ここから本文です

書庫株式投資

記事検索
検索

捕食者

カミさんは一足先にさいたまに戻った。2日だけの一人暮らし。旅でも別荘でも暖かい家庭があってのことだと私は感謝している。独身ならあるいは家庭が暖かくないなら、それなりに楽しくやってくださいとしか言いようがないが。

イメージ 1


那須には居心地がよいカフェがいくつもあるが、その中でもSHOZO CAFEは一番の人気である。ここのコーヒーは美味しいし食べるものもメニューは少ないけど丁寧に作られている。前の記事の写真の再掲だけどこのサンドイッチの卵が美味しくてカミさんが気に入った。こういう店に2ー3時間でもいて本でも読むかあるいはテキストでも打つかすると極上な時間かとは思うけど、時期によりそれを気分的に邪魔するものがあって、それは観光客のひっきりなしの往来である。でも観光地にあるのだからそれは無理もない。それで成り立っている店なんである。空いている時に行くととても良いと思う。特に冬は楽しみである。

マンションの敷地内はとても広いので周回的にランニングしてもいいのだけど、今日はお気に入りのパン屋までランニングをすることにした。片道3キロで往復6キロ。丁度良い。半袖で走り出すがすぐに身体が温まる。店に着くと、店員さんが、えって顔で見る。半袖シャツだから驚いたみたいだ。年齢を聞かれもしないのに告げたらもっと驚いていた。

イメージ 2



たくさんパンが並んでいるけど

イメージ 3



私のお気に入りはコレ!

店で食べると流石に身体が冷えるのでそのまま走って部屋に戻る。帰り道にスーパーに寄って野菜を買う。レタスの小玉が50円の半額で25円、その先にカットレタスが袋詰めで洗わないでそのまま食べれますと、それが99円の半額で49円。どっちにしようか迷ったがカット野菜を買う。部屋に戻ってまずは温泉。朝風呂も入っているので本日二回目の温泉。

イメージ 4


それからパンをいただくわけだが、部屋の外には森の景色が広がる。ゆったりとブランチにする。ミュージックはオールディーズがいい。

https://www.youtube.com/watch?v=XNp-kKBmLo0

こんなのね。


イメージ 5

くつろいで、それで先日買った本を読む。子どもの教育論の本である。270ページだけど1時間半くらいで読了。この人の文章は初めて読んだけどわたしは好きになれない。まあ好みの話である。それでも特に引用部分は目新しい話もあり、読みながら自分の子育てのことを考えた。わたしの子育ては我ながら納得がいく気がする。そう自分の子どもが書いた文章を読んで確信したのを思い出す。書いたものはその人を語る。

わたしは子どもに勉強だなんだで褒美を一切出さない人間である。わたしはそれが当たり前のことだと思う。それで励みになればという理屈は私は取らない。励みにしてはいけないと思う。親の期待を子供に具現化することで子供は自らのアデンティティを失う。その代わり取引なしによく遊び時間を共有した。結局子育てというのは無条件に時間を子どもに捧げることだと私は思う。

カスタマーであることに慣れた子供は教育さえも自分の近視眼的な視点で損得を判断する。子どもと取引するのが教育の現場だと筆者は専門家から聞いてくる。消費者であることに慣れた子供はなにかするのにメリットを要求する。それが勉強であろうとなんであろうと。筆者はその弊害を説いている。まあ何を言おうが自分の子どものことであれば大人になればわかることである。

午後3時間だけアルバイトしてそれで部屋に戻ると4時半、ゆっくりとまた温泉。よく入る! それで部屋に戻り大相撲中継を見ようとテレビのスイッチを入れる。どうやら稀勢の里は休場。なんかそれを知ってほっとした。まあとことん負け続けるのも一興かとも思うけど本当にケガなら仕方ない。

夕食は例の200円の賄い弁当。それを持って帰ってスーパーで惣菜を買い足して晩酌しながら、アマゾンプライムでドキュメンタリーを見ながらこんなブログを書いている。野生動物の狩のドキュメンタリーだけど、こういうのは株式投資にも役立つような気がする。何故かってのは説明する気になれないけど、まあ興味深いのである。それにしても人間は、同じ人間を狩るという意味で最低最悪の捕食者だとつくづく思う。だって必要以上にあるいは楽しみで捕食するのは人間だけなんである。その業の深さを知る者が本物の捕食だと私はそう思う。

