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書庫人生の考え方

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躾が苦手な人

親が躾と称して子どもを虐待し時には死にまで追いやる事件の報道が後を絶たない。親は言う、躾のつもりだった。わたしも児童養護施設でいくつも事例を見てきたが、ほぼ100%の虐待親が抗弁に使う言葉だ。逆に言うと子どもへ暴力の錦の御旗に利用されているのがこの言葉。それで、基本的な方向は間違っていなかったがやり過ぎてしまった、と一段か数段自分を許す。実は自分自身の鬱憤を吐き出しているだけだなんて自分でも思わない。ただなんにせよ、自分の躾のやり方が間違っていたことは認めざるを得ない。

虐待するような児童養護施設にいる子どもたちの親に共通する点がいくつかあって、そのひとつに自分に甘くて他人に厳しいという性向がある。自分は悪くない他人が悪かったと考える。本当は子どもの躾じゃなくて自分の躾をした方が良いという人間ばかりなんだけど、自分は立派だと思っているから始末が悪い。

よくそんな偉そうな事を言えるなという事を反論できない子どもに向かって平気で言う。相手は弱い子どもだから通用してしまう。多少なりとも自分を冷静に見る目があれば、子どもが仮に間違ったことをしても、その原因は自分にもあることに気づくはずだが、そこが抜けて一方的に子どもが悪いとなる。自分は反省しない。

ここまで読んで、ああ、自分にも当てはまる傾向があるな、気をつけようと思う人間はまともである。虐待するような親がこの文章を読んでも自分のことだと思わない。そういう親が多いことは知っているけど自分は違うと考える。十分冷静で客観的なつもりなんである。

そういう親は結局自分の気分のままに子どもを叱る。自分に甘いから過去の発言との整合性とか、自分の行動との整合性もよく考えない。罰を与える前に慎重なステップがあるべきだがいきなりステーキどころじゃなくていきなり罰というケースも多い。そんなこと当たり前だろうって親は思っても子どもはわからない、わからないと罰の記憶だけが鮮明に残りそれがまた悪さをする。隠そうとしたりさらに手口を巧妙にしたり。罰を避けたいという気持ちだけが残るからである。

子どもの将来に親として一番影響が大きいのは、その親がどういう人間かである。親がまともなら子どもは大抵まともになる。もちろん世間的には一見まともでも家では本性を現すということが多いから油断はできない。だが仮に世間で、この人他人に厳しくて自分に甘いな、とか他人のせいにするな、とかいう人間は家庭での子育ても相当怪しいと思ってもそんな外れはない。世間ではおかしくて家でだけまともという人間はそんないない。

とまあいろいろ書いてきたけど、当たり前だけどここまで読んでもおかしな人間は自分のことだと思わない。むかし働いていた会社に暴君のような本部長がいた。その本部長の口癖が、『暴君』であった。自分の部下の部長とか課長の振る舞いを指して、あいつは暴君だというのである。よく言うよであるけど、自分は違うと思っているからどうにもならない。反論する人間は葬り去る。当然である。正しい自分に反論する人間は間違っているに決まっている。あの本部長にも子どもがいたはずだが、どんな大人になっているんだろう? でもきっと一見まともだな。その本部長も外面はやたら良かったから。
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マロに激しく噛まれて引っ掻かれた傷は大分癒えたが
まだ傷口は残っている。
その傷口をマロの見せるとなんか難しそうな顔をする
マロは自分がしたことを覚えているみたいだ?

わたしが小学二年生、8歳か?
児童養護施設に収容される前年くらいの話だ
親父がわたしの親指の付け根にひどい火傷の跡を見つけて
それでわたしに聞いた、お前それどうしたんだ?

