|
前の話の続きなんだけども、そういうことで日本の組織ではなんか決めるときにたくさんの人が絡んでくるってことになりやすい。この問題については専門の部署の意見を仰いでおけとか、あるいはどこそこの部署がむくれると後々やりづらいから話を通しておけとか、いつでも上に説明できるように報告書だけは書いておけとか、それで上から声がかかると、さっと出して手際よく説明すると、それが仕事ができると言うことになる。笑っちゃうけど実際そう。そうやってやけに手間暇かけてやることがチームで取り組むってことだということになっている。本当の仕事より根回しの方が仕事量が多いなんて当たり前。
以前国家公務員の友人に聞いたんだけど、役所ではどういう人間が出世するのかというと、役所を守る力が高いことと、トラブルがなく安心して任せておけること、だと言っていた。要は彼に任せておけばみんな安心して働ける、もちろん上司を煩わせることもない。なんでもお膳立てしてもらえ安心し首を縦に振っておけば良いという状態を上司にプレゼントする。こういう人間が仕事ができるということだ。 そうやって考えると、民間企業なら顧客、官僚なら国民、それらはいったいどこにいったんだ?てことになるが、それがさして問題になることはないのが公務員の世界かもしれないが、民間企業だと結果が業績に出てくるのでやはり顧客も大切ということにはなるんだけど、鼻からパワーが社内調整に取られているから外にでるパワーは限られるし、そもそも評価についても外に出て華々しく受注を獲得することがその大変さとリスクほどお手当に反映されないから、つまり実績だけで会社でのし上がるのは労多くして実り少ないということにままなる。あんまり効率的な出世方法とは言い難いのでお利口さんはあまり選ばないと思う。そこにまた活路があるんだけどね。それはハルトモ君だからできることでよい子にはオススメできない。 わたしが営業の責任者で部下が商談の状況を報告してくるんだけど、その内容を聞く前にわたしは誰が出てきたか必ず聞くの。それでどの程度決まる可能性が高い商談か、商談が煮詰まっているか? だいたいわかる。 先方の課長が前向きに検討したいって言ってます。 ふーん、誰が出てきた? 課長1人ともう1人若い部下です。 それじゃまだまだだな。情報取ってるだけかな? でもその件の責任者の課長が出てきてんですよ。 課長くらいでてくるよ。それより課長だからこそ1人じゃ決められない。1人で勝手に決めるような奴は課長になれない。 そんなもんですか。 たぶん情報の取り方を若手に見本を見せてんだよ。それであんた一生懸命プレゼンしただろ? どそこそでも使われてますとか、、 あ、はい こんな会話をよく部下とした。 逆にこんな話がある。 今日の打ち合わせで先方の責任者から一から再検討をしたいから仕様と価格を再提出してくれと言われました。相当値引きをしないと受注は危ないと言われました。一旦決まったと思ったのに逆戻りです。 ふーん、今日の打ち合わせに誰が出てきた? いつもの設計部のメンバーのなんですけど、なんか初めてで話を聞きたいって今日は特許部の人も出てきましたね。 その特許部の人間なんか言っていたか? いやいくつか設計の内容で質問はありましたが、たいした内容でなく簡単に答えておきました。あとは黙って聞いてましたね。 それだけ? それだけです。 たぶんこの話は決まるな。用事もないのに急に特許の人間がでてきやしない。ちゃんと呼ばれるには呼ばれる理由があるんだ。社内で本気になって採用しようとしているから、念のために特許関連も押さえておけってことなんじゃないか? じゃあ、再検討って責任者が言ってるのはなんですか? そりゃ値切りだよ。最後に買う前に本気で値切りにかかってんだよ。 じゃあ、これ以上引かなくてもいいですかね? そう簡単には行かんだろうな。それなりの手みやげがないと、どう跳ね返るかわからんから、、、次の打ち合わせは俺も出て判断するよ。 こんな指揮官でしたね。わたしは。懐かしいね。人間を扱う仕事は何をやってもおもしろい。児童養護施設もまさに人間を扱う仕事だ。でも実績が出てんだか出てないのか、よくわからない。そうなると子供より大人中心になるのも不思議はない。当然わたしのような人間が評価されることもない。そういうことだ。 |
