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書庫人生の考え方

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昨年は不動産の売却益がある。確定申告のまとめをしていたが、やはりそれなりの納税額になる。当たり前である。法律通りやるしかない。所得税に加えて住民税も上がりさらには国保の支払いも跳ね上がるだろう。暮らし向きに不足はないので重税感はないが、税金がつまらないことに使われてしまうのはあまり愉快ではない。

児童養護施設の子どもで大学に通っている子がそろそろ就職活動の季節である。いろいろ相談したいというので、一緒に夕食をとりながら話すことにした。生まれてこのかたまともな鰻を食べたことがないと言う。それはそうだろう。わたしがいた時の児童養護施設では土用の丑にイワシの蒲焼きを出していた。

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ということで地元の知られた店に。かみさんとその子と3人でちょこっと食って飲むだけで2万円は軽く超えるが、こういうお金は勿体無いとは思わない。生きた金だ。もっと三分の二は私とカミさんで食ってるんだけど。

就職活動、人生観、いろんなことを話した。その子は外資系企業にも興味があるとかでかなり具体的なアドバイスをした。さらに就職活動でわたしの名前と以前の勤務先、肩書きをを出すことを許した。外資系なら志望動機などより具体的に話せるだろう

その子は言う。自分はハルトモさんに会っていなければ大学に行っていなかった。その子が大学に入る顛末はこのブログでも断片的に書いているけど、その子は自分のためにこんな真剣になってくれる大人(他人)がいるんだと驚いたとも言っていた。なんにせよ一生懸命がわたしである。人生で数えるほどの関わり合った人間を全力で支える。それがわたしにできるベストかつせいぜいである。偉くはないけどわたしはこんな自分の人生が気に入っている。


妬みと恨み

これは似ていると思う人も多いかもしれないけど違う。自分が普通にしていてもそれを遠くから見て妬む人はいる。距離感もあって指向性もない。知らない人が勝手にすることを制御できない。もし制御しようとしたらビクビク生きることになる。ちなみに妬みの感情から犯罪を起こすことはまずない。

これが恨みになると話は変わってくる。妬みよりずっと距離感が近くてそして指向性がある。どこぞの誰かに何かしたから、人が自分を恨むという展開になる。恨みは犯罪に繋がる恐ろしい感情で、これは自分でしたことの結果だから自分で避けることができる。つまり制御可能である。恨みを買う人間は人のことを見ていなくて他者の心の動きに鈍いとわたしは思う。

人間は社会的な動物であることは間違いないから、なんにせよ世情に通じて他人をよく観察することである。観察して他人を理解する。それで自分ができることはやる。自分ではどうにもできないことは気にしない。相手をよく見てさらに自分がどう見られているかを理解し、その上で自由に楽しく生きれば良いということになる。サラリーマンで妬みには気をつけて、そんで恨みを買ったりする人間がけっこう多いというは面白い。

わたしはサラリーマン社会にいたから、なんでそんなビクビク生きるんだって思う人をたくさん見てきた。でもわたしが思うほどには彼らは不自由さを感じていない様子であった。それが飼われるということなんだろうね。つまりこれは生き物が違うということかもしれない。羊は羊らしく普通にしている。だが狼はそれを見たらなんであんなビクビクしてんだ?って思う。逆に羊が狼に向かって、気をつけろ!って言ったら狼は? ガブー 食っちゃうぞ、これじゃ会話にならないわな。ということでこの話は世の多くの羊には受けないってことか。
お金がいくらあっても心が穏やかでないと幸せを感じられないのは、たぶん誰もそうだと思うだろう。もちろんお金で取りはらえる煩悩もあることはあるのでお金があったほうが幸せになりやすいことはそれはそのその通りだが、金さえあれば良いわけでもない。

煩悩という言葉が適切かどうかはわからないけど、わたしは自分自身が煩悩を持たない工夫をしている。どんな工夫かと言うと、さんざんここで書いている通りいろいろだ。だがせっかく自分の煩悩を取り払っても、煩悩が多い人間と付き合うとこっちにも煩悩がやってくるので、つまりそういう人間とはなるべく距離をとることが望ましい。そんな極端に取らなくても良いが積極的に近づかないことである。

他人を見て、この人は煩悩が多そうだなと、どう判断するかと言うと、それはつきあっている人を見ればだいたいわかる。煩悩は人を通して伝播拡大するからである。煩悩が多い人間はさらなる煩悩を呼び寄せ、また煩悩に呼び寄せられる。煩悩は自分自身を苦しめる心でありそれはその人の心の中にある。心の中にあるはずなのに案外人と人の間で共鳴するわけだ。例えば嫌な奴に腹を立てる。これは煩悩の共鳴である。

