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我が家で桜を見ることができたらかなり風流だが、別に我が家の庭になくても金持ちが隣家であれば豊かな景色がこぼれ溢れてくる。金持ちの隣に住むということは庶民にとってはかなりの僥倖だ。もっとも貧乏だったら金持ちの隣には住めない。金持ちの隣に住めるくらいになれば庶民としては大成功ということか。
iPad+キーボードで文章入力を行う時の最大の難関はコピペであろう。マウスを使うコピペに慣れている人間にとってはオーソドックスなコピペの仕方は指で画面を長押ししてそこから範囲選択をしてさらにコピー、さらに指でペースト、これがぴったしのところになかなか収まらずイライラする。 ということで画面を触らないでコピペするほうが速いし間違いない。カーソルをキーボードで好きなところに持って行き、shift+→とかshift+↓で好きなだけエリア選択ができる。全部選択なら shift+command+A。それ以外にカーソル位置から後ろ全部とか前全部とか、行頭まで行末まで、ぜんぶこのshift+command+何かの組み合わせで選択できる。その後コピーならcommand+C、切り取りならcommand+X,張り付けはcommand+Vである。 これらはMacのユーザであれば常識だが最近はiPhoneやiPadを持っていてMacを持っていない人間が多いからみな知らない。そんで必死に指で位置指定ということになる。iPadをでこういう技を身につけていくと、パソコンとは別世界の動きの軽さから離れられなくなる。Windows10のパソコンも我が家に二台あるけど、やはり動きの軽さはタブレットに及ばない。オフィスなどのファイルなど互換性に制約がなければテキスト入力はiPadでメモアプリを使うと楽だ。同期が瞬時であるからどの端末で打ちかけてもほかの端末に引き継げる。わたしはATOK PADを多用している。このATOK PADはどれだけ打ちやすいか買った人間でないとわからない。IOSの文字変換の弱点が全部消されいる。1500円するアプリだから貧乏人には買えないかもしれない。笑 シゲちゃんを花見にかみさんが連れていってくれた。しげちゃんはわたしの死んだおやじの3番目のワイフである。わたしとは他人であるが結局わたしが面倒を見ている。桜の下で幸せそうな表情を見ているとこっちまで幸せな気分になる。人を幸せにするということはとても徳のある行為なんだろうとなんとなく思う。ただそこで人を幸せにしてやっているなんて心持ちを少しでも持てばその瞬間に興ざめである。幸せにすることを好きでやっている。むしろ感謝、こうでなくっちゃ。 施設の子供を7人も連れて夜桜見物に出張った。桜並木を車の上向きライトで照らすと良い按配のライトアップである。桜の下を子供たちが嬉々として歩く。ちょっとした飲み物とスナックを用意してベンチでみなでくつろぐ。喜んでいる子供たちの姿を見ると自分は幸せな人間だなあと心から思う。感謝すべきはわたしである。施設で働いていて子供たちが怒ったりすねたりあるいは悲しんだり、そして喜んだりといろんな表情を見せてくれる 。自分は毎日子供たちの表情を見るために通っていたんだんなあ、とそう思う。そして子供たちを喜ばせることが、嬉しくて一生懸命やってきた。自分のために。結局どこまで言っても自分のためである。人は1人では生きられない、などと言うが、その通りだが、生きるのはまさにその人自身である。各人が己の生をどうまっとうするかであろう。 |
児童養護施設のこと
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中学生と小学生高学年のこどもが何人かで火遊びをした。お店からマッチとか失敬してきてそれで施設の敷地内の草に火をつけた。火は子供の胸まで達しいい調子で燃えて、それを喜んで見ているところを職員が発見して鎮火した。その時の職員が強く叱ったがこどもたちはへらへらしたりあるいは逆ギレしたりでしおらしさは全く見せない。まず素直に謝ったり反省するということがない。万引きをしても似たような傾向がある。悪さを繰り返す子供たちに見られる特徴で2度とやらないと口では言いながら、自分のしたことの重さを受け止めることから逃げる。そして仔細なことで逆に大人に切れて反抗する。
要は幼稚で弱いのである。こういう子にいつまでも怒っているとまたやる可能性が高い。大人が嫌いだから大人を困らせたいという気持ちと、またかまって欲しいという気持ちがないまぜになっている。かと言って何も言わなければ、これでいいんだと勘違いする。まあ粘り強く語りかけるしかない。
施設の優秀なこどもの話をここで書くことが多いが、ほんの少数である。別に優秀でなくてもきちんと自立してくれれば良いのだが、かなりの比率で、これはどうにもならんな? と思わざるをえない子供も多い。この子は将来どうなるんだろうな? やるせない気持ちになる。 実際児童養護施設を出ていわゆるまともな社会人として自立する可能性はだいたい半々であるとどこかの統計で読んだ。あとは定職をえられれずにぷらぷらしたり。
