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倍返しは良くない

倍返しという言葉が以前流行ったが、わたしに言わせれば復讐は非生産的であるし自分にもよくない。仮にやるなら先制攻撃だ。相手は驚くだろうがね。

無事に第一志望の大学に合格した子、住むところもひとまず決まり新生活に胸をときめかせている。先日は担当職員と一緒に大学のオリエンテーションに参加したがその帰りにある別の職員の誕生日ということでケーキを買って帰ってくれた。お金を誰が出したかは知らないが祝おうと言い出したのはその子らしい。皆で楽しくケーキを食べたそうでその職員も喜んでいたそうだ。

その誕生日の職員というのは、体調が悪く我が家で休んでいるその子を、受験前日の夜中に施設に連れ戻そうとした人間である。園長の指示で行ったことだがその職員は園長の指示以上に一生懸命やる傾向が強い。上に真面目に尽くせばそういうことになるものである。

合格して一息ついたある日、そのこどもがわたしに言った。「園長もその職員も口では、自分のことを心配していた、とか言うけど、とても本当に心配しているように思えない。」と、それに対してわたしが言った。

園長もその職員も彼らなりには、君のことを心配しているんだよ。ただあくまでも他人として施設の職員としての心配。それは仕方ない。本当にそうなんだから。加えて人間というのは社会に出て生きていくのは大変なこと。園長だって家族がいる。自分と家族を守らなければいけない。そのために働いている。だから仕事を忠実に行おうとしているだけで、その中で君が合格して欲しいとはやはり思っていたんだよ。彼らなりに自分を守るために一生懸命生きているということだよ。だから恨む必要はない。いろんな人を見て自分がどう生きるか決めれば良い。

じゃあハルトモさんはなんで違うの? 

まあ一言で言えば、わたしは強いの。優しいなんて言われたことない。それから能力が高い。だから悠々と自分と家族を守りそしておせっかいまでできるということさ。

そんな話であった。その子にはわたしが自分の親どころか他人の面倒をきちんとみていることも話したことがある。その子はそれが不思議だと言っていた。自分だったら自分を捨てた親の面倒なんてみない、と。その時のわたしの答えは、面倒見るのは自分のため、そして自分の子供のためなのさ、と。この話は違う形で以前も書いたが、仕返しをしたら同じレベルに下がってしまう。

わたしは疎遠だった実父が病気となり六年間、毎週東京から静岡に帰っていた時期がある。金曜日の夜に静岡に帰り、それから養母と一緒に浜松の病院まで、実父が自宅にいる場合も多くてその場合は通院で浜松まで連れていく。毎週である。だから東京〜浜松を300回くらい往復した。決してお世話になったとは言えない実父であったが親は親である。実父もおそらく子供だから当然だと思っていた。ありがとうなんて言われた記憶はない。

震災の3日後に気仙沼まで乗り込んで実母と伯母を救出、さいたままで連れ帰った。実母とはいろいろあったが結局伯母をわたしに押し付けて宮城に帰った。その伯母はわたしが三年間面倒を見て最後看取り供養までした。身寄りである実の兄弟は実母も含めてその間誰も来なかった。実母はわたしの小さい頃の話を繰り返しして、頑張って育てて良かったと何度もわたしに言った。3歳までの話だ。よく知らんが、そうかいありがとう、と言っておいた。わたしはこれでいいと思っている。自分が好きでやっていることだ。好きなことをやるというのはけっこう大変なんである。

その誕生を祝ってもらった職員は、自分の気持ちが通じたとさぞかし喜んでいたことであろう。自分のやってきたことは正しかったと、そうも思っているかもしれない。それで良い。その子がなぜケーキを買って祝おうと言ったかは聞いていない。聞く必要もないが、その子が幸せに向けて確実な一歩を踏みだしているということを実感できるエピソードである。