阿佐田哲也とわたし

阿佐田哲也(敬称略)の著作はたぶん全部読んでいると思う。別名の色川武大もたぶん全部読んでいる。物故作家の場合全部読んでしまうともうないというのが残念である。池波正太郎とか司馬遼太郎などとても残念だ。池波と司馬遼はどっちも面白いけど池波の方が人間的で好きである。司馬遼太郎は性描写が全くない。池波はけっこうある。別に池波の性描写を読みたいわけじゃないけど何もないのは人間だから不自然。それを人生観を描き切る筆力で補っていたのが司馬遼ということかと思う。それで阿佐田哲也だけどこの人も全く性描写を書かない。(と思う。調べたわけじゃないけど読んだ記憶がない。まあ刺激的でないのはあるかもしれないけど、いずれにせよ全部読んで記憶にないのだからやはり避けていたとは思う。)阿佐田哲也が性描写を書かないのはたぶん不得手だったというのはあろうかと思うけど、ありきたりの性描写をしてしまうと登場する無頼漢が普通の人間になってしまい読者の共感を呼びかねない。阿佐田哲也の著作に出てくる無頼漢たちは読者の憧れを呼ぶとしても共感を拒絶する存在である。ページの中からお前には真似できまいと気迫横溢とする。まさにやさぐれで生きる無頼漢。それが読者の琴線を揺さぶる。(まあドサ健に相応しい性描写もあり得るとは思うがマニアックな団鬼六ばりになるかはたまた今度は読者の反感を招きかねないだろう。)

読者はなぜ無頼漢に憧れるか? 阿佐田哲也の小説に出てくる無頼漢にはある共通の特徴がある。それは何かを得てその代わり何かを失っていることである。何かを失い代わりに何かを得るもある。 これは阿佐田哲也の人生観である。彼が書く人物には全てを得る満点人生は出てこないし、逆になんでも失うゼロ点人生も出てこない。人生は光と影、だからこそ人は光り輝くとたぶん阿佐田哲也は考えていた。読者は無頼漢としての暮らしぶりに憧れるわけではない。現実的に荒唐無稽でもある。だがドサ健が捨てたものには憧れを感じる。それは他人からの賞賛だったり、人と人との気持ちの通い合いだったり、あるいは明るい家庭という人並みの幸せだったり、およそ社会の人がしゃかりきになって追い求める幸福のステレオタイプをすべて捨てている。読者が普段隠している、「社会の歯車になりたくない」「面倒なものいっそ捨ててしまいたい」その他諸々の良い子でいるのをやめたくなる衝動を作中の無頼漢は刺激するのである。だがそこでドサ健は笑う。「お前さんには真似できまい、良い子は大人しく頭を低くして生きてな。」そしてその通りほとんどの読者は頭を低くして大人しく生きざるを得ないのである。まあこれは仕方ない。そんな実力ある人間など滅多にいないしまたドサ健が捨てたものを実際に捨てることもできない。だからこその娯楽小説である。読んでいるときだけストレス発散できればそれでよしであろう。

わたし自身もかつてはドサ健のような無頼漢に憧れていた。競輪の車券師をしていた時など無頼漢を気取っていた時期もある。だが無頼漢の実生活は意外と地味である。これは小説には出てこない。博打で格好良く相手を打ち負かす場面などは現実にはない。そもそもプロはプロを避ける。弱い素人を見つけてカモにしてそしてただカモを食うではすまない。カモのご機嫌取りをして長く付き合ってもらわねばならないから営業マンでもある。結局サラリーマンがするご機嫌取りをカモにしている。カモから嫌われたら生きていけない。だから実態はそんな変わらない。競輪はそれがないだけ気楽だがかわりに25%という強大なテラ銭がいる。車検師は素人が想像もつかないくらい真面目に観察と分析に労力を割く。わたしもやった。大阪の森ノ宮に競輪新聞の印刷所がある。そこに夜のうちに行って刷りたての競輪新聞を何紙も買い、そしてほぼ徹夜で検討、朝から競輪場に向かいそして10レースのうち勝負は1レースか2レース、何も買わない日もある。あとは観察と記録に費やしその後の勝負への蓄積とする。やってみると、これは真面目に一軒一軒得意先を回って販路を拡大すべく営業マンとして働いているのと変わらない。その割に稼ぎは知れている。大金持ちなんて絶対無理だ。いやむしろ危険である。競輪もゲームの中身を見れば常に変化していてそこはサラリーマンのように毎日同じでは置いていかれる。必死に食らいついてようやく食っていけるかどうか、、実際ドサ健もその他の登場人物も激しく戦っているわりにそんな派手な暮らしをしている記述は見かけない。

