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わたしの上司は

子供が急に明日あれがいるこれがいると言い出すとはとても多い。自分の準備不足を棚にあげてなんとかしろと職員に迫る。今日は中学生の子の習字の道具の用意で大騒ぎであった。ふざけたガキだな、とは思うがそういう言葉も表情にも出さないで駆けずり回ってなんとか用意する。それに対して今日の子供はありがとうの言葉どころか、ハルトモは使えない奴だという捨て台詞であった。呆れた言葉使いであるが本人は大真面目だ。

わたしは勤務する職員の中でもっとも組みしやすく軽い職員だと多数の子供から見られている。怒らないし怒っても怖くないし、そして職員としての権力を決して振るわないからだ。基本的には職員はこどもになにかしてあげる存在である。だからそれを止めれば子供たちは態度を変えざるを得ない。職員のご機嫌を伺うようになる。わたしはどんなおかしなことをいう子供でもなんとか満足がいくようにいつも一生懸命だから、あまり賢くないこどもはハルトモのことを自分の家来だと勘違いする。自分のために働くのがお前の仕事だろうと。まあそれでいいのである。しばらく家来をやってあげているのだ。施設にいる間はこどもの家来で良いと思っている。

大切にするということ

イメージ 1

かみさんの手毬の新作
以前施設に手毬を持って行ったことがある
ランドセルとかカバンにつけてあげると喜ぶと思ったからだ
だが結局サッカーボール代わりに蹴飛ばされて
ボロボロになった
ハルトモさんの奥さんが何時間もかけて作ったんだよ
とは説明したんだがね

こどもの万引き検挙件数という統計があって
ゆっくりと下がっているが
だいたい0.2%である
だがこれは警察に連絡されたものだけだから
店で捕まった実数は想像だが軽く数倍とかはあるだろう
それにしても万引きをする子供は
100人いたらせいぜい一人か二人

これが児童養護施設になると
万引きをする子供の比率はどれくらいかと思われるか?
軽く世間の10倍を超える
100人いたら20−30人という比率になる

児童養護施設の子供の万引きの根底には
「すべてを大切にしない」という心理がある

自分を大切にしない
家族を大切にしない
他人を大切にしない
約束を大切にしない
決まりごとを大切にしない
物を大切にしない
全てを大切にしない

人のことなんかどうでも良いから
安易に自分を利して人の物を盗る
そして自分を大切にしないから悪い自分を許容してしまう
自分なんかどうなってもいいやという気持ちもある

どうしてそういう気持ちになるのかというと
これは答えはシンプルだ
誰からも大切にされてきていないからである
大切にするということがどういうものかわからない
加えて自分は悪い子であるとすでに思いこんでいる
それもそうやって育てられてきたからだ

精神科医は言う
この心の傷を癒さないぎり再犯は起こりえます
どうやって心の傷を癒す?
それは自分が大切にされていると気づくようにすることである
誰が?どうやって?
そこに答えがないのである
一応施設の職員ということにはなっているが、、
わたしがここでざんざん書いてきたとおり
施設の現状ではできっこない

優しい里親さんにでも引き取られるしかないが
里親の数は圧倒的に足りない以上に
そういう難しい子供は里親には出せない
トラブルになるのが見えている

ということで
かみさんの手毬も大切になどされないのも当然である

イメージ 2

眠っていたがカメラを向けたら
寝ぼけ眼でぼんやり

我が家は娘も猫も
大切に大切に育てている
それで良いも悪いもあるだろうが
大切にされているという実感を持っていることは確信できる
どっちもそういう不満を見せたことがない