わたしは施設のこどもたちに何度も言う。まずは自分が幸せになれ、と。出来の良い子悪い子いろいろいるが、そのメッセージは誰に対しても同じだ。
呼吸法の稽古に渋谷まで出たが稽古代の金をもって出るのを忘れた。それで銀行に寄って金を下ろしてみた。わたしは銀行というのは滅多にいかない。たぶん一年に一度とか、昨年は一度も行ってないんじゃないかな? というのはお金をおろす用事がないのだ。現金は毎月一応かみさんが渡してくれるがほとんど使わない。どこでも支払いはカードである。コンビニでもスタバでもカードである。お釣りをもらう手間がいらないのでカードが楽だ。最近はサインレスも多くてカードを出すだけで終わり。いつもは銀行のカードも持ち歩かないのだが、先日たまたま車の中に置きっぱなしになっているカードに気がついて幾ら残高があるんだかわからないが、それをカード入れに入れておいた。暗証番号はエイヤーで当たった。稽古代は16000円ほどだからたぶんそれくらいは有るんじゃないかな? 試しに2万円と打ったらすんなり出てきた。そしたら残高が56万円。わりと多かった。これは儲かった。儲かってじゃあどうするんだと言うと別になにもないけどね。

渋谷でヤマダ電機の前を通りかかかったらUQモバイルのSIMが売っていて担当者が熱心にすすめる。わたしの持っているルーターでも使えると言う。変だなHPでは適応機種に入っていない。それで言ってみた。本当に使えるか試しにSIMを入れてそれで思うようなスピードが出ていたら買うよと。UQモバイルはMVNOで最速を唱うくらいに速度が自慢である。テストSIMを入れてみた。担当者は自信満々だ。そしたら、あらら、ぜんぜん遅くて1.5Mくらいいしか出ていない。担当者もクビを傾げる。結局買うのは止めた。UQモバイルは評判がすごく良かったのに残念だが、こういうスピード測定というのはたまたまという側面が強いのでまたいろいろ検討していけば良い。今日のところは買わなかったが買う必要はもともとないのだ。回線ならたくさん持っている。なんで買うなんて言ったかというとその営業マンがやけに熱心だったから。それを買いたくなった。だがテスト結果は彼も一緒に見たので納得は行ったようすで、勉強になりましたって言っていた。まあわたしにすれば遊んだということだな。

今はMVNOが流行りだ。大手のキャリアの半額以下で電話が維持できる。うまくやれば数分の一ですむ。ただネットのスピードという点ではこれは圧倒的にキャリアが勝る。ただ動画をバンバン見ない限りそんな高速のネットスピードなんぞ必要ない。WEB閲覧で画面がすっとくれば気分はよいが別にだからなんだというくらいの差である。加えて公衆WIFIが東京オリンピックに向けて首都圏でもっと拡大していくと思う。これはけっこうなスピードで繋がる。

公衆無線LANとMVNOを組み合わせれば携帯電話代はかなり節約できる。このMVNOこそまっさきに貧乏人が採用すべきと思われるのだが、実はMVNOのメインの顧客はたぶんそんな貧乏人じゃない。設定とか操作がちととっつきづらくてある程度の知識理解力がないと自分で設定維持できない。だからおつむが弱い人には無理だ。老人もきついだろう。それからクレジットカードを持っていない人も契約できない。児童養護施設の子どもたちは自分でアルバイトして携帯電話代を払っている。だいたい月に7−8千円払っている。施設では園長が許可して大手のキャリアで契約させるが、許可するだけで金は払わない。働いてる職員もMVNOなんてたぶんわたし以外知らない人間がほとんどだろう。それでうまくやれば月に1000円2000円で済むこどもの携帯電話代が8000円かかっていても別になんとも思わない。知らないしわからないからだ。

わたしに言わせれば知恵がない。行動力がない。いくら心根が優しくても知恵と行動力がなければその優しさを形にすることができない。お祈りするのも悪くはないだろうが、こどもに本当に優しくしたければ自分を磨くことである。そして自分を守る必要がないくらい強くなることである。弱い人間は持っているパワーのほとんどを自分を守るために使う。その上で知恵と行動力が足りなければなにおか言わんやである。最後になって急に文が硬くなったな。



