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気仙沼から陸前高田、大船渡、釜石、宮古、(田老、浄土ヶ浜)と三陸海岸を車で北上してみた。それぞれの地域の復興の形が興味深い。多くの町は背が高い防潮堤を築き、景観はまったく度外視、地域によっては町ごと山に引っ越してしまったところもある。こういう町は漁業中心で観光も未整備であるので見栄えはあまり気にしていない。結果ますます観光客は来づらい町となっている。この点に関しては地域ごといろんな議論があり異論も多いが、やはり国の金でただで防潮堤を作ってもらえるならとそれでお願いをしているという面が強いかと思う。その点我が実家気仙沼は立派である。防潮堤などなるべく建てずに景観を重視している。町の再興を重視している。ただたったこの今津波が来ればまたやられるだろう。リスクとリターンという計算の話でもある。そうなると精緻なマネジメントが求められる。どっちかだけが正解ではない。工夫したものが勝者。似たようなことをしながら少しでもリスクを減らし少しでもリターンを高める。それが成功失敗の分岐点。勝負というのは得てしてディテールに宿るものなのだという勝負師の鉄則がここでも当てはまる。それぞれの街が知恵を出し頑張って欲しいものである。
復興の象徴的モニュメントである、奇跡の一本松と田老ホテルを見学した。田老ホテルは6階建てだが4階まで津波に浸かり今は保存されているいるが地元の観光協会が一時間のツアーを組んでホテル内と防潮堤を案内してくれる。津波の現場が詳細に語られる。ほんのわずかな差が生死をわける。大丈夫と思ってももう一枚手厚く。安心せず油断せず我が身を確保する。これも考えてみれば勝負の要諦である。 北上して最後浄土ヶ浜に。とても美しい景勝地である。松尾芭蕉はこの地を訪れていないようである。松島で感動した彼がこの浄土ヶ浜に来たならどんな句を詠んだか? 松島も素晴らしいが浄土ヶ浜は三段その上を行くとわたしはかんじた。それくらいの絶景であった。 |
旅行
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荒れ果てた佐和山城 佐和山遊園 安土城天守跡から琵琶湖方面を見下ろす ランチで京都のラーメン、ギトギトなんだよね。 琵琶湖一周を達成した翌日、幼なじみを琵琶湖界隈の観光に案内した。わたしが以前訪れておすすめという場所をトレース。わたしのお勧めは敗者の歴史である。勝者の歴史は自分に都合良く書き換えて、箱は立派で宝物たっぷりということで一般観光客は喜んで回るのかもしれないが、わたしには何の面白味もない。琵琶湖界隈でその最たるものは国宝彦根城とその博物館。井伊は徳川家のサラリーマン。今でも井伊の子孫は彦根城の館長で地元の名士である。 その彦根城の目と鼻の先に佐和山がある。佐和山は石田三成の居城で全盛時は彦根城どころではない規模を誇ったが石田三成が滅んだ後には完璧に歴史から消し去られた。それが今の時代にまで続いている。何故かと言うと、この佐和山は清涼寺というお寺の私有地になっている。そして清涼寺は井伊家の菩提寺である。おわかりになるだろうか? どんなに映画や本で石田三成が騒がれようが、佐和山城跡は絶対に開発されない。井伊家の息のかかった清涼寺の持ち物だからである。数百年と長きにわたり意地悪を続ける。徳川譜代筆頭の井伊家面目躍如である。 佐和山には何もない。ただの山の小径が続いているだけである。清涼寺が私有地だから入るなと看板を立てているが、だがこれだけの歴史的な遺産を私有地と言う理由で荒れ果てさせている。日本の権力構造のせこさと、ある意味いまだに徳川家のサラリーマン魂を貫いているのかと、それはそれで感心するから、ある意味それも一興とも言える。 ということで彦根城などはパスして佐和山を案内。佐和山の道を挟んで向かいに佐和山遊園、佐和山美術館があるというかあった。今は閉鎖されて入場禁止。石田三成が井伊家の意地悪もあって不当に扱われていることを良しとしないある金持ちが莫大な私費をつぎ込み城と美術館を築いたのであるが、その金持ちも今や没落して維持できなくなっているのである。