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スキーウェアは3セットになった。上下別なので3X3で9種類のスキーウェア が選択できる。仮に2着なら2X2で4種類の選択、ところが1着なら1X1で1つの選択しかない。つまり3倍投資で9倍の選択をエンジョイできる。着まわして使うからへたり方もゆっくりでこのセットで長く使うつもり。この3つのスキーウェア はどれも安物ではないけどすごい高級品でもない。ただゲレンデスキーをする分には機能的には高級品と遜色ない。これが考え方で多少稼ぎが良ければ高級品を買う人もけっこういると思う。それでヘタレばまた高級品を買う。そうしたい人はそうすればいいというだけの話であるが人生全体で見るとけっこう大きな差になるかもしれない。
例えば年収800万円の人がいてそれで年収600万円の人がいて600と800では違うと言えば違うけどわりとよく見る差で、ではどれほどの差があるかと言うと、実は家をもう一軒買えるくらいの差なんだよね。あるいは外車に乗って年に家族で海外旅行に行くくらい。考えてみると大きな差である。ただそれ以外の生活は同じにしないといけないんだけど、それが案外難しい。年収が増えると、どういうわけか子供を私立に行かせたくなるとか、あるいは家だってちとこだわったものを建てたくなるとか、着ている服とか身に付けているものとかも高くなるとか、食べるものも高くなるとか、旅行に行っても高い宿に泊まるとか、それで意外と余裕がなくなったりする。
それはある程度快適な暮らしはしたほうがいいとは思いますよ。ただ現代はある程度金を出せばけっこうなものが買える。それ以上出せば出すほど、実際の価値より自己満足が上がっていく方向になる。そこをどう思うかってことなんだよね。自己満足なら自分の収入のかなり内側でやるべきもので、無理してまでしなくてもいいとわたしは考える。それより気持ちの余裕のほうがずっと大切って思う。
つまり己の欲望なんだけど、そこがいい塩梅で躾けられていると逆に稼ぎたい稼ぎたいという気持ちも減るのでまあ本業があるのに株で儲けてとかそんなもの要らないと思うようになればそこはシメたもので、そういう気持ちで市場を見ていて、まあそれでも出張ってみるかと思える時だけ出ればそれがまた儲かるという流れに案外なったりして、儲けたい儲けたいって人間よりずっと儲かったりするかもしれない。
株ってのは儲けよう儲けようと思ってやると、たぶん血圧上がるでしょ? 場合によっては動悸とかまであるかもしれない。それで負けようもんなら失意落胆。あんまり体によくない気がする。つまりそれだけストレスがかかっているってことなんだけど、むしろストレスから考えて、自分にストレスをかけない方向で何事も処理するという方法がある。
わたしは実際そうしている。それでそれなりにいろいろ結果はでるんだけどストレスがかかっていないだけにまずそこでその分は儲かっているって気はする。ここで我慢すればあとあと良いことがあるって考え方はこれはかなりストレスフルだと思う。期待通りにならないことも多いし、期待通りになったとしても、喜ぶというよりむしろほっとするくらいにしかならない。思いもよらぬラッキーとか喜びを呼び寄せるにはそのやり方はたぶん向かない。
スキーから帰るとすごい汚れ方になっていて流石に洗車しないと車に触れないくらい。でも寒い。この高圧噴射機で汚れごと吹き飛ばして、さらに小道具でさっさと車をなぞるとそこそこ綺麗になる。すぐ終わる。わたしの自己満足はこの程度で十分で、あらこんな簡単にこんな綺麗になるんだと喜びもある。車もそんな高いものは買わないから大切に大切にとまで思わない。でも十分良い車だ。
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株式投資