男はつらいよではない、無頼漢はつらいよ、である。そこでわたしは競輪からすっぱりと足を洗うことにした。そして同時期に体質の古い純日本的な会社を退職して、外資系の企業に転職する。そこなら一山ありそうな予感がしたしとにかく日本企業ではたかが知れているという閉塞感があった。そして30代になるとやはり自分はドサ健が捨てたもののいくつかは大切なものだと考えるようにもなっていた。外資系企業で上級職になれば軽く日本企業の倍くらいは稼げそうだ。それも実績次第でごぼう抜きで。その会社での出来事はずいぶんとこのブログでも書いたのだがあいにく消してしまった。ただその会社で上司が紹介してくれた一冊の本がわたしの人生観を変えることになったから、それはとても良い偶然であった。それは中村天風師。師の著作に触れてこれだとはっきりとイメージができた。人生は壮大で可能性は無限である。何かを得るかわりに何かを失うというのはこれは既成概念であり先入観である。と言うか人生そのものが夢でありゲームである。生き方程度いくらでも上手くやりようはある。全てを失う馬鹿も多いこの世なんである。転職した企業ではいろいろあったがそこまでここで書くとキリがない。古い読者ならご存知だろうし今でもどこかに残っているかもしれない。わたしは会社で成功の道に突き進むと同時に、業界の専門家として企業を見てそこで株式投資に生かせそうだとチャンスを伺うようになる。結局わたしはドサ健的な振る舞いと気分を持ち、かつ彼が失ったものも何一つ失わいで欲しいものは手にいれた。これはある意味阿佐田哲也への挑戦でもあった。わたしは処世術という意味で彼の人生観を凌駕したと思う。ただ残念なことというか当たり前だと思うが文章力では彼に到底及ばない。直木賞をとった離婚とかあるいはギャンブル小説でも彼のラストシーンの鮮やかさにいつも瞠目させられた。たぶん人生あまりうまく行ってしまうと自慢ばかりで奥行きのあるラストは書きにくい気がする。光と影がない。全部日当たり良しとなる。

もしもわたしが何か失ったとしたら、それは人生の影かもしれない。そうだろうって、阿佐田哲也が墓場で笑うかな? でもわたしのブログらしく最後も自慢的反論で終わろう。阿佐田哲也氏は今のわたしと同い年60歳で亡くなっている。年に不足はないとたぶん彼は思ったかもしれないが、死ねば変化も成長もない。わたしはまだまだ発展途上である。まだまだ先は長いのである。彼は晩年にいくつか駄作を書いた。わたしは逆にしたい。10年後のわたしはもっと素晴らしい文章を書いているかも。。。でもねえ、このブログを読み返しても10年前とほとんど文章力は変わってないね。書くスピードだけは数倍に上がったけど。自慢にも反論になってないか。

イメージ 1




iphone4S用のHDMIコネクターは今でも重宝している。iphone4Sに音楽と映画を入れて那須のテレビで再生する。音楽プレーヤーとビデオプレーヤーという意味では今でもまったくの現役である。ちゃんとitunesと同期すれば最新状態。ちなみにこのコネクターがけっこう高い。数千円する。でも買っておけばずっと使える。古いタブレットとかスマホとか別に捨てることはないと思う。例えばたいていのスマホは家の固定電話の子機として使える。知らない人が多いだろう。家でインターネットを使っているならそのルーターで設定を行う。スマホにはアプリを入れる。わたしはAGEというアプリを入れている。そうすると自宅の固定電話の番号でスマホで受発信ができる。これは自宅でだがスマホ側からVPN接続をすればなんと外に持ち出しても使える。ただVPN接続は電池の消耗が激しいのでかけ放題の方が好ましいが、どうしても家への着信を外で取りたい場合には例えば別荘なんかでは便利である。何を言っているかわからんという人もいると思うけど調べてわかるようになった方が便利だと申し上げておこう。よほどバカでない限り真面目に調べれば理解できないことはそんなない。

