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忖度という単語は悪者のように扱われるけど、これは実は忖度そのものが悪者というより忖度に接する人間のデリカシーのなさが問題だとわたしは思っている。トヨタの豊田社長とかそれから安部首相とか、日本を代表するおぼっちゃんは自分が子どもの頃からずっと忖度されてきたという実感はうすうすあってもまさに薄い。生きていればいろいろあるから自分なりに苦労した気にはなる。だから世の中の人が自分にそんな忖度をしているという実感はない。でも自分が貧乏な家に生まれたらそれこそ天地がひっくり返るくらいのギャップがあるのだが、そんなもの一生知らずに終わるのがおぼっちゃんであろう。忖度というのはおしなべて弱者が強者に行うものであるから弱者を経験したことがないことには実感として知りようはないのである。
忖度いうのはそれぞれのレベルがある。豊かな家に生まれれば親の力があるから子供は親の程度に合わせて忖度される。中流の家であれば中流なりに忖度される。わたしのような下層の出であれば忖度はないので、少しでも忖度されればすぐに気づくが、世の中の多くの人間はそれに気づかず自分の実力と勘違いする。 おぼっちゃんの忖度への認識の甘さ以上に、実は十分わかっていて忖度を利用する輩もいる。自分の保身と利益誘導のために相手に忖度を要求する輩である。自分はなにも要求していないと言い逃れることを最初から考えている。こういう輩とおぼっちゃんがミックスアップして混沌とする。 忖度をする人間の動機のほとんどはやはり自己保身であるけど、わたしみたいに世俗的な自己保身から超越していると面白いことができる。つまりだ。上が忖度を求めてはっきり言わないから、それをわかったふりをして頷いて、その上で自分の判断でどんどか進めるのである。まさにわたしがそうであった。上がはっきり言わないということはどうにでも解釈できるから自分で自由にできる。はっきりと指示されるとさすがにサラリーマンだから命令には従わないといけない。 上が変だなとおもって指摘してもすでに事態は進んでしまって元には戻れない。ざまあみろである。もちろんわたしは自分のやりかたで結果を出すのであるからその上での話だけど。
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サラリーマンライフ
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サラリーマン時代に日本の社長のたけさんは、米国本社の幹部が来日するとよく自分の車で静岡から成田空港まで迎えに行っていた。日本の社長が自ら空港で迎えて、そして東京までの時間一緒に過ごす。まあいろいろ言えるが早い話おべっかである、よく言えば処世術。ただされた方はそれでご機嫌になる。これは日本のたけさんだけでなく、他の国のトップもけっこうやっていて、たとえば中国のトップは日本でどんなもてなしを受けたか情報を入手してそれに負けないようにとかバランスも考えるとか、これは大変な努力をする。 会社というのは上に行けば行くほどそのまた上の一存でどうにでもなるから、これはかなり不安定であり、そのポジションの維持のためにはどんなことでもやる。たけさんてのは部下を犠牲にするのも得意だった。都合の悪い話はみんな部下のせいにしていた。多少怪しいと思われても普段からのおべっかが効いてなんとか生き延びるというわけだ。まあおべっかされる方のレベルもその程度であったということだが、会社というのはいや人間社会というのは、そんなもんである。 わたしはただの一度もそんなおべっかなどしなかった。わたしはビジネスの戦場で戦っている指揮官である。戦場を訪れて現場の指揮官からもてなしを受けたいという根性がもしあるならそんなの糞食らえである。それで出世をしなくてそれでけっこうである。こっちは投資でも儲けていつ辞めたっていいんである、てのりだった。その割にはえらくなったけどね。 そのわたしが女性陣4人の送迎に一週間で成田往復を二回もした。もちろん自分で納得してやっているのだからひとつも嫌な気分はない。何か見返りを求めるものでもない。言うなら好きなことをやっているので自分も楽しいのである。 日中はジムで汗を流してそれから男子ゴルフと女子ゴルフを見てさらに相撲を見て、それから成田空港に。早めに着いたのでどこかで飛行機の写真でも撮ってやろうかと探したが霧がかかっていてうまく撮れなかった。着陸して荷物のピックアップのところでわたしに電話が入る。空港そばで待機していたわたしが車で乗降場に駆けつけピックアップする。まさに送迎サービスそのものである。それでかみさんのお姉さんの家、お母さんのマンションと回り自宅に帰る。これはハイヤーを頼んだら軽く数万円のサービスだろう。それも行きと帰りで二回である。けっこう役に立っているな。 成田送迎のお駄賃は写真のおつまみ。早速頂いたが、割と美味いね。すぐ無くなった。 |
