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退職準備

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今日はホームコースでのラウンド。いつもの通りかみさんと一緒。夫婦でゴルフというのはやはりリッチである。わたしの知り合いでも夫婦でゴルフコースのメンバーで一緒に回っているというのはそんな多くない。二人でやると金が倍かかるからそれなりの経済力がないと続かない。それもたいてい専業主婦である。だからだんな社長とか公認会計士とか、サラリーマンでは難しい。ましてや福祉施設の職員なんてのはまず滅多におらんだろう。

退職すると健康保険には自分で入らないといけない。いわゆる国保であるが、ただ退職者の場合は二年間限定で今の社会保険に入り続けることができる。それを任意継続というが、在職中は会社が半分保険料を負担してくれていたが、退職者は全額自分で払うのでおおよそ保険料は倍額になる。国保に入ると家族全員それぞれ入らないといけない。任意継続は扶養者がいても保険料は変わらないので扶養者が多い場合には任意継続の方が有利になる。わたしは比較して任意継続を選ぶことにした。

年金。長いこと厚生年金であったが60歳までのあと2年は国民年金に入ることになる。もうここまで払ってくると受け取り額はそれほど変わらないが60歳までは国民の義務だ。ただ失業をしたわけなので減免措置を願いでることができる。役所に相談したところ、わたしの場合失業特例が適用されて全額免除される。仮にこのまま働かないと60歳まで二年間免除されて、うち半分の1年間は払ったという扱いの支給額になるそうだ。たいした金の話ではないがどっちが得かはちと考えるとこだが、ぱっと答えが出ない場合は今出て行く金を抑制すべきだろう。二年間普通に払えば40万円弱、年金支給の差額で取り返せるのは27年後だ。かみさんは31年後。30年後に年間数万円の話などどうでも良い。ということで免除を受けることにした。

ということで税金も払わず年金も払わず最低限の保険料だけ払いながら失業保険の給付を受ける。それでいていいように遊んで金に困らない高等遊民にわたしはなる。わたしより金に苦労している人間が多額な税金や社会保障費を払っているのになぜわたしはこんなに楽ができるのだろう? やはりわたしは世渡り上手、人生の達人であるな。

退職理由

週に一回宿直をこなしている。広間で雑魚寝でそんな寝れるものではない宿直だが、ほかの職員は週に二日泊まっている。泊まったからといって朝帰れるわけではなく翌日もそのまま勤務なのでそれを二日するとまる二日半連続勤務となる。体調面で持病を抱えてそれに年齢もダントツで高い職員なので体調を壊し、これでは体が持たないと主任の気配りもありようやく週一回に減らしてもらっていたのだが、その主任もこの4月から降格になってしまった。期を同じくして園長がもうハルトモを特別扱いはできないから、また宿直をほかの職員と同じだけやらせろ、と言い出した。これはいつかそうなるとは思っていたことだが、ちょうど良かった。止めようと思っていた時期と被るのだが、体力的にはこれ以上宿直をしろと言われたら体調を壊すのは自明なので辞めろと言われているのと同じ。それで辞めましたということである。

子供たちにはどのタイミングでどう言おうか考えていたことだがこれではっきりとした。まあ辞める理由はこれだけでなく、自分なりの区切りということも嘘でなく子供たちに話すつもりではある。サラリーマンは、嫌なことやつらいことがあってもじっと耐えることが美徳とされている日本で、その嫌なことをせずにここまで来れたハルトモ君はとても幸せで僥倖を得たと思う。気にくわないことはしないなんてサラリーマンはわたしはわたし以外あったことがない。よく堅気でここまで来れたものだ。

自分の人生を振り返って、一生やくざな無頼漢であった可能性はけっこうあった。競輪場に通い詰めて、大阪は森ノ宮の競輪新聞の印刷所に詰めて、サラリーマンではあったが自分では車券師気分。このブログではセミプロ車券師と自称しているのはそれでも車券の儲けよりサラリーマンの収入の方が多かったから。車券はどうだろう、年間に2000万円くらい車券を買って払い戻しが2300万円とか。競輪でこれだけ勝てる人間はたぶん千人万人に1人なんだけど、おとなしくサラリーマンしてたほうが収入が多かった。そこで競輪専業にならなかったハルトモ君は典型的な日本の会社の序列主義にあきたらず転職してビジネスの世界に。それから車券でなく株式投資をやるようになる。競輪では億万長者になれないという見極めがあった。確かにその判断は正解であった。実際株で億円儲けるのは凄いことなんだろうが競輪で勝つよりはずっと容易。株式投資のブログでその難易度の高さはよく言われることであるがそれでも競輪の方がはるかに難しいことは間違いない。さすがのハルトモ君でも競輪では家は建たない。