サラリーマンライフ
-
詳細
コメント(2)
|
日本の産業で国際競争力を維持している自動車業界だけど決してトヨタとかホンダの車の出来がドイツ車より上という評価にはならないのは何故か? その話を日本人とは?という視点から書いてみようかと思っているんだけど、実は日本の自動車部品メーカーというのはドイツ車でも幅広く採用されていて世界的にはトップのものがいくつもある。例えばアイシンのオートマチックトランスミッションは質量とも世界一でBMWもワーゲンにも使われている。デンソーの燃料噴射システムも非常に競争力が高い。日本の自動車部品メーカーに世界の自動車メーカーは支えられていると言ってもいいくらい。じゃあ日本の部品メーカーにしっかりと支えられてトヨタが抜群の乗り味かというとそうはならない。そこが考えるポイントである。
日本の部品メーカにこういう製品を作ってくれとカーメーカが依頼する。そうすると日本人てのはその依頼に対してとにかく一生懸命やるわけ。こうして欲しいとか、ああしたほうがいいんじゃないかな、って思っていてもそこはぐっと言うのをこらえて、まずはお客の希望を叶える努力をする。その中で顧客が気付いてくれればいいけどあからさまには言わない。
他の国の自動車部品メーカだと自分の都合でああしてくれとか、こういうのはやりたくないとか、ああしたほうがいいんじゃないかとかすぐに言う。つまり日本人はお客の言うこと、つまりご主人に極めて忠実なわけ。もちろん言われたことをそのままやっているだけかと言うとけっしてそうじゃない。ものすごくよく考えていてお客の先回りをするくらい。つまりお客の真意を汲み取ろうという熱意がある。それが日本の自動車部品メーカー。
部品メーカーはこれでいい。忠臣であることが美点になる。ところが自動車メーカになるとそうはいかない。一般大衆の求める車を作るというお題目はあるんだけど、目に見えて誰かがご主人というわけじゃない。そこでそのメーカとして俺たちはこういう製品を世に問うんだという、その姿勢が強く出ないと顧客に訴求しないというおもしろい現象が起きる。ベンツとかあるいはアップルもそうだけど、自分たちである意味勝手にこうだと決めつけて世に出してくる迫力がある。これがトヨタは弱い。
ではトヨタとかホンダのクルマ作りはご主人が誰かと言うと、やっぱご主人はいるのですよ。例えば上司。自分の上司が求めることを必死にやるのが立派な仕事ということになる。こういう車を世に出してこれでどうなのかな?と実は酒の席ではいろいろ言う。疑問に思うことも多いけど、でも上司やそのまた上司がよく考えて決めたことだから、口を挟むようなでしゃばりはすべきじゃない、これが日本人の美意識。もちろん深く考えて思慮深いのが日本人だからその制約の中で自分なりにこうだと思う知恵や工夫は入れる。賢いんです。
でも実は上だってご主人がいないと不安だから、やはり誰かにお伺い立てたり、あるいは部下に意見を求めたり、他所の真似をしたり。自分でこうだっていう強い上は創業者でない限りほとんど現れない。だってそんな人間は忠臣ができないからまず滅多なことでは偉くなれないのですよ、この日本の組織では。
上司に加えて同僚というか、部署の違いも同じ力学が働く。専門のことはその専門家がよく考えて決めたことだから、専門外の人間が軽々しく口を挟むのは憚られる、と日本人は考える。詳しい人間がよく考えて決めた結論なんだから、きっとそれは正しいだろう、というわけだ。逆に自分の専門のことに素人が口を挟んできたらムキになって反論したり不愉快になるのも日本人の特徴。日本人てのは肩書きとか権威に弱いって印象があるけど、実はよく知りもしないのに偉そうに言う、とかいうのを嫌う特性が背景にあるとわたしは思う。
