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最近は伊達直人ブームが下火になってきているので、匿名でなく名前も出してブーム再来を画そうという動きがあるとの報道を見ました。元祖伊達直人はランドセルを贈っているからかランドセルが寄付の定番。でもわたしが以前にもここで書いた通りランドセルではなく違うものを贈るべき。
それは施設は言います。ありがとうございます。助かりますって、でもランドセルは公費で買えます。寄付で贈ると公費が浮くだけで子供は別に喜びません。その他文房具とか服とかも公費で買えます。
公費では買えないけど、でも世の中の多くの子供が持っているもので、施設の子供達が欲しいなあと思うもの、そういうものを贈ってあげるといいです。ただ施設によってはせっかく贈っても子供に渡さないこともある。施設の方針に合わないという理由。パソコンとかタブレットなどがいい例。iPodもネットに繋がらないタイプだったら問題になりづらいけど、どうやって曲を入れるという問題があってそこが難しい。
一般の人が寄付するのでオススメは自転車。高校生になって通学に自転車を使う場合にはそれは学業に必要な経費ということで自転車購入が公費で認められるけど、小学生中学生には自転車は公費では買ってもらえないからそれはあげれば喜びます。ランドセルは実はけっこう高いので、その金で複数の自転車を贈れる。その場合にはまず施設に問い合わせして、なん歳ぐらいの子がいるか聞いて、こどもによっては親とかから買ってもらっている場合もあるので、誰からも買ってもらえないこどもに自転車を贈るとよいでしょう。
できたら施設のこどものところを訪ねて、それで一緒に自転車屋に行って購入すれば、こどもはずっと覚えてそして感謝するという気持ちも学ぶでしょう。匿名で寄付で贈られてもなんか降ってきたような感覚と公費で買えるものとの区別もつかないから、子供はありがたみを感じません。
匿名で適当に買って贈るより、もう少し手間暇をかけてあげれば、それがこどもたちへの1番の贈り物です。大人から適切な手間暇をかけてもらえてきていない子どもたちだから。
実はどこの施設でも子供達が一番欲しいのは、、、スマホです。でもこれは難しい。施設もウンと言わないし、それからずっと金がかかるから贈って終わりにならない。
それからスマホを使って悪いことをしないようなガードをかけてそしてモニターしいていかないといけない。これは難易度高いから普通の人には無理。 なかなか金を出せない人が多いから、金をだせばたいしたものだというイメージがあるけど、わたしに言わせれば金を出すだけで満足していてはレベルが低いと。
本物の伊達直人は漫画の中だけど、ちゃんと施設を訪れてこどもたちと交流していることをご存知でしょうか? 彼は施設の出身だからこどもと接することがどれだけ大切かわかっていた。子供達は伊達直人を見て自分もかっこういい大人になりたいなあと夢見るようになる。彼の夢はレスリングを引退して施設で働くことであった。だが交通事故でこの世を去る。
その代わりと言ってはなんですが、このわたしが高給を捨てて施設で働いたんです。匿名で贈るだけでは本物の伊達直人にならんでしょうから。 |
児童養護施設のこと
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毎日いじめの報道がある。いじめの話をするときに聖域はいじめられる側になにか問題がなかったのか? という議論で、もちろん問題をあげつらうのではなく、そこから対処方法を探るという意味なんであるが、それは感情的な反発を招くので表立って報道されたり議論されることはまずない。だからいじめを早く発見してそしていじめる人間を止めるという話しかない。
でもいじめはずっとあってこれからもなくならないだろう。わたしの記憶ではいじめは小中高とみんなあった。いじめという言葉があたるかあたらないかは別として悲し思いとか不愉快な思いとか怒りを感じたというのは日常茶飯事でそれが高じていくといじめと称するのかもしれない。