施設の子供達は自分の親を美化する傾向が強いが、わたしは自分が親として自分のこどもにどれだけのことをしてきたか話してあげるようにしている。そうれば親というのはこどものためにどこまでやってくれるものか少しは理解してそして自分の親と比べることができるかもと思うのだ。
わたしの娘は小さい時から小学生までほぼ毎週、親とどこかに遊びに行っていた。娘はたいてい車の中で目を覚ます。寝ているうちから出発するからだ。そして起きて車窓から外を見ればそこは一面の銀世界だったり、あるいは草原だったり、湖だったり、あるいはテーマパークだったり、あるいは空港であったり。さあ遊ぶぞという時にその遊び場がもう目の前にある。遊んで遊びまくって娘はまた車の中で眠りに落ちる。目がさめると家の布団の中。昨日の遊びはまるで夢のよう。月に一回かそれ以上はお泊りで遊びに行っていた。国内でも国外でももうこれ以上遊べないというくらい遊んでいた。こどもたちは、へーとそんな夢のような生活があるんだと耳をそばだて聞いてくれる。
子供達の素晴らしい点はわたしの自慢話を素直に受け入れることだ。これが大人になると妬みやっかみばかりになる。へーすごいな、と素直に聞いてそしてそこで自分の身と照らし合わせてなにか考えれば良い。自分もそれくらいする親になって欲しいというわたしのメッセージである。怒るも叱るのも施設の職員の仕事なんだろうけど、それはほどほどにして、わたしは夢を語りたい。自分の未来が光り輝くものであると確信するようになれば、考え方も気持ちの持ち様もきっとかわるのではないか? バカな遊びもしなくなり切れて暴れなくもなるのではないか? いや今は暴れても切れてもよい。ひょっとしていつかどこかで効いてくるかも。そんな淡い期待を持ちながら子供達と話すハルトモ君である。
どうやって未来が光り輝くのか? 言葉は違うがこういう意味の質問は子供からくる。親がやってくれないなら自分でやればいいのさ、ハルトモ君のようにね。それがわたしの答えである。
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ある中学生の男の子、盗癖が治らない。だから怖くて一人で外出させられない。どこかで立ち寄り万引きでもされたら大変だ。だが施設に居ても他の子供の部屋に忍び込んで盗みを働く。何度も見つかっている。その子に聞いてみた。もう否定する気も怒る気もない。ただ自分になにかできることはないか?そう思っている。彼によるとなんだか別の人間が自分の中にいてそれでふーと人の物をとりたくなってしまうんだそうだ。その時はゲーム感覚で盛り上げっている自分がいるらしい。だが自分の部屋に戻ってしばらくすると、ふと我に帰り猛烈に後悔する、その繰り返しなんだそうだ。
その子がまた他の子供の部屋に忍び入った。だがその瞬間を職員が目撃しており他に目撃者もいてすぐに押さえた。幸い盗られたものはなかった。未遂ということで話は終わりかけていたのだが、わたしが彼とじっくりと時間をかかて話したら意外な事実が判明した。わたしがわざわざ休日にも拘らず出勤して話したのだ。
かれがぼそっと言う。ハルトモさん、今度もまた別の自分がなんだか悪いことをしてしまった。実はあの部屋からウォークマンを盗ってしまった。
え? 盗られたものはないって聞いてるけど?
盗ったフォークマンを自分の部屋で見ていたら本当に自分は情けない人間だと思って、、それでこれじゃまずいと思って、、それでウォークマンを返しに行ったんだ。そしたら捕まった。
、、、、、
ああこの子も自分なりに戦っているんだな。奇妙な感動がわたしを襲う。そうかよく返しに行ったな、偉かったな。よくやった(???) わけがわからんがとにかく褒めた。彼は生活に制限が多い子だが、もっと手間暇かけてやろう。今は部活の遠征には行かせていないが、送迎でもしてなるだけ参加させてやろう。もっと息抜きにでも連れ出してやろう。訳のわからん自分の中の自分なんて出てこんように。
罪を憎んで人を憎まずとは綺麗事だが真理でもあるのかもしれない。悪い奴だからと、反省させようとしたり行動をしばったりばかりでは彼が治る見込みはない。悩んでいるならそこまで出向いて出口まで一緒に歩かねばならない。寄り添いとも歩む、いや戦う。まあいろいろ勉強になるな。この仕事は。
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施設では男女別に10人単位ほどで共同生活をしているが、かなりの比率で手癖の悪いう子どもがいる。万引きを始め、ほかの子供の私物を取ってしまうというケースも多い、他人の私物をとるくらいだから冷蔵庫の中の人の物を食うとか他人の物を勝手に使うなど日常茶飯事だ。こういうところに毎日いると物がないとか聞くと自然とその時に誰それがいたなとか? 状況的にあいつはないな、とかどうにも捜査するという視点で考えてしまうが、、これは気分の良いものではない。言えるのは、やらない子はやらない。やる子は何度もやる。