だがその傷は親父が躾のつもりかどうか知らんが
わたしにタバコの火を押してつけて
それでひどい火傷のあとになったのである
その傷は今わたしが60歳になってもまだ見える形で残っている

自分の子供にタバコの火を押し付けてそしてそれを忘れる
驚いたがわたしは絶望しなかった。
代わりに学んだ。
こういう人間も、それも身近にいるものだと。
その後の人生で
わたしは何が起きようと絶望もせず諦めもしない人間になった
常に頭を涼やかにしてとことん考えて速やかに実行する
それ以外生きる道はない

8歳のわたしを驚かした親父
60歳になったが
親父以上に自分を驚かす人間にわたしは会ったことがない
つまりどんな人間にもわたしは驚かない動じない

珍しく長いコメントをした
わたしは某医大の教授たちが巨悪だとまでは思えない
ただ自己保身で必死に生きている存在に感じる

古いこのブログの読者がコメントで
わたしは見上げた胆力があると言われている
それで株でも成功したと
その胆力がわたしの生い立ちとは無関係でないことはたぶん間違いない

言えることはひとつ
それで今のわたしがある


どちらでもない

どちらでもない人間は投票に行く意味はないから棄権と同じである。ということで投票率が下がるんだろうね。投票率が下がるとこの投票そのもののクレディビリティが問われる。権力は常に権謀術数を駆使するという具体例だと思うけど、その背景には、どちらでもないと言うスタンスが多くの日本人に心地よいと響くがある。日本人はどちらでもないが好きなんである。だから権力者にいいように利用されるんだけどそれでも、どちらでもないが、好き。なにせ物事をはっきりさせたくない。ましてや自分がそれを先導したくない。

日韓関係が上手くいっていない。わたしは暫くトーンを下げた方が良いような気がする。決して距離を取るとか無視するわけでもなくただ反応を鈍くする。韓国の誰が何を言おうがいちいち反応しない。日本からは積極的に働きかけない。基本的に韓国人は日本人に良い感情を持っていない。あまり明言はしないけど実は日本人も韓国人には良い感情を持っていない。だから極力目に触れないように関わり合いを持たない。視界にいなきゃ韓国人も日本に腹を立てない。過去の拘りとか今までの慣例とか、そんなもの捨てて所謂大人の対応ができないかね? 難しくなれば暫く鈍くするのは悪いもんではないと思う。

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カミさんの友人が那須に泊まりがけで来訪。美味しい夕食を取り翌日わたしが一日中つきっきりでレッスンを行った。初級者であればわたしでも教えられる。午後には見違えるような滑りになり、本人も大喜び。私も嬉しい。私はほとんど自分の滑りはやらなかった。すでに今シーズン滑走35日。そんなコン詰めて練習する必要もないよね。わたしは本気でスキーが上手くなりたいのか? そう真正面から問われると、どちらでもない、という都合の良いセンテンスが浮かび出る。何かを犠牲にしたり辛い思いをしてまで、それは上手くなりたいとは思わない。

この前のスキーの先生が面白いことを言っていた。自分で気持ち悪い感じのスキーが上達への道です、と。まあそれはそうかもしれないけどそれで上手くなってそれがなんだという気はするね。楽しく遊びでやっているという基本がないとやってる意味がない。先生はプロかも知れんけどこっちはプロの真似なんかしても幸せになれないからね。

JBLカフェ

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先週に続いてプライベートレッスン。先生を見て思い出した。昨年一度教わって訳がわからんと呆れた先生だ。でも今年は言わんとすることがある程度理解できた。多少こっちの理解度が上がったのかもしれない。

レッスン前に何か教わりたいことはあるのかと聞くので小回りを教えてくれとお願いした。だが2時間のうち半分くらいは喋っていて、で後の半分はボーゲン。結局小回りはやらなかった。

ボーゲンを通じて教える事があるんだろうけど、私はボーゲンやれって言われるとまずボーゲンで緊張しちゃう。その先生はワンパターンの教えかたしかできないみたい。生徒に合わせて臨機応変とかやらない。そういう先生はいる。真面目なんだろうね。

でも一人で練習しているよりは欠点を指摘されてよかったし安いし受ける価値は大いにあったと思う。そう言えるのはますますわたしが鷹揚になっているからかな?なにをしても不機嫌はないのが今の私である。