サラリーマンなどはつきあう人間をなかなか選べないが、だからと言って煩悩受けまくりでは困るので、そこは上手にいなす必要がある。わたしはそのあたりは気にして生きてきたね。結果気にしていないのとはずいぶんと違ってくる。ましてや自分が御本尊になるならそれは最悪である。

人生の軸

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我が家は朝にカレードリアを頂くのがカレーの翌日の定番だ。美味しい。

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中古でアンドロイドのタブレットを買ってみた。7インチだけどとても軽いAQUOSのタブレット。以前は高かったけど随分と安くなっている。最近はアンドロイドもご無沙汰なので久々に触ってみようかという気になった。何に使うかと言うと車の中で映画を見たりテレビを見たり、それからスキー場で何かに使ったり。まあなんでもいいや。欲しかったんである。で買ったはいいけど、案外使いづらい。完全にIOSに慣れてしまっているので今更アンドロイドは違和感がある。それでも思い出しながらいろいろ設定して、それで最後にSIMカードを挿してAPN設定をしようとしたらそれができない。ネットで調べるとそういう不具合があるらしい。シムを認識していないようである。仕方がないので買った店に持って行ってそんで状況を見せて返品した。中古はアマゾンとかヤフオクでは買わない。アンドロイドの場合私の経験では中古は50%くらいの可能性でなんらかの不具合にあたる気がする。ということでいろいろ設定したのを無駄だと思うか、楽しく遊んだと思うか、わたしは後者である。手が痛いので家で大人しく遊んだと言うところだ。

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このリフト券はスキーウェアを買った時にもらったんだけど行く予定がないのでヤフオクで出した。いくらでもいいので安くしたらすぐに売れた。今は匿名配送と言って、ヤフオクのメールから二次元バーコードを呼び出してファミマで見せると、そのままどこの誰かに送られる。向こうにもわたしの名前住所はわからない。匿名配送が必要かどうか別としてとても楽である。たまにヤフオクで買ったり売ったりしている。だがヤフオクはいろいろトラブルも多いようだ。高額なものはやりとりしない方が無難だと思う。それと悪い評価のついている人間は避ける。世の中にはいい加減な人間はたくさんいるのである。

児童虐待の報道が後を絶たないが、それだけ大人が病んでいるという証なのかと思う。わたしの経験では躾と称して子供に暴力を振るう大人は、大抵世の中ではからきし意気地がない人間である。世間では我慢して耐えて何も言えないくせに家の中では暴君になる。児童養護施設で働いていた時もそうだと思われる親が多かった。たまに子どもが外泊をする。外泊と言うのは親の元に泊まるわけだが、その時の子供の様子で、ちゃんと躾けろと施設にクレームをつける親がいるんである。じゃあ自分で躾けろよとは言えない。殴るからである。私の親父も世間ではカラキシ意気地がない人間であった。ところが家では随分と偉そうにして子どもつまり私を殴る。タバコの火を押し付けられるのには難儀した。あれは酷かった。今でも傷が残っている。

それで児童相談所から児童養護施設に行ったわけだが、わたしのような目に合う子供は大人になるとかなりの可能性で子どもを殴る。では自分が殴らずに甘やかされて育つと、自分の子どもに甘いのか? これはケースバイケースでわたしが見た範囲では、自分の子供には厳しくて体罰もするという人間がけっこういる。共通しているのは世間に出てからきし意気地がなくて、自分の不満鬱憤を溜め込んでいるということである。甘やかされて育って世間では通用しないその反動が家で出るということかと思う。

甘やかすのと体罰は裏表で結局本物の愛情がないのである。甘やかしてなんでも買ってやったり物を与えたり、それが子どもに良いわけがない。子どもに良くないことをするのだからそれは本物の愛情とは言えない。一方厳しく躾ける人間はそれ以上に自分に厳しくしないといけないのに、案外自分に甘いという人間が多い。これでは厳しくする意味がない。子どもだっておかしいと感じる。私の場合もう小学高学年では親はおかしいと確信していたからね。それで反面教師にしたわけだ。大抵は親の逆をすれば間違いがない。身内では優しく、外では恐れを知らず、媚びへつらわず、自分の考えに従って行動する。素晴らしい反面教師と言えるけど、それは自分というものがあればこその話である。自分がなければやはり大人になって子どもを殴る可能性は高い。ちなみに家庭では私がカミさんに逆らうことはまずない。カミさんの言う通りにしていればまず間違いがないのである。