なんと売りに出ている。わたしが数年前に訪れた時には中に入れたが、今は施錠され入れない。ここの一種独特の雰囲気を醸し出す歴史?の穴場である。佐和山の向かいだから寄る価値はある。 その後安土城に。安土城も数百年もの間捨て置かれていたスポットである。信長が死んで、その後数百年荒れ放題であった。発掘が始まったのが昭和に入ってから。これもまことに興味深いスポットである。一時間半ほどかけてゆっくりと上がりそして降りた。信長がみたであろう景色をかなり趣が違うとは言え同じところから見るのはよき脳内旅行である。なぜ趣が違うかと言うと今の安土城の前には田園が広がっているがこれが戦後琵琶湖を埋め立ててしまったからである。信長の時には琵琶湖湖畔に壮麗な城が建っていた。そして琵琶湖越しに大津が見えその先は京都。信長はきっと京都方面を眺めていたことであろう。 安土城に天守から少し下がったところに信長は本丸御殿を建てた。なんの為かと言うと天皇をそこに招待するためであったと言われいる。誰もが瞠目する天守のその下にある御殿に天皇を迎えようと信長は画策したのか? その画策が事実かどうか別として、明智光秀によって命を絶たれる。日本のヒエラルヒーを根底から覆そうとした信長を光秀は正義感から討ったという説をわたしは取る。一般にはサラリーマンの逆ギレが謀反の理由と言われているがそれではつまらない。光秀はそんな軽い男ではないとわたしは思う。心知らぬ人は何とも言えば言え、身をも惜しまじ名をも惜しまじ、という彼の辞世の句が心に響く。 その後、浅井長政の居城、小谷城址へ。ここは以前にも詳しく書いたから割愛するが、かつての浅井長政とお市の方、そして三姉妹が暮らした居館の後はやはり閑散として訪れる人は少ない。 そして姉川の合戦の古戦場を訪ね、その後関ヶ原の古戦場に。それぞれの武将の陣取りと戦での振る舞いを改めてなぞり彼らの心持ち類推する。関ヶ原の合戦の時、徳川家康は59歳、わたしとほぼ同い年であるので感慨もひとしお。
関ヶ原から静岡で友人を降ろしてそのままさいたまの拙宅まで一気に帰った。二泊三日で1100キロを走りきった。いや違うな自転車の170キロを加えて1270キロ。よく走った旅であった。 |
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琵琶湖を自転車で一周するのをビワイチと称す。琵琶湖一周は200キロ、ただ琵琶湖大橋より南は市街地で走りづらいので、琵琶湖大橋をわたってその北側の大きな琵琶湖を一周すると、それはなんちゃってビワイチということで一応ビワイチの端くれに列せられる。それで150キロ。幼なじみと一緒にそのなんちゃってビワイチに挑戦した。最初は泊まりがけでするつもりだったが、やりがいということで一日で挑戦することにした。まあいろいろあったが無事に完走。かなり疲れた。宿から出発して宿まで戻るのに都合170キロ走った。自分としては今までの最長のツーリングである。でビワイチの印象はと言うと、実はあまりよろしくない。一般道の脇をずっと走り続けるのでまずうるさいし、それから段差も強くてサイクリングロードとしては到底快適とは言えない。しまなみ海道がよかっただけにそれと比較すると3段階くらいは落ちる。それでもビワイチはビワイチ。一生の間にビワイチをする日本人はそんないないのでやったと自慢できるから一度はやってもいいと思う。一緒に完走した幼なじみは奇しくも今日はバースデイ。完走と誕生日を祝して宿で乾杯。お互い仕事はリタイアしているけどビワイチはリタイアせず完了。よかった。よかった。 |
