|
那須は随分と人と車が多い。宿泊料金は閑散期の3倍でも多くの勤め人はコスト高を気にしないでしばしの休日を満喫する。みんな頑張ってるんだなと思う。ゴルフ場や乗馬クラブのアルバイトをしていると、そんな彼ら彼女笑う気は起きない。それが庶民の一典型であり幸せの一つの形なんだろうという気がする。多分多くの人はずっと働き続けるんだろう。私は考えが違うが、それならそれでよしということである。私の勤務態度はすこぶるカスタマーフレンドリーである。仕事じゃなくて優しくしたいという気分がある。リゾートで働く人は本当はリゾートを求めて訪ねてくる人より幸せであるべきだと思う。だからこそのホスピタリティ。まあ理想論なんだけど呆気なくそれを実現するのは悪い気分ではない。 食うに困らない金があるのに時給850円で働く。850円という薄給の代わりに幸いわたしはコミュ二ティを得ている。繋がりは案外広く、スキーのプロやゴルフのプロとも知己を得る。遊ぶ金もタダになるけどそれはそんなに重要ではない。そこにいて私は楽しい。最も大切なことは過去の自分を捨てられるかである。例えばである。わたしは外資系の大企業の要職にあった。その経歴と能力を持ってすればどこぞでもかなりの年収で働くことが可能である。それを捨てると言う選択である。自分はかつて医師であった。あるいは弁護士であった。そのくらいの経歴なら雇われても年収2000万円は軽いとする。それを捨てて時給850円で働けるかである。まず大抵の人にはできまい。ところが私はそれが何の抵抗もなくできる。理由は二つ。自分の経歴など別に価値は無いと捨てる胆力。そして収入より自分の好奇心とチャレンジングスピリットが上回るということ。それで新しい世界が広がる。 経歴とか経験とかいうものは言うなら過去の自分を表現したものである。その過去を上位において現在を従属させるならいつまでも現在と未来は過去を超えることはあるまい。わたしは現在>未来>過去の順番である。見終わった映画はそこで終わりである。常に新しい映画を楽しむ。じゃあ過去は意味がないか?そんなことは言っていない。過去は思い出としてこの上ない充足感をもたらす。 かつて先人が名セリフを吐いた。旅の楽しみは、準備して楽しみ、行って楽しみ、そして振り返って楽しむ。まさにこれは人生そのものに当てはまる気がする。 |
人生の考え方
-
詳細
コメント(0)
|
吉野家の野菜カレーはあまり食べる人はいないだろうけどまあまあかと
野菜の量は多くてコスパは高い
サラリーマンでリタイアして暇で困る人が多いらしい
昨日ゴルフをご一緒したサラリーマンが知っている人はそういう人ばかりだと
仕事の組織というのは所属すれば自動的にコミュ二ティーのメンバーとなる
だから働いている限りは自分でつきあいを広げようとか
新しい出会いを求める必要はさほどない
何十年と同じ組織にいればその能力はほとんど喪失されるのではないか?
それでいきなり引退しても
1人では暇だということになる
本来配偶者は最高の遊び相手のはずだが
長年仕事が忙しいとかでカミさんとは別路線でやってきて
そこはもう手遅れ感を否めない
遊ぶにしても遊ぶのが上手じゃないという側面もある
わたしの知る金持ちはたまの休みに
海外旅行にいくけど
なんでもおまかせのジャルパックとか
添乗員に連れ回されて
それでは本当の旅の楽しみはないと思うけど
わたしのようにはできないのだから仕方ない
でもそれでもまあましな方で
平日の疲れがたまり週末は家でゴロゴロとか
せいぜい家族でのミニ旅行とか程度では
遊び方がわからないのもさもありなんである
上手に遊べばお金はかからないのだが
そのためには行動力とか探究心とかが必要になる
積極性もあったほうが良い
それが足りないとお金を使って遊ぶしかないが
それでは十分なお金がないという人も多いと思う
引退しての生活設計で生活費の見積もりは
たいていの人は低すぎる
時間がたっぷりとあるんだから
遊ぶ金は働いていた時より増えるのが当たり前なんだけど
それがわかっていない
結局どこかでなにか間違えたんじゃないかしら?