いくら読んでもね

幾つになっても読書量が多いということは悪いことではないと思うけど個人的には年を食って固定概念が固まってくると読んで考えが変わるとか思考が進歩するとか、たぶんそういうことはないと思っている。いくら読書をしても自分なりの読み方になってしまう。自分の考えに沿うように読んでしまうのだ。それがないのが子どもで、だから子供の頃からせいぜい中学生くらいまでの読書というのはとても大切だと思う。そこまでに良い読書をしていると高校大学と多感な時期の読書も良い刺激となるんじゃないかなて気がする。

ある程度成長してからたくさん本を読んだ人間と何度かあったことがある。自分は読書量は多いから読みこなす力はあるんだろうと自分で思っているんだけど、いろいろ話をしていくとこの人ちゃんと読めてないな、聞けてないな、と思うことがけっこうあった。結局自分の方に結論を持ってきてしまう。まっさらな気持ちで読めないみたいだった。

まあ本を読んだくらいで人間が変わるなら苦労はない。以前ここで本を紹介した。再犯をどうやって阻止するか? 現代では常識とされる反省を迫るアプローチに異論を唱えている。反省させても反省が上手になるだけ。しおらしく涙も流すが、またやるのは何故か? この本を同僚に貸してそれでその後園長に読ませたいと思っていたが、やはり貸すのは止めた。読んで変わるくらいならもうとっくに変わっているはずだからだ。文章の力というのはまこと知れたのものである。

児童養護施設に働いている人は上から下まで実に変化を好まない。別に競争にさらされての危機感とかないから変わる必要もないのだ。民間企業だと変わっていかないと生き残れなからやむなく変わるってだけで、別に変わりたくて変わっているわけじゃない。大多数の人間はいつも決まったように同じことをやっているのが安心と感じる。わたしは逆だけどね。

おもしろいは児童養護施設では大人たちは変わっていく気もないのに、こどもを変えようと躍起になっているということだ。一生懸命こどもの考え方を変えようとする。でもわたしからみると子どもといえど職員から言われたくらいで変わる気もないし、さらにその職員がどういう人間か? こども見ている。そんな人さまに変われと言えるくらい立派な人間はそれはわたしも含めていないように思う。まあなんか刺激になれば良いという意味で己を見せていく。これがわたしが施設に来た目的である。自分の生き様を見せていける成功者の職員が増えたほうがいいなと思うが、まあかったるいから成功者には勤まらんか。ちょっとしたジレンマだ。

GOOD WIFE

これは別にわたしのかみさんの話ではない。わたしのかみさんはグッドワイフではなくてグレートワイフだ。アマゾンビデオで流れているアメリカのドラマである。法廷ものであるが大きなシナリオが進みながらひとつひとつのエピソードに個々のローケースが絡んでいる。なかなか見応えがあっておもしろい。派手なアクションがあるわけでもなくハラハラドキドキもないが人間と言うのは嘘ばかりついている生き物であることがよく描かれている。

自分のこどもでこどもも嘘をつくのはよく知っていたつもりだが児童養護施設に来て子どもが余りに嘘をつくのに感心している。最近はもう慣れてきているが、嘘が染み着いた子どもというのが多いのが児童養護施設である。面白いのは嘘をつく子は徹底して嘘をつく。嘘をつかない子はまるでないとは言わないがあまり嘘をつかない。なぜ嘘をつくのか? その理由は以前も書いた通りだがこれは生い立ちに大きく由来する。愛着障害の特徴と言ってもいいくらいだとわたしは思う。