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よくメディアでも取り上げられているこの話題。長時間残業、最低賃金、非正規雇用、同一労働同一賃金、いろんなキーワードがある。日本人は働きかたを変えるべきだという声はたぶんこの日本で持つすでに多数派だろう。だがその方法論は茫漠である。そもそも日本人の働き方を変える主体はどこにあるのか? 仕組みから変えるなんて話がもっともらしい。だから主体は政府だとかあるいは経営者という議論にわたしは同意しない。もちろん政治や経営だってなにかするんだけど、働くの主語を考えれば誰が主体か簡単な話だ。働くのはあなたでしょう。あなたが変わらなきゃ変わるわけないでしょう。
そんなこと言ったってなんていう人間は、そのままずっと同じことをやっていれば良いですよ。別にわたしは人に文句を言ったり変われなんて言う気は無い。ただ本気で変えたいと思うなら主体は自分自身でしょうね、と言っているだけ。変わるなんてそんな簡単なことではないのだろうなってそれは思う。だってわたしはわたしの働きかたを長年通してきたけど、その中でいわゆる普通の組織人と同じように振る舞えと言われても絶対無理だろうって自分で思うから、たぶん普通の組織人がわたしのように振る舞うのも同じくらい無理なんだろう。
ただ大きな違いはわたしは愉快に楽しく働いて、もちろんすり切れるようにも働かず家族との時間を大切によく遊んで、その上でけっこう出世してそんで稼いだって、まあご機嫌な働き方だったってことです。このご機嫌てのが大切。でもこれはいろんなご機嫌があるからその人なりのご機嫌をお探しになればいいてことだとも思う。人がとやかく言うことじゃあないです。
いっそね、働き方を変えるなんて言わないで、考え方だけ変えてみたらどうだろう?ああ残業しながら死ねたら本望だーなんてね。これは極端な笑い話だが(笑えない?)どうせ同じことするなら考え方を変えるってのはありですよ。一番よくないのは考えと行動が一致せずに嫌嫌毎日を生きること。一致してないならどっちか変えればって話である。
でも考え方を変えるのは簡単じゃない? その通りだ。だがそういう人に言おう。少なくとも行動を変えるほうがもっと難しいですよと。思っていたってできるもんじゃないですよ。こうやって書いて来るとわりと簡単な話だね。人生は楽しく生きたい。考えと行動が一致しているほうが人生楽しい。一致してなきゃどっちかあるいは両方変えれば良い。変えるについてはできるものからおやりなさいって、そういう話だ。
なに難しい? その難しさもあなたの心の中にあるんだけどね。
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ジム始めにフィットネスクラブに行ってきた。一通りのマシンをこなすのだがやはり間が空いているためか負荷がきつく感じた。それでも一通りのメニューをこなすと1時間弱、それから40分ほど走ったがマシン備え付けのテレビで駅伝を見ながら走っていると、テレビに出てくるランナーとわたしの走りのテンポが全然違うので驚く。わたしが2歩進む間に向こうは3歩、間違いなく歩幅も違うはずだから、やはりあいつらはわたしの倍以上のスピードで走っている。速いんだなと感心しながら走った。
それにしても駅伝というのは走り終えて倒れこむ人間が個人競争より多いのはどういう理屈だろうか? やはり集団の一員として走ることでその責任感で全力以上のものがでるのか? だとすればだ、マラソン駅伝をやったらどうなるだろう? 一人が42,195キロを走るがそれで例えば5人で210キロを走る。記録のためにマラコンコースを5周するから条件は同じ。その場合に区間賞という記録はひょっとして個人記録を上回って世界記録が出るのではないか?というのがわたしの仮説だ。おもしろい仮説だが検証しようがないな。少なくとも会社で仕事をしたら逆のことが起きる。 わたしの友人知人をざっと聞いても60歳で働くのを辞めるという人間を聞かない。先日あった郷里の幼馴染二人も60歳になっても再雇用で同じ会社で働くんだそうだ。いわゆるフルタイムで働き続けるということ。