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興津の墓参から取って返してさいたまで家族でクリスマス。そんですでに那須です。 今日はプロとその奥様とのゴルフラウンド。68歳のレッスンプロですが私より飛びます。私のスコアは39、43でトリとダボ以外はまあまあでした。この季節なら上出来。 ゴルフを終えてそれからスキーに。先日師匠から言われている課題の中回りに取り組んでいます。明日からはは朝一番でスキーをしてその後ゴルフをハーフ回ろうと思ってます。あんまり寒ければゴルフは切り上げますが。 ところで株はだいぶ下がっていますがトヨタなんかはようやく6000円とそんな下がっていません。私は20年自動車関連だけで勝負してきていてそれで十分儲かってきてますのでスケベ根性出しません。下がるなら売りで取ればという人もいますが自動車は売りづらいしそうまでして儲けなくていいです。使わない金が増えても意味がありません。じゃあやらなきゃいいだろうと言われそうですがその通りやらなくていいです。やる事いくらでもありますし。ちなみに自動車の中ではトヨタとホンダその関連会社が良いと思います。スキャンダルが企業体質としてないからです。20数年いろんな自動車メーカと付き合っての結論です。 |
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暴落はいつか必ず来る。これに反論する人はいないだろう。ただいつかはわからない。その規模もわからない。バブル崩壊やリーマンショック級の大暴落も数十年というスパンで見ればまずあるだろうと言えそうだ。過去を見れば10年に一回くらいはある。
暴落はチャンスだと言う人がいて、その人は普段から積極的にポジションを取っているけど資金全体から見ればポジションは大きくないので暴落となったら大きく買いに出る作戦だ。下落で損した分以上に儲けることができるから暴落は怖くないと言い切る。だがそれも反転するのが前提の話である。大きく買いに出てさらに下がったらどうする? もっと大きく買いに行く?
自分の資金繰りと下落との競争である。怖くないと言ってもその方法では想定を大きく超える下落には対処できない。想定に余裕を持たせるしかない。バブル崩壊の時の下落率は50%くらいだったらしい。リーマンショックの時は40%下がった。リーマンショックの時に日経平均が7000円まで下がった。その時に耐え切った人間でももしもそのまま日経平均が下がって5000円まで行ったらどうだったであろうか? ほとんどやられてしまっただろう。むしろ早めに退場した方が怪我が少なくてすんだくらいかもしれない。
結局津波と堤防の高さの関係である。堤防で津波をこらえようとすれば高くするしかない。どれだけ高くしても超えられたらアウトである。これが津波側に立つと話は変わってくる。津波に乗って岸に押し寄せればまさに無敵である。だがいつくるかわからないものを期待することで逆にやられてしまう人間もいることになる。株は買いなら塩漬けできる。10年じっと持っていてもいい。だが売りだと10年じっと売っていたらずいぶんと金がかかる。それと他にやることあるんじゃないのって話になる。
堤防にも津波にもならないという考えもある。中国の楚という国の人の「株を守る」という話をわたしはこのブログで10年くらい前に書いている。読まれた人で記憶にある人はいるだろうか? 我ながらうまいことを言うなと自分で感心する。視点もユニークである。まあ手短に言うと津波を待つのと似てるけどその待ち方の話である。金もないのに働かずに株を守ればそれはバカである。でも金はすで持っていて碁でも打ちながら株のそばで日向ぼっこなでもしていると話は変わってくる。先日書いた大ワニは来るかこないかわからないバファッローを静かに待ち受けているのである。それで餓えない。
株を趣味として嗜む人はたくさんいて、それはゲームとして楽しいのであるからいくらでもやれば良いと思う。ネットで株談義をする人の大多数は株が好きでそしてやっていて楽しい、止められない、だろう。これは玄人という領域になっても同じでむしろ好きで好きでたまらないくらいでないと成功は望みにくいという面もあると思う。
ただ好きでもないのに株を蓄財の道具として考えてその道具で成功を出せる人は滅多にいない。わたしは株はそんな面白いとは思わない。ゲームという意味では目の前で走る競輪の方がずっと興味深い。株は儲かるからやっただけある。儲かるかもじゃやる気もしなかっただろう。
でも面白い人には面白いんだろうが、いくら趣味とは言え蓄財の道具くらいリターンを期待するとそれは趣味の領域から逸脱することになる。趣味ではすまないくらいの手痛い目にあうリスクも高まる。趣味なら趣味としての金のかけ方があるだろう。