要は他人の領分は犯さず自分の領分は必死に守る、ということ。一生懸命というのは元々一所懸命というのが語源で自分の領土を必死に守るということから来ていると学生時代に習ったけど、なんだかそこに通じてると考えると妙に得心がいく。
忠実ででしゃばらないのが日本人だとして、そこでおもしろいことが起きる。例えば戦前日本で一番偉かったのは天皇であったわけだけど、じゃあ実際天皇が戦争をやれとか侵攻しろとか、それを言ったか言わないかもあるけど、実際天皇の意思を直接確認した人間がそれほどいない。一番偉いのが天皇なんだから天皇の言う通りにすればいいはずなんだけど、その天皇の指示は随分と遠回りをしてかなり制御されて自分に届く。そこで、それは変だな、本当に天皇はそう言ったのか?なんて直接確認しようなんて人間はいないし、いてもすぐに弾き出される。それが日本の組織。ちゃんと偉い方があるいは専門家がよく考えてそれで天皇に上申して裁可を頂いたことなのだから、正しいはずだし、そしてそれは天皇の意思に決まっている。そう考える。これでたぶん天皇は天皇でやっぱり生粋の日本人だからそこはなんでも決めてください、なんて下からやられたら逆に困ってしまう。それだけの情報も下は上げないし。そういうことで実際誰が決めたんだかかよくわからないかたちでずるずるといろんなことが決まっていく。
これって今の日本の組織でもまったく同じでしょう。組織の上にいる人間で難しい決断を下から迫られると機嫌が悪くなる人間てけっこう多いでしょう?こんな状態で俺のところに上げるな、きちんと根回して誰もが納得出来るような状態にして持ってこい。でなきゃこんな稟議俺はハンコ押さんぞ、なんてね。なんだかなーて思うけど、それが日本人。だから日本人は忠実ででしゃばらずにいてなおかつ同じような精神構造を持つ上司を困らせないですむように物事が決まっていく非常に奇妙で独特の意思決定プロセスを作り上げた。上からこうしろああしろとはっきり言わずに自分の意思を部下に汲み取ってほしい。そして自分はそれを承認すれば良い。これが組織だとかね。あるいは大きな道を指し示すのが経営者の仕事で細かいことは下に任せれいいのだ、とか、一見まともそうに聞こえるけど、なんだか怪しい。方向は指せても次の角をどっちに曲がるのか誰もわからない。
それと承認と指示はだいぶ違う。あとから責任を問われるのは明確に指示して間違っていた場合だ。承認というと、あの時あの状況では承認もやむなしであったとか言い訳しやすいし、仮に間違っていたにしても、自分一人で責任をしょわずに済む。上げてきたのが部下だからだ。その上げたほうもそのまた下のせいにしたりして、それで責任の所在が希釈されてなんだかよくわからないってことになる。でもやっている人間たちは組織というのはそういうものだと思い込んでいて、コンセンサスを取れ、それが組織で動くことだととかね。
一方下も下で上手な防衛方法を身につけていて、やはり上の意向に沿うというのが基本だから、はっきり指示がなくても、自分はそうだと理解しましたって言い訳が用意されている。結局わたしは上の指示にしたがっただけです、と
最後は言い張れるわけだ。だから責任の所在はますますどこにあるのか漠となる。
ちょっと前の記事に忠犬ハチのことを書いたし、忠僕直助にも触れたけど、かれらはやはり日本人としての美点を持っていて、自分の分を守りそしてでしゃばらない。ただ今の日本人、とくにサラリーマンと違うのは、自分なりに上のために良かれと本気で思ったことを自分の意思でまた責任を背負う覚悟で実行に移すということだ。それが仮に上の言いなりだとしても実行する以上は自分の意思であり責任は取るのである。それが本物の忠臣である。日本はかつてその忠臣によって支えられていたとそんな気がわたしにはする。