リタイアして暇で困る人には素晴らしいプロポーザルがある
死ぬまで働けばよいのだ
まあ体が動いて
仕事があればの話だが
最近はAIとか外国人との競合もあるので大変だが
リタイアしてつまらないのなら働くしかないのだろう
ご苦労様である
|
|
わたしの暮らしぶりを知る友人知人からよく言われる。羨ましい生活だと。ところがわたしの真似をするような人間はまず現れない。経済的体力的に真似したくても真似できない人間も多いが、大抵は、羨ましいとはいいながら本気でわたしのようになろうとは思っていないオーラが出ている。わたしのようにするためには世俗的な成功を捨てる必要があるんだけど、その捨てるをできる人がまずいない。どうにかなるさと新しい世界に飛び込む勇気と言うと大げさすぎる。軽くすっと動けば良いのである。今まで自分が築いてきたものに執着しないことなんだけどね。何にもこだわらんという意味ではない。自分なりのこだわりを貫く、だが執着しない。これを高次元で両立したいわけ。まあなんでもいいや、どうせ真似する人間はおらんから。やる人間はわたしの真似じゃなくて勝手にやるんだし。
栃木県と埼玉県は隣接しているんだけど、ことゴルフに関しては国が違うのではないかと思えるくらいに価格に差がある。平日埼玉のわたしのホームコースでゴルフをするとビジターで昼食付きで9千円とか1万円になる。これが栃木に行くともちろんコースによるけど埼玉よりずっと立派なコースが昼食付きで4千円くらいからある。ざっと半額である。ゴルフをたくさんする人間にとってはこれは大変な差である。もちろん埼玉からいちいち行けば交通費がかかる。宿泊費もかかる。だから住んでしまうのが賢い選択になる。ちなみにもっと北の福島に行くとまたゴルフの料金は上がっていく。ということで栃木が一番安い。ゴルフ天国である。
那須は山好き、ゴルフ好き、釣り好きなどで移住してきた人間がけっこういる。埼玉にいると会わない考え方の人間がけっこういるのが那須である。なかなかいないようで、あるところに行くとけっこういるというパターンである。最近は別荘族で株で成功したらしいとか噂を聞くようになった。ゴルフに来る常連のお客さんで、雑談でお仕事はと聞かれて、どうも株で食っているようだなんて話を聞くわけである。リゾマンにも投資で食ってるぽい人間もいる。やはりいるところにはいるんだね。そういう人間は人の真似じゃなくて自分で考えてそして行動するってのが、あえて言うなら共通点ってことかもしれない。本当に那須はいい。羨ましいなんて言いながら行動しない人間ばかりじゃ面白くない。
|
|
呼吸法の稽古の前に公園でノンビリというのは好きな時間である。ここの鳩とか雀は私のことを知っているのか怖がる様子がない。以前香港で鳥が一羽も飛んでいないのを不思議に思って現地の人に聞いたらみんな捕まえて食べてしまうと言っていた。本当かな? 最近ホームコースのそばの荒川で中国人が釣りをしているそうで、それで釣れた魚は臭いので日本人はリリースするんだけど中国人は持って帰って食べてしまうらしい。それで美味いと思ったかどうか? 今度見たら聞いてみようと思う。 iPhoneが壊れた。アウトカメラがぶれてピントが合わない。落下が原因らしい。それで見かけた修理屋に持ち込むと、カメラの修理は8000円程なんだけどFACEBOOKでコメントすると1000円割引になるそうだ。速攻で入力してゲット。どうでもよいブログを書くのが得意なんだからコメントなんてあっと言う間だ。今の時代はネット経由でなんらかの割引が必ずと言っていいほど出ているから割引されている値段が正規だと思った方が良い。割引を受けないと言うことは損しているということだ。ガラケーなんか持ち歩いているおじさんは取り残されて損するばかりというわけだ。 ゴルフクラブを激しく買っている。アイアンセットは2つ買ってこれはどちらも間違いなかった。スペックで買っておけばアイアンは間違いにくい。ドライバーは2本買ったけどプロギアは大正解で、はっきりと距離が伸びた。それほど曲がりもない。キャロウェイも悪くはない。プロギアよりさらに曲がらないが距離は少し落ちる。プロギアも右には行かないので左が怖いコースでだけ使うという手もある。ユーティリティはプロギアばかり3本買ってこれは問題なし。 問題は3番ウッドである。なんだかんだで3本買ってお金も使っているが、空振りするんだよね。今週のカミさんとのホームコースのラウンドでは空振りして打ち直しがOBとか、ゴロで川とか3番ウッド絡みで7打は損した。それでも87で回るんで他は良いわけで、使わなきゃ良いのにといわれそうだがバッグに入っていると吸い寄せられように手が出てしまう。 練習場では全く問題ない。コースで当たらない。ヘッドが思っているより上に行ってしまう。軽くしたことが影響していることは間違いないが、かと言って鉛を貼って重くしても改善しない。