ここから先にわたしが書くことはあるのだけど今日は書かないで良い気がしている。仕事をしていてもそれからいろんな文章をやりとりをプライベートでしていても、言うこと書いていることが人にそのまま伝わることはそんなない。別に伝えたいからここで何か書いているわけではないのでそれで良いのである。読む人は自分の心を投影させて読むわけだから。ましてや欲の皮の張った相場好きの人間に言いたいことなどもともとないのである。
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彼はいつの日かのわたしのようである。いやいくばくか通り過ぎたかもしれない。30年前のわたしはサラリーマンをしながらセミプロ車検師を気取っていた。だが車券でどんなに稼いでも知れていることが次第にわかってくる。突き詰めれば突き詰めるほど閉塞感が押し寄せてくる。だが競輪を止めたらどうなる? それこそたかのしれた働きバチの奴隷がいるだけである。
競輪は遠く頭上を見上げた時に、あたかも芥川の小説、蜘蛛の糸のように、真っ暗な天空にうっすらとしかし確かに光る現実世界からの脱出口である。もし競輪を止めればたちどころに脱出口は視界から消えよう。天空は暗黒の闇となる。そこにいる自分はあまりにみじめで情けない、だからこそ止められない。たとえそれが幻であろうと。
わたしにとっての競輪は彼にとっての相場らしい。なぜ彼は相場を張るのか? 本当の理由は相場を止めた時の自分にある。相場を止めたらそこにいる自分はどれほどのものだろう?それを思うとたぶん堪えられまい。だが相場を張る以上なにかしらの可能性はある。長年やって大した成果がでてなくてもひょっとして明日は? そのひょっとしてがあるからこそ今の境遇で生きていられる。わたしと同じである。
さて、わたしだが、わたしは思い切って天空の脱出口を自ら閉じた。競輪は素人から見ればプロのわたしだが、所詮幻である。そこは肚をくくった。閉じてかつ現実世界も大きく舵を取った。会社を辞めて新しい職を得たのである。新しい世界は厳しくかつエキサイティングであった。そこで奮闘していて、ふと天空を見上げると、そこにいつか見たの同じような光り輝く脱出口が。これは自分がずっと待っていたリアルだと自分で確信した。それは相場であった。
彼とわたしは同質かもしれない。わたしは運と才覚に恵まれてか今の生活がある。彼が今後どうなるかは誰もわからない。運と才覚に恵まれればわたし以上になるかもしれない。もちろんならない可能性も高い。個人レベルでの幸福感は大いに違うかもしれない。だが視点を変えればそれさえどちらでも良いとも言える。生きてるということにおいては同じであるから。
ここまで書きながら、わたしはロバートデニーロ主演の映画タクシードライバーを思い出している。彼もやはり天空の脱出口を見たからこそ行動に打って出た。また坂口安吾のラムネ氏のことも同時に思い出している。たとえ失敗しようが、挑戦するものこそがこの世を変えていく。彼に運も才覚もないのかもしれない。だがやってみなければそれさえわからないのである。 |
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わたしの勘だが、その相場師はすでに私同様那須に住んではいまいか? ひょっとしてわたしの同じマンションという可能性もある。わたしの同じマンションに住む人間がよくひとりでゴルフのラウンドをしている。多少暗い影を感じる人物。それも平日ゆったりと。彼はひょっとして相場師かもしれない。まあ那須に相場師が住んでいても少し不思議ではない。那須はそれくらい良いところだ。
三連休の那須は賑やかである。わたしは那須を離れてさいたまに戻る。一般人と逆の動きをするのが自由人だ。この三連休が終われば、那須はおそらく静かな冬を迎える。とても楽しみである。もし那須の相場師がこのブログを読んでいれば一報いかがであろうか?一緒にゴルフをして美味いものを食べてそして呑んで、もちろん相場師のおごりだ。相場師はたぶん気前よくおごりたいだろうから希望を叶えてさしあげよう。
今日の那須は小雪が舞った。冬はそこまで来ている。 |