雑談はいい加減にしてそろそろ本題に入れと思っている人もいるだろうが、勘違いしてはいけない。わたしが書くことはすべて雑談である。でのその雑談の続きなんだけど、わたしの投資スタイルについては10数年書いてきてきて古い読者と遡ってPDFまで読む物好きな人はわかってらしゃると思うけど、それも読んでない人とそれと読んでいてもよく読んでない人ってのがこれはとても多いと思う。なんたってリズム第一、視点が第二、内容その次って感じだから、なんとなく読んで、ふーんって思ってわかった気になって、さて何を言ってんだか、て文章ばかりだ。わざとやってんだけど。ブログで何か伝えたいって人がいてけっこう言葉遣いに気を使っている人も多い。トラブルを避けたいという言葉遣いもする。だけどそういう文章は読んでいてまだるこっしい。大した内容でもないのになにを構えてんだて思うから読む気は余計しない。

そんで、最近の読者はわたしが株で何もしていないって思っている人も多い。それとたまに出動してもすぐに引っ込むイメージがあるでしょう。まあ気持ちとしてはすぐに引っ込みたいんだけどそうはなかなかいかない。株価が目標まで上がるにはそれなりに時間がかかる。それで20年ほどの株式投資歴でいったいどれくらいの期間ポジション持っていたかと言うと13年か14年くらいじゃないかと思う。意外と長いと思われませんか? ポジション持っている期間が主なんです。それはなんの相続もないサラリーマンが54歳で会社をやめられんだから、ひょいひょいという訳はない。その間のポジションはそれなりに持っていてちょいと遊びでポチポチなんてのはやらない。やらないというか出来ない。やったこともない。もちろんやる気もしない。日銭について言えば、企業年金と家賃と利子でそれこそポチポチもせんで金は入ってくる。しばらくすると公的年金も立派に出る。わたしは別に株で儲けた金がなくても今くらいの暮らしは手に入れたと思う。ただ56年タイミングは遅れたかなって思うのとその間多少面倒だったかなって思うのと児童養護施設でのエキサイティングな思い出も残らなかったってこと。どこかの外資系を23年づつ渡り歩いて稼ぐってわたしなら出来る有力な方法をわたしはやらなかった。

わたしが手がけた株を順番に言うと、ボッシュ、デンソー、太平洋工業、三菱自動車、日信工業、トヨタの6社だけ。そのうちまあうまく行ったなと思うのはボッシュと太平洋工業とトヨタ、あとの三つは前の三つと比べるとあまり儲からなかっった。特にボッシュと太平洋工業とトヨタは長く持っていた。一番長いのがボッシュでこれはエントリーからエクジットまで8年くらいかな?後は34年で納得して売った。
三菱自動車は会社の資本関係で変化があったので2割くらい上がったとこくらいで手放した。結果から言うと正解であった。ベンツを追い出して日本だけでやろうとしたわけだけどそれであの隠蔽体質が直らなかった。間違えたのは日信工業で底値あたりで買ってそれで40%急騰したので一旦売ってしまった。その後買い直しをしようとしたけどそのまま上がって行ってしまった。そんで終わり。それでも買い直す手もあるんだろうけどそこは縁がないと思って諦めた。まあ間違えても40%は儲かったけどこれは資金量が少なかった。流通している株が少ないのでやりづらくてたくさん入れられなかった。私程度の資金量でも自分で自分の頭を叩くような取引になっちゃう。そのあたりはテクニックがなかったわけで止めてよかったんだろうなと今は思う。苦労してテクニックなんて見につけようとも思わない。わかりやすいのだけやれば良い。ということでみんな良かったなって今は思っている。

そんで投資判断の根拠なんだけど、これもさんざん書いてきたことだから読んでる人読んでると思うけど、この自動車部品業界は数年先まで見通しが効きやすい。理由は二つ。まず必ず技術開発を伴いそれは特許や学会で発表されていく。さらに工場だってすぐには建たない。これらの情報は簡単にはアクセスできないけどインサイダー情報ではない。英語の論文とか特許出願を原文で読むくらいの力があれば良い。ものすごい量だけど。ちなみ訳がでたり報道されるのはずっと後。