軽くポンと振れば多分当たるんだけど、3番ウッドを軽く打つくらいなら、ユーティリティでしっかりと振り抜いた方が良い。3番ウッドはしっかり振り抜いて飛ばすクラブなんである。しばらくは3番ウッドなしでやるしかない気配だ。代わりにコブラの16度のユーティリティを買った。スプーンに迫る飛距離が期待できるが上から打ち込めばよいので当たると思う。これをバッグに入れることで3番ウッドはバッグから出るわけで持っていかなければ使うことはない。 買わなきゃよかったとは思わない。しばらくして全体に軽いクラブに慣れたらまた当たるかもしれないし、こういう合う合わないか買ってしばらく使ってみないとわからないものである。3番ウッドだけで他は上手く行っているのは上出来である。週に3ー4回コースに出てほぼ同じ頻度で練習している。これを忙しいとか言うかどうかはわからないがスイングもかなり悩んでいる。ずっとクラブのことスイングのことを考えていると夜もふける。それで睡眠不足になる。 ゴルフの最中に古い友人から電話があって、開口一番で眠れないと言う。なんでかと言うと家庭の問題である。優秀なお子さんだが不登校になってしまった。しばらくグチを聞いてあげても良いけどゴルフの最中だからまたねと切った。本当はアドバイスしてあげたいが言っても聞かないことは経験済みなんでごり押ししても仕方ない。この年になって深刻な悩みがあるのはつくづくご苦労だなあと思う。3番ウッドが当たらないのは深刻な悩みとは言い難い。 悩みの本質と言うのは己の心の中にある。子どもにあまりに期待して、子ども以上に自分の問題として捉えると、おかしなことになりやすい。そしてそれは子どもにも影響を与える。人の期待に応えるということは、ある意味人の思い通りになるということだから精神的な負担になる。子どもにしても親の期待なんて気にならないくらい図太くなればいんだけど、親が苦労して大切に育ててくれているのでそうは思えない。良い子を振る舞う。でもどこかで折れるという流れである。 先日親父方の葬式に出て久々に親戚にあったが、わたしが多分一番ゆとりある生活をしているんだろうけど、親戚の間では従兄弟のなかで私が一番ダメ男だろうと言われていたそうである。親戚にはそう見える子どもであったようだ。さらに親父の再婚相手のシゲちゃんは私と縁を切ると親戚連中にも公然と言っていたそうで、やはりわたしはダメだろうとシゲちゃんも思ってたわけだが、それでシゲちゃんは晩年よく言っていた。本当にハルトモには驚いたって。こんなになるとは思わなかった。それでよく面倒見てくれて優しくて頼り甲斐があるって。それもわからなかったって。気づくのに40年以上かかったわけだ。 会社のことはここで何度も書いているけど、全く期待されない存在であった。それで誰もダメだろうと思う開発品を誰もがダメだろうと思う方法でそれで一人で売り歩いて、最後は年商200億円にまでなった。途中からは私がコケることを期待する人間が増えたくらい。 私に言わせると、人から期待されないということは素晴らしいことである。なんの心の負担もなく、一人今に見てろと闘志を燃やして、思い通りに自分の道を突き進む。我ながら私の人生は笑いが止まらない。ただ一つ大切なことは、自分こそが、自分自身を信じて自分に期待することである。そして考えに考え抜き強い決意で敢然と行動することである。他人から期待されていないだけにやりやすかった。そういう意味ではついていたといも言える。 この世の中で期待されない子どもがたくさんいる場所は児童養護施設である。親から見放され、施設の職員はなんでも良いから働いて自活しろくらいの期待しかしない。問題はその子自身が自分に期待せず、どうせ自分なんか、、と考えてしまうことである。そこが私の子どもたちへのキーメッセージであった。自分で自分に期待して自分こそ自分を大切にしろ。ほとんど通じなかったけど、それで一人二人はなにか影響を受けた感じである。それで十分である。そんな期待してはいけない。 自分に強く期待する。この気持ちがあるから連日のゴルフ練習もクラブ選択格闘も挫けず続く。今に見ておれ、この気持ちであるが、もう20何年やってんだよね。諦めという言葉はハルトモ君の辞書にはないようだ。諦めないようになるためには? まあ上手くいかないのが普通の状態であると感じることである。その普通を普通でなくしてやろうとするから楽しめる。うまく行かないことは知っているけどなんとかなるんじゃないか。この一見相反するテーゼが心の中で両立するのは矛盾ではない、般若心経の言う、色即是空空即是色に通じると自分では思っている。 |
|
最初に言うけどゴルフに興味のない人は前段流し読みして後半から読むとよろしいかと思います。