わたしが非常に珍しいのはこんな根性でサラリーマンでも案外うまく行ったことだ。サラリーマンに向かないようであれよさあれよとうまく昇進。普通のサラリーマンのように根回しとかコンセンサス無視で暴れ放題勝手気ままで、実績をどんどか出したからそれでのしあがっんだけど、必ずしもそれだけじゃない。敵も多かったけど助けられたことも多かった。味方というわけじゃないけど助けてくれる人間はけっこうその局面局面で現れた。それがハルトモ君のこのブログに現れない(現れる?)なにかじゃないかな? 利用価値があると思われたのかもしれないし、どこかに愛嬌があったのかもしれないし、信じても損しないような気がしたとか、まあなんか助けてやろとか応援してやろうとかいう気にするなにかがきっとあったんだろう。

自分が好きでやっている、それしかない。今NHKの朝の連続ドラマでやっているのが、あさがきたという明治の女傑の話だが、大金持ちの家に生まれて女だてらに商売に邁進した実在の人物、その人物がドラマ中で言っていた。人様世間のために一生懸命やってきたのに、、、こんな批判されると凹むわ、、と。実在に人間が本当にこう言ったかどうか? それは知らないが、実はこういう人間はたくさんいる。人の役に立ちたいとか人を助けたいとか、、これは案外育ちが良い人が言うのだが、どこかで空回りしている。児童養護施設の園長が、自己保身の一方でこどもたちのために、と言うのと似ている。自分のためとか、自分が大切ですと、正直に言えない弱さである。

そこを認めた先に本物を優しさがあるとわたしは思うのだが、そういう人はまずいない。であればわたしのように自分が大切ですと言い放つほうが潔いというのがわたしの考えだ。私くらいわがままな人間でもこの施設に来てそれなりにやっただけの甲斐があることはできた。それはわたしが何かしてあげたという結果ではなく、私が自分の好きなことをしてそして納得のいく満足を得たという、いわば思い出をわたしが得たということである。子供たちよりもわたしが得た物の方がずっと大きいかもしれない。とことん身勝手ハルトモ君であるが、約3年半、児童養護施設の職を得た好運に心から感謝する。さて次はどうすべえかな?
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iTunesなどパソコンを音楽ファイルのセンターとして使っている人は多いと思う。アップルミュージックでもアマゾンミュージックでも配信サービスを主力に使うようになるとiTunesで管理する意味も必要もなくなってくる。クラウドがセンターファイルで欲しい物はなんでも引っ張ってくれば良いからだ。

家にいてもMacを開く頻度は確実に減っている。モバイルキーボードも上質なものを選らんではいるが、Appleの純正キーボードを使えば入力の滑らかさはMacと全く変わらない。外に出るときはモバイルキーボードで家にいるときは純正キーボード、別にひょいと上に置くだけである。

大学の教授、准教授は日本に10万人いるんだそうだ。教授というのが7万人、准教授が3万人。そんなにいるんか?という数字である。それだけ教授がいるのであればテレビで思うように話してくれる教授を探してくるのは容易であろう。教員が足りる足りないという話はよく聞くが教授が足りないという話は聞いたことがないしね。

それだけいるのにわたしは知り合いに教授はいない。医者とか弁護士にはコネがあったほうが良いが教授と知り合いでも別になにか役立つということは思いつかないからそれで不都合はないのだが、わたしの人生はそういうアカデミックな世界とははるか遠いところにあるということなんだろうな。

児童養護施設で働いているとたまに福祉関係の大学の教員の話を聞くことがある。意外と現場を知らんなというのがわたしの印象である。わたしなんかたかだか3年くらいの経験でもその教員より迫力ある能書きが言える気がする。このブログに書いているようなことだけどね。先日園長を罵倒したのだが、わずか20メートル、現場に出てこい、あなたは現場がわかってない。そういう趣旨の話をした。園長と言えども現場を知らない。施設の外に居たら何をか言わんやであろう。

わたしは現場が好きな人間だけど、それは自分ができることがたくさんあるから現場にいたほうが好きなことができるという意味でそれで現場が好きである。聞いたようなセリフに、人間は一人ではなにもできない、それが組織となって動くことで、大きな力が生まれる。よく考えてこのセリフを言っているのだろうか? とわたしは思う。わたしは一人の人間というのは凄いことができると思っている。かなりのことでも別に組織にせんで数人でできると思っている。長年組織で働いてきて、個々が集まって大きな仕事をするのはそれは人手仕事であるにしても、その一方で個々の能力を封じ込める弊害をたくさん見てきた。特にわたしのような能力が高い人間は弊害を大きく被るからそれではつまらんと思った。

でもって至った考えは、組織のために働くではなく、組織を使うであった。ただ一定の距離感があって組織には頼らないし自分のために利用する気もない。現場から組織を動かすことができれば最強でかつ一番おもしろいのであり仮に組織が動かなくても自分でできることをやっておけばそれはそれで楽しいということ。会社でもずっと軸足を現場に置いてきた。事務仕事や会議は多かったが、これは移動中でも出先でもやりようはいくらでもある。だからこそのモバイルオタクであった。ゴルフしながらだって会議はできるのである。

相場を張る目的に経済的自由を得たいというものが大きくあると思う。そして経済的に自由を得ればきっと気持ちもおおらかになって精神的な自由も得られるのでないか? そういう順番で物事を考えるとしたらちと違うのではないかとわたしは申し上げておく。せせこましい精神は少々の金ごときでは解放されないのである。だがそれに気づく人はほとんどいない。経済的自由を相場で得る人がほとんどいないからだ。仮にうまく行って大儲けしたとしてもなんか満たされない。精神が満たされない人間はそこでまた考える。もっと金があれば良いのではないか? それで続ける。そのうちひっくり返る。

ひっくり返らなかったらどうなる? 結局精神はそのままだ。金が増えから比例して精神は進化せんのである。以前どっかのブログで相場道とか書いて精神論とごっちゃにしている人間がいた記憶がある。そういう人間は勝手に一生儲けてればよろしいが、マネーゲームに道なんてつけるもんじゃないと思うね。まあ向こうに言わせれば、勝手にほざいてろだろうな。確かに個人的にはマネーゲームはおもしろかった。わたしも嫌いじゃないほうだ。趣味とは言わないが実益もある。でもそれだけのことだ。

テレビに加藤茶が出てきて、それで一般の家庭を訪ねて、その人間から宝くじ10億円当たったらどうしますか? て聞かれて、それで加藤茶が、うんもうお金があったらどうと考えなくなっている。って答えた。もちろん加藤茶は相当の金持ちだからそういう心境になるんだろうし、金で済むことならもう好きなことをやっているんだろうけど、これは得るものを得たから感じるものだ。どの程度金を得ればそういう気持ちになるかは個人差があって、わたしはどちらかと言うと、なるべく少ないお金でその境地に達したほうが、それはそれだけ早く達するわけだから、人生満ち足りた時間が長くて楽しいと思う。そのためには精神が金とは別に解放されることだ。もちろん金は金で困らんくらいにはあったほうが良い。金と心は線路のようなもので近いものではあるが決してひとつにはならない。そんな風に思ってます。

許されるんですか?

なんと児童養護施設のホーム10人中4人がインフルエンザの診断であと3人が高熱で明日検査である。職員も休む人間がでているがインフルかもしれない。残った3人のうち一人は林間学校に行っているのでまだホームにいるのは2人、そのうちの一人が大学受験生である。いまは受験の真っ最中、これから数日は続けて受験が控えている。今のところ発症していないので感染していないことを信じて隔離するしかない。なるべく部屋に居て出てくるときはマスクをしているが、そこかしこに菌が飛び散っているこのままホームに置いておけば間違いなく感染するだろう。

この事態を目の当たりにして同僚の受験生に対する態度は冷ややかであるとわたしには見える。受験生以外は薬を飲んで安静にしておくしかないしそれで将来どうなるわけでもない。優先事項は受験生を守れだろう。まず受験生を職員用の寮には避難させられないかとわたしがチーフに電話した。チーフの返事はOKだがそのチーフも熱がでていて動けない。それで寮に住むベテランに手配をお願いしたのだが断られた。明日も勤務でこんなにインフルエンザの子がいて大変なんです、という返事だった。

それでは仕方ない。わたしの家に連れてきて数日置いてあげるかさもなくばビジネスホテルだが本人と話したらハルトモさんの家なら安心だと言う。ではと荷造りをさせた。明日受験に行ってそのままホームに戻らず我が家で迎えるという算段だ。チーフもそれしかない、お願いしますと言う。

ところがヘルプを断ったその同僚がわたしに言う。そういうことは園長の許可を得てください。ええ、もちろん話しますよ。と返事をしておいたが、この施設に働いていてよく言われるのだが、「そういうことって許されるのですか?」「どうしてもやるなら園長の許可を得て下さい」というセリフである。子供のことを考えたらほかに手はないと思うのだが、、、もちろんその同僚に対案はないしなにか手を打つ気もない。その同僚は受験生がインフルになっても別に責任を問われることなどない。それより勝手なことをして上から睨まれるほうがずっと問題である。とたぶんそう考えている。

わたしは一応組織人だからちゃんとチーフにも話したしそこから園長にも話を通してもらうつもりだが、だが誰も決断できないのだから決断はわたしがする。こどものことを考えたら簡単な決断である。園長の判断なんて待ってられない。ただでさえ判断が遅いし、しない園長である。その間に感染させたくない。家に電話してかみさんに準備を頼んだ。こういう時にかみさんの反応はどうかと言うと、まったく異論なしである。すこしも嫌さがない、だからわたしも安心して子供を連れていける。

さてわたしのしようとしていることは、所謂「許されることだろうか?」 わたしは誰からも許されようなんて思っていないのね。自分が良いと思ったことを速やかに実行するだけである。あえて言うならかみさんだけであるが、かみさんは許すも許さないもない。わたしと同意見である。会社に居たときも同じであった。もちろん上司に相談するが、相談できない時もあるいは上部が違う判断をする場合もあった。それでもわたしは自分の判断を貫くことがほとんどであった。そういうことは組織として許されない、と会社でもよく言われた。では許さなければいい。首でもなんでも勝手にすればいいのだ。

今回の件も同じだ。許されないと騒いだところでわたしはどうということもない。ただその子供を全力で守る。それだけである。自分の子供と同じとまでは行かないが真剣に心配し、自分の保身など一切ない。こういうのが格好いいとわたしは思っちゃっているんで止まらないね。格好いいのが好きなんだから。こういう児童養護施設の職員が一人くらい居たっていいだろう。

なんでこんな時間にブログを書いているのかというと宿直であるが、子供が起きてきてこっちも起こされる。なにせ宿直と言いながらリビングで雑魚寝しているのである。物音で起きるのは当然だ。もうじき朝だな。早く夜よ明けろ、早く帰って子供を迎える準備をせんといかん。休みだが返上だ。じゃない休みに勝手なことをしてるだけだな。

正社員とアルバイト

施設の子供たちはTVが好きだからずっと見ている。それでわたしもいろんなバラエティ番組を一緒に見る羽目になるわけだが、今日は正社員が派遣社員をいびる問題を番組で扱っていた。このご時世だと正社員というだけですでに特権階級のような存在と描かれている。非正規雇用者の悲惨な生活ぶりはNHKでよく特集されている。正社員なら保険もあれば厚生年金もある。ボーナスも出るからまあ生活は非正規よりはだいぶまし。こどもたちはこういうドラマを見て、やはり正社員になったほうが得だと思うようだ。だが施設の出身で優良企業の正社員になるというのは容易なことではない。いまは大企業の高卒枠は非常に難関だ。公務員も同じく。

児童養護施設からだとひとつゴールデンルートがあって特別支援学校から知的障害者枠で優良企業に就職する道がある。これはそこそこ機能している。昨年も1人特別支援学校から上場一部の大企業に就職した子がいてその子は辞めない限り一生安泰であろう。児童養護施設では小さい頃からまともな教育を受けていないため特別支援学校にいく子がけっこういるが、知的障害者枠と言いながら割と知能が高くかなりの業務ができるので採用する側としてもたぶん好ましい人材とみなされているじゃないかと思う。女子であれば結婚しても辞めないで育児休暇などうまく使えば夫婦共稼ぎでかなり裕福になれる道がある。

わたしの学生時代に同じ下宿にいた友達が7人ばかり今でも仲が良い。高浜荘という下宿だったので高浜会と言うんだけど、7人ともきちんと生活を営めていてまあ皆順調な人生であるが、そのうちの1人ゆーちゃんは同い年の奥さんが教師でずっと共稼ぎでやってきている。奥さんは育児休暇を取ってもまた復職して仕事を続けていて、ゆーちゃんはゆーちゃんで巨大企業の本部長という肩書きを持っているからかなり生活にゆとりがある。ただ長いこと働きづくめに働き続けてきて、よくあんなに働くなと感心していた。若いうちから髪が真っ白で相当大変だったみたいだ。だが最近は仕事も一段落したようで、キャンピングカーも購入しあちこち遊び回るようになっている。

これは普通のサラリーマンが裕福になるひとつの道だと思う。確かに現役世代は大変だ。子育てだって相当苦労しただろう。だがそれを終えれば、けっこうな経済的余裕と二人で満額の退職金や年金が待っている。65歳まで働こうと思えば働けるのかもしれないが、60歳で辞めて遊んで暮らすと聞いた。あとはどれだけ長生きできるかだな。それはとても重要だ。長いサラリーマン生活でかなりストレスを抱えんこんでいたはずだから辞めて一気に吹き出さないとも限らない。十分体をいたわって欲しいと思うが、ゆーちゃんは何年か早めに気づいたし太ってもいないのでたぶん大丈夫だろう。

わたしも長いことサラリーマンをやってきた。今でも収入のメジャーではないとは言え給与をもらっているからサラリーマンの端くれと言える。長いこと働いただけのことはあった。公的年金もふたり分あるし手厚い企業年金もある。65歳になれば年金だけでもゆとりをもって暮らしていけるだろう。やはり大企業というのはそれだけの福利厚生がある。だからみんな我慢して辞めずにいるのだが、わたしのように我慢しないで楽しく泳ぎきるという発想はみんなできない。やはりひょっとして首になるとかしたら困るし左遷されたくないしとか考えてしまう。

逆にもし若いうちにサラリーマンを首になってもいいやと思えるくらいの金をすでに株で稼いでいたら、会社を辞めてしまうという人がきっと多いのだろうと思う。専業になりましたってね、それで最後まで生き残りきれば辞めて良かったということになるだろうけど、でも数十年というのは生き残るのには相当長い。10年ばかりじゃ安心できんでしょ。そんで多くはどこかで消えていくわけだからおとなしく働いていてたほうが結果良かったって人がやはり多数になるわけだ。なかなかうまくいく人はいないってことだね。

ということでほとんどの人が損するのが相場なんでやらない方がいいのだけど、年を食ってから始めるのはさらにうまいこといかないような気がするとわたしが言うのはたくさん理由があって、ひとつは相場でもビジネスでもやはり働き盛りの時には判断を間違えないから。観察力判断力決断力行動力これがみんな高いときに勝負をするほうが良い結果が得られるとは思う。まあその人なりということで若いうちでもほとんどは損するだろうけどね。

そういうことで正社員というのはそれなりのメリットがあるので生かす価値はあるというのがわたしの考え。ただデメリットもあるからそこほ避けるということだ。仕方ないとか思わないでいろいろ知恵を絞るということだ。株でもサラリーマンでもなんでもいいんだけど、株だとなんかうまい方法があるんじゃないか? とかサラリーマンであるということはどういうことかとか、つまり多くの人はそこである種のパターン化して集団の中にいる自分をイメージする。勝ち組に入りたいとかね。わたしはそうは考えない。別にうまい株のうまいやり方なんて知らなくてもいい。自分たった一人がこの場この時儲けりゃいいんですよ。サラリーマンだって他の人がどうやってるかなんてどうでもいい。自分がうまくいけばいいのよ。ハルトモは組織人というものがわかっていない、とか何度言われたかわからないがわからんでいいよ。既製の枠に自分を入れる気はない。だってどうみたって偉そうに言うその組織人さんよりこっちのほうが元気で幸せなんだから。
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