日本の電機メーカーの凋落ぶりは激しい。この背景には創業者はとうの昔にいなくなり、そして意気地のないサラリーマン経営者ばかりになったという事実があるが、そもそも意気地のあるリーダーが日本を引っ張って活躍したということは歴史を見てもあまりなくて、意気地のある忠臣がこの日本にいなくなったのが一番の変化点かもしれない、とわたしは思っている。
この話はもうすこし書いてもいい。もっとうまくまとめて書けると思う。ざらっと思った順に一気に書いただけだから。
|
|
石の上にも3年と言う諺もある通り、最低3年は居ようと思っていたがその3年も過ぎた。ここで何度も書いている通りそろそろ退職をする。それで主任を通じて園長にはその意思を伝えた。来期のはやめで時期は概ねである。本当はそんな早く言う義務はないのだが採用の都合もあるかともう伝えることにした。園長は本当に辞めるんだという反応だったようだ。いろいろ言うけど云った通りやめない人間のほうが多いからそう思うのは不思議ではないかな。そこは言ったとおり辞めます。
後任が入ってくるかどうかはよくわからない。今でも一人足りない状態である。仮に入ってくるにしても学校出たての若い子になるんだろうと思う。わたしとしては子どものためにも職場のためにも3月でぽんといなくなる気はない。4月からある頃合いまで有給を消化して少し勤務を減らしてもらい1学期の子供の様子を見ながら退職しようかと思っている。その間に引き継ぎもするが、わたしが担当している子どもは施設でトップクラスで問題児ばかりであるのできちんと引き継ぎたい。 その話を主任にもしたら、その方が助かるということであった。前の会社でも楽しくやったがそれなりに不愉快なこと納得のいかないことはあった。今は納得のいかないことは数多くあるにせよ不愉快だと思うことはひとつもない。子供が悪態をつこうが別にどうということはない。同僚も眉をひそめるが気にならない。園長だってもう何も言ってこない。いろんな意味でそれなりの存在感が出たので同僚もあからさまに事を構えようとはしなくなっている。 だから嫌で辞めるというわけでもないのだが、まあやはりやるだけのことをやったという満足感もあるし、これ以上いても特に新たに伝えたいこともない。子供たちは都合のよいかつ気前のよいおっさんがいなくなってちと不便だぐらいには思うのかもしれないが、それほど大きく生活は変わらない。同じような日常が繰り返されていくんだろうと思う。 親戚や知人も本当に辞めるんだ、と言うが、誰も続けろとは言わない。むしろよく3年も持ったなと言われる。ここの読者では続けてという声が多分多いような気もするが、それはこのブログを読みたいという応援と理解しているので、また新しいことをすれば、それなりになんか書く。ブログを止める気はないから、たぶんそれでOKだろう。仮に止めないにして一年ちょっとで本当に定年なんだからもう誤差の範囲である。 辞めたあとどうするかは決めていないが、若い頃は先の算段をもたずに会社を辞めてしまった人間はその後よろしくないことが多かったが、この年になると辞める自由を持つというのはいわば特権階級である。前の会社も先に辞めると決めていて、そしたらおもしろいもんで偶然児童養護施設に仕事を得た。これからも別に偶然で生きていけばそれでよろしいかと思う。何をしようが金に困るということはもうない身の上だから心配が心配にならない。暇で困るというのは同情されることはない。 娘は高校生の時に近くのコンビニでアルバイトをしていた。それはとっくに辞めたのだがわたしはコンビニの店員だってできる。毎日こんな客が来た、とブログで書けばたぶんおもしろい。そんなこと書くなと店で言われたらクビになればいいことだ。最近娘がそのコンビニの上にある塾の講師になった。大学生だからちと出世したみたいだ。であればわたしも塾の講師でもいいくらいだが、実際はよほど暇を持て余さない限りはやらないだろう。その前になんかすることもあるだろう。 それにしても園長といいわたしを目の敵にするベテラン職員といい、きっとわたしが辞めると聞いて大喜びだと思うが、最後に人を喜ばせて辞めるといいうのはこれはまさしく人徳というものだろうな、きっと。 |