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スキーを終えてそれからバイトをして、温泉にゆっくりとつかる。そんでたまには北に向かって走ろうと思った。那須から30分弱で福島県である。そんでまずは夕食で吉野家。株主優待券でタダなんである。それでゆっくりとできるカフェがないかと検索したら凄いカフェが見つかった。JBLカフェ。もちろん名前はあるけどそれは伏せて、中身はまさにJBL。JBLの名機が所狭しと置かれて試し聴きができる。店主のウンチクもなかなかで2時間もいたがあっと言う間であった。ここは次は自分のCDを持って行こうと思う。しかし田舎にこんな店があるんだと驚いた。商売にはなってないだろうけどね。

ということで、まあ人の話を良く聞いた1日であった。

それにして思うのは、ハルトモ君は何をやっても大したことがない。スキーだって別に上手いわけじゃない。ゴルフも特段の上級者というわけでもない。会社ではわたしの力量は抜群だったけどその抜群さの大部分は会社に捧げず自分自身が自由に振る舞うために使われた。結果サラリーマンとしてもそれほどの栄達を遂げたわけでもない。株式投資だって自分が儲けたいだけ儲けたらそれで打ち止め。それ以上は別に要らない。何をやってもそれほどのもんでもないけど、結果わたしのハピネス度は多分抜群である。

それは何故か? そこはちと考えねばいけないが、詰まるところは、自分を犠牲にしたり耐えたりあるいは捧げたりがないということのような気がする。いつでも自由でいつでも幸せ。大したこともないけどマイナスがない。いくら大きな成果を得ても自分が失ったものが大きければ結果幸福度は低いということは大いにあり得る。庶民のバカバカしさは確証のない将来のために多いに我慢することであるが、わたしはそれをしない。明日のために耐えてそれが報われる保障がないのが人生。プラスだマイナスだって考えんでも、毎日楽しくて幸せなら、人生通して幸せに決まっている。一番わかりやすい生き方だと自分で思うね。

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毎週の渋谷、街をぶらついてたまに買い物をして、それでカフェに入り調べ物やブログを打ったり。でもとても暖かいので公園のベンチで過ごしてみた。ファミマでサンドイッチとコーヒーを買うと400円。スタバでもサンドイッチとコーヒーで800円はかかるから節約だ。味は大きく見れば変わらない。全般としてコンビニの食料は美味しくなっていると思う。下手なスーパーで惣菜を買うよりずっとましである。

公園でのんびりしていると餌もやらないのに雀とか鳩とか側にくる。寄ってくるというわけでもなく気にしてないという感じ。私を怖れる様子がない。ひょっとしてわたしは仙人に近づいているのかもしれない。仙人となればこれが長生きは専門だろう。なかなか良い傾向だと思ったりして。

とにかく生きていて楽しい。ずっと生きていたいと思う。長生きしたくないとかいう人間もいるが、できることなら寿命を買いたいね。きっと売りたいって人間もいるはずだ。もちろん健康寿命でないと困る。ガタガタの寿命は要らない。

(以下の話は事実であるが多少設定を変えてある。万が一を避けるためである)
公園でのんびりと行かずにメールとSNSのやり取りを盛んにした。事の次第を簡単に言うと、ある児童養護施設の子どもの親が将来の学費のために毎月仕送りというか入金をする約束をした。そのお金を貯めておいて将来の学費に使うわけだ。その親はきちんとした仕事もしていて社会的立場もある。経済的にも問題ないのだが、いろいろ事情があって子どもは施設にいる。2年間は毎月数万円だがきちんと入金されていたのだが、ある時から入金が止まった。止まった事情を問い合わせると、お金は自分が管理することにした。入金しても学費以外につかわれてしまっては心配だから、という返事。卒業まではあと1年半ほどあるのでおよそ100万円は卒業時すなわち必要になった時にまとめて払いますとその親は言う。もちろん本当に貯めておいてくれるならどこにあっても問題のないお金だが、その親が1年半後ちゃんと払うだろうか? これは誰でも心配する。どう考えても怪しい。