小学校の時には児童養護施設の子に対するいじめがあった。わたしもいじめの対象であった。それとわたしじゃないけど朝鮮人へのいじめはよく見た。これらはほとんど親から来ていた。施設の子と遊ぶなとはっきり言った親もいた。家で朝鮮人を親が馬鹿にしていたからその影響で学校でも馬鹿にするとかたぶんあったんだろう。
児童養護施設の中でのいじめは強烈だった。わたしはいじめの対象でここで何度も書いているが理由は勉強ができたからであった。他の子供と違うといじめに遭いやすい。中身は繰り返さないがまあ酷かった。でもやった人間の名前も顔も覚えていないのは幸いかもしれない。
ついでに言うともっと酷いのが親からのいじめ。これは虐待と言うけど、親父からずいぶんやられた。もう何度も書いている。
中学になると様相が変わる。たぶん親の影響が薄くなって自分の抱える問題が出るようになる。よく覚えている。N君という子に対するクラスのいじめはひどかった。N君は振る舞いがとても優等生なんだけど成績は中くらい。そのギャップというかコントラストで、いじめの対象になって、かなりの子供から嫌がらせを受けたが、遊び気分であった。かかわらないまでも笑ってみていた人間も多かった。いじめるのは成績が下の子だった。そのN君は卒業以来一度も同窓会に来ない。たぶん今でも覚えている。
高校になってもやはりいじめはあった。だがこのいじめはかなり大人に近くて陰湿でそれから徒党を組むといういじめでなく個々であるがゆるやかな繋がりのあるいじめというか。勉強ができる子供が嫌がらせを受けるというのがまずあった。
それからこれはいじめじゃないけど、クラス対抗の球技大会で理数科のチームがバスケットが強かった。それで学年全体で理数科が負けるように応援していて、まあ中国の田舎で日本チームがサッカーをするような雰囲気。わたしは不愉快でその場を去ったことを覚えている。
わたしもいじめというか不愉快なことをだいぶされた。理由はやったほうが知っているんだろうが、たぶん汚かったのが原因だろう。家が貧乏で市営アパート住まいで風呂が共同で毎日入れない。服が買えないので毎日同じ服である。金がないから床屋にもいけない。
H君からはわたしにまったく嫌がらせを受けた記憶はないが、そのH君が社会人になってたまたまわたしを知る人間とあって、それでわたしの話題が出た。それでその知人がわたしに電話してきて、ハルトモ、Hって知ってるか? お前のことをすごく馬鹿にしていたぞって言われた時には驚いた。高校を出て10年近く経っているのである。
今そのH君は元気でやってるかな? なんとも思わない。そういう人間は一定数いるのである。とんでもない人間と揶揄するほどのものでもない。家庭を大事にして同僚からの信頼も厚いかもしれない。そう言えばネットで人の悪口を書く人間も同じだろう。一見わりとまともな人間が多いと想像する。
わたしは幼少の頃からいろんな経験をしてきたのでいじめに対する耐性が上がっていたんだと思う。H君にうらみもない。虐待した実の親でもちゃんと面倒を見るハルトモ君である。恨みや復讐は馬鹿馬鹿しいし自分を下げるだけであることは、これは多くの経験から学んでいた。ただそういう人間がいるということ、誰が何をしたか、これは知識としてちゃんと保管しておく。それが生かされる。これが大切である。
いじめに対抗するには冷静に論理的に損得を頭で考えることだ。感情で受け止めるのはやってはいけない。感情はもっと暖いものを受け止めるためにある。
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施設の子どもが勉強頑張ると言う。それで成績が上がったらご褒美をあげるという約束をしてしまった。何万円もするIPODが欲しいんだそうだ。本当に目標を達成したらプレゼントせんといかんが、どうかな? 五分五分かな。目標はやはりできるかできないかってくらいに設定するのがいい。