二つ目は法規制。これは日本よりもむしろアメリカとヨーロッパの動向がキーなんだけどこれも数年単位で法規制がなされてそれが順次発売される車に反映されていく。例えばエアバッグで子どもが死んでそれで幼児が乗っている時はエアバッグを止めると法規制とか、あるいはフォードの車がよく横転してタイヤの空気圧警報システムを法規制で入れるとか、そういうものはまずアメリカの交通省にあたることろから原案が出てそれで公聴会ともあってそれは閲覧は可能である。法規制が適用になるのは数年後でそのタイミングも明示される。もちろん訳がが出たり報道されるときは遅いけどだいたいそんなに大きく報道されないから、その報道だって業界のニュースを真面目に読んでないとわからない。燃費規制とか排ガス規制も同じようなステップを踏む。

わたしが上に書いたような情報を日本で最初に読むのは国交省か自動車業界の技術とか特許の専門家である。その後順次必要部署に配布されていくけ、その中に株式投資をしようなんて考えている人間はいなくて株価への影響なんて興味がないし見当もつかない。いくら証券会社で自動車業界の専門家だって言ってもまあ軽く23年は遅い。一般の投資家だと軽く数年遅れる。だからその間に買って数年くらい待っていれば良いということになる。ただインサイダー情報のような決算がどうのとか発明がどうのというような簡単な話ではない。その企業に対する総合的な投資判断が必要で誰でもできるということではない。

他に知らないといけない情報もたくさんある。例えばドイツの会社のボッシュは本社の意向が重要になる。そうするとボッシュが例えば中国で新工場を建設するとか、それは何を作るんだとか、そうすると日本はどうなるとか? こういうのは会社のレポートとか公開情報だけでなくて株主総会で直接聞いたりする。日本のボッシュの社長は当時ステファンストッカーと言って、経歴を調べるとエリートである。そのステファン君は日本に来て日本語がすごく上達して株主総会では日本語で株主の質問にも答えるようになる。最初の日本語より全然上手くなったのを覚えている。もともとベースはあったと思うが相当勉強したはずだ。当時はボッシュジャパンは前身がヂーゼル機器(ゼクセル)と日本ABSJKCでどれも頼りないから倒産するかもしれないと日本の投資家からは思われていて、それでボッシュが完全に子会社化して社長を送り込んだ。そんな倒産するような会社をあのボッシュが子会社化して、ドイツ本社のエリートが来てそんでそのエリートが必死に日本語を勉強するだろうか? わたしのちと込み入った株主総会での質問にステファン君が流暢な日本語でまともな応答をするのを聞いてわたしはますます確信を深めることになる。こういったことの繰り返しである。その後ステファン君はボッシュをTOBで完全子会社化して後、本国に帰任するが、その後転職してタカタの社長になる。だがしばらくして辞めてしまう。見切りをつけたんであろう。その後の消息は杳として知れない。(マックはあまり変換がよくない。「ようとしてしれない」が
変換できない。書いていてこういうものがけっこうある。)

その自動車業界もずいぶん変わった。今は当時と違いほとんどの規制も出尽くした感がある。燃費規制も排ガス規制も電気自動車に向かうから新技術も出て来ない。自動運転が肝だがこれは日本では大資本が
やっていて株価がどうのとならない。そして一番大きいのはわたしが2011年に業界を離れてもう専門家ではなくなったということだ。調べようとすれば調べられるかもしれないけどコストと時間に見合うとは思えない。そんでもう十分稼いだので止めようということであった。だからもう稼いだだけ稼いだからもう稼がないとか言うけど、もう稼げないというのもあるのである。ただわたしのことだから本当に稼ぎたいと思えばそれこそ他の業界でもなんとしてもなにかするから、それをやらないという意味で、もう稼がないというのは強ち嘘ではないからそう書いているだけである。それからその後のトヨタはわりと分かりやすかったが、あれはリーマンショックの暴落だけではない。ブレーキのスキャンダルも絡んでいた。だが、あんなもの三菱自動車でもないのにトヨタがそんな間抜けなインチキするわけはないってわたしはわかるから勝負できた。

そんな振り返りである。今後はよほどのことがないとやらないということにななるとは思う。そのよほどのことと言うのは、まあ蛇口を捻れば金が出てきそうな勢いの時ということで、そういうことは過去を振り返ると何度かあったが、さて今後はどうなんだろう? 一応金は用意してある。というかあるだけだが。


イメージ 1

わたしは株式投資を上手くなりたいなんて考えたことは一度もない。別に上手くなくてもいいから勝てば良い。でもただ勝ちたい勝ちたいだけだとどこかでひっくり返りますよとか言われたこともある。もちろんひっくり返らないようにやってますよ、たぶんそうアドバイスする人間より。ただ上手いからってのとは違うと思う。

上手いってことは上手いって誰かから言ってもらう必要がありそうだ。自分でも上手くなったなとか思わにゃいけない。つまりそれはなんかあるやり方を真似て習熟するってことなのかしら?そうだとして上手いって褒められてそれで嬉しいのかしら?