会社ではいわちゃんと長く上司部下の関係だったけど、いわちゃんが良く言っていたのは、ハルトモの素晴らしい点は頭が良いということじゃあない。それくらい頭が良い人間はいくらでもいる。だがハルトモくらい軸がしっかりとしてブレない人間はまずいない。その当時はそうですか、くらいにしか思わなかったけど、すでに仕事も引退して、そして10数年このブログを書いてきて今思うのは、ここに書いてあることが私の軸ということなのかなと思う。話は冗長になってきたが所用があるのでここでアップする。
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以前買ったコロンビアの撥水のアウトドアウェアで乗馬用のつもりだったけどあんまり派手で使ってなかったがスキーでも使ってみることにした。すこしレトロだけど雪でもまったく問題なく使えた。下はデサントで合わせてみた。ゲレンデは派手なほうがいい。これでスキーウェアは4着になったけど、一番古いのは予備にして(逆に乗馬用にするか?)3着で回す。ただデサントとコロンビアを主に使って、SCHOFFELは多用しないつもり。

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こいつはオーストリアアルペンチームのレプリカで、今だと衣装負けしている気がするからもう少し腕前が上がったら着る。たぶん上がるだろう。その他インナーもおしゃれなのをいくつか買って、ヘルメットも同じものを色違いで2つ。ほとんどヘルメット着用。ゴーグルは3つ。天候により色を選ぶ。

二週間続けて4日連続でスキーをした。来週も4日以上滑ると思う。今シーズンの滑走日数はすでに17日。このまま行くと3月で50日は超えそうなペースである。カミさんや友人が来た時にはのんびりとやるけど、週に1回か2回師匠と一緒に教わりながらがっちり滑る。一人の時は教えられたことの反復練習を行う。そしてその練習の成果をまた師匠に見てもらう。練習の方向が間違っていないか随時確認できる。昨日師匠からはスキーが変わったという言葉を頂いた。何が変わったかというとポジションが変わったそうでずいぶんと格好良くなったそうである。前に比べればだろうけど、それは嬉しい言葉でお世辞を言うわけないから励みになる。

師匠からは一級をとってからがスキーの始まりだ、なんて言われてる。まあそこまでどうかとも思うが一級はあるといいなと思う。一級はコブがあるけど師匠からは二級を取ったらコブはできるようにしてやるから心配するなと言われている。師匠からそう言われるとたぶんそうだろうなと思える。実際今まで教わって、できなかったことができるようになっている。ずっと師匠についていくつもり。ちなみに師匠にも師匠がいてその人は山形にいて元全日本のデモンストレーターだそうだ。

一級を目指すには二級は持っていないといけないので二級の検定を受けようと思う。師匠からは二級は問題なしとお墨付きを頂いているけどそれでも失敗はあるかもしれない。師匠からはウマぶらずに丁寧にやるように言われている。二級のテーマは安全確実に降りることでそのためには外足加重でずらしがきちんとできてスピードを抑えることだと。小回りは自分では小さめの中回りくらいのイメージで十分みたいだ。主テムターンはボーゲンからきちんとずらすこと。もし二級に落ちても心配ない。また受ければいいのだ。実力はすでに二級は問題ないと県スキー連盟幹部の師匠が言うのだからそうに決まっている。

午前中はスキーをして午後からゴルフ場か乗馬クラブでアルバイト4時には上がってゆっくりと温泉、かみさんが来たらバイトはしないで午前中スキーで午後からゴルフという時もある。または買い物とか観光とか。夜はワインをいただきながらスキーの動画を見ている時間が長い。小難しいレッスンものは見ない。師匠以外の能書きは聞かない。かわりにスカッとするものを見る。イメージトレーニングというよりはワインのつまみ。夢はスキーかゴルフ、馬も出てくるが最近はスキーが多い。それで朝起きるとリアルにスキーになる。サラリーマンはなんか仕事の夢をたくさん見るらしい。それで起きたら本当に仕事に行かないといけない。嫌な夢を見て嫌な現実。たまったもんじゃないだろうね。こっちは楽しい夢を見て楽しい現実。笑いが止まらない。

しかしこれだけスキーをやっていても毎週1−2回はゴルフをしてそれで毎週渋谷に行ったりあるいはカミさんと旅行したり、なんでこんなにできるかと言うと、体力とと時間と金があるからだ。この三つの順番は書いた通り。金はそこそこあれば十分だがまず時間がないとどうにもならない。ただ時間は金で買える。金で買えないのは体力というかパワー。結局こいつがキーになる。いくら金があっても時間があってもわたしのようにできる人間はそんないないだろう。ただこの点はあまり意識されない。なぜなら多くの人は体力の前に金と時間でわたしのようにはできないからである。
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