児童養護施設の担当にどうしているのかと聞いたところ、特に何もしていないとのこと。親子の間で口約束、借用書みたいな書類もないから多分泣き寝入りになります。酷い話です。と言う。一体園長も何を考えているのだろう? こういう時は子どものために戦うのが園長の仕事ではないだろうか? 児童相談所も情けない。誰も何もしていない。そこでわたしがやることにした。幸いわたしはその親と以前やり取りをしたことがありメルアドも知っている。

親にコンタクトを取った。そこから長いメールのやり取りが始まる。まず時候の挨拶から始めてそして子どもの近況の話では土俵に引き出す。そして本題、やはり約束した通り毎月入金した方が良いとわたしが言うと、いろいろ反論してきた。子どもに入金するより自分が管理した方が安心だとか、、、そこでいろんなやり取りをしたが、やはりその親は自分で管理するということで話は終わった。当たり前である。メールでちょっと言われたくらいで返事が変わるわけはない。

わたしのメールの目的はその親の考えを変えることではない。メールのやり取りの中で、その親は自分に支払い義務があることを認めて一年半後にきっちりと支払うことを明言した。それはメールという形で残っている。口約束が書面になったわけだ。一年半後にもしごねて払わないのであれば、調停もしくは少額訴訟を提起するが、多分訴訟になると言われたら払うだろう。訴訟になって敗訴。今の家族とかあるいは勤務先に知られたら困るのはその親だ。

これを今何もせずに放っておいたらどうなるだろう? 一年半後になった時に、その時に払う気がないなら、また別の言い訳が出てくる。そんな約束した覚えはないとか。最近まで払っていてかつ一年半前の今だから、支払いの意思表示をしたのである。わたしの言葉運びが巧みであったことも大きく寄与している。私は相手の言葉を引き出すのが抜群に上手いのだ。

もちろん一年半後の交渉も私がやる。児童養護施設はそんなことビビってできない。それにどうせ自分の金ではないので本気にならない。私は調停や少額訴訟はシゲちゃんの老人ホームの退去で充分予習してある。調停は経験済みだ。私一人でもできるのだが、本人ではないので、その子に司法書士なり弁護士を立てることになるが、司法書士に事情を話してまけてもらいさらに一年半の金利をもらえば、まあまあの結果になるだろう。まあたぶんそこまでは行かない。だがそんな刀を振り回さなくても気持ちよく払ってもらいたいものだ。自分の子どもなんだから。施設がらみの話はいったいどっちが親なんだって思うことが多いね。

児童養護施設関連では問題が顕在化していないけど、もう家に帰れるはずの子どもでも親が引き取らずにずっと施設にいるというケースがけっこう多い。施設に置いておけば金はかからない。子育てしなくても良い。楽である。さらに子どもが邪魔に思う親もいる。引き取って虐待する親も酷いがこれもまた酷い。児童相談所は強制的に子どもを返す権限がないので親が同意しない限りずっと施設にいる羽目になる。

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渋谷からの帰りに中古の携帯ショップに寄ったらSIMフリーのiPhone SEが安く売っていた。電源を入れるとバッテリーの状態が極めて良好。99%である。それでつい買ってしまった。どう使うかというと6Sプラスとの二台持ちで、もう出先ではパソコンとかiPadでなく6sプラスでブログなどの更新を行い。車の中で映画を見たりするのも6Sプラス、電話やショートメールはSE、なんてしばらく遊んでみたい。それにしても驚いた。SEの電源を入れてリセットした。これから設定しようとしたら、横に置いてある6Sが新しいiPhoneを見つけました。設定しますかと聞いてくる。それで6SでSEをカメラに取ると設定がそのまま移植される。こんな機能があったんだって驚きである。ということであっという間に設定が終わった。メールから写真からそのままコピーが出来上がった。こんなことやんだね。素直に凄い。まあ私ほどには凄くないけど。
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