学生時代からずっとつきあいのある友人が7人グループだが60歳になってわたし以外全員がフルタイムで働き続ける見込みだ。一人とは自分で商売をしているが、あと皆再雇用とかで前の仕事の延長で働き続ける。 60歳になってもすぐに年金がでるわけでもないし、まったく働かなくても暮らしていける人間はほとんどいないということだが、せめて時間に余裕のある働き方で遊びながら少し働くという暮らしを考えて見てはとも思うけど、そういう人間さえほとんどいない。 今まで長年勤めていた仕事からいったん切れてしまうと仕事を見つけるのが難しいという側面もあると思う。わたしのようにビジネスマンから児童養護施設というのはそれは収入は下がると言ってもその転身さえ普通の人ではできるものではない。わたしが54歳でも児童養護施設で働けたのは自分自身が施設出身だという経歴?があったからだ。 わたし自身について言うと、わたしは働くことはそんな嫌いではない。実際40年も働き続けてきた。ただ働く中で納得のいかないことや嫌なことをしたくないという気持ちが強いだけだ。今でももちろん求職中であるしなんらかの形で今後も働いてもいいと思っている。楽しく働けて時間の自由もあってお金が多少でももらえればそれは言うことはない。ただそんな都合のよい仕事はなかなかない。 ただこの年になって良いなと思うのは失敗を気にせずに仕事選びができるということ。失敗だと思ったり嫌なら辞めればいいのだ。若い時だとこうはいかない。転職で失敗して変なところに行ってしまうとキャリアが崩れて軌道修正が非常に難しくなる。いや台無しになる。友人でもそういう人間は何人かいる。そして最終的な肩書きや生涯年収に大きな差がつく。特に30代40代は難しい時期である。かと言って一度の人生、納得がいかなかろうが会社にしがみつくのも情けない。そこはどうバランスをとるかである。わたしはその組織と個人のバランス感覚が非常に優れていたんだろうと結果をみるとそう思える。意外と組織人なんである。とんでもなく個人優先だけどね。まあなんにせよわたしのような組織人はわたし以外に一人も見なかった。 ハローワークからある会社の紹介状をもらった。求人票をみると社員は二人と書いてあるので興味を持った。たぶん社長ともう一人のその一人が辞めてしまったかしたので求人しているのだろう。それで仕事の中身とか読んでいるととてもユニークだ。何をしてもいいみたいなこともかいてある。どんな社長か一度会いに行ってみようかなと思っている。若い奴にはとうていお勧めできない求人だが、わたしの場合は怖くない。求職活動もいや仕事さえも広い意味では暇つぶしである。 |
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年金法改正が話題になっているが、平たく言えば今後年金の支給額は辛くなるということである。そうでないと維持できませんよということだ。たぶん今回の改正はまだまだ始まりで、今後いろんな形で受給を絞っていくことになる。
それでも足りないとなってくれば税金投入ということになるがそうなれば消費税だからどっちでも似たような話だ。民進党は年金カット法案なんて言っているけど、金がない以上年金を削るか消費税を上げるかしかない。口では無駄な支出を抑えるなんて言うが利権にぶら下がる日本の体制ではできっこない。 サラリーマンで老後危ないのは厚生年金しか収入源がない人間である。年金は最低線は維持されるとわたしは思っている。まったく破綻してご破算なんてことは日本沈没とか世界大戦でもないと考えづらい。だが本当になんとか暮らせるくらいしかたぶん出なくなると思ったほうがいい。年金だけだと旅行も外食も娯楽もできない。食べるだけ、そんなとこじゃないかしら。 わたしの同級生でも60歳を過ぎて遊んで暮らせる人間はまだ少なくて65歳までは再雇用で働く人間が多いと思うが、その65歳になってもかなりの人間はまだ働くか、あるいは貧乏暮らしに耐えるか、どっちかになるんじゃないかな? わたしくらいの年になると、各自自分でこの先どれくらいの経済力かもう見えている。もはや逆転や巻き返しはない。むしろ次第に差が開きつつ、長い長い老後が生きているかぎり数十年と続く。真綿で締めるように。 わたしも油断するつもりもないから何重にも安全策を講じているが最後の砦は体力健康だろう。楽しく暮らすためにも、また働けるという意味でも体が資本である。 今は毎日5キロは走っている。体力の源泉は心肺能力だ。病気は気をつけてなれば治療するしかないがものを言うのは心臓だろう。お腹の贅肉をやっつけてもジム通いは続けようと思っている。 |