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会津高原のスキー場、平日はだいたいこんな感じである。空いているとか閑散を通り越してまさに静寂。休日でも充分すいているけど平日はまさにガーラガラ会津高原だ。 台鞍スキー場のゲレ食はなかなかコストパーフォーマンスが高い。この具がたっぷりに豚汁が250円、普通の大人には充分と思える量のミニカレーが350円。合計600円でおなかいっぱいになる。ハンタマもMJも確かに交通の便は良いがそれでも30分余分に走れば台鞍につく、40分でたかつえに着く。さすがに南郷と高畑は遠いが、だいくら、とたかつえは充分日帰り可能である。たかつえは那須から無料のバスもでているので一度乗ってみたいと思っている。ガソリン代が節約できるし運転が楽だ。たかつえはけっこう峠がきついのである。 帰りはゆっくりと塩原温泉につかった。華の湯という市営の日帰り湯だがけっこう立派なのとここは天ぷらと蕎麦が美味いのである。以前天ぷらの盛り合わせをブログにあげたが、今日は一人なので天ざるセットにした。1400円であるがすごい天ぷらの量、お得度は高い。舞茸の天ぷらが絶品である。ゆっくりと風呂に入り蕎麦をいただきながら相撲を見る。仕事を辞めてから相撲が楽しみで仕方ない。ちょこちょことしていれば相撲、それで一日が終わる。折しも話題も多い。今場所のわたしの注目は高安と琴奨菊である。高安と琴奨菊の対戦であった。伸び盛りの高安の勝ち、これは仕方ない。 7時半まで温泉でくつろいで、それから一般道で自宅まで10時についた。2時間半である。国道4号線本当に速いな。 |
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檜枝岐は全国有数の豪雪地。檜枝岐から新潟に抜ける道は冬季は豪雪で通行止である。途中にある尾瀬にも車ではいけない。その雪原をスノーモービルでゴムボートを引っ張るスノーラフティングで疾走するツアーが以前はあった。スノーラフティングのあとに山歩きをして冬の尾瀬の絶景を目にする。(尾瀬の手前ね、さすがに尾瀬そのものまでは簡単には行けない)。尾瀬の象徴燧ケ岳もよく見える。我が家も家族で参加したことがあってこのブログで紹介したことがある。
なかなか楽しいツアーであったが、いまはたち消えになっている。こういった企画には組合とか行政単位の取り組みがあればスムースに運営できるが、そこでリスク管理という問題がでてくる。どうやって事故を防ぐのか?もしも事故があった時にどう対処するのか? 誰が責任を取るのか? こういった話になると行政はぐっと及び腰になる。地域の発展は望ましいとは思うが、それ以上に問題を抱えたくないという意識が強いということだろう。ではということで民間の会社組織で再開しようかという動きが今あるそうだ。
我が家は宿の主人とは古いつきあいなのでお試しということで夫婦ふたりで参加させてもらった。冬の檜枝岐は素晴らしい魅力に溢れている。確かに遠いが遠くても夏には人がたくさん来る檜枝岐。理屈で言えば夏に訪れる人間と同じ数の人間が冬に訪れても不思議はないような気がする。そこまでいかなくても夏の半分来るだけで大変なことになるだろう。
ラフティングで遊んでさらにスノーモービルで散歩にも出てみた。お試しということで燧ケ岳のよく見えるポイントや滝が見えるポイントまでいってきた。こういうツアーの基本はいかに絶景ポイントに案内できるかじゃないかしら、そしてそこでなんかする(コーヒーを飲むでもいいけど)とそれが思い出になる。結局遊びは思い出づくりであると私は思う。
午前中は雪あそびをして午後からはスキーをした。スキーで大きな気づきを得た。両足が一瞬シュテムになるという件、これは外脚と内脚のエッジングが均等できないから起きるという話をどこからかあまさんが探してくれて、それを意識していろいろ試していたが、わたしの場合内脚の膝の向きを外脚に揃えてターン方向に向けると、まるでしゃもじでひっくり返すようにターンでエッジングを切り替える感覚が出てきて、今までよりスキーが走る走る。なんかうまくなった気がする。かみさんによれば足はだいぶ揃ってきているそうである。さらに練習して上手くなりたい。
スキーはあと一回は予定があるがもう一回するかどうか迷っている。そろそろゴルフの予定も入ってきている。ちょっと両立は難しい。他に乗馬とかもあるし。
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