自分の子どもに褒美をいうものをあげたことはただの一度もない。自分のための勉強、褒美でつるもんじゃないだろうって思っている。でもそれがそう思えるのは自分の娘だからだろう。ちょっと意味がわからないかもしれない。 小細工をしなくても娘が将来困ることは絶対ない。だから妙な癖をつけさせたくない。物でつられるってのはよろしくないって思う。目先の利得で態度を変えるってことだから。 大学だって自分の娘は入れるところに適当に入っておけば良いというスタンスだった。実際大学なんてわたしに言わせればどこでも同じである。どうせどこの大学かで娘が困ることはない。でも施設の子どもの将来を考えるとそうは言えない。わたしが最後まで面倒みれるわけではない。少しでも偏差値が高い大学に入った方が有利かなって思う。そのためにいくらかでも励みになるなら褒美をあげてもいいってそういう気になる。 なんか不思議だ。普通の人は自分のこどもに褒美をあげるんでしょ。そんで他人のこどもに褒美なんてあげっこない。わたしは自分の娘には褒美はあげないけど、他人の子どもに褒美をあげるの。まあわたしの娘は褒美ではないけどたいていの物は与えている。それをどう受け止めるのか? それはわたしの教育の問題ではなく娘の意識の問題だと最近思うようになった。わたし逆の意味で同じだった。自分の境遇を過不足なく受け止めてさてそこからである。逆境も順境もそこから先は自分次第よ。 |
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福島から避難した子供がイジメを受けていたとの報道がある。放射能だバイキンだと罵らて、賠償金があるだろうから金を持って来いと遊ぶ金をたかられたという。それで家の金を持ち出したそうだ。
調べに対して加害者とされるこどもは、「おごってくれると言うからおごってもらっただけ」と言い訳しているそうだ。なんで50万円も100万円もおごってもらえるのかには答えはない。
わたしが働いていた児童擁護施設。まったく同じことがあった。施設の子は被害者ではなく加害者である。
施設の子供が学校でいじめられるというのはあまり聞かない。むしろいじめる側であることが多い。施設の子はある意味たくましく強いものに擦り寄り弱いものをいじめる子が多いのである。さもなくば逃げ出す、不登校とか。
わたしが担当していた子も、中学の同級生の家に上がり込み、勝手に貯金箱の金をとったり食い物をとったりやりたい放題。それが露見すると、いみじむくも言い放った。「くれると言うからもらっただけ。自分は悪くない。」
その子は調べていく中で、どうせ自分は悪い子で誰も信じてくれないんだと、さらにふてくされていった。そして最後には、、、反省したふりをする。そうしないと施設にも居られずにもっと厳しいところに送られるという恐怖があるから。
小さい頃からいろんなかちで蹂躙されてきたこどもの闇は大きい。そのことは数年つきあったが、本音で言うなら今でも自分は悪くなかったと思っている。自分はもっと酷めにあってきたという気持ちがある。
そしてその子は高校に入ったが、今は不登校。高校に入ると似たようなレベルで自分より弱い子がいなくなる。そうなると本人も気づかぬ形で精神的なバランスが崩れたのではないかと、わたしは感じている。
さて、わたしもそういう世界にいたというノスタルジアがある。だからいじめる子供を単純に叱る気持ちにはなれない。確かにそれだけひどい目にあってきた子供たち。今回もいじめた側も一見普通の家庭の子供でもなにか闇を抱えていたのではないかと思う。
賠償金を持ってこいとか、放射能で汚染されているのだろうとか、たぶん親の会話の影響だろう。親の程度も推してしるべしである。
わたしは施設でも変わった子供だった。決して弱いものいじめをせずに上にたてつく子になった。ここで書いてきたが複雑な生い立ちが影響しているのかもしれない。元々は資産家の家の子だからね。
サイパン旅行にあたりESTAの申請を行った。サイパンは厳密にはアメリカではないがESTAは持っていたほうが入国がスムースらしい。それにそのうちアメリカに行く機会もあるかもしれない。有効期限は2年だ。
ESTAには両親の名前を記入するのだが、母親の名前を入れるときに、あれって思った。実母のまっちゃんの下の名前は知っているが苗字はなんだっけ? よくわからない。やはり50年別れて暮らしてきたってことを痛感せざるを得ない。たぶんこれだろうという苗字で申請しておいた。電話して本人に聞けばわかるのだろうがその気にならない。基本的には困ったら助けてはあげる、お世話にはなってないけどね。そういうスタンスである。