|
今日も渋谷まで自転車で駆けた。でっかいカナダ人の女がロードサイクルでいい調子で走っていて、なぜカナダ人と思ったかと言うとローカルなカナダの店のカバンを背負っていたからだ。そうではないかもしれないが、まあ何人でもいいや。そのでかい女の後ろについて走って行ったら渋谷まで1時間15分で着いた。金を使わずにカロリーだけ使って渋谷に行けるのだから大したものだ。
余勢をかって渋谷の先の代官山まで。そこに蔦屋があったり先日ディナーを堪能したポールボキューズがあったり、大使館も多くあったり、おしゃれな街並みだ。そこのオープンカフェでくつろぐ。別にどこでくつろいでもいいのだが代官山に来ているという気分がいいね。温泉と同じで湯船に使ってどのお湯でも大差ないように思うがやはりそれはそこにいるという気持ちになるからそれで旅は楽しい。いくらバーチャルが進んでも人は旅をするだろうね。
レクサス200Hとか言う車が出張展示されていたが、これはサイズ的にまあいいかなって思える。落ち着いたインテリアと外観でレクサスの中では好ましいと感じた。700万円ほどの車だそうだ。ただ最近車はもっと小さくてもいいような気がするのね。もしかみさんがティグアンに乗ってくれるというなら私は思い切り小さい車でもいいようにも思う。スマートとか。トヨタのIQも悪くない。まず買う人いないでしょ。そういう車を喜んで乗ってね、それで荷物とか人が多ければティグアンに乗っていけばいい。でもかみさんがティグアンで良いという可能性はないので、であればもう一台は大きい方が便利だ。ティグアンは自転車2台乗るから。ちなみにレクサス200Hは自転車2台乗らないと思う。屋根にキャリアで載せてもいいんだけどね。それほどのことでもない。
クレジットカードのメインはダイナースだがそれ以外に伊勢丹カードとかアメックスとかVISAも使っている。普段明細は見ないのだがたまたまテーブルの上にあったので見ると、わたしは一応児童養護施設から給料をもらっているんだけど、今月のダイナースの支払いは給料の手取り額の倍ほどである。もちろんダイナース以外にもいろいろ使っているからわたしでだいたい給料の3倍以上の生活をしていることになる。かみさんに毎月こんなもんかと聞いたら先月はもっと多かったって。今年になってから増えてるみたいだ。
改めてやはり我が家は贅沢かなと思う。どこに給料の3倍使うサラリーマンがいるだろうか?生活費とは別に今年は娘の大学の入学金を払っている。娘のイギリスへの旅費も払った。別にかみさんと娘で海外旅行に二度行っている。昨年は墓石を買った。一昨年は車を買った。そんなこんなで毎年それなりのまとまった出費がある。みんな現金で買うので払ったことは忘れてしまうが、さほど金は要らないなどとわたしは言うが普通のサラリーマンの使い方じゃないな。 読者でハルトモは株で儲けたからこういう生活をしているんだろう。自分も株で儲けて、、、と考える人がいたらそれは誤解である。私は株で儲けてなくても今に近い生活はしていたと思う。家とか車とか旅行とか変わらないと思う。でももうすこしサラリーマンとして大人しくせざるをえなかっただろうな。ポイと会社も辞めなかっただろうしどうせ辞めるな早期退職を取った方が得だし、そしてまたどこかに転職してもいいし、ある業界の専門知識を持った実績十分のマーケティングシニアマネージャだし、英語だって話すんだから。それをすっかり捨てて安月給の児童養護施設で働くというのは、ある意味かなりの贅沢である。(まあよく児童養護施設も入れたとは思うが)。