人は悩みがあると眠れなくなるとはよく聞くが、確かにそうだ。ゴルフスイングのことを考えていると眠れなくなる。最近コースでのダフリトップがやたら多い。道具を換える前からのことでこれは道具を換えても変わらない。その対策としてダフる位置にボールを置いた。すなわち10センチほど右に置いた。だがこれだとショートアイアンではほとんど右足の前になってしまう。それでどういう弊害が出るかと言うと時折とんでもない引っ掛けが出る。引っ掛けと言うよりナイスショットで左に飛んでいく。センター前に打とうしてレフト方向に出る。これを左に行かないように打つ方法もある。フェース面を強く意識して目標方向に出す。だがこれには弊害があってボールが軽くなる。飛距離も落ちる。これを直す方法もある。強く打ち込むのである。とまあこんなことをやっていると迷路に迷い込んで訳が分からなくなる。練習場で200、300と打ち込んで残るのは疲労感だけ。それで夜また考える。やはり基本に立ち戻ろう。ダフるからと対症療法的に右に置いたのがそもそも間違っている気がする。右に置かずとも上手く打てた時期も長いのである。 もう一度整理しよう。ダフるのはコースである。練習場ではそんなダフらない。そこにヒントがあるはずだ。コースでは自分は何をしているのか? まず打つ前に思うことは? ダフりたくないである。もちろんトップもしたくない。そう思って打つから?、、、、、コックを早くリリースして体と腕でクラブを持ち上げるような動作が入っている気がする。ダフリが怖くてタメを解いてしまう。その結果手首が先にかえってしまいかえってダフる羽目になる。これではあるまいか? ダフリたくないと思う気持ちが強いほどかえってダフるのではあるまいか? だが頭の中で考えたとおりに行くことはめったにない。そのことそのものは正しくてもまた他の弊害も出たりあるいは調整が必要だったり、結局実戦で試すしかない。そうなると早くコースかまたは練習場に行きたくなる。早く行きたい、と思うと早く眼が覚める。なかなかゆっくりと寝ている暇はない。 さて悩みで寝れないというのは不幸な状態だろうか? ゴルフとかスキーでかように悩んでいる私はどうにも不幸とは言い難い。他に悩みはない。となると寝れないということそのものはそんな不幸な状態ではないと言えるかもしれない。問題は何に悩むかである。これは考える価値がある。わたしの悩みと世の中の多くの悩みで眠れない人との差は何か? わたしの悩みには他人は出てこない。自分だけのことである。もっとも自分の手とか足とか体が言うことを聞かないわけだが一応自分である。一方世の中の多くの悩みには他人が出てこないかしら? 他人を自分の思い通りにしようとして悩むという人間は多い気がする。他人にイライラするのは自分の意に沿わないからである。人の評価を気にするのも人からよく思われたいからである。悩みに自分以外の人が出てくるとよろしくないのは間違いなさそうだ。 それだけか? お金とか健康というのはどうなんだろう? 健康は確かに悩みの元になるとは思うけど、人生で病にかかるのはある意味当然という気もする。病を抱えて生きている人も多い。だから病単独では致命的にはならないという気はする。お金はどうなんだろう? お金がただないという状態ならそんな悩みにならない気がする。貧乏でも明るく生きている人はたくさんいる。だがないお金をなんとか用意しないといけないとかなったらどうだろう? 資金繰りに行き詰まって手形が落とせないとか給料が払えないとか、借金で首が回らないとか、住宅ローンが払えないとか、これは怖いだろうなとは思う。どうやら悩みで怖いのは、人と金ってことかな? 人と金と両方絡むと相乗効果で多分最悪なんだろうな。ただお金の問題もどうしてそうなったのかと言うと、これは殆どの場合自分に問題があると思う。見通しが甘くて、対処すべきことをしてこなかったからどうにもならなくなると、結果論にはなるが大抵そうは言える。だからお金の問題は最後自分の問題だと言える気がする。 そうなるとゴルフで一人悩む悩む私とお金で一人悩む誰かと何が違うのだろうか? という馬鹿げた命題にいきつく。ゴルフでもプロゴルファーとかになると悩みは多いが、これはそれでお金を稼ぎたいとか人に負けたくないとか、お金と人と両方絡んでくるので、私のようにゴルフで一人悩むのとは違う。なんだかよくわからんようになってきたが、いろいろ考えるに私のゴルフは私以外の人にとってどうでも良いってことは間違いない。自分にとっては大切だが他人にとってはわたしがダフろうが、短いパットを外そうが、どうでも良いことである。ああ、そうか、お金は自分がないだけじゃなくて、家族を養わなきゃいけないとか、借金を返せと迫る人がいるとか、他人にとってもどうでもよくなくないことである。そこだな。やっぱ人だ。 いろいろ書いたが長くなって疲れてきた。本当はゴルフで頭は忙しいのである。まあわたしの能書きなんぞはどうでも良いことだ。だいたいどうでも良いことしか書いていないのがこのブログであるから、それは幸せなブログというこにはなりそうだ。どうでも良いことをやって生きていくというのは楽しいね。終わり。 |