毎日子どもの嘘や身勝手なわけのわからん理屈を聞いているのはあまりいい気分ではない。それも口汚く罵る。そういう子どもたちに対してはかるくいなすのが楽であるが、わたしは正面から向かい合う。言い合いも避けない。もちろん本気で怒ることはないが怒ったふりをしてあげている。そのあたりは硬軟織り交ぜてやっているつもりだ。せっかくわたしが児童養護施設に来ているのだからわたしがどういう人間か見せていく。それでどうにかなるとも思っていないが、そこは自分なりの納得と、わたしを見ていて多少なりに考えてくれる子供もほんの少数ながらいるわけである。その最初の子がめでたく大学に合格した受験生の子であり、あともう一人どうかな? 見込みがありそうかな? という子がいるが、その二人はやはり賢いこともあって、いい加減な嘘をつく子ではない。

嘘は泥棒の始まりとはよく言ったものである。嘘をつく子は万引きもよくする。嘘ばかりついている子供は将来どうなるのであろうか? GOOD WIFEを見ていればわかる通り、嘘ばかりついている大人になると思わざるをえない。わたしは嘘は悪いことだから止めろとはこどもに言わない。そういう理屈で直らないのは明白である。わたしが言うのはなんのために嘘をつくのか? それを考ろ、ということである。そこに倫理を学ぶ契機がある。それからどうせ嘘をつくなら、それが通用するかどうかよく考えろ、とも言う。自分を守るために嘘をついているのに余計ドツボにハマるのが思慮の足りない嘘だ。そうやって真剣に嘘を考えていくと、ぱぱらぱっぱら適当に嘘をつくのは損だとわかるはずなんである。結局おつむの問題でもあるわけだ。

徳川家康が言った、「真(まこと)のような嘘を述べても、嘘のような真は語るな。」まさに名言である。この言葉の意味は、嘘とか本当とか別にして、人が聞いて信じられないような話はするな、ということである。嘘にもレベルというものがあるのである。

強く願うということ

わたしは強く願ってそれが叶わなかったことがないものだから、強く願ったものは必ず叶うと信じている。一方なんでも願えば叶うというような単純な話でもないことも知っている。いけると思うものを願いその願いにふさわしい努力をする。これが肝要。もっと言うなら、己を知りその中でベストを尽くすということだ。決して自分の可能性に蓋をせず、かと言って過信もせず、、、わたしがその子と語り明かした時間はそのコンセンサスを得るための時間であった。わたしはその子とたくさん話続けるなかでもっと自分の可能性を信じろと引き上げた。その一方で大学なんかどこでもいいのだと喝破した。わたしの矛盾した物言いに困惑もしただろうが、そこでまたわたしは言う。般若心経の世界。相反する2極が両立するからこそ美しいと。わけがわからんと言うならわけがわからんが、まあ平たくいえば全力を尽くせば結果はどうでもよいのだ。だが結果をはなんとしても出す。その覚悟の上でまた結果はどうでも良いのだ。
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 結局今夜はどこにも行かなかった。かみさんが心もこもった手料理を作ってくれて、そしてね、その子がお気に入りのミュージックでかみさんと乾杯。マロもリラックス。ひっそりと夫婦で祝杯を挙げた。以前このブログのコメント欄で批判を受けたことがある。わたしがやっていることは、ただのえこひいきではないか? 誰にでも同じことをできるのか?不平等じゃないか? その批判者がなにをどこまでしているかはさておき、言うとおりである。自分がなんの縁か知り得た応援したくなる人間を全力で応援する。それだけである。へこひいきの極例が自分の子供である。自分の子供のために全力を尽くしても不公平だと批判する人間はいない。だがその全力を尽くしてくれる親がいない子供に他人のわたしは少しばかりパワーを出すとそれが批判の対象となる。もちろん批判されてどうのという柔なキャラではないのでどうでもいい。その子がこの世の中って素晴らしいね、生きるって素晴らしいね、と思ってくれるなら、それだけでわたしは施設にきた甲斐があったと思う。その子にはメールを送った。さてこれからが始まりだ! 羽ばたけ!楽しめ! まずはどこかに旅行でも行ったらよろしい。
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