おもしろいのは、よく物を盗まれたとか言う人間ほど人のものを盗っていたりするということだ。自分が人の物を盗むので、物が見つからないと、まず盗まれた、と考えるのではないか、と思われる。 普通は物がなくなれば、どこかに忘れてきたとか落としてきたのではないか?と考えるのだ。盗られた盗られたとか言う人間もまた怪しいということだ。 盗ったり盗られたり、そういうことを繰り返していくと自分だって盗られているんだから自分もすこしくらい盗ってもいいだろうと考えるようになるらしい。物を盗って露見した人間がそういうことをよく言うのである。自分だって被害者だと。 衣食足りて礼節を知るという言葉があるが、そこまでのレベルにとうてい行かない、ずっと下の話である。礼節どころか基本的な社会性、倫理観が築かれていないのである。毎日児童養護施設で働いていて嫌だなと思うことは、そういう人間と一緒に暮らしているということである。毎日のように子供からあれがないこれがない、と言われる。先日もある子供が自分の私物がないないと騒ぎ出した。そしてわたしに言う。誰かが盗ったはずだから各人の部屋を探して回れと、それも夜の11時にである。だがそういう子供こそ以前から手癖が悪いと評判の子である。確かにそれは盗られたかもしれないが夜中に家捜しして回るわけには行かない。当然わたしは応じなかった。そしたら切れて暴れる。思い切りわたしに悪態のつく。てめー、なんか辞めろ、。今までどれだけその子にわたしがよくしてやったことか? そんなことまったく忘れて平気で暴言を吐く。 盗みをするようになるには境遇の影響が大きいとは思うが、ただ前述したように盗まない子は盗まないから、境遇がすべてとまでは言い切れない。そのあたりのメカニズムはいまだ解明できていない。わたしは個人的には暴言とか悪態をつく子、るいは不登校とかの子どもはそんな嫌じゃない。調子よく嘘ばかりつく子や人のものを盗む子は可愛いとは思えない。可愛いとは思えないが、それなりにいろいろはしてあげている。こっちも好きでやってることだから、わたしに本当に可愛いと思わせるような子だったら、もっといろいろやってあげるのになあ、とこれは正直思う。そう思わせるような子は少ないけどいることはいるので、それが救いで働いているようなものという気がする。 |
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担当の中学3年生の子どもの高校受験の合格発表の日である。自己採点では十分合格ラインをクリアしているので、たぶん大丈夫だろう。自己採点が間違ってなければだが、、、学力的には妥当な自己採点結果だ。無事合格となってもそれほど喜べない。かなりレベルを落とした結果である。その子はわたしが入職以来担当してきたが、大変問題の多い子であった。性格にも難しさがあり接し方は容易ではない。だがその子の知能指数は抜群に高いのである。だから勉強すればものになるかもしれないと考えたわたしは3年半あの手この手いろいろ繰り出したきた。腹に据えかねる言動が多い子であるからたぶん他の職員では衝突してどうにもならなくなったんじゃないかなって思う。それでもわたしの努力はあまり意味がなかった。勉強にはまったく身が入らずに3年生になったらどんどん成績が落ちていった。結局最初目指していた高校から偏差値で10も落とした。
まあそれはそれで仕方ない。わたしが入れ込んだからと言って結果がでるケースはそれほどない。わたしがいる間に知られた大学に進学にする子を応援できたのは、その子もそうだがわたしもラッキーであった。児童養護施設から大学に進学する子供の比率は11%だそうだ。世間の平均が50%。これがあがっていけば良いと思うが、一方児童養護施設で働く職員の多数は大学を出ていない。別に人生大学に行かなくてもいいのであるが、行けるような優秀な子供をぽんと背中を押してあげるというふうにはなかなかならないということだ。 わたしがつとめる児童養護施設も4月には年度替わりで組織が少し変わる。わたしを目の敵にしていたベテラン職員が二人いたが、一人は退職、一人は移動と相成った。別にわたしが追い出したわけではなくていろんな思惑が交錯しての結果であろう。一応組織だから昇進とか降格もあった。わたしは入職4年目であるが新しい上司は3年目25歳のリーダーである。もちろん上司と言っても会社の上司とは違うのであれこれ命令されることはない。それで8人中わたしが上から3番目に古くなる。 入職してわずか3年でベテランとなってしまう職場。それだけ人の出入りが激しいということである。それから業務に深みがでない。子供への接し方など新卒のフレッシュマンなら相当の経験をしないと一人前になれないはずなのにわずか3年で後輩に指示をするリーダーとなる。このあたりが児童養護施設運営の難しさである。施設にいる子供は幼児から高校生まで、それが今後22歳まで施設にいられるようになるとの厚生省の方針だ。一方職員の多数は短大専門学校卒で20歳そこそこ、心に闇を抱える難しい子供の世話をほぼ苦労知らずの同世代が行うという構図である。無理がある職場なのである。 まあ難しさを抱えながらも子供は着実に大きくなって行く。桜も咲きそして散るだろう。職員も年をとる。わたしは54歳で施設に来たが58歳になろうとしている。あまり変わらんのであるが、こどもにとっては4年間というのはとても大きいからその成長の家庭でハルトモって変なおっさんがいたなくらいには記憶には残るんだろうか? |