つまり若いうちに(40歳くらい)株で儲けたことで、私は選択の自由を得たと思う。会社でも好き勝手に振る舞えた。嫌なことはやらない。気に食わん奴には頭も下げない。辞めるのも自由。そう思えば金は別に使わなくてもそこにあるだけで価値があるとも言える。怖いものなしてのは一番いいね。
|
|
時間が持てたので子供たちを連れて近場に外出をしてみた。いつも行く大きな公園があるのだがそこばかりではつまらんだろうと、それで別のまた大きな公園に。子供たちはホームにいるときはとんでもない暴言を吐くことも多いが、こうやって外に連れて行けば少なくともわたしへの態度は素直になる。現金なものである。
しばし遊具で遊んで公園をぐるっと散策して、それからわたしが時々行く古民家へ。ここは昔ながらの遊び道具がたくさん置いてある。それを順繰りに遊んだ。羽子板、竹馬、メンコ、竹とんぼ、ヨーヨー、その他いろいろ。また飾り物を作る工作もさせてもらった。あっと言う間に時間が過ぎる。初めて連れて行ったが子供たちの評判はよくまた行きたいとのこと。よかった。
それで午前中が終了して、午後からは子供たちがハローウィンの仮装を布切れを使って自作するという。マントを作ってい学生服のボタンで留めて
仮装ができあがり、以前はその格好で近所に行ってお菓子をねだったりしたこともあったのだが、やりすぎた子どもがいて大騒ぎしたり悪態ついたりで苦情が来てそれで外に仮装して出てお菓子をねだるのは禁止となった。施設というのはいろんな子どもがいるが、そのうちの出来のよくない子どもの悪さのおかげで以後禁止という話は多い。まじめな普通の子もいるんだけんどね。午後はハローウィンの準備で時が過ぎる。
こうしていると穏やかな時間が流れて、ああノンビリした仕事だなあ、と思う。では子どもが悪さをしたり悪態をついたりしたらどうか? 実はわたしはそれほど苦にしていない。そういう子もいるし、生意気言ったところで所詮子どもである。なにかされるわけでもない。暴れられたら怖いが最近はそういうことはない。会議の時間はとても無駄に感じる。とても非効率でなにも決まらないからだが、でもしょっちゅう会議をしているわけでもないので、別にそれでこの仕事が嫌だと思うほどでもない。
別に嫌なことなどないのである。だから別に辞めなくても良いのだが、他のこともしたいし施設に来た目的も果たせたのでそろそろいいかな、という気分ということだ。これ以上いたからと言って別にそれほど子供に影響もないだろう。もともとこの今私の言っていることなど理解してもらえるとも思っていない。いつかどこかでひょっとして誰かが、そう言えばハルトモさんが言っていたなと思い出すかも、まあそんなノリだ。
株で儲けたらどうやって金を使おうかって考えるのは気持ちはわかるが、ちと違うんじゃないかって私は思う。宝くじに当たったら何を買おうか、て考えるのと一緒でしょ。逆になければないで我慢できちゃうってことじゃないかしら? 私は株で儲けたから買ったものってないんですよね。株がなくても住んでいる家とか車とか旅行とか暮らし向きは変わらなかったと思う。つまり何としても今くらいの生活はしたかった。株は株で儲けたかったけど株がもしなければ、私は多分なんか別のことを考えたと思う。商売をしてもいいし、社長を目指すとか、つまり何でも稼げばいいんじゃないかな?ってこと。
株で儲けたいって人はその株が上手くいかなかったらどうするんだろう? やりたいことはやらないでそれでいいってことかしら?なんか別のことを考えてんのかな? それとも何が何でも絶対に株で儲けるぞって覚悟なのかな? だったら今の生活でちと空いてる時間でしこしこ、、てのはなんか中途半端な気がする。甘くないかね? なければないで済むものは多分手に入らないし別にそれでいいんだから、だったらすっぱり止めて他に面白い事やったほうがいいんじゃないかな? なんて私は考えるんだけど、世の中の人はそう思わないのかな? 私の言ってる事が変わってんのかな?
|