こういうちょっとした機会に自分の歩んできた道を振り返る。児童養護施設で3年半働いて思い出した。施設にいる子は皆本当に可哀想な子供たち。見ているだけでも心の中で涙が出てくる。その感情が50年前の自分を思い出すと同じように沸き起こる。同じくハルトモ君も可哀想な子どもであった。まさに貧困と虐待の真っ只中。ずいぶんひどい目にあった。
そこを思えば今の生活はまるで夢のようである。闇を抱える子には言いたいね。心の闇は誰かが埋めてくれるものではない。自分で、それも自分の知性で埋めよ。本はたくさん読んだほうがいい。理屈でよく考えれば何が得で何が損だかわかるだろう。自分で自分を助けよ。実際いろんなかたちで子供には伝えたがなかなかわかるもんでないだろが。 その一方で苦労知らずの子供がしたり顔で身につける大人の如才に反発する気持ちもある。大人になんかなりたくない、って気持ちが強い。ずっと少年でいたいね。かなりの悪ガキでしたたかだけどね。
人生でわたしにもっと大人の振る舞いをせよとアドバイスしてくれた人は数多い。上に逆らうなとか、最近で言うならブログで自慢するなって、それは好意から出たもので別に悪気もないのだろうけど、あなたが知らない世界もあるのですよ。一生悪ガキでみっともなくてけっこう。見て痛快だと思う人間がひとりでもいればいい。(もっと多いかも)
そんな悪ガキだって、必死に一人二人のこどもの応援もできるし、世話にもなっていない年寄りの面倒も見れるし、もちろん幸せな家庭もあって家族に何不自由はない。捨てたものでもないじゃない、これ以上なにがいるかね?
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せっかく高校に入ったが不登校になってしまった子ども。教室に入るとみんなが笑っているようで怖くて入れないそうだ。気にしすぎだと言っても無駄だ。本人はそう思いこんでいる。自分の居場所が学校にない、んだと。それでしばらく授業を受けないのが続くともう本当に入れなくなってしまう。強がりを施設では言うが実はひとの視線が気になってしかたのないビビりなんである。なんとかテストだけは受けたみたいだ。もともと頭脳そのものは悪くない子であったがゲームばかりやっていてそんな調子では成績は下がるばかり、どんじりに近い。授業も出ていないので進級は難しそうだ。
その子が言う。高校を辞めて定時制に行って一生懸命勉強して専門学校に進学すると。昼間働いて学費も貯めたいと。それができるくらいならゲームしてないで勉強でもしろよであるが、立派なことを言う反面やっていることはお粗末という子どもが施設には結構多い。口だけは一人前なんである。ゲームばかりやって学校に行かない子どもが言うことを信用する人間はいない。畢竟サポートも積極的にとは行かない。そうするとまたむくれる。誰も自分の言うことを信用してくれないと。誰も信用しないからやらないのだと聞こえるが、別に誰の問題でもない。やる気の無い子を宥め賺してやってもらうのはたいていうまくいかない。本人がその気にならないとどうにもならないだろう。 施設に一人根性のある子供がいる。成績も良いし部活もしっかりとやっている。間違いなく大学進学を目指すことになると思う。その子ともやりとりは続いているがなんとか応援してあげたいと思っている。別にその子だけが特別可愛いと思うわけではない。ただ在職中も痛感したが大学に行くような子を強力にサポートする体制は今の施設にはない。だいたい大学をでてない職員が大多数なのだ。だからその分応援してあげたいとそう思っているが、なにをどすうるかはこれから考えるつもりだ。まずは少しでもレベルの高い大学に受かるような学力をつけることだ。 負け犬は戦って負けたから負け犬ではない。戦いを挑み仮に敗れたとしても負け犬とは呼ばない。挑む気持ちがある限り捲土重来もある。どうせ俺なんかなにをやってもダメだとか、うまく行かないのは周りが悪いからだとか、自分でなんとかする気がない人間が負け犬である。これがわたしの子供達へのキーメッセージであった。伝わった人間も一人二人はいた気がする。そんなもんだろうし、たった一人でもやった甲斐はあった。今は伝わっていないように見えても将来変わるってこともひょっとしたらあるかもしれない。人間は変わるというのもまた素晴らしい点であるから。 |




