかの拍子で大きく資産を減らす可能性があるのかもと感じる。どう考えても前者よりは危ない。

わたしは相場で痛い思いどころか損したことさえないので、そこがよくわからないのだけど、例えばゴルフでOBをたくさん打たないと上達しないと言われると変だなと思う。確かにOBを打ったショットは反省すべき点はあるけどOBが上達に必要という話になるかね?痛い思いと上達の相関関係がピンとこない。それと下手な人はいつまでも下手だしね。その人間が一番痛い思いをしてるはずだけど下手なままだ。

要は感受性の問題ってことかしら? 感受性が高ければ痛い思いをさほどしないで、あるいは他人はまたは本から痛い思いを学んで自分に活かせるってことかしら? だとしたら感受性に個人差があって相当ばらつくはずだから、相場には感受性が大切なんて話になりそうなんだけど聞いたことがない。

聞いたことがないならわたしが話せばいいのだけど、投資で感受性というか、他人の失敗を自分にあてはめてイメージできる力ってのは重要だと思う。逆に言うと自分を客観的に見るということ。自分を他人の目で見る。他人を自分として見るのと逆のことのよう聞こえるけどたぶん逆じゃない。きっと同じものの裏表だ。

わたしに対する他人の評価で、非常に興味深いのは、わたしにとても近い人間はわたしのことを繊細で感受性が豊かだって言う。逆に距離が離れると、感覚が鈍いとか人の気持ちを考えないとか言われる。似たような話でわたしに近い人はみなわたしのことを優しいと言うけど、距離が離れると、まったく優しさというものがないって言われる。いやむしろ冷たいって言う人もいる。

わたしは相手を写す鏡みたいな面があるなと自分で感じていて、私のことを優しくないと言う人間ほどそういう本人に優しさがないということがしばしばある。よくわからないけど相手によってわたしは態度とか行動を無意識に変えていて気遣いがないとわたしが肌で感じると相手に気遣いなく振る舞う鏡のような性質があるのかもしれない。ただそれが合っているかいないかはかなり怪しい。無意識でやっているからたぶん合ってないことも多い。でも経験的には70%とか80%は当たってる気がする。

余談が長引いたけど感受性てのはなんらかの理由で備わるもので、感受性を高めようって思っても高まらないってことじゃないかって話である。たぶん子供の頃に決まってしまう。そんな気がしている。だから大人になってから感受性を高めましょうなんて話がどこからも出てこない。ましてや相場との関連性なんて出てこない。欲の皮の突っ張りと感受性の話はどうにも似合わない。

なんでこんなこと考えるのかというと、自分でも自分が不思議だからだ。株だろうが不動産だろうが勉強とか修行とかしたこともない。本一冊読んだこともない。それで損したことが一度もなくて何をやっても上手くいく。それで儲けたいだけは儲けてそれであっさりと止められる。こんな人間聞いたことがない。見たことはあるけど。それで自分てのはどんな人間かって考える、なんか理由があるはずだと。運がいいでは説明がつかない。行動とか考え方とか性格とか、わたしみたいなタイプの人間がたくさんいるなら、たまたまわたしは運がいいって理屈もありえるけど、1人変わっていてその1人が勝手に自分でうまく行くって不思議だ。


論破と対話

イメージ 1


ゲレンデで雪景色を見ながらブログを書くと筆は進むが特段文章の品質には差はないようである。どこにいてもご機嫌というのは変わらないからね。

イメージ 2


ひさびさに自分のCDを持ち出した。これを福島のJBLジャズ喫茶に持っていてのんびり聴こうと思っている。

1日ボーゲンだけやってみることにした。よくスクールに入るとボーゲンをやらされる。シュテムもやらされる。ボーゲンでもシュテムでもパラレルと外脚の動きは同じでパラレルより外脚を意識しやすいみたいだけど、パラレルが当たり前になっていていきなりボーゲンをすると、足が突っ張たりあるいは内脚に意識が行って、ボーゲンそのものがうまくできなくなる。そんで本来の外脚の練習ができない。この辺りは悩ましいところである。ということで普段からボーゲンで滑るというのは悪いことではない気がする。ボーゲンで滑らかに降りてくるのもそんな悪いものではない。ゲレンデはすっかり春の風情だけどできるならもう一度雪が降って欲しいと思うがどうだろう?

相場関連のコメント欄への所感の続きだけど、ひとつ言い忘れたのは各人が持つバイアスである。バイアスが強い人間は他人が書いている文章をそのまま読むことができない。自分が読みたいように捻じ曲げて読む。国語力が足りないのかもしれない。こういう人間とは一見対話っぽく穏和な言葉も行き交うけど、やはりコミュニケーションは徒労に終わる。 そういう人間は決まって書き捨てのハンドルネームでサイトもブログも持っていない。 時々他人のブログで自説を公開する人間もいる。自分がどういう人間か誰も知らないのに自説もそれも人のブログで公開するってメンタリティはこれはなんなんだろう? たぶん発散してんだろうかね?そういう人間に限って自分は正しい、お前は間違っているというバイアスが強いことも多い。わたしは時々他のブログにコメントするけど、基本的には話し相手はブログ主である。ブログ主に対してやりとりすれば対話になる。対話がいいよ。論破どころか議論さえ面倒である。
相場のブログのコメント欄で感心できないタイプを分類すると

1、揶揄皮肉系(罵倒するより自分を上に置きたい)
2、お節介教えてやるぞ系(偉そうに振舞いたい)
3、論破自説押し付け系(人の誤りを正したい)
5、罵倒悪口系(調子に乗るんじゃねえぞ)

こんなところかしら?他にあるのだろうが、いずれにせよ上のどれも対話ではないということ。対話はそれを通じてお互いを高めるのが目的である。良き対話はそれを側から見るものも高める効果を持つ。行間に爽やかな風が流れ恬淡としてわだかまりを産まない。

一方上の4つは言った人間も読んだ人間も自らが向上する効果は期待できない。むしろ不愉快になり奈落を目指しかねない。読んだ人間は不愉快になるものもいるが、喜ぶ人間もいる。喧嘩を見物するのは楽しい作業だと思う人が多い。テレビのワイドショーと同じだが、それが上質な時間かどうかは議論を待たないだろう。

言葉というのはエネルギーである。そのエネルギーを発しているのは匿名の書き捨てコメントでも変わらない。誰も自分のことを知らないと思って、せいせい書くが、実はそのおどろおどろしい負のエネルギーが自分に向かって来ると言うことをわかっている人は少ない。実はネガティブな独り言でさえ自分自身の体と心に悪いのである。元気がないとか病気とかの遠因になる。

ちなみにこのブログのコメント欄は閑散としている。たいてい対話にならない。まず基本的に私は吼えているのである。咆えるでもいい。咆えるライオンとは対話にならない。案外吼え向かう人間もいない。(いても承認しない)これはそういうブログだから仕方ない。読者は基本的に観客で、今日もまたハルトモは吼えてるなと見物にくるのである。

ということで対話をしたいと言っているわけではないが、人様のブログにコメントするならやはり対話は意識すべきだとは思う。吼えてもいないブログ主に向かって咆えるのは吼えている相手に吼え向かうのと同じくらい愚かである。まあその前にまず礼儀だな。名乗りもしないで名乗ったところでどうせデタラメで何を偉そうに言うかても多い。
移転先変更です!クリックで確認
移転先変更です!クリックで確認
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

過去の記事一覧

本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事