イメージ 3

12月である
マロにも冬用の寝床を出した
昨年は入りたがらなかったが
成長して窮屈になったらこの寝床に入るようになった

最近のブログの読者で
わたしを猛烈に働くサラリーマンだった
と思っている人もいるかもしれないが
わたしはそんな身を粉にして働く人間ではない
結果を出す能力が高いだけだ
だから毎週毎週娘を連れて遊びに行っていた
休みもたくさん取った
泊まりの旅行も数知れず海外もたくさん
いつも出かける時に娘は寝ている
大抵朝早いからだ
それを抱いて車に乗せる
娘が目を覚ますころには周りは銀世界なんて感じ
そしてたっぷりたっぷりと遊び
娘は最後車の中でまた寝る
寝ている娘をまた車から家まで運ぶ
思い出に浸る間もなく来週はまた次の遊びだ
そうやってたくさん一緒に遊ぶことが
わたしにとっては娘を大切にすることだ
別に習い事をさせたりあるいは躾をしたり
塾にいかせたり良い学校に通わせたり
そんなのは大した問題ではない
どれだけ手間と時間をかけるかだと思う

ところで猫にはそういうアプローチは通用しない
あまりベタベタすると嫌がる
猫のほうから来る時だけ相手をするのが良い

さて
娘もいつしか猫のようになってしまった
向こうから来るときはなにかおねだりする時だけ
それ以外で来ることはない
もちろんこちらから近づけば
逃げるではなく追い払われる
ある小学生の子ども、かなり問題が多い子だが、その子がふと言ってきた。ハルトモさんはママの悪口言うから嫌だ。???である。その子の母親の話なんてしたこともない。部屋に入ってゆっくりと話をすることにした。

自分が今施設で暮らすようになったのは、自分が悪い子で手に負えないからだ。ママはなんにも悪くない。悪いのは自分だ。ママは病気だけど自分が悪い子だからママの病気も悪くなった。その子はそう思っている。

でもハルトモさんは,自分は悪くないと言う。いろんなことをちゃんと教えられてこなかっただけでこれから覚えればいいんだと言う。それはママがちゃんとしてない、ママが悪いって意味でしょ。だからママの悪口だ。ハルトモさんはなんで僕を怒らないの? 僕は悪い子なんだから僕のことを怒ればいいじゃない。ママのせいにしないで。

聞いていて涙が出てきた。なんと不憫であろう。だがその不憫なこどもは50年前のわたしでもあった。両親が離婚して父親に引き取られたわたしだが、遊び人でわたしのことなどほっぽらかし。たまに帰る父親から言われたセリフは今でも覚えている。「お前のおかげで家がメチャクチャだ」「お前は本当は捨て子だ、言うとおりにしないならまた橋の下に捨てるぞ」お前は悪い子だ、悪い子だと言われ、そして親父はわたしの体にタバコの火を押し付けた。そのタバコの火の後は57歳の体にまだ残っている。親父の生活はめちゃくちゃだったんだろう。それでたぶんわたしに当たってうさを晴らしていたのだ。「一緒に死のう」なんて何度言われたかわからない。だからいつ殺されるかと一時は父親のそばで怖くて寝れなかった。それがわずか7−8歳のハルトモ君であった。

だがですよ。ある意味はわたしの親父は突き抜けていた。わたしは親父が間違っていると子供ながらわかった。あまりにひどかった。だから自分は悪い子だと言われて、それは凹んだけど、自己否定ではなく逆に自己肯定を高めた。中途半端でなくて良かったとも言える。そう思える背景には4歳くらいまでは何不自由ない御曹司としてのびのび育ったこともあったと思う。自己肯定感は幼少期に培われると言う。3歳までが大切らしい。

その子は何が間違っていて何が正しいか皆目見当がつかない状況だ。きっとママが優しい時もあったからママを美化する心根も同時に育ったのであろう。だがそれは自己否定につながった。

もはや何も言うことはない。その子がわたしに初めて涙を見せてくれた。その涙にわたしは涙で応えるばかりである。ハルトモさん、もっともっと優しくするからね。でもね、本当に君は悪くないんだ。そうようやく言って何度も何度も頭をなでた。その子の未来に幸多かれと願うばかりである。でもせつないね。

児童養護施設の子供でも普通の子供と同じ遊びはしたい。iPodとかDSとかPSとかこれらはゲーム機ではあるが子供同士のコミュニケーションツールという側面も大きい。またゲームの情報交換や成果の見せ合いも子供同士では重要なコミュニケーションとなっている。施設としてそういうゲーム機を子供に買ってやることはしないが、自分の小遣いで買ったりまた身内からプレゼントされることは認めている。

さてそういう機器を手にした子供はこんどはネットに接続したくなる。それでこそのコミュニケーションツールである。だが施設では子供たちにiPodなどでのネット接続は認めていない。ネットは悪だと教えているのでネット接続は禁止、もちろんメールSNSも禁止だと口先では言っている。で子供たちはどうするか、iPodを持って外に出かけるのである。これは止められない。自分の金で買ったiPodだ。外に出ればフリーのWIFI接続がある。コンビニ前に子供たちがたむろしているのはネット接続目当てという場合がある。その他ゲームセンターとかあるいは友人の家ということもある。さてゲームはバッテリーを激しく使うのでiPodではすぐに充電が足りなくなる。施設にいれば充電しながらやれば済むのだが外に出ればバッテリーが欲しくなる。そこでバッテリーを万引きするという子供が複数現れた。もし施設でネット接続をさせていればわざわざ外に行く機会も減るし、バッテリーを万引きすることもなかったかもしれない。まあ万引きするこどもはきっと他の物を万引きしたんだろなとは思うけど、万引きの背景にこういう状況があったことは間違いない。

最近のゲーム機やiPodは頻繁にアップデートが入ってくる。スマホをお持ちの方ならおわかりになると思う。OSの更新なんて入れば大きなデータ容量が必要となる。更新するなというのは酷だし、子供はなんとかして更新しようとする。それで外に行ってなかなか帰ってこないとか、あるいは友人の家に外泊してしまうということも起こる。

つまりゲーム機とかiPodを子供が持った時点ですでに施設としてはネット接続を前提とした運営管理を行う必要が生じているということである。野放しにすれば逆に問題を誘発する。ところが施設では相変わらず綺麗事を言って禁止のはずでしょと、と何もしない。問題を直視せずに先送りするのは児童養護施設の体質の問題以上に園長の力量不足があげられる。現場を把握せずにお題目だけ唱えているから次々と問題がおこりその後処理だけをする毎日となる。

わたしが勤務する施設にはネット接続は一応来ている。だから子供にネット接続をさせることはインフラ的には可能である。ひとりひとりの子供の状況に合わせて、時間やアプリをコントロールした上で子供たちにつながせてやるべ気であろう。子供は喜ぶし、たぶん問題を減らす方向で働く。なによりもネットは遠ざけるものでなく使いこなすものと教えていくという教育の機会でもある。また子供もそれで喜ぶ。

園長は二言目には子供たちのためにと言うが、本当に子供たちの笑顔を引き出すために積極的になにかしているところを見たことがない。いつも上からのおしつけである。それはわたしが言っているのではなく子供たちがそう言っているんだから間違いない。

ネットの問題に限らずにおよそすべてがこうした乗りで運営が執り行われている。施設はやはりそこで生活の糧を得る大人たちのためにあるのである。その大人たちが受け入れられる範囲でさて子供たちにどの程度のことを許してやろうかと考える。これが染み渡っている。まこと上から目線である。わたしのブログの紹介欄にある、子供たちと歩む、だれもそんなことを言わない。管理監督して評価するのが仕事だと思っている。

施設では子供たちを褒めなさいと職員に奨励している。褒められた経験があまりない子供たちだから、、、だが信頼関係が成立していないのに闇雲に褒めても意味はない。そしてわたしがもっとも気にくわないのは、職員に都合良く振る舞う子供、たとえば大人しく早く寝たり起きたり片づけをしたり大人の手伝いをたり、そういう子供だけを褒める。わたしはこどもたちに自分で考えるように勧めている。そして自分なりによく考えて行動したときにそのことを褒めるのではなく賞賛する。褒めるというのは上から目線でイヤだ。称えたい。わたしはそういう考えである。

園長はよく言う。全員で相談してみんなが良いと思う物を提案して下さい。良いものなら取り入れます。なにが良い物かは別として、なぜ自ら現状を把握し決断し実行に移さないのだろう?
許可承認が自分の仕事だと勘違いしている。自らが動かなければ改革などできるはずがない。小さな組織なんだから自分がやる気を見せろと言いたいね。そしたら組織もついて行くのに。
先日一緒にラウンドしたプロ野球関係者が、若くして稼ぐプロ野球選手が狂うのは当然だ、と言っていた。態度の悪い人間も多いし人の言うことも聞かないし、それでいろんな誘惑が多くてそれで騙される人間も多いし、投資話で借金を作るというのはお決まりのパターンだそうだ。

これはゴルフでもたぶん同じじゃないかと思うが、子どもの頃から親にたっぷり金も手間もかけてもらい、自分中心が当たり前になっている。それで若くしてそのあたりのサラリーマンでは及びもつかないような金を稼ぐのだからそうなんだろうなと私も思う。ちなみに、そういう選手を束ねる監督もこれはかなりえげつないキャラでないとやってられないということになって、世の中では名将と称えられる監督ほどエグいそうだ。何がどうエグいかまでは聞かなかったが、そんなんだろうなとは頷ける。

自分の子供に何らかの進路を期待する親というのはとても多い。スポーツでもあるいは家業を継ぐでも、またはサラリーマンでも良い大学で大きな会社か、公務員とか、親が子供にいろいろ期待するのは人情かもしれないが、だから子供がおかしくなること多し、ということは言えるんじゃないかと思う。恩着せがましくなったり価値観を押し付けたり。それは子供の成長にプラスには働かない。我が家は子供を応援してあげる気はあるが、どうなって欲しいとかそういう期待を子供に見せない。無いからである。好きにすれば良い。ただ私から見て好ましい人間になってくれれば良いなとは思うが、それも私の生き方でしか子供にわからせることはできなだろうと思う。言って聞かせてそうなるというものでもないし、そうでも困る。自分で考えろということだ。

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児童養護施設の本棚にたくさん本がある。買ってくることもあるが、寄付も多い。絵本の寄付が一番多い。あと図鑑とか辞書の寄付もある。そんな中にこんな本を寄付してくる人もいる。アメリカでは有名なスピリチュアルリーダーだとかで、言っていることは「人生における豊かさ」とは、ということで、こう言う本を読んで自分の人生を切り開いてください、という願いが込められているんだろうが、では施設の子供が何人この本を読むかというとゼロである。誰一人読まない。仮に読んでも誰も理解できまい。

本の中に書いてある。人のために何ができるか考えましょう。そうするためには相手がどういう人間か知る必要がある。どこか遠くから「豊かさ」の本を送りつけてもそれは何の意味もない。猫に小判、馬の耳に念仏。

ではと、わかりやすい豊かさを直接子供に見せているのがハルトモ君である。お金といい知識といい家族といい趣味といい物事の考え方といい、行動力といい、つまり生き様、まあ私が最高などと嘯くつもりはないが、少なくとも施設の子供が目にする人間の中では、まさにこれが「豊か」であるという一つの姿であろう。幸福感に包まれていて何の不自由もない状態。

私は施設出身であるからこそ、これを子供たちに見せに来た。それが施設に来た理由である。仕事として子供たちに何かしてあげるとか、相談に乗るとか、そんなのさえおまけであると思っている。子供たちが私を見ても別にいますぐ何も思わない。偉そうで自慢好きの変わったおっさんだぐらいにしか思っていない。それでいいのである。だが本と違って実像だから彼らの記憶に強く残るであろう。人生の節目節目で私のことを思い出すかもしれない。思い出さないかもしれない。それでいいのである。

自分の子供にも、施設の子供にも、生き様を見せるということでそれで作業としては完結している。そんな風に思っている。

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