人間てのは上手くやろうとか思った時点ですでに奢っているて気が私はする。なんと言うか綺麗に勝ちたい? 綺麗に勝つ人間は継続的に勝ち続ける? なんか違うと思う。相場を囲碁や将棋とかあるいはスポーツと同じだと思ってんのかしら? だとしたら凄いスポーツだよね。負けて自殺する人間もでるスポーツ。それもプロでもないのに。どんなスポーツでも、アマチュアが負けて電車に身を投げる、なんて他にはないね。

つまりスポーツぽいところもあるから勘違いしやすいってことかもしれない。確かにそうも見えそうだ。でも本質は違うってわたしは思っている。スポーツよりもっと下世話な、喧嘩それも汚い奴が勝つ。負けたら自殺者がでるところで自分が勝ちたいってことは、極論すれば自分のせいで誰かが死んでも構わないってことだよね。もっともそうはストレートに繋がりは実感できないけどそういう業の深いことをしているって言う自覚はこれは感じるべきだってわたしは思っている。

少なくともわたしが儲けたお金は誰かが損したお金。だから自分の生き方とかお金の使い方とか、それも含めて相場だと思っている。それでやはり無用な殺生はしたくないから要るだけ稼げばそこからはガツガツやらんで良いとも思う。

ここまで書いたことと、それと相場でまとまったお金を手に入れる人間はめちゃくちゃ少ないわけだから、その事実からして、やはりセンス(あるいは運)がないと勝てないとわたしは思う。誰でも努力すれば勝てるもんじゃない。いくら努力してもほとんどは負ける。

もちろん努力して勝つ人もいる。自分では努力を強調するかもしれないけどそこはやはりセンスじゃないかな。センスがあって努力したから勝ったってこと。ハルトモ はどうだと言うとまあ相場では努力をしてないけど、なんかそこは持ってたんだろうね。他の一芸も相場で生きるって気もする。

てことでいくらかやって芽が出ないなら、そんで相場が好きで好きでたまらない、やめられないっていうのでなきゃ、見切りをつけて他の道を目指すほうがいいんじゃないかしら? 要は儲かればいいって人がほとんどでしょ。だから他で儲ければいいわけだ。別に相場でなくなってなんでもいい。自分の才能を活かせばいいわけだ。なんの才能もないってことならそれは相場は一番きついからやっぱ止めたほうがいいだろうね。


イメージ 1



マンションの自室からは切り取ったような絵が楽しめる。冬が楽しみ。

これから相場でどうにかしたいともし思われるなら、あらなみさんや相場戦略研究所のコメント欄をずっと10数年遡って読んだらどうかなと思う。達人の言う内容を読んで理解すると言う視点でない。(彼らはずっと似たようなことを言っている。)注目すべきは他の人ね。結局いなくなる人たち。いろんなキャラがあっていろんなことを言うけど、実は時期を変えても景色はだいたいかわならないって少なくともわたしはそう感じる。

このブログの最初の方にわたしは書いて(その後も何度か)いるけど、勝ち組は多様でパターンはないが、負け組には共通点が多い。そして勝ち組は負け組をよく観察していてその生態や行動パターンを熟知している。だって獲物なんだから。猟師が獲物の動きを熟知しないとやっていけないのと同じ。そういう意味ではコメント欄てのは絶好の観察の場なんだから、猟師の視点で読めばいいわけです。そうするとまた違ったものがきっと見えてくる。狼ってのは羊が自分で自分のことをわかっていないことまで知っている。だから羊は食われる。鴨って言ってる人もいますけど同じこと。

まあこれから食おうという猟師にすると余計なことを言いやがってってきっと思いますけど、わたしはもう稼ぎ終わってんでどうでもいいわけです。

私がこんなこと言うと、私はとても賢い羊で餌を食いながら上手く生きのびてますと言う人もいた。深海魚って言い方もある。じっと動かず時々パクってね。自分と周りが見えていればそれでもいいわけです。
移転先変更です!クリックで確認
移転先変更です!クリックで確認
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

過去の記事一覧

本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』

その他のキャンペーン